生徒会鬼譚 番外編 「夜の形態《かたち》」
羽風草
前
ない。ない。ない。ここにもない。携帯のボタンを押しながら
休み時間と放課後だけ稼働する校内限定BBSが、今では唯一の手がかりだ。くだらない噂話と伝言の隙間をチェックしていくが、私の求めるキーワードは見当たらなかった。昼休みに入ったばかりだから、これから出るかな。
そう思って携帯を閉じた時、自分がノートのメガホンに呼ばれている事に気づいた。
「――本さん。おおい、塚本さゆみさん」
あわてる私を、親友の藤野克美がノート越しに笑う。
「やっと気づいた。ツカちゃん、何回呼んでも気づかないんだもん。ここんとこずっとなんだから。なにまた‘彼’?」
「ごめん」
親友よりもBBSばかり見ている日々もじき一週間、さすがにすこし後ろめたい。謝る私に克美は苦笑して、身を乗り出してきた。
「ねえ。いい加減教えてよ、ツカちゃんの好きな人」
「まだ秘密。そんなにカッコイイ人じゃないし」
「このお」
克美にタックルされながら、嘘つきの自分に胃が痛くなってきた。ごめんね克美。私が好きでも嫌いでもない先輩をストーカーしてるなんて言ったら絶対嫌われるから。私でもおかしいと思う。だけどあの人には‘なにか’ある気がしてしかたないのよ。
克美にも誰にも言ってはいけない話がある。
1年の私が2年の吉備先輩を知ったのは先週。職員室への近道にと、無謀にも滅多に行かない2年エリアの廊下を行った時だった。緊張しながら廊下を歩いていて、ふと視線を感じてふり返った。そこに先輩がいた。彼は行き交う人影からまっすぐ私を見据えていた。
――見つけた。
なぜかそう思った。見つけてうれしいと思った。きっと先輩もそう感じてる。
しかし先輩は違ったようで、怒ったようにさらににらみ返してきたのだ。
急に怖くなり、私は逃げるように教室へ戻った。
しばらくふるえていたけど、そのうち私もむかついてきた。初めて見た先輩から、恨みを買った覚えはない。大体あの人は誰で、目線の理由はなんなのか。
そのときから、先輩を追っている。
彼は校内ではわりと有名な先輩らしく、外見だけで名前とクラスがすぐにわかった。
吉備たずな。2年A組男子で現役生徒会長。すっきり整った顔でやさしそうで当然頭も良く、小柄で運動がダメ。校内カウンセリング室の常連らしく、よく出入りしている。
ほかの生徒会役員は4人。やさしそうな副会長、応援団員みたいで怖そうな生徒会書記、軽そうな男子の会計と、きつそうな女子の会計だ。みんな仲がいいらしく、放課後はほとんどこの人たちと生徒会室に居る。
でも、ここまで調べても、あの目線につながりそうなモノはなかった。
ということは、あの憎々しく私を見た吉備先輩は、それこそ私しか知らない吉備先輩だ。吉備先輩が隠している一面だとしたら……。
いろいろ推理していると、また頭痛が始まった。特に痛い前頭葉部分をおさえる。
「ツカちゃん、また来たの?」
心配そうな克美にうなずいて答える。先週から一日に何度か、内側から突くような痛みに襲われていた。5分くらいで止むとはいえ、激痛で吐きそうになる。アロマオイルも薬もなにしても効くどころか悪化したからタチが悪い。
「病院行ったほうがいいって。つらそうだよ」
「うん……いたたたた。今度、行こうかな」
と言いつつ、病院に行く気はさらさらない。吉備先輩の動向から目を離す暇はないのだ。
放課後。下駄箱から靴を出して、思いきり蓋を閉めた。図書室にもめぼしいものは無かった。ほしいものが得られないと余計気になって苛つく。今なら相手にかまわず喧嘩売りそうだ。
ふいに自分を見おろすような視線を感じた。いつのまにいたのか、隣にいる人が私を見ているらしい。なんの用か知らないけど、こっちは頭も痛くて不機嫌の絶頂だ。どんな喧嘩でも買ってやる。
「なんか用」
相手をにらみつけて、私はそのまま硬直した。人じゃなかったからだ。
黒光りするウロコと太く長い身体を持つ大蛇が鎌首をもたげて、天井近くから赤い目で私を見おろしていたのだ。私はせり上がる鼓動に喉が乾き、悲鳴も出ない。
なに、これ。絶対に現実じゃない。これは夢だ。夢を見てるんだ。
思いこもうとしても無駄だと言うように、大蛇はゆっくり頭をおろし、物色するように赤く細い舌を顔の周りでちろちろと動かす。
これは、いったいなに。
ふるえる私の目の前で、蛇はとうとう大きく口を開けた。真っ赤な口の中には、太くするどい牙が下がっていて、なまぬるい息が顔にかかる。私は目も閉じられず、石になったように動けなかった。肩に固い牙が刺さろうとセーラー服にめりこむ。逃げられない。
心で絶叫した、その時。
「コノヤロ、行け!!」
「失せろ!!」
男子ふたりの罵声に大蛇は身を退き、空気に溶けるように消えた。
間をおいてふたつの足音が近づいてくる。
「ま、こんなもんだろ」
「運がいいだけだ。油断するな」
「わかってるって。ワンコはうるせーなあ」
「サルは気楽すぎだ。遠藤こそ黙ってろ」
憎まれ口を叩きながら私の横を通りすぎていくふたりは、生徒会役員だった。茶髪で軽そうなのは会計の遠藤幸人。短髪で真面目な応援団員みたいなのは書記、乾誠一。どっちも2年生だ。よく吉備先輩と居るから覚えている。
偶然にしても助かったと思ったら、遠藤先輩が私を頭をなでた。
「追っ払ったから早く帰れよ、1年」
とたんに恐怖がせり上がり、喉の奥から悲鳴が出た。
「――いやあああっ!!」
戸惑う先輩を払いのけ、靴を履いて叫びながら玄関を飛び出す。
恐い。蛇も恐かったけど、蛇を追い払ったこの人も同じくらい恐い。一体なんなの。あの蛇もこの人たちもなんなの。逃げなきゃ。恐い。蛇の目は、あの時の吉備先輩のようだった。
ひょっとしたら蛇は吉備先輩のせいかもしれない。きっとそうだ。吉備先輩の仲間だから蛇が見えたんだ。仲間なら私になにかするかもしれない。つかまる前に早く逃げなきゃ。
また頭に激痛が走った。中から突き破られるようなこの痛みも、ひょっとしたら先輩のせいだろうか。
ここまで来たら大丈夫だろう。息を切らし、足がもつれたところで立ち止まった。蛇も誰も追ってこない。追ってきた所で私はもう走れないけれど、私の勝ちだ。つきあたりを左にいけばウチがある。お母さんの変なミニガーデンが飾られている私の家がある。
はずだった。
「うそ」
家のあるべき所には汚い自販機がひとつ立っているだけだった。驚いてあたりを見渡し、愕然とする。
じき陽が暮れようとしていたはずの見慣れた風景はどこにも無かった。
すでにあたりは暗く、街灯が明るく道を照らして電柱の影を舗道に映し出していた。携帯の時計はじき8時を指している。周囲に立ち並んでいる古い建物は使われていない公営住宅で、自販機の立っているそこは旧国道沿いだ。
こんな町はずれまで走って来ているのに、気づかないなんておかしすぎる。大体まだ4時にもなっていなかったはずだ。
私に異常なことが起こっているんだ。そう悟ったとたん、血の気が引いて足から震えが走った。
「いやだ」
帰ろう。今すぐ帰ろう。道を戻るべく踵を返した。
しかし、黒くてそびえ立つ障害物があり、足を止めて息を呑んだ。
黒い大蛇がそこにいた。歩道の上で音もなくとぐろを巻き、大きな姿をくゆらす蛇は、また私を頭上から見おろしていた。
腰から力が抜けそうになるのをこらえ、今度はなんとか声を出した。
「いったい、なんなのよ、あんた」
声はふるえて変に甲高く、自分でも情けない。
蛇の頭がゆっくり近づいてきた。じっと見つめる赤い目に、あの人の視線を重ねる。やっぱり似ているかもしれない。
「ひょっとして、吉備先輩が……」
蛇の赤い舌が首に巻きつこうと伸びてきた。首筋にぬめる紐状のものを感じた時、悲鳴じゃなく変にひきつれた声が出た。
たすけて。
――吉備先輩!!
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