彼女は僕に焦がれない

夏野

彼女は僕に焦がれない

 実際は僕という一人称を使っている人は少ない。しかし僕にはやはりこの一人称があっている。なんというか、しっくりくるのだ。心の中では僕はこの一人称を使っているが、現実では一応他の人に合わせている。目立たないように、なにもかも偽って適当に過ごしている。まあ僕はこんな感じの面白くもない人間だ。

 

 さて、こんな僕にも一応恋愛感情を抱いている相手がいる。しかし相手は僕に恋愛感情を抱いてはいない。つまりは片思いというやつだ。

 その相手は僕の幼馴染のあかねという名前の女の子。彼女は僕のことをただの友達だと思っていて僕の気持ちに全く気付いていない。我ながら少女漫画でよくあるようなべたな関係だ。しかし少女漫画と違いこの恋が発展する見込みはない。全くない。しかし好きになったのだから仕方ない。見込みがなくても好きでいるしかないのだ。

 茜は僕と違って明るくて社交的だ。僕よりも、もっと明るくて楽しそうな友達もいる。なんで僕なんかと友達を続けているのかという理由を考えた結果、僕たちが幼馴染であるからという理由以外思いつかない。それでも僕が友達として彼女の邪魔になっているとは思わない。彼女は僕といる時が一番楽だと言う。家族みたいなものだと。これに対し僕は恋愛対象として見てもらえていないと悲しむわけではない。むしろ、うれしい。茜の近くに入れるだけで僕は幸せなのだ。この恋は決して、叶わないのだから。




 「つばさ、ここにいたの?探したよ」と茜が駆けて来る。

 彼女は僕のことを名前で呼ぶ。小さい時からそうだったから、僕も彼女のことは茜、と名前で呼んでいる。

 僕は大学2年生で彼女と同じ大学に通っている。僕はそれほど頭がよくないが、彼女と同じ大学に通うために必死で勉強した。我ながら健気だ。

「わざわざ待ってなくてもいいよ。茜にも予定があるんじゃないの?学部も違うし」

「だって今日は翼と一緒に寄りたいとこがあるの。かわいい雑貨屋さん見つけたんだよ」

茜はそう言っていつものように無邪気な笑みを浮かべた。


 僕たちは大学の門を出て、いつもの道を歩いた。僕は茜の横顔をこっそり見つめている。

「ねえ、今日は私の家に来てよ。一緒にテスト勉強やろう」

 僕と茜は同じアパートに住んでいる。こう見えて僕は執着心が強いのだ。ストーカー気質とも言える。

「テスト勉強は、同じ学部の人とやった方が効率いいんじゃない?」

 僕の返事は素っ気ない。僕と茜は履修している科目が全然違うので、単純に疑問に思った。

「翼は同じ学部の人とやりたいの?」

「茜以外に一緒に勉強するほど仲いい友達なんていないよ。茜こそ、それでいいの?」

「うん、もちろん。ねえ、テスト終わったら夏どっか遊びに行こう。あ、今年こそ夏祭り一緒に行こうね」

 茜がにっこり笑った。

「いいね、夏祭り。楽しみにしてるよ」

 僕も自然に笑顔になる。幸せだ。これ以上は、何も望まないし、望んでも意味は無い。


 テスト勉強はどうもやる気が出ず結局いつものようにだらだらすることになった。漫画を読んだり、テレビを見ながらお菓子を食べたり。

 茜はバイト先の店長がいかに怖いかを語っていた。ならそんなところさっさとやめればいいのに、と僕は言うと葵に何も分かってないと怒られた。そして辞めにくいだの言うのが怖いだの人手が足りないだの色々な理由を語った。僕はバイトをしたことがないのだがそんなもんだろうか。バイトなんて気楽にやめられるものだと思うのだが。

 そんな風に無意味な時間を過ごしているともうすっかり暗くなっていた。


「うわ、もうこんな時間。泊まってく?」

「いや、帰るよ」

 茜はベッドでごろごろしている。

「やばい眠い。起き上がるのきつい。帰るなら鍵閉めてってね。あのタンスの上に鍵があるから。明日返して」

 いくらなんでも不用心すぎないか、と僕は思ったがそこまで心を許してくれているのが嬉しくもあったし優越感を感じた。優越感なんて特に誰かに向けたものでもないが。




 次の日、午前で大学が終わった僕は教室から出る前に何気なく携帯を見ると茜からメッセージが来ていた。

 『今日翼の家に行っていいかな?相談したいことがある!!!今日暇??』

 いつものように茜の声が聞こえてくるような元気溢れる文章だ。相談とはバイトのことだろうか、などと考えながら僕はOKと言っている変なクマのスタンプを送った。


 僕は部屋に帰ると一応冷蔵庫を確認した。大したものは入っていないが一昨日買ったレモンティーがある。茜の好きな飲み物だ。言うまでもないが茜のために常備している。僕は彼女にベタ惚れなのだ。

 茜が来ると分かっているとなんとなく落ち着かないので本の内容が頭の中に入ってこない。僕はテレビをつけて昼の情報番組を見ていた。

 番組が終わるとき携帯を見たらまた茜からメッセージが入っていた。

 『ごめん!!!!今日行けない!!』

 頭を下げている顔文字が付いた茜からのメッセージに僕は少し落胆しながら気にするなという感じの言葉を送りレモンティーを飲んだ。このレモンティーはまだ茜に振る舞ったことがないのにもう残りが少なくなっていた。

 テレビを見ながら適当な夕食をとり、テスト勉強をしたり風呂に入ったりして時間を浪費していると茜からメッセージが来ていることに気付いた。

 『やっぱり行っていいかな?』

 僕はすぐにOKと変なうさぎが言っているスタンプを送った。


 茜が僕の部屋を訪ねて来たのは夜22時頃だった。

「ごめんね、なんか」

 そう言いながら部屋に上がった茜にレモンティーを飲むか聞くと断られた。

「どうしたの?」

 小さな座布団の座った彼女はいつもより思い悩んでいるようだった。

「あのさ、高校の時の、その、私の彼氏、覚えてる?」

「ああ、笹塚とかいったっけ?」

 思い出したくもない名前だ。高校生活はあの男のせいでかなり不快な目に遭った。ただでさえ高校生活はろくなことがなかった。第一僕は制服が大嫌いだった。あの灰色の時期に唯一茜が色を付けてくれた。

「そいつ、うちの大学にいてさ、もう一度付き合ってくれって・・・」

「まさかOKしたの!?」

「し、してないよ!まさか!」

「じゃあほっとけばいいよ。そもそも2年になるまで気付かなかったくらいだし」

「浪人してたみたいで、今年から・・・。経済だったみたいで」

 茜も経済学部だ。まさか浪人してまで茜を追いかけてきたんじゃないだろうな。足を切られても這って追いかけてくるゾンビみたいな男だ。茜みたいな女の子と付き合えた思い出を一生の宝物として生きればいいのに。茜に迷惑かけるなんて最悪な男だ。生きている意味が分からない。

「諦めないみたいで、どうしたらいかな?」

 茜が困ったように言った。

「ずっと無視してたら諦めるよ」

 いやそれは逆効果か?だからといってこっちから構うわけにもいかない。

「夏祭りも一緒に行こうって言われて・・・」

「え、だってそれは・・・」

「あ、もちろん断ったよ!あれは翼と行く約束だもんね!」

 そうだ。僕は楽しみにしているんだから。あの男の入る隙は無い。

「葵の言う通り、無視するしかないよね。でも今日、友達に急にバイト代ってって言われて、それでバイト先に笹塚君が来たんだよ。友達に教えてもらったのかもしれないけど・・・」

 それはストーカーだ。僕の予想以上に笹塚は茜に執着しているようだった。

「それは・・・ちょっとやばいかもね」

「でしょ!?もう嫌になっちゃう。それで絶対今日翼に相談しなくちゃって思って!」

 茜は本当に困っているようだった。茜にストーカーがいても僕にはどうすることもできない。しかし、あんまりひどいようなら通報してやろう。



「葵、ゆかたどうする?」

「茜は着なよ。持ってたよね?」

 今日は予定がない茜が僕の部屋に来ている。

 テストも終わり、夏祭りが近づいていた。去年は茜がバイトを入れてしまって行けなかったから今年はしっかりシフトを調節してくれたみたいだ。

 例のストーカーの件は平行線をたどっていた。諦めの悪い男だ。

「えー、葵もなんか着なよ」

「持ってないから」

「じゃあおしゃれしてよ。顔かわいいんだし。あ、そうだ私口紅買ったの!」

そう言って茜はポーチから口紅を取り出した。

「ねえ翼、ちょっと塗ってみて。きっと似合うよ」

冗談じゃない。

文句を言う茜を横目に僕は窓から空を見ていた。雲も鳥もいない、何もない空だった。




 そして夏祭り当日、僕と茜は一緒にアパートを出て屋台を回っていた。金魚すくい、わたあめ、射的、ヨーヨー、りんご飴、チョコバナナ、焼きそば、かき氷。夏祭りらしい屋台が並んでいる。

人混みの中には友達や恋人、親子や兄弟など様々な人がいた。みんな幸せそうに笑いあっている。もちろん、僕と茜も含めて。

 茜は真っ赤な浴衣を着ていた。僕はその姿をいつものようにとてもかわいいと思った。彼女の隣を歩けて僕は幸せだった。茜はりんご飴を食べていて、僕はわたあめ食べていた。

「翼は昔からわたあめが好きだねえ」

茜が可笑しそうに言った。茜も昔からりんご飴が好きだった。

 茜はすべての食べ物屋の前を通るたびに美味しそうだね、と僕に笑いかけた。金魚すくいの前で最近は夏祭りでの金魚すくいは少なくなっていると話していた。

 僕はTシャツにジーンズという服装だったから僕らが恋人に見えるのではないかという淡い期待をしていた。


「あ、茜!」

 突然男の声がした。振り向くと笹塚が立っている。気安く茜の名を呼ばないで欲しい。何でこんな所にいるんだ。まさか付けられていたのだろうか。

「さ、笹塚君?偶然だね・・・」

茜がやや引きつった笑みを向けた。

「今日俺友達と来てたんだけどな、まさか茜に会えるなんて!え、お前横山か?高校の時から茜と一緒にいたよな。本当に仲いいんだな」

違う。恋人だ。そういえたらどんなに幸福か。

「なあ、ちょっと俺も混ざっていい?」

「えっと・・・」

「いや、二人で来てるから」

僕は冷たく突っぱねる。

「おいおい、ちょっとだからさ。もうすぐあれ見れるし」

「茜はお前みたいなやつとは二度と付き合わないし夏祭りも回らない。行こう、茜」

「ちょ、横山!なんで邪魔するんだ!」

 うるさい。うるさいうるさい。

 お前は僕に嫉妬するんだ。勘違いすればいいんだ。

 僕は茜の手を引いてその場を離れる。俯いたまま人混みの中を進んで行った。

「つ、翼?」

 これは僕のわがままだ。茜の恋の成就を願うべきなのかもしれない。もちろん笹塚は論外だが。

「翼!ねえ翼!」

 僕だって茜と付き合いたい。あの笹塚ですら付き合えるというのに。僕は早足でどんどん進んでいった。あの男から少しでも離れたかった。


「翼!上見て!」

 茜の声に思わず顔を上げると、どーん、という聞き覚えのある音がして夜の空に花火が上がっていた。

 その花火のかけらが名残惜しそうに消えていくとすぐに次の花火が上がる。

「綺麗・・・」

 夏祭りの客はみんな見やすい位置へ移動しているらしく、僕と茜がいる祭りから少し外れた場所にはほとんど人がいなかった。

「綺麗だね、茜」

 笹塚がいなくて良かった。2人で見たかったんだ。

 でも茜はいつかまた別の男と付き合い、愛の言葉を囁き合うのだろう。そして僕は茜の一番の親友として結婚式に招待されるんだ。僕はこの恋を終わらせることすらできないのかもしれない。

 一定のペースで花火は上がり続ける。

「もう私、恋愛はこりごり。翼は彼氏とか作らないの?好きな人ができたら教えてよ。翼はかわいいから大抵の男はメロメロだよ。」

 茜は冗談っぽく笑った。

「・・・うん」

 僕は彼氏などいらない。そもそも男を好きにならない。

 僕はずっと前から君が好きだった。

 ずっと好きだったんだ。

 明るく笑う顔も、悩みを吹っ飛ばすような大声も、ちょっと優柔不断なところも。

 何か言いたいのに言おうとした言葉は喉の奥で玉になって出てこない。

 好きだよ茜。抱きしめたいしキスがしたい。

 僕はいつものように友達として君の隣に立つ。全てを偽って、君に話しかける。

 花火は休むことなく夜空に上がり火の花を咲かせる。茜の浴衣の色のような真っ赤な花火が上がった。

 僕はずっと彼女だけを見てきた。

 だから分かるんだ。


彼女が僕に恋い焦がれることは、決して、ないということを。


 ラストに向けて連続で花火が上がり始める。

 茜の瞳にひっきりなしに上がる色鮮やかな花火が映っているのが見えた。

 この花火が尽きなければいいのに。

 子供のように夢中で花火を見ている茜を見ながら、僕はそんなことを考えていた。





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