5
泣いている成瀬由美。震える体を必死に抑えつける事しか出来なかった。キラークイーン。あなたは何を思ってこんな事を続けるのかしら? トランプ館に渦巻く憎悪を、桜庭楓は思った。
どうして仕掛けがあるかもしれないと言う考えに至れなかったのか。足取りが重かった。
「しっかりして翔太!」
由佳の支えも、何もかもがイタカッタ。でも、こいつと秀介だけは、守る。その思いだけが拉ぎ折られそうな心をつなぎ止めていた。ああ。お前と秀介、絶対に守らないと。
コン、コン。秀介? 俺だ。コンコン。それだけが今の心を。お前の部屋に泊まるわ。コンコンコン。頼む早く返事をくれ。帰って来る筈の返事。無い。猜疑。ドンドン! おい秀介! 返事しろ! 秀介!
「どうしたの」
スペアキーを持って来い今すぐに早く!
息を呑む衿子さんは生きてる。ドウデモイイ。秀介どうした返事をしろ! 走って来る森田さんから鍵を奪い、鍵を開けるまでの時間さえも苛立った。
虚構だった。ミタクナカッタ。心は拒否した、体は重い1歩を歩いた。床に斧が刺さっているはずが無かった。視界が歪んだ。テーブルに視線を背けた。4つに裂かれたJokerとスペードのQ。体がまた一歩歩き出してしまった。夥しい程に流れる血。視界が歪んだ。今までの2人と同じだった。ここには全員が集まってしまった。この死体の持ち主が、目を開く事はもうナインダ。
有村秀介の惨殺死体が、壁にもたれかかっていた。
力が入らなかった。崩れ落ちた。拉ぎ折られた。秀介の、まだ温かい亡骸を、しっかりと抱きしめた。
ボロボロと決壊した声が出なかった自分は何も出来なかった叶う筈の無い願いをなけなし振り絞った。
なあ、秀介。
何してんだよ。
なあ頼むよ秀介。
一生のお願いだから!
大声で泣いた。
いつまで続くのか。顔を上げている人はいなかった。いつになったら外の雨は止むのか。一箇所に集まりましょうと促した陸田さんに、反対する人はいなかった。一番気がかりだった。顔を見せてくれない。翔太はぐちゃぐちゃになっていた。
「これで遺産相続に招待されたのが貴女だけだものね」
由美さんの声に、芽生えた殺意を垣間見た。間違い無く、この中の誰かが殺したのは誰が見ても明らかだったから。
「それとも? 古澤さんの様子を見に行った振りしてあんたが主人も殺したの!?」
「そんな私は!」
ヒステリック。コワイ。固まれば、誰もが疑心暗鬼だった。バラバラになれば、ネラワレタ。誰かの悲鳴が聞こえてくるかもしれなかったのだから。
「どう言う事かしら」
理性的に動いて来た陸田さんが、牙を剥こうとしていた。もう見てられないよ……。
いい加減にしろ!
翔太じゃなかった。メイド姿に似合わない、良く通る怒鳴り声に全員が黙った。一言で黙らせる、典型的なカリスマだった。
「落ち着きましょう。言い争っていても何も始まりません」
良かった……。 少しだけ心が軽くなった。ガタッ。翔太? ふらつきながらどこへ行くの! 反射。気づいた時には翔太を追いかけていた。
秀介はどこにいる。そうだ。もう死んだんだ。誰が? 俺が殺したようなものだった。口約束の儚さ脆さを、悟った。そうだ。全て忘れてしまおう。大人が良く使う。せめてもの赤で、後悔ごと飲み込んでしまおう。
「翔太やめて!」
ワイン瓶を奪おうとするのはダレダ。ああ。由佳。お前は俺が絶対に守るからな。だけど、一瞬だけでも忘れさせて欲しい。ソノボトルダケハカエセタノムカラ!
「しっかりしてお願いだから!」
空しく割れたボトルを見て、頼みは途切れた。由佳が俺を支えてくれていた。暴力を振るいなれているせいか、その手は力強かった。力強くても、死ぬ時はきっと呆気ない。人の命は、それだけ脆かった。朦朧とした心。由佳の頬をそっと撫でた。ああ。由佳。お前は俺が絶対に守るから。
ボロボロと由佳は泣き出した。
「何でこんな時まで強がるのよ! 翔太は何も悪くないでしょ!」
強がってなんかねーよ。何でお前の前で強がる必要あんだよ。事実だったから。 ……親友って言いながら命もかけずに守れなかった、最低野郎なだけだって。
「違う違うでしょ分かってるでしょあんたも! 私達にどうする事も出来なかった!」
何? どうする事も出来なかった? その後は何だ? しょうがないって言うのか? 親友を守れなかったのが、ショウガナイッテイウノカオマエハ。こみ上げた怒りを、由佳にぶつける事しか出来なかった。こんな事をしてもしょうがないって分かってても。分かってても。もはや止められなかった。
もう、何がなんだか分からなかった。俺の名前を呼ぶ由佳が、崩れ落ちて膝枕の状態になった俺を強く抱き締めた。最後の望み。それさえも切れそうになっていたのかもしれなかった。必死に繋ぎ止めようとしてくれた。
押し殺す声を、しばらくの間黙って聞いていた。由佳だって辛くないわけが無かった。
「こんな事した人、捕まえよ? 有村君はもう戻らない。けど翔太まで戻って来なくなったら、あたし……」
由佳が顔を上げた。滴る涙が俺の頬に落ちた。俺自身も泣いていたから、どっちがどっちの涙かは分からなかったが、同じ悲しみを共有した。受け止め合えば、きっと人は立ち上がれるのかもしれなかった。だからこそ考えられるようになった。ここから出られる保証が無い今、秀介のために出来る事は、由佳が正しかった。余りにも拙い、未熟な考えなのは知っていた。でもただで終わるつもりは無かったから。だが……。
良いのか?
俺がそんな事して。
秀介を助けられなかったじゃん俺。
由佳が笑ってくれたのが救いだった。言葉を紡ぐと溢れたから。怒りをぶつけ合うのは無駄な事は誰でも知っていたが、泣き合って傷を舐めあうのも、得があるとは思えなかったから。
「あたし達出来るよ? 生きてるから。あたしも手伝うからさ、絶対に見つけよ? ね?」
目を閉じると、秀介とのバカが思い出された。目を閉じたら、暗くなるだけの現象。しかし脳は確かに見ていた。思えば沢山の動物マスクを持っていた秀介。俺を脅かして、自分が笑うためだけに。たまに聴かせてもらったヴァイオリンの音色。単純に、ウマが合っただけの関係が、ここまで続く軌跡だった。奇跡ではなく。だから、このままでは決して終わらせたくなかった。情報は、集めれば良いだけ。1を集める技術より、1を10に組み上げる。1を得て、不可能を可能に組み上げる。それだけで良かった。我が、親友に、捧げし唄。
分かった。
涙を拭いた。目を開くと、由佳はまだ泣いていた。 ……どこまで出来るかわかんねーけど。
この不可能、俺が可能に変えてやる。
ん? 由佳が1点に目をやる。涙を拭いて、真顔になる由佳。どうし……。 テントを張っていた。 ……不可避イベントだ。ほら。良くあるだろ? あれと同じようなもんだ。
「しょうがないわね」
ん? いつもなら……あれ? え? ラッキーイベント?
「ほーら気持ち良いかしら翔太!」
ああやっぱりアイアンクロ痛い痛い痛い死ぬ死ぬ! そのまま立ち上がり、手を離され頭を強く打ち付けた。頭中が痛い。何つー怪力だこいつ。
「行こ?」
恥ずかしながらも由佳の手を取り、立ち上がった。出来ればここで行きたかったと冗談を言うと、『バーカ』と笑顔が返ってきた。
秀介。俺……やってみるわ。由佳が手を強く握って来た。
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