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 皆、言葉も無く俯いていた。あんな光景を目の当たりにし、更に閉じ込められてしまった状況で、明るく振舞う事は私には出来なかった。こんな時に限ってそれが出来そうな奴がいなかった。

「帰るぞ由美! 全員乗れるだろリムジンなら!」

 本当にもう……。 どこにいるのよ……。

「俺は車が怖いんだ! 俺だけ置いて行くな!」

「だめです。橋が落とされました上この天候で警察は来れないみたいです!」

「どう言う事よ!」

 皆平常心を失いかけてる。今すぐに帰る事が出来ない事を、私は目の当たりにしてしまった。どうして橋まで落としてしまったの。

「お前! ヘリを出せ!」

「無茶言うなよこの天候で! 第一俺は飲んでるんだ!」

「何でこんな時に飲んでるのよ!」

 震えが止まらなかった。自分の体を抱いて治まるとは思えなかったが、どうか治まって欲しかった。

「こんな事になるなんて思ってもみなかったんだ八つ当たりすんな!」

 小川さんに掴みかかる成瀬さんを必死に有村君が抑えようとした。突き飛ばされ、蹲る有村君に声をかけることしか出来なかった。

「離せ!」

 何とか離れて事無きを得たが、根本的な解決は何もしていなかった。早く来て……。

震えた拳をきつく握った。



 小屋にあった斧が無くなった事を森田さんから聞かされた。明らかな殺人事件。壊れた橋。無くなった斧。何のためにそんな事をするのか。答えは一つしかなかった。毛布をかけられている古澤さんの死体を想像しただけで、起こって欲しくない事が頭を過ぎった。実は医者である陸田さん(さっき聞いた)が、部屋を見て回っていた。

「まさかこんな事に……高校生は下でおとなしくしてなきゃダメよ」

 陸田さん違う。そんな事を言ってる場合じゃない。俺がここにいる理由は事件を解決するためなんかじゃない。最悪な状況を考えるだけで、焦燥は無くなり頭がクリアになった。だって由佳や秀介が同じ目に遭ったら? 起こらないようにするって誰でも考えるだろ! この状況で冷静になれる人を、俺は好きになれなかった。だが言うしかなかった。

 そんな場合じゃない! 橋が誰かに壊された!

「何ですって!?」

 殺人事件が起きたのと同時にこれで終わりなら橋を壊す必要なんて無いまだ誰かが何かするつもりなんだ俺の友達も危ないそれだけは止めたい! 陸田さんは、真っ直ぐに俺を見つめてきた。探る目では無い、多分、必死さを見極めている、目。

「秀介君達を、守りたいの?」

 協力してくれ!

 微かに笑ったように見えた。俺の都合かどうかは分からなかった。この時間さえもどかしかった。

「貴方に、出来るの?」

 無理かもなんて、考えるまでも無かった。そんな事を考えて、目的を達成できない良くある最悪の出来事にしたくないなんて、言うまでも無く分かって欲しかった。お互いを見合う時間を、大雨が計測していた。

「とりあえず、この匂いを何とかするから。君は秀介君の傍にいてあげて」

 陸田さん……。



 気分が悪くなった有村君の介抱をしていると、やっと翔太が帰って来た。申し訳無さそうに謝って来たから許してやった。

「秀介、大丈夫か?」

「……うん。心配かけてごめん」

 やる気になった翔太を見てホッとする。悔しいけど、いざと言う時だけは頼りになる。いざと言う時だけ。だけど。

「調べたんでしょ?」

 予想に反して首を振った翔太の視線は、私と有村君に向けられた。……あー。そう言う事。嬉しいような嬉しいような。

「そんな事はどうでも良い。由佳。特に秀介。遺産目的の殺人なら、秀介が特に危ないだろ」

 やめろ顔がにやける。もうにやけてる。 ……何て事も言っていられない。夢に出てきそうなシーンを目の当たりにしてしまった。そして翔太の性格。私達を守ろうとしてくれているのが痛いほど伝わる。両小指を絡め、口元に手を当てる翔太。その奇妙な癖が、今は頼もしかった。

「翔太」

 ただ名前を呼んだだけなのに翔太は涙と鼻水と涎のタイダルウェイブを撒き散らし、反対側まで素早く仰け反った。有村君……どこに馬のお面持ってたの……。 私のスマホ画像で事足りる……ってそうじゃないか。有村君、お腹抱えて笑ってるし……。

「やっぱり僕も、狙われるのかな……」

 不安は、翔太を驚かせた所で消えてくれないと思った。私は同伴者。遺産の相続権が特別あるわけでもない。でも有村君は……。

「ふざけた振りして、何だかんだ頼んだら断らないよね。翔太。本当にいつも……」

 私だって思うかもしれない。命を失うかもしれない状況に追い込まれているのだから。罪悪感以上の感情を抱くって事位。



 水臭かった。親しき仲の礼儀じゃない。助けたいって言う感情なのだから、損得勘定抜きにもっと頼って欲しかった。

「でも……」

 まだでも、と言うか。命令する。命令を聞くと言う関係で親友を満足している関係とは違うぞ俺達は少なくとも。


 お前は死なせない。


 肝心な事は、やはりどんな仲になっても言葉で伝えるべき。物凄く臭い。物凄く恥ずかしいけれど。由佳も秀介も守る。絶対。

 雨音にかき消されて欲しかった。



 後ろめたさなど無かった。すでに始まってしまったのだから。何かを探る気配は無いのが救いだった。チクリ。恐れる事は何も無かった。



 チッチッチッチ。6時の時計が煩かった。今の自分に出来る事を隅々まで考えた。古澤。成瀬夫妻。小川。陸田。そして秀介。5組が候補者、そして遺産目当てだとしたら。秀介と由佳を守るために、俺に何が出来るか。今の俺には暗号の答えをさっさと解く以外に選択肢は考えられなかった。こうしている間にも何か起こる気がしてならなかった。導きたるは外れの住人。この意味が分からなければ、暗号は解けない気がした。寝返りをうち、視界の窓には相変わらずの大雨だった。鬱屈した思いを振り切りたく起き上がり、一つの結論に辿り着いた。


 ヒントは2つあったはずだ。


 テーブルに完備されていたメモ用紙とボールペンで、可能性を書き込む。トランプ。頭文字。そして略語が使われていた。11は英語でイレブン。トランプではQ、Kと英語とトランプの略語に違いがある。そして1はエース。これらトランプは、誰に配られた?

 古澤、小川、陸田、成瀬……。 もしかして首を刈られ並べられるの通りに並べ替えれば……。 紙には『forn』の文字があった。

 ……なるほど分からん。俺の名前を呼ぶ由佳が、扉をノックしていた。安心してくれ。生きている。秀介と由佳を守るために、俺自身が死んでたまるか。



 fornだったら、恨んでって意味だったと思う。私の言葉に翔太は落胆していた。暗号の意味を考えて、出て来た答えが殺人事件に絡む当たり前のような感情だったら尚更だった。翔太は事件解決のために動いているのではないのだから。でもね。あんたの心の底にある痛みまで伝わって来てるんだ。わざわざノックしたのだって、あたしと有村君を守るって言った翔太にもしもの事があったらって思ったら、私がどうなるかを分かって欲しかった。

 食堂に入って来た有村君だって、そう思っている。

「きゃああああああああああああああ!」

 女の人の悲鳴。動けなかった。怖くて動けなかった。翔太だけが、この状況で理性的に動けていた。



「あなた! あなた!」

 2階廊下には事実だけだった。扉の下から流れて来ている大量の血。必死に扉をこじ開けようとしている成瀬由美さん。高校生の力では、こじ開ける事も無力だった。

「マスターキーを! 早く!」

 やって来た森田さんに、そう怒鳴りつける事しか出来なかった。感情に任せるのは良くないと、この年代なら誰しもが知っている筈なのに。続々と館の人間が集まって来る中で、森田さんの到着が焦燥感を掻き立てた。この時間にやれる事を反射的に。扉の隙間から中の様子が伺えないかと思った。状況は変わらないが、状況は知れた。

 目が見開いた成瀬さんの表情。両手の指も見えた。首と両手が、見事な切断状態だった。俺は悲鳴を上げた。慄く由佳と、遅れて来てしまった森田さんの鍵。

 怒りの震えを必死に抑え、鍵を捻った。最愛の人が肉塊となって転がって来た由美さんは号泣しながら最愛の名前を叫んでいた。

 成瀬和樹の惨殺胴体が、内開きのドアと同時に転がった。

「や、やっぱり僕も……」

 へたり込む秀介。ソンナコトハナイ。人の命を弄んだような愚行に、こみ上げた。



 血の匂い。部屋の入り口に出来た夥しい赤。飛び越えて辺りを見回す。成瀬さんの痛々しい両手と首が物語っていた。使われる事が無いテーブルのティーセットに違和感を覚えたが、今はそんな事はどうでも良かった。胴体を抱えて泣き叫ぶ奥さんの悲鳴を許せるか。へたり込み、恐怖している秀介を、果たして許せるか。ガッ! キラークイーン。ふざけたお前は何をしても許さなかった。壁に叩きつけた拳は熱い。

 コンナコトガユルサレテタマルカ! 何度も壁に当たってやった。人の痛みは何も感じなかった。フザケルナ!



 陸田さんが、違和感である10cm四方の箱を開けた。4分割のダイヤのA。そしてスペードのQ。血がついていない鍵とタバコが合ったらしい。許されない事実を壁に殴る翔太、次は自分かもしれない絶望の有村君。そんな中で、震える事しか出来ない私は……。

「ヘリで助けを呼んで来る」

 幸運にも雨は上がっていた。いつまた嵐になるのか。夜間飛行が危険かどうか。そんな知識は持ち合わせていなかったから、理性か感情かは分からなかった。

「危険よ! いつまた天気が荒れるか分からないわよ!?」

「じゃあここでおとなしく殺されるのを待てって言うのか!」

 沈黙が緊迫した。2人死んで平常心を保てる人などいなかった。握り拳を握る小川さんの表情は、後悔していた。

「俺が飲んでなかったら、早く助けを呼べた……やらせてくれ」

 小川さんを見る翔太の目線と、縋る表情の有村君に、同意だった


 森田さんから鍵を受け取り、ヘリに向かって歩いて行く小川さんに、後ろ髪引かれた。あの時の表情が気になったから。玄関だけの明かりに溶けていく小川さん。プロペラの音がけたたましく鳴った。

「吉野って言ったか?」

 このタイミングで俺の名前を呼ぶ理由が分からなかった。煩く鳴るプロペラの音。曖昧な返事しか出来なかった。

「……あの時の俺が、お前みたいな奴だったら良かったのにな」

 え?

 小川さんの姿がヘリに消えた。何を言おうとした? ライトが点灯した。何か、知っている事があったのか? 離陸したヘリ。知ってる事があったのか? 飛んでいくヘリ。

「小川さん、頼む……」

 凄まじい速さで小さくなっていくヘリに、願わずにはいられなかった。


 ドォーン!


 目を見開いた。崩れた橋までしか走っていけなかった。ヒラヒラ。遠くで爆音を上げたヘリは、空しく地をついた。ヒラヒラ。炎と煙が遠方を覆った。

 4つに裂かれたスペードのK。小川さん……。 スペードのQ。フザケルナ……!

 へたり込んだ虚空に、大雨が再度降った。


「クソが!」

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