古い街灯の下で

砂里燈

古い街灯の下で

 それは、私の生徒たちが後に話してくれた物語。始まりは、一人の少女が拾った古本だった。


 親と喧嘩した少女は涙を浮かべながら、暗い夜の公園にたどり着いた。木々に囲まれた公園は遊具が三つほど散らばっている以外、古いガス灯だけが特徴的だ。近くの自販機で暖かいお茶を買うと、近くのベンチに腰を下ろす。一口、また一口と、飲むごとに気持ちを落ち着かせていく彼女は、なぜか自分の隣に冷たいジュースと本が、ぽつりと置かれてるのに気は付いた。

 倒れ込むようにベンチに座ったときはなかったはずだが、そんなことを気にする余裕は今、無い。持ち主が取りに来るかと考えながら座っていたが、結局は誰も現れなかった。遠くで雷の音がすると、彼女は帰らなければならないことに気付く。

(本が雨にぬれたらだめね)

 明日、持ち主を探せばいいと、彼女は重い足で立ち上がると、本とジュースをもって帰路に就く。


 昼休みの鐘が学校に鳴り響いた。少女は椅子を傾けながら気持ちよく背伸びをする。昨日拾った本には題名がなく、内容は意味の分からない文字の羅列が続いていた。

「ねえ、木蓮もくれん

 名前を呼ばれて振り返った少女は、ガタンと椅子を戻した。前の休み時間、本の事を相談した友人が彼女の机にもたれかかった。

「それって、オカルト系の本じゃないの?タダセンが何か知っているかもよ」

 タダセンこと、東雲正昌しののめまさあきは化学の先生で、なぜかオカルトマニアとも言われている。とくに怪しいそぶりを見せたことがないのに、生徒たちはの事を怪しく言っている。

「いいアイデアかも。夕実ゆみ、ありがとう!早速行ってくるね」

 そういうと、木蓮はちゃんとお弁当を持って科学準備室に向かった。

 廊下を小走りで過ぎると、薄暗い準備室の前で足を止める。

「失礼します、津々野つつのです」

 私は猫にスルメをあげる手を止めて、気まずすに振り返った。木蓮も、どう反応していいのか分からずに扉で固まっている。

「どうしたんだい、津々野君?」

 ここは、何も起きなかったようにふるまう。彼女もそう思ったのか、私に普通に声をかけた。

「あの、この本を公園で拾ったんですが、持ち主が分からなくて……」

 本を開いて中を覗いたとき、私はすぐにどこで買われたものなのか分かった。知人の営んでいる古本屋がすぐに頭の中に浮かんだが、この少女にどうやって教えようかと迷う。

 しかし、なぜ彼女がこんな本を?そんな疑問が私の脳裏を横切る。

「これはたぶん、古本屋で扱われていたはずだ。もしかしたら……」

鳥関とりせき書店の事ですか!」

 目を輝かせながら、すぐに知人の古本屋の名前を言う彼女に、私は目を丸くした。あまり、人目に付かない書店なのに、この少女はよく知っている。

「たぶん、ね。放課後、寄ってみるといい。買った人が見つかるかもしれないよ」

 木蓮は部活の天文部をさぼってまでも、鳥関書店へと向かった。胸を躍らせながら彼女は坂道を駆け下りる。その足が軽やかなのは、いつも外から見ることしかできなかった書店に、やっと立ち寄る理由ができたから。

 深く息を吸い込むと、彼女は心を落ちつかせる。塗装のはがれかけたドアノブに手をかけ、古い洋式の扉を開けると、薄暗い店内が広がっていた。目がなれるのを待って中に踏み出すと、店番をしている老人が寝ていることに気付く。起こそうかと考えながら忍び足で机に近づいて行くと、不覚にも床が苦しそうな音で軋んだ。

「あ、店長を起こさないでください。あれでも、寝つきが悪いんですよ」

 突然、声をかけられた木蓮は心臓が飛び出すほどい驚いた。足音も聞こえなかったのに、後ろに少年が立っていたからだ。

「いらっしゃいませ」

 満面の笑みで歓迎する少年を見て、木蓮は頬を赤らめながら持ってきた本に顔をうずくめた。彼女がこの書店に興味を持ったのは古本だけが理由ではない。学校からの帰り道、時々窓から書店を覗いては、木蓮はいつも彼を探していた。

「あの、この本の、持ちぬしをしりませんきゃ?」

 言葉の最後で舌を噛んでしまい、木蓮は口を押えた。穴が近くにあったら入りたいほどの気持ちで。横目で恐る恐る彼の方を見ると、優しく笑いながら本を開いた。

「ああ。これは最近、常連さんの買って行った本だよ。後で彼に連絡しておくよ。ありがとうね」

 ほっとした木蓮は緊張してて早く書店を出たかったので、一礼すると急いで外へ出た。夏の暑さと蝉の声が押し寄せる。

(やっと、あの人と話せた!)

 閉じた扉にもたれては、木蓮は胸をなでおろした。

 のども乾いていたので、帰る前に近くの自販機へと向かう。何を選ぼうかと見ていると、昨日、本と一緒に持って帰ったジュースが並んでいる。つい、ボタンを押すと、冷たいジュースが音を立てて一つ落ちてきた。よく考えれば、ちゃんと本と一緒に返したほうが良かったかもしれない。そう思うと、彼女の足はまた書店へと向かう。

 扉を開くと、さっきの少年が出迎えてくれた。

「あれ?さっきの……」

「本と一緒に渡しておいてもらえませんか?」

 言葉不足だと分かっていたが、木蓮はそれ以上は言えなかっただろう。胸の高鳴りがそれを許さない。

「いいよ。本と一緒に置いてあったんでしょ?」

「はい。ありがとうございます!」

 無邪気に笑った彼女の笑みに、少年は不意打ちを食らう。顔を背けて落ち着こうとすると、彼が予期せぬ質問が飛んできた。

「あと、夏祭りに一緒に行きませんか?その、ずっと話してみたかったんです……」

 暑さで脳みその誤作動がおこり、木蓮はどれほど思っても言えなかったことを口にした。

 床を一生懸命見つめる彼女は、少年が顔を手にうずくめたことには気づかない。しかし、彼はどれ程嬉しくて胸が締め付けられようとも、断ろうと口を開いた。

「これ、一尭かずあき!一緒に行ってやれ!」

 書店にこだましたのは、さっきから狸寝入りを決めていた店長だった。

 断りかけた一尭は、高鳴る胸を抑えながら、夏祭りの約束をした。


夜の七時前、木蓮は心躍って早くついてしまったが、鳥関書店の前にはもう一尭が立っていた。嬉しくて、ヒラヒラのワンピースを翻しながら彼に駆け寄る。

「こんばんは!」

「こんばんは」

 静かに笑いかける彼は、狐のお面を頭にのせ、浴衣に身を包んでいた。木蓮は浴衣を着てこなかったことを少し後悔したが、ワンピースがかわいいと言われて考え直した。

 街中へ進んでいくにつれて、人が多くなりはぐれない様に歩くのも大変だった。彼はいつの間にかお面をかぶって歩いていたが、木蓮は何も聞かない。なぜか、心の奥で聞いてはいけないと思ってしまったからだ。

 屋台でリンゴ飴を買ったり、金魚すくいをしたり、木蓮ははしゃぎながら次から次へと嬉しそうに屋台を回っていた。

 一尭はにやける口元を、仮面があるにもかかわらず、隠そうとしている。気をそらそうと時計を見ると、花火が近いことに気がついた。

「木蓮さん、花火がもうすぐ始まるよ」

 そうやって、彼女を花火の良く見える所へ連れて行こうと、つい手を握ってしまったのだ。一尭は、振りほどかれると思ったが、木蓮が握り返したことに驚いた。彼の胸が締め付けられたことは、木蓮は知らない。彼女はただ、顔が真っ赤にならないように願いながら、涼しい手を絶対に離さないと決めていた。

 坂道の柵に寄りかかった彼の浴衣の裾を引っ張る木蓮は、また下を向いていた。

「ねえ、少しだけ仮面を外してもらえない?」

 人気がなく、彼女の赤くなった耳を見ると、一尭も断れなかった。この後の言葉は絶対に断らなければならないのに。彼は仮面をずらして、彼女の小さな声がよく聞こえるように少しかがんだ。

「一尭くん、私、貴方のことをずっと見ていたの。でね、君のことが……」

「あれ、木蓮?で何してるの?」

 友人の夕実の声に反射的に振り返ると、木蓮は言葉の意味が分からなかった。

「ひとり……?」

 柵を振り返ると、掴んだ浴衣の感触も、握っていた手の感触もまだ残っていたのに、一尭はどこにもいなかった。


 学校が終わり、のんびりと帰る生徒の中、木蓮だけが坂を駆けて行った。鳥関書店に向かって走っていったが、いつの間にか通り過ぎて自販機の前に立っている。変に思い、道を戻るとまた書店が見つからずに、隣の甘味処までついてしまう。何度も書店を見つけようにも、毎回通り過ぎてしまう。そんな彼女は心細くなり甘味処で少し落ち着こうとした。

 窓の外を覗いていると、いろんな人が行きかうが、一尭は何処にもみあたらない。

 大盛抹茶パフェを半分ほど食べた頃、夏祭りからたまってきた眠気が襲ってきて、木蓮はうとうとと窓の外を眺めていた。そんな彼女に目が留まったのは、タダセンこと私だ。

 彼女は球に目が覚め、会計を急いで済ませると、彼女に気付かない私の後を息をひそめながらついてくる。店内に私が入った後、扉が閉まりきる前に彼女はちゃんとドアノブを掴んだ。たぶん、本能的に分かっていたのだろう、今ここで手を離せば、一生ここは見つからないと。

 深呼吸をした彼女は、扉を思いっきり開いては店の中に飛び込んできた。

「先生!一尭君を見ませんでしたか?」

 その時、彼女の声を聴いて私は腰を抜かしそうになった。

 木蓮は右を見て、左を見て、天井を見て一尭を探す。しかし、店内にいないことがわかると、床に倒れ込むようにしゃがんで丸まる。

 私はどう声をかけたらいいのかと迷っていると、店長が店の奥で何かを探し回っているのが見えた。なかなか見つからないようで、彼は二階へと続く階段に足をかけたが、その前に私を呼ぶ。

「正昌!時間が惜しいから説明しておけ!わしは猿の面を探しに行く」

 『猿の面』と言われて、私は店長の意図が分かった。

 蹲っている木蓮の背中に軽く手を置くと、私も隣にしゃがみ込んだ。

「津々野君、一尭に会いたいのなら、私の話をよく聞くんだよ」

 そういうと、木蓮は顔を上げて真剣にうなずく。

「近くの公園に残っているガス灯が一本残っているだろ?あの下でお面をかぶって一尭が通り過ぎるのを待つんだ」

 木蓮はうなずくと、泣かない様に唇をかんだ。

「お嬢ちゃん、正昌も説明しただろうお面だよ。さあ、急ぎなさい」

 彼女はお面を受け取っては、お礼を言い残して疾風のごとく店を出て行った。


 ガス灯にもたれかかって息を整えている木蓮の姿は、夕日に照らされて曖昧に見える。

「木蓮」

 彼女が名前を呼ばれて振り返ると、そこには友人の夕実が気まずそうに立っていた。

「夏祭りの時はごめんなさい。あなたが、連れ去られそうに見えたから、つい声をかけてしまったの」

 一瞬、沈黙が広がったが、木蓮が笑って友人に返事をした。

「謝らなくていいよ。私自身、何が何だか分からなくなっているの。でもね、一つだけ分かっているのは、一尭君をほおって置けない事だけ」

 木蓮がお面をかぶった瞬間、夕実が彼女の手を掴もうとしたが、彼女は木蓮の視界から消えていた。公園は町の光がなくなり、ほとんどが濃い闇に包まれていた。唯一、点かないはずのガス灯だけがあたたかな光を放っている。

「木蓮さん……なんでここに?」

 ガス灯が放つ光の円の端にいたのは、闇に少し浮かび上がるほどの一尭だった。今にも逃げてしまいそうな彼を、木蓮は思いっきりひっぱたいてから、その手をつかんだ。

「バカ!どうして直ぐにいなくなったのよ!どれだけ寂しかったか、心配だったか、分かってるの?」

 あっけにとられている一尭は、泣き始めた彼女にどう反応していいのか分からなくなった。

「僕は、死んでいるんだよ。なのに、なんで忘れてくれるどころか、追いかけてきたんだ」

 やっとのことで絞り出した言葉を彼は、自分に言い聞かせようとしていた。

「私だってうすうす気付いていたわよ。始めはそれでもいい、ただ話せるだけで嬉しかった。でも、関わるにつれて、どんどん好きになって……」

 鼻水をハンカチでふき取ると、木蓮は彼のシャツを両手でつかんだ。

「お願いだから、僕にそんなことを言わないでくれ。僕は君の気持ちを受けきれない」

「じゃあ、私がまとめて全部受け止めるから、どうかそばにいて」

 うなだれる彼女は、彼のシャツに顔をうずくめた。

「だめなんだ。僕はもう、君のそばに居てはいけない……」

「じゃあ、せめて……」

 柔らかい感触が唇に触れて、何か言いかけた彼女の口をふさいだ。言葉では彼女を追い返そうとしているが、こうやって触れると彼がどれ程悩んでいるか分かる。

 ゆっくりと離れた木蓮は、袖で涙をふき取ると深く息を吸い込んだ。

「今は見逃してあげるけど、あなたの事は絶対に忘れないし、追いついて見せるわ」

 その言葉に、困ったように一尭はほほ笑んだ。

 風が吹いて景色が陰ろうのようにゆらぐと、町の光はもどっていた。木蓮は泣き崩れるようにその場に倒れそうになったが、夕実が彼女を支える。

 夜が覆う公園の中には、木蓮の泣き声が響き渡るだけだった。



 そんな話を聞いてから数年も過ぎ、雷が鳴り響くある嵐の夜。古本屋の店番をしていると、雨に濡れた教え子が駆け込んできた。

「先生!和葉かずは明隆あきたかを見ませんでした?あの子達ったら、また逃げてきちゃって……」

 心配そうに店の中を見回す彼女に、私はニヤリと笑いながら声をかける。

「誰かさんみたいにはいなくならないと思うよ」

 一瞬、彼女は目を見開いたがすぐに笑った。

「そうね。じゃあ、私はこわーい悪霊と戦いに行くから、あの子たちを見かけたら伝えておいて」

 ウィンクすると、彼女は傘を差さずに店を出て行く。

 私がまた椅子に沈みこもうとすると、店の中に風が吹いて私のお気に入りの傘が窓を破って外に飛んで行った。

「やんちゃだねえ」

 独り言をつぶやくと、私はそっと目を閉じた。

 

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