第3話 紅に染まる季節

俺は今、化学実験室に来ている。水野先生に面倒を押し付けられた日以来、時々こうして放課後に化学実験室に寄っては千代さんが実験をしている姿を眺めている。

なぜこんなことをしているかと言われれば、正直なところ自分でもよくわからない。ただ、こうしてここに通うことで千代さんと仲良くなれた、とは思う。

初めて会った日に名前呼びを申し入れられたわけだが、女性と話をする機会もそう多くなかった俺にとって、『千代さん』と呼ぶ行為は大変な労力を要し、恥ずかしがる姿を何度もからかわれたものだ。


そんな事を思い出している間に、千代さんは書いていたレポートの手を止め提出の準備をしていた。

「千代さん!今回は結構タイム縮まりましたよ。マイナス10分です!」

「そうか。後はこの数値があってれば、だな。」

「大丈夫ですよ。千代さん測定誤差が基準値を外れたことなんてほとんどないですし。これなら明日の県大会もばっちりですねー。」


いよいよ明日に迫った化学コンテスト。このコンテストの評価基準はいくつかあり、全ての項目が減点方式で計算される。

評価項目はまず分析の正確性。今回は定量分析と言って、液体に含まれる課題物質の重量を分析によって計算する。その数値が誤差どの程度であるか。ここが大きなポイントで、測定誤差が2gや3gもあるようでは優勝は望めない。

その他は分析から器具の片付け、レポート提出にかかる時間。実験時の手順に間違いは無いか、器具の取り扱いは適正か等がみられる。

千代さんは手順も正確で測定誤差も少なく、間違いなく優勝候補筆頭だと個人的に思っている。

しかし、スポーツにしろ文芸にしろ、普段出来が良いからといっても、勝てない時は勝てないものだ。それでも、俺は楽しそうに実験をする彼女に、是が非でも優勝して欲しいと思ってやまない。



そんな俺と彼女の日々は過ぎていき、遂に県主催化学コンテストの当日となった。

全国的に参加人数がそもそも少ない為にいきなり県大会なわけで、このコンテストで準優勝以上を果たせば全国大会だ。

ただ、だからといって知名度が低いわけでも重要視されないお遊びでもなんでもないのがこのコンテスト。花もないし全国ニュースで大々的に流れるわけでもないから、確かに一般的の生徒達には認知されにくいものであるのは確かだ。しかし、こと理系の分野においては大学、企業を問わず注目しているところは多い。いつだって彼らは素早く正確な分析を行える技量、数が少ないとは言え全国まで行けるほどの熱をもった人材を探している。もちろんこの大会で優勝したから即スカウトされると言うわけでもないが、千代さんのように理系の大学へ志望している学生にとって、この大会で成績を残すことは大きなアドバンテージを得るといっても過言ではない。

かくいう俺はというと、一般生徒は会場に入場する権利を持たない為、水野先生によって好意で開放してもらったいつもの実験室で、彼女よりもたらされる朗報を心待にしているところだ。

会場が狭い為らしいが、俺も近くで千代さんの応援がしたかった……!

「千代さん、優勝出来るといいな……。」



「ん、あれ?」

どうやら、窓辺から差し込む柔らかな日差しについ微睡んでいたようだ。外はすでに茜色に染まり始めている。僅かに薄暗くなった部屋に、チカチカと明滅する携帯の明かりを見、眠っている間に着信が有ったことを知る。

その着信履歴を見るのと同時、教室のドアをガラガラと音を立てながら開け姿を見せたのは、待ち人。晴れやかな微笑みで、それでいて心なしか少し悔しそうな、そんな彼女の姿だった。

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