第8話
怪訝な表情で電話に出た倉田だったが、やがて徐々に顔をしかめていき――――。
「おい、テメェ! ふざけんじゃねぇぞ!」
「!」
周囲には少ないとはいえ人通りがある。
だが、倉田はそんなこともお構いなしに電話越しにキレていた。
おいおい……この様子だと相手は一条じゃねぇようだが……。
妙にきな臭いと思いながらも、倉田の声にビックリしている街の人たちに俺は頭を下げた。
すると倉田は電話を切り、焦った様子でどこかに移動しようとする。
「おい、どうした?」
「一条ちゃんが……一条ちゃんが攫われたんだよ!」
「……何?」
俺は眼鏡越しに目つきを鋭くしながら倉田の話を聞く。
「港の第一倉庫で預かってるって……とにかく急いで助けに行かねぇと!」
「ちょっと待て。何がどうしてそんな事態になった? そもそも相手は誰だ?」
「のんきに説明なんかしてられるか! とにかく第一倉庫だ! 早くいかねぇと……!」
「落ち着け。状況整理しねぇとどうしようもねぇだろ。それとも何か? テメェ、単身で乗り込む気か?」
「はあ? 日和ってんじゃねぇぞ、悠雅! 俺らが行かねぇと一条ちゃんが……」
「馬鹿野郎。きちんと説明しやがれ。攫われたってんならサツの仕事だろうが」
俺が静かにそういうと、倉田は少し落ち着きながらも苦々しい表情を浮かべる。
「……警察には連絡するなだとよ。それと、俺もハッキリとしたことは何も分からねぇんだ。ただ、電話越しに『女は預かった。返してほしければ警察やその他、誰にも言わずに港の第一倉庫に来い』って……」
「……一つ聞くが、お前は第一倉庫がどんな場所か知ってるか?」
「あ? んなもん、港にあるんだから貨物船とかの荷物を保管する場所じゃねぇのか?」
……どうやら倉田は第一倉庫がどんな場所かよくわかっていないらしい。
あそこはいわゆる裏世界……マフィアだの顔に傷があるような連中がよく裏取引に使う場所だ。
それを分かっていながらそこを指定したんだとすると、確実にバックは何らかの組織がいるだろう。
俺が少し考え込んでいると、倉田はそんな俺を見てイラついた様子で口を開いた。
「おい、いつまでここに居るつもりだよ! いいから早く助けに行くぞ!」
「待て。相手がどこの誰かも分からねぇのに突っ込むヤツがいるか」
「はあ!? ダチが捕まってるってのに、助けに行かねってのかよ!」
「そうは言ってねぇだろうが。いいから、ここは一度警察に――――」
「もういい! 俺だけでも先に行くからな!」
「あ、おいっ! ……クソが」
倉田はそういうとすぐさまその場から駆け出した。
俺は思わず本気で舌打ちした。
やるからには徹底的にやらなきゃならねぇってのに……中途半端に乗り込んで逃がしたら面倒だ。
もちろん、倉田の友達を助けるって気持ちで動く奴は嫌いじゃない。
だが、時と場合による。
今回は何の力もないガキが首を突っ込んでいい話じゃねぇんだ。
「……そもそも、なぜ一条が狙われた……?」
しかもわざわざ倉田宛に電話までかけて……。
おそらくだが、倉田……それか俺に恨みのあるヤツの犯行だろう。
ただし、そうなると本格的に分からねぇ。
裏のやつにちょっかいかけた記憶もねぇんだがな。
どちらにせよ、俺も急いで動かなきゃならねぇ。
とはいえ、ここから家までだいぶ時間が――――。
そう思った瞬間、少し離れた位置に何かが落ちているのが目に入った。
近づくとどうやら走る際に倉田がスマホを落としたらしい。
拾い上げて電源をつけてみると、不用心なことにロックがかかっていなかったので簡単に操作できた。
だが、今はそれがありがたい。
俺はすぐさま自分の家に電話を掛けた。
「……悠雅だ。今すぐある場所に車を回してくれ。説明してる時間はねぇ。それと、組のもんを何人か……いや、二人でいいから寄越せ。いいな?」
俺の言葉から何かを感じ取ったのか、電話の相手は素直に従い、やがて電話を切った。
「さて……俺の知り合いに手を出すたぁ……よほど死にてぇらしい」
小さくそう呟くと、俺は先ほど電話で指定した場所に移動するのだった。
***
――――第一倉庫。
ここでは、常に裏社会の面々が表立って取引できないものを取引したりする場合に使われることが多い場所だった。
もちろん警察もそのことを把握できてはいるものの、政治的な話や裏社会ならではの掟、何より警察と裏社会との関りからも迂闊に手が出せない場所だった。
その場所で、一条優菜は縛られた状態で椅子に座らされていた。
不幸中の幸いで、彼女自身は手荒な真似はされておらず、拘束されている以外はいたって普通だった。
「……これ、立派な犯罪よ」
縛られた状態で一条は近くにいた男――――『ブラッディア』を率いる金剛武を睨みつけた。
「犯罪? 馬鹿か。んなもんもみ消せばなかったも同然よ」
「分からないわね……なんでウチなんかを攫うのよ。こういっちゃなんだけど、ウチって貧乏だから金なんてないわよ?」
「金じゃねぇよ。目的は俺らをコケにしやがったクソガリ勉野郎をぶっ殺すことさ」
武の言葉を聞いて、一条はようやく納得した。
自分は悠雅をおびき寄せるための人質として攫われたことに。
悠雅たちと別れた後、彼女は一人で歩いているところを突然後ろから車に連れ込まれ、ここまで運ばれたのだ。
今もこうして気丈にふるまってはいるものの、内心は怖くて仕方がなかった。
すると、どこか軽い調子の声が聞こえた。
「んー? 彼女が今回の人質? 可愛いじゃん、可愛いじゃん!」
派手なスーツに身を包んだ軽薄な男は熊谷であり、『ブラッディア』の背後にあるヤクザの一員だった。
「ねぇねぇ、このお遊びが終わったら彼女もらうよ? ま、そっちに決定権はないけど」
「は、はい……」
武などは熊谷のことを恐れており、もはや完全に委縮している。
「ちょっと、もらうってどういうことよ! 今すぐウチを帰して!」
一条がそう叫んだ瞬間だった。
熊谷は何の躊躇いもなく一条の頬をぶった。
ぶたれた一条は呆然とする。
そんな一条の髪を引っ掴み、熊谷はにこやかに告げた。
「口には気を付けようねぇ。次はないよ?」
「ひっ!」
一条は熊谷が恐ろしく、小さな悲鳴を上げた。
「うんうん、立場が分かったみたいだねぇ。じゃあご褒美に教えてあげよう! あのね? この世界は舐められたらお終いなのよ。だから、ウチの武君と少しでも関わった時点で君らに自由はないわけ。君は風俗か海外の富豪にでも売り飛ばされてお終いなのさ。大丈夫大丈夫、すぐに慣れる! 何なら俺が初めての客になってもいいよ? あはははは」
笑顔の熊谷に、一条はただただ恐怖に震えるしかできなかった。
「リーダー、熊谷さん! あのガリ勉野郎の仲間を捕まえました!」
「ん?」
「倉田ッ!」
武の部下の一人がそう告げると、ボロボロになった倉田が一条の前に転がされた。
それを見て熊谷は笑みを深める。
「いやぁ、ずいぶん派手にやったねぇ~」
「すんません……それもこっちも少なくない被害が出まして……」
部下の一人が告げるように、何人かは他の仲間に肩を貸してもらっていたり、外で待ち構えていた部下のほとんどが傷だらけになっていた。
それだけ倉田が暴れた証拠でもあった。
「おいおい、情けないねぇ。こんなに人数がいてこっちも怪我人ばっかじゃん。やっぱり武君のとこ、みんな弱いんじゃない?」
「……」
熊谷の言葉に武は悔しそうにするも、言葉を返すことができなかった。
「まあいいや。それで? 肝心のガリ勉眼鏡君は?」
「そ、それが……来たのはコイツ一人でして……」
「はあ?」
部下の言葉に熊谷は明らかにイラっとした表情を浮かべた。
「何? かかったのはオマケ? じゃあガリ勉眼鏡君は? あ、もしかして逃げちゃった? いやあ、それも仕方ないよねぇ! でも今更逃げられる訳もないんだけどさ!」
熊谷はボロボロの倉田に近づき、顔を覗き込んだ。
「はろー? お元気ー?」
「あ……」
「うんうん、元気そうだねぇ! それで、お仲間のガリ勉眼鏡君はどこかな?」
「……一条ちゃんを……放せよ……」
「あ?」
熊谷は一瞬で真顔になると、倉田の頭を掴んで地面にたたきつけた。
「がっ」
「倉田!」
「舐めた口きいてんじゃねぇぞ、ガキが。頭んなかお花畑か? いいか、テメェらに人権はねぇんだ。テメェも用済みになりゃ殺して終いだ。命は惜しいだろ? なら、今のうちに少しでも媚び売るくらいしろ」
「……一条……ちゃんを……放せ……」
だが、倉田の口から出てくる言葉は同じだった。
その瞬間、再び顔面を叩きつけると腹に蹴りを叩き込んだ。
「何度も同じこと言わせんじゃねぇよ! テメェは黙ってガリ勉眼鏡を呼べばいいんだよ!」
「やめて! 倉田が死んじゃう……!」
一条が泣きながら必死に懇願するが、熊谷は止めるどころかさらにヒートアップする。
武もさすがにまずいと思ったのか、止めようと思ったが熊谷が怖くて止めることさえできなかった。
やがて冷静になったのか、ふいに暴行を止めた。
「ふぅ……もういいや。どうせ探し出して殺せばいいんだし。お前は用済みな」
熊谷はそういうと胸元から拳銃を取り出した。
拳銃を見た一条はさっと血の気が引く。
「う、ウソでしょ……ねぇ、やめて……やめてよ……!」
「いちいち口出ししてんじゃねぇよ、クソアマ!」
「きゃああああああ!」
熊谷は容赦なく一条の足元に発砲した。
「ああ、無駄撃ちしちゃったじゃん。これ以上弾を無駄にしたくないし、殺すね」
今度こそ殺そうと拳銃を倉田に向ける。
そして引き金を引こうとしたその時だった。
「…………ん?」
ふいに倉庫の外が騒がしいことに気づいた。
その声は『ブラッディア』の部下たちで、先ほど倉田にやられた連中と見張りを交代したばかりだった。
一瞬警察に見つかったか? と考えた熊谷だが、この場所の特殊性からすぐにそれを除外する。
そして――――。
「なっ――――がああ!?」
突然、黒塗りの車が倉庫に突入してきた。
その車は器用に熊谷だけを弾き飛ばし、その場でドリフトターンを決めると停止した。
武を含めた『ブラッディア』の面々だけでなく、一条も突然の事態に呆然としている。
すると突入してきた車の運転席と助手席の扉が開いた。
「源さん、運転粗すぎっスよ! 目が回ったじゃないっスか!」
「あ? 今くれぇので目が回っただぁ? どうやら鍛え足りねぇみてぇだな……」
「あ、じょ、冗談ス、冗談……あ、あはははは……」
降りてきたのは高級そうなスーツを着た坊主頭の青年と、同じように高級そうなスーツとその上から上着を羽織ったすさまじいほどに貫録のある中年男性だった。
この状況の中で軽口を言い合っていた二人は、やがて車の後部座席のドアに移動する。
襲うならばチャンスといえる状況で、誰も襲わないのはこの二人から発せられる雰囲気と、何より状況についていけてないことが一番の要因だった。
そんな周囲の状況を無視して中年男性がドアを開けると、二人は頭を下げた。
「若。着きやした」
「――――ああ」
後部座席から姿を現したのは、学生服の上から藤の家紋が描かれた羽織を羽織った――――藤堂悠雅だった。
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