1月16日
病院に入る前に、何かガラの悪い男の人に、「アイツを無駄にするんじゃねぇぞ」とか言われて殴られた。
何が何だか分からなかったが、すぐに気を取り直して病院へ。いつものように受付を済ませる。
「……雨宮くん」
いつもの病室。
日岡さんは、弱々しく僕の名前を呼んだ。
いつの日かと同じように、外では雪が舞っている。
僕は日岡さんの手を握る。
「雨宮くん。……この手帳をあげます。私が死ぬまで中身は見ないように」
「…………うん」
「……受け入れてくれたのね、ありがとう。そう、私はそろそろ死にます」
もう、無理だった。
これほどまでに、穏やかに緩やかに死へ向かう日岡さんに、まだ死なないでなんて酷なことは言えなかった。
「……だけど私は、生き続ける。私は15センチだけ生き続ける」
「15センチ?」
「ネタバレはしない主義なのよ。あとで手帳を見て頂戴」
日岡さんの腕をさする。
常に触れていなければ、消えてしまいそうな華奢な腕。
「……雨宮くん。誰かを救って死ねるのならば、それは、死ぬということではないと思うの」
日岡さんは、僕から視線を外して天井を……その先の空を見上げた。
「私が救ったその人が生き続ければ、私の想いは、愛情は、性欲は、邪念でさえ。永遠に生き続ける」
「……もしかして君は」
「…………」
日岡さんは天使であった。
その笑みは慈母であった。
その行いは、この世のどんな善よりも美しいと思えた。
「あまり長くなると、名残惜しくなって辛いから。ハッピーエンドに移りましょう」
「…………」
唇を重ねた。
「愛してるわ」
「……愛してる」
泣かないことに決めていた。彼女に笑顔を見せることができたけれど、最後の瞬間、僕は涙を隠しきれなかった。
日岡さんは、最後まで彼女らしい意地悪な笑みを浮かべていた。
「童貞臭いキスね。きもーい」
「……処女くせーキスだな」
僕は、もらった手帳をポケットにしまうと、椅子から立ち上がった。
「……しっかり生きるのよ」
「…………」
「私が見てないと思って手を抜かないことね」
「分かってる……そうしないと、君が安心できないからね」
「帰ってきたドラえもんみたいね」
「……そういうこと言う場面かな、いま」
相変わらず微妙に感性のズレている彼女は、僕から顔を背けて言った。
「じゃあね雨宮くん。……早く行きなさい。愛しているわ」
声が震えている彼女を置いて、僕は、震えている声で「ありがとう」と言って、病室から出た。
6時間後、彼女は、両親と兄に見送られてこの世を去った。
そしてその日、借金取りから、僕の借金の完済を知らせる電話がかかってきた。
その知らせを聞いた途端に、抑えていたものが決壊して、僕は2日泣き続けた。
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