カワセミ
欅
ホトトギス
「 アノ… 。アソビマスカ? 」
声のした方を見ると、 外人の男の人がこちらを見つめて、 立っている。 白人とか黒人とか、 南米とかとかアジアでもない分類の外人。 中東って言うのかな? でも中東の人って、 ちょっと太目でターバン巻いた、 白い服のおじさんのイメージだから違う気がする。
昔、 駅の前にいた、 濁って尖った目をした外人を思い出す。
友人と『 イラン人 』とか呼んでた外人たち。
駅前で声かけると、 偽造テレカ売ってもらえるとか、 すれ違う時に 「 コセキ、 カウヨー、 コセキ、 カウヨー 」 って小さな声でつぶやくとかいう、 怪しい噂の。
「 え? 何? 」
無視することもできず顔を上げると、 こちらの警戒を気にもしないでニコニコした彼が、
「 モシ、 ヨカッタラ、 ワタシ …… 。」
は?なに言っちゃってんの? このヒト。 私、 遊びたがってるように見えるっていうの?
ねぇ、 見てわかんない? 私、 今泣くのに忙しいの。 ずっと力いっぱい泣いてて、 疲れたから今はちょっと休憩して、 ただ流れてくる涙を拭いていただけだけど。 このあとまた、 この世の終わりだって勢いで体中の力を振り絞って、 号泣するところなんだから。
「 遊ばない 」
目を逸らしてこんな言い方……失礼かな。 ううん、 冷たいみたいだけど、 外人だから、 シンプルに答えた方がいいんだ。
「 デモ……。 ナイテイマス。 アノ…… ワタシト、 ナグサメマショ?」
何その一緒に慰めるって。 ナニするの? いやいや、 遊ぶって、 まさかそーいうんじゃないでしょうね。ひるむことのない笑顔に薄れていた、 外国人への警戒心が、 再び頭を持ち上げてくる。
ああ、 ここ有名な売春スポットだ。 昼間は普通に歩く川沿いの道。 電話で責めてるうちに涙がこぼれちゃいそうになって、 人がいないほう、 いないほうを選んで足を向けてたらここまで来ちゃったんだ。 外人が立ってる向こう側に「 売春行為は違法です 」 の看板あるじゃん。
まぁ、 お金はともかく、 こういう時にはそういう肌と肌との慰め合いをする人もいるか。 「 悲しいことは気持ちいーコトして忘れよ?」 みたいなの。 私は、 違うけど。 私は、 汚れたくないから。
「 ラブホテル ヴィレッジ 」 のちょうど真裏になる場所の、 ちょっとしたスペース。 見上げれば、 清掃中なのか、 いくつか窓が跳ね上げてある。 あの部屋に入って窓を開けたら、 川と言っていいのかもわからないほどに汚れたこのドブ川が見えるはず。
夕暮れ時のホテル裏、 汚いドブ川の前で電話を片手に立ちつくす、夜遊び仕様の女。 買春待ちに見えなくもない。 それに、 いつもこの辺に立ってる人がいるのかもしれない。
ていうか、 仮にそうだとして、 泣き腫らした顔を見た時点で買う気持ち失せないのかな。
「 大丈夫、 間に合ってるから 」
「 ハイ。」
ずいぶんキレイな返事だけど、 伝わっている?
……ま、いっか。
携帯をバッグにしまって、 柵に近づき川を見下ろす。 よく見ると、 コンクリートの川岸にいろんなゴミが張り付いて、 この前のゲリラ豪雨の時に増水した位置を示していた。 あんなに上まで水入っているこの川って、 見てみたい。 こういう非日常への好奇心が、 危機意識を低下させて、 興奮状態で麻痺した生存本能とともに、 命を奪うのだ。
—— きちゃないなぁ。
朝は爽やかな鳥のさえずりで目を覚ます。 そんな幸せな田舎で育った私には、この川は「 排水口 」とでも呼べばいいような代物だった 。 自分勝手な人間の汚いものを寄せ集めて流し運ぶ水。
遡れば百名水、下っていけば一級河川。ドブ川の横に並ぶホテルの名前は「ヴィレッジ」と「パレス」と「クリスマス」。
—— むちゃくちゃだ。 もう、 何もかも、 全部めちゃくちゃだ。
再びなんとも言えない気持ちに取りつかれ、 狂おしい。
学生時代毎日一緒に過ごした友達の、 昔みたいにみんなで夜遊びしようって提案。 いつもの所に五時に、 って駅まで来て財布を忘れた事に気がついた。
いっつもそう。 浮かれるとなんか忘れて、 ヘマをする。
セオリー通り、 玄関開けたら揃えておいた靴は散らばり、 半開きのドアの向こうには、 服を剥がし合いながらキスをする男と女。 よくある修羅場。 もしそんな場面に遭遇したら絶対、 女を叩き出して男に土下座させるんだって思ってたのに。 ただ立ちすくんで、 何が起こってるのか見つめて固まるだけで精一杯だった。
驚いた顔のまま、 言い訳もしない男としばらく見つめあって、 逃げた。
—— そう。 逃げてきた。
いくじなしの悔し涙。
ひどいことが目の前に起こっているのに、 何も言えなかった。 謝罪もしてもらえない、 悔しくてぐちゃぐちゃで、 売春婦に間違われるほど弱ってるカワイソーな私。
うんざりした声で 「 誤解だ 」 って繰り返すだけで、 謝ったつもりなのかな。 誤解なんてしてない。 見たまんまの事が起こってたんでしょ?
脱がせ合ってたじゃない。
誤解って何なのよ。
ゴカイもイソメもない。
盛り上がって玄関開けたところからサカって、 靴をぐちゃぐちゃに踏み潰してリビングに行ったばかりって感じだった。 洋服半分しか着てなくて、 お互いの服に手をかけながら、 キスしてたじゃない。
—— 見てしまった事は変わらない。 時間は戻せない。
—— 欲しいのは言い訳じゃなくて 「 ごめんね 」 のひと言。
もう、 駄目だ。
どう贔屓目に見たって、 大切にされてないって気づいちゃった。 必死になって許しを乞うて、 引き止めて欲しかっただけなのに。
もう、 無理なんだ。
—— 貸した車の中に落ちてた、 アイシャドウのチップ。
—— SNSに上げてる飲み会の写真で、 肩を組んでいた女。
それから、 それから。
ぐるっと回り、 浮き上がってきては落ちる沢山の記憶たち。
それら全てを、 そんな事もあるよね、 なんて笑って許していた私の横顔。 麻痺していった感覚。 男って慣れていくものなんだ。
黙って許される事に。
—— あー、 やだ。また泣いちゃいそう。
「 ネ、 ミテ …… 。 カワセミ、 イルヨ。」
唐突に話しかけられて、 我に返った。
「 カワセミ? 」
指し示された方に目をやると、 少し離れた橋をくぐって向こう側に羽ばたき消えていくカワセミが見えた。
「 カワセミ、 なんてよく知ってるね 」
こんなところにもカワセミいるんだ …… 。 絶滅危惧種の類いかと思ってた。
「 ハイ。 カワセミ、 ウツクシイ。 」
隣に立ってカワセミの行方を目で追っている無邪気な彼の横顔を見つめて感じた。
—— ああ、 汚れていない。
濁っていたのは、 フィルター。汚れを嫌いすぎた私の目だった。
「 そうね、美しいわ 」
美しくありたい。 濁った川でも美しく生きているカワセミのように。
濁った目に晒されて偏見にまみれた毎日を生きていても。
—— それでも横に立つ彼は、 美しい心を失わない。
ぎこちなく目を合わせると、瞳の中をダイレクトに覗かれた。
「 カナシイデスネ。」
「 うん。ごめんね 」
さっきの無愛想な自分が恥ずかしくなって俯く。 白い柵からはみ出る雑草と、 お気に入りの黄色いパンプス。
「 ね、私売ってないのよ」
一応、 言ってみる。
「 シッテイマス。」
「 そう 」
ほっとして顔を上げると、
「 ワタシ、オカネアリマセーン。」
ウィンクしながらおどけて肩をすくめてみせるのを見て、 自然に笑いがこぼれた。 開放された気分になって柵につかまり、 こわばってしまった体を少し、 伸ばした。
そうよね。 世界がすべて汚れているわけじゃない。
—— 自分の目次第。 自分次第なんだ。
その時、また電話が鳴った。
『 ダイジョウブ?』
見守る優しい瞳にうなずいて、取り出した電話を見た。
「 もしもし、うん、アイだよ。ごめんね、出がけに……色々あって…… 」
理由を言おうとする喉の奥に何か詰まりそうな予感がして、黙る。
『アイ、 泣いてるの? またあいつ? もう。 遅い! 早く来て、 こっちで悪口いえばいいのに。 みんな、 待ってるから』
「 あはは。 さすがに"ちょっぱや3分"は無理だけどうん、 ハイハイ 。 了解 。"なるはや"でいきます 」
友人の変な言葉に笑って携帯をしまうと、 彼に向き直って笑いかけた。
「 ありがとう。 また、 会えるかな 」
「 イマノ、 ステキナエガオデ、 キテクダサイ。 」
屈託のない笑顔に、 つい、 つられて笑うと、 泣いていた目が痛む。
でも、 清々しい痛みだった。
「 うん。ステキなエガオ、 ね。 じゃあ、 私行くから 」
「 マタ、 キテクダサイ。 オマチシテオリマス。 」
どこかのお店で帰り際に聞いたような言葉に、 クスッと笑って、
「 またね 」
軽く挙げた手を握り、 再び駅に向かった。
—— 化粧、 直して。 それから、 今夜を楽しむんだ。
駅に着いたその足でトイレに向かい、 手を洗いながら鏡をそっと盗み見る。
大丈夫。大丈夫。
男に振り回されるバカなアイはもういない。
—— 泣かないよ。
目当ての電車に乗り込み、 携帯を取り出す。 しなきゃいけない事がある。
ドアに寄りかかって、 画面に言葉を打ち込む。
ぼんやりドアに目をやると、 窓の外の景色の中、 色とりどりに流れていく光が、 塩気てるまぶたを刺激して、 目を閉じた。 しばらく目を休ませれば、 フラットな自分が戻ってくる。
—— 川せみの ねらひ誤る 濁かな ——
濁った水も 、清きに流れて再び透き通る時が来る。
血を吐くまで鳴き続けていた鳥に、 教えてあげたい。 朝から晩まで泣き続けなくていいんだってこと。
—— 清流のない都会で生きる一羽のカワセミの、強く美しい姿を。
カワセミ 欅 @akubi
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