第15話 良いニュースと悪いニュースがある
「父が、ユーグ七世が捕まったぁ!?」
昼時の中庭で、俺は叫んだ。
周囲の何人かが反応して振返ってきたので息を潜める。
中庭は高等部と中等部の境目にあり、小百合ちゃんとの毎日の情報交換の場として活用していたのだが、こんな重い知らせは初めてだった。
「はい。どうやら間違いないみたいです」
小百合ちゃんは可愛い手作り弁当を膝に乗せながら、物憂げにため息を吐いた。
「セーヴィル帝国からは、陛下のお身柄と引き替えに領土を割譲せよと持ちかけられてまして、対応を巡って宮廷は大騒ぎです」
「そりゃそうだろう。それにしても、今このタイミングで俺の帰還を伝えるのは危険だな」
俺の生存を通知するエルフの使者はもう出発準備を整えていたが、こんな情勢下で行っても良いものかと迷う。
「宮廷の一部では、ネロス殿下を仮の皇帝にして要求を拒否しようとの意見も出始めています」
「大方ギネヴィアが手を回しているんだろう。……となるとむしろ俺の生存を教えず、奇襲的に現れた方が良いかもな。せっかくの好機に俺の生存を知れば、ネロスたちはどんな手段を用いてでも俺を排除するだろうし」
いろいろ考えてみたが、どうにも解決策が浮かばない。
うーんと唸っていると、俺の手元にある弁当から唐揚げが奪われた。
確認するまでもなくナイアの仕業である。
「ちょっと! 人の弁当食べないでくださいよ」
「いつまで経っても手を付けない君が悪い。我が輩は資源の有効活用に貢献しているだけだ」
「どっちもどっちじゃない。妙な話に夢中になって昼ご飯を食べない敷島君も、勝手に人のものを食べるナイアさんもどっちも間違ってる」
すっかり弁当箱を空にし、俺と小百合ちゃんを監視することに精を出していた橘さんがそう言い捨てる。
あの学園祭からというもの、俺と小百合ちゃんの情報交換の際には必ず橘さんが同行し、姑のように監視と監督を続けているのだ。
そのせいか俺はしょっちゅう美少女二人及び美女一人と一緒にいることになり、周囲から刺すような眼で見られる日々である。
今こうして中庭にいる時だって、チラッチラと見られまくって心苦しい。
そして何より辛いのが、橘さんにすっかり警戒されてしまったことである。
一緒に下校してどきどきしたあの甘酸っぱい日は既になく、ひたすら酸っぱいだけの日々なのだ。
「先輩。とにかく、ネロス殿下が皇帝になるのだけは阻止しませんと」
「それが最優先目標であることはわかるけど、かといってあっさりとエルフたちに領土をくれてやるわけにもなぁ」
エルフの入植をすぐに認めてしまえば、彼らは喜んで大陸への帰還に協力するだろう。
しかし、そんな自分一人の都合で国土を与えて良いわけがない。
「その、エルフさんたちには申し訳ないですけど、こっそり逃げ出すことはできないのでしょうか?」
「それは俺も考えたんだけど、エルフにとって入植には種族の存続がかかっているから、協力者なんて見つかりそうもないんだよな。たった一人で蒸気船を動かすなんて出来ないし」
「レオンス殿下がお世話になっているボナパルトゥス家の方々はどうでしょう?」
ふと、アウレリアのことが頭に浮かんだ。
アウレリアは政治には興味はなさそうだが、大陸には渡りたがっていた。
「アウレリアなら、彼女なら協力してくれるかもしれないけど」
……だが、流石にアウレリアにそこまでさせるのも気が引けた。
国も家族も裏切れ、というのはあまりに酷だ。
「ダメだ。彼女にそこまでの負担はさせられない」
「……そうですか。アウレリアさんという方は、その、どのような方なんですか?」
何故そんな方向に話を変えるのかわからないが、取りあえずアウレリアのことを考えてみる。
「とても聡明な女性だよ。年齢は同じくらいなのに、驚くような発明品を幾つも作っている。エルフの入植はアレだけど、彼女を大陸に招くのは大賛成だ」
「そう……ですか。良い方なんですね」
言葉に反して何故だか気落ちしているかのように見える小百合ちゃんの横顔をうかがっていると、またもや俺の弁当がひょいパクされる。
「やはり唐揚げは美味いな! コンビニ弁当の分際でよくやる」
「だーかーらー」
続いて言いかけたその時、昼休みの終わりを告げるベルが鳴った。
俺は小百合ちゃんと分かれると、半分くらい残ったコンビニ弁当をナイアさんに譲って教室に向かう。
その途中、若干距離をとってついて来ていた橘さんから声をかけられた。
「……ねえ敷島君。敷島君っていつもコンビニ弁当なの?」
「うん。親は朝早くて弁当なんて作れないし、俺もそういうの出来ないタイプだから」
「でも栄養バランスを考えたらダメよね? 最近はそういう偏った食事のせいで、食べているのに栄養失調になるなんて話もあるんだから」
至極正論だが、俺にどうしろと言いたいのだろうか。
「でも俺には栄養バランスを考えた弁当作りなんて出来そうにないしなぁ。調べるのもめんどいし」
「……なら、教えれば出来る?」
思わず立ち止まり、橘さんの方を見る。
「最近、小百合がコンビニ弁当に興味を持ち始めているの。敷島君と食事してるからよ」
「それは申し訳ないけども」
「だから、私がきちんとしたお弁当の作り方を教えれば、毎日作ってくれる?」
これはまさかそういうことなのか。
橘さんが俺に料理を教えてくれるということなのか。
答えは考えるまでもなかった。
「もちろん!」
こうして、今週の土曜日に橘さんが俺の家に来ることとなった。
消臭剤とコロコロクリーナーを買わねば。
俺はそう心に誓い、その日を迎えた。
消臭剤の効果を確認!
コロコロクリーナーにより地面の掃討確認!
ファッション誌と相談してコーデした私服を確認!
親が休日出勤で夜まで帰ってこないことを確認!
橘さんに事前に指定された食材の完備を確認!
たっぷりのお菓子とジュースとDVDでナイアさんを自室に封印できていることを確認!
上記等々のチェックリストに印をつけ、システムオールグリーンであることを確認する。
準備は万端だ。
もはや不測の事態など起こりえないほど、今の俺には隙がない。
後は橘さんの来訪を待つばかり。
予定の時刻である一三時の五分前、ベルが鳴った。
ドアを開けると、そこには藍色のコートに身を包んだ橘さんが立っていた。
マフラーからちょこんとのぞく小さい顔が最高に可愛い。
「……こんにちは敷島君」
「こっ、こんにちは橘さん! いや師匠!」
「変えなくて良いから」
橘さんからコートを受け取り、その香りをこっそり楽しみつつハンガーにかける。
橘さんはキッチンに入るなりエプロンに着替えた。
エプロンと言えば長方形の布を前面に着るようなのをイメージしていたが、橘さんのそれはウエストがシュッと引き締まっていて、さながら簡素なドレスのようだった
頭に付けた三角巾もうなじを強調していてこれまた良い。
一通り揃えられた食材を前にして、橘さんは腰に手を当てた。
「お弁当の基本はご飯と主菜一品に副菜二品三品。男の子は主菜がお肉で副菜に野菜で良いと思う。敷島君はご飯炊いたことあるの?」
「電子レンジで炊いたことはある」
「それ炊いたって言わない。まずはお米の研ぎ方からね」
米研ぎは簡単そうに見えたが、実際にやってみると力が要る上になんだかキリがないと思えてくるくらい時間がかかった。
「こ、こんなの毎日やってるの?」
「うちは母と小百合と私とで当番制にしてるし、毎日でなくても良いわ。要は炊いたお米がなくなった時に研げば良いの」
「橘さんの家はしっかりしてるなぁ。将来良いお嫁さんになるなうん」
橘さんの冷たい眼が俺を制した。
「小百合はダメだからね?」
「そういう意味じゃないって」
「お嫁さんになって欲しいのは君だ」なんて言えればどんなに楽か。
そこまでいくのには好感度が足りない気がするので、何とかポイントを稼ごうと、やる気のある弟子アピールに腐心する。
そうして励むうち、ご飯と焼き肉と各種野菜炒め、ゆで卵という構成の弁当が完成した。
我ながら良い出来である。
橘さんと二人で分け合って食べると、至って普通に見えるこの弁当がいつものコンビニ弁当よりも数段上手く感じた。
この弁当と比べれば、コンビニ弁当のご飯は粘土に等しいかもしれない。
「美味い! こんなに美味しくなるとは思ってなかった」
「ちょっとその気になればこのくらい簡単よ。作り置きできるものもあるから、忙しい朝でも大丈夫」
全て食べ終わると、キッチンで二人並んで洗い物を始める。
「ありがとう。今日は本当に助かったよ」
「……そんな、ただのお礼みたいなものでもあるし」
お礼、と言われてもピンと来なかった。
若干の恨みなら買ってる気もするが。
「ほら、学園祭の時、男の子たちから護ってくれたでしょ?」
「あーあの時の。でもあれはほとんどナイアさんがやってくれたんだけどね」
「でも、嬉しかったし、カッコ良かったよ」
橘さんのはにかんだ笑顔が眩しい。
なんだか良い雰囲気だ。
もしかしたら今なら行けるかもしれない。
俺は呼吸を整え、言語野をフル回転させて口を開いた。
が、その時、無情にも玄関の呼び鈴が鳴った。
「……と、誰だこんな時に」
「私が出るから、敷島君は洗い物の練習を続けてて」
俺は言われるがまま、洗い物を続行した。
「はいどなたですか?」
橘さんの声と共に扉が開くが、それ以降の声が聞えてこない。
気になって玄関まで行ってみると、橘姉妹が黙って対峙していた。
「な、なんで先輩の家にお姉ちゃんがいるの?」
「別に、いつもコンビニ弁当で可哀想だから、お弁当の作り方を教えていただけよ。小百合こそどうしてここに?」
「私はレオンス殿下のことで伝えたいことが出来たから来たの。それに今日来ることは事前に約束していたし」
キッと橘さんが俺の方を見る。
「敷島君、これはどういうことなの?」
「ど、どうもこうも、俺にはさっぱり」
馬鹿な、ダブルブッキングなどあり得ない。
女の子との約束をうっかり重ねるほど俺はモテた覚えはない。
「あーそれは我が輩が原因だな」
いつのまにか、ナイアさんが部屋から出てきていた。
それも上下黒の下着姿で。
「君のスマホにかかってきた電話でそういう話をした気がする」
「……それで、俺に伝言を忘れたと?」
あっはっはと脳天気に笑うナイアさんに釣られて乾いた笑いが口から漏れる。
「何を二人して笑っているんですか!? だいたいナイアさん。貴女のその格好、幾ら家の中でもおかしいと思わないんですか?」
「思わんな。元々、我が輩は下着すら着ずに過ごしてきたわけで」
「敷島……君?」
殺意と侮蔑と恐怖が混じった橘さんの視線が俺を串刺しにする。
「違う! 裸でいたのは俺がナイアさんの存在に気付いていなかった頃までの話だから。それからはちゃんと服を着てもらうように努力してるから」
「そのとおりだ。だが、流石に寝る時くらいは全裸でも良いと思うのだがな。君はやれ我が輩の息が耳にかかるだやれ寝相が悪いだと文句が多すぎる」
「なん……ですって!?」
「ね、寝る? 裸で? 先輩と? 同じお布団で?」
小百合ちゃんの顔が真っ赤になったかと思うと、その場にへなへなと座り込んだ。
何とかして小百合ちゃんを落ち着かせると、急遽リビングで裁判だか会議だかが開かれた。
議題は風紀の乱れについて、ということらしい。
俺は正座させられ、その前には橘さんが阿修羅のような雰囲気で立っている。
「あ、あの~。なんでこんなことを?」
「なんで? 敷島君は自分の置かれている状況がいかにおかしいかわからないの?」
「そりゃあおかしいとは思うけども。向こうじゃ戦争になったり皇帝が捕虜になったり大変だし」
「そうじゃなくって、こんなふしだらな生活を続けていることについておかしいとは思わないのってこと」
そのふしだらは今、にやにやと笑ってヤクルトを飲んでいる。
畜生、ヤクルトは朝に一日一本って言ったのに。
「そりゃ、俺だってナイアさんにはきちんとして欲しいけど、言ってもなかなか聞いてくれないし。強制できるような相手じゃないし」
「そうだそうだ! 文字通りの意味で次元の異なる我が輩に命令するなど片腹痛いわ。だいたい我が輩は嫌がらせをしているわけではないぞ? 男なら本来は悦ぶことをしてやって、実際ご立派に……」
「あーあー聞えない聞えない!!」
何とか誤魔化すが、最早俺は追い詰められていた。
橘さんの眼が痛くないのかなと思うくらいカッと見開いて今にもレーザービームを撃ってきそうな雰囲気なのだ。
小百合ちゃんも顔を真っ赤にして眼を泳がせてばかりだし。
「あっはっは。また撃ち殺されそうだな」
全ての元凶の忌々しい笑い声が耳朶を打つ。
「とにかく! あまりにも風紀の乱れが激しいようでは、もう小百合と逢わせるわけにはいきません」
「そんな、お姉ちゃんそれだけは!」
小百合ちゃんが俺の背中に回り込み、袖を掴んできた。
「私は先輩と、レオンス殿下のためにやってるの。いくらお姉ちゃんでも邪魔しないで!」
「私よりもその脳内王子様が大事ってわけ?」
俺を挟んで姉妹がにらみ合う。
「敷島君にくっ付きすぎ。離れなさい!」
小百合ちゃんの手が俺の袖から腕へと移り、がっちりと絡みついてきた。
「いやっ! お姉ちゃんが認めてくれるまで離さないから」
「私の言うことが聞けないの!?」
橘姉妹が俺の腕を奪い合うように争う。
小百合ちゃんの大きな膨らみが俺の背中に押し付けられる一方、橘さんの顔が吐息がかかる距離まで接近して俺の肩を掴んでいる。
女の子の柔らかい身体や香りに挟み込まれ、理性がゆらぐ。
最近はナイアさんが周囲をウロチョロしているものだから発散ができていない。
それだけに色々吹っ飛んでしまいそうだ。
「やれやれ。なら私に吹っ飛ばせば良いだろうに、妙な操を立ておって。どれ、少しは女を知ってみろ」
ナイアさんが何やら指先を振った。
すると橘さんが後方にバランスを崩し、それに引き摺られて一斉に倒れ込む。
俺は咄嗟に橘さんの頭をかばうが、そのために床に手を突くことが出来ず、橘さんの胸にもろに飛び込んでしまった。
橘さんの谷間に俺の顔が埋もれる。
「あっ、ちょっと。敷島君、変なとこに当たって。んあっ。息、やめてっ」
先ほどまでの気の強い声音とは真逆の、羞恥と戸惑いの声音が耳をくすぐる。
俺は何とか身体を引き起こすと、橘さんに土下座した。
「本当にごめん!」
恐る恐る橘さんの顔色をうかがうと、頬を紅くしてそっぽを向いていた。
「……じ、事故だったし。私もちょっとやりすぎたから」
「ほうほう。怒りたい気持ちもあるが、頭をかばってくれたことだし、何より男に押し倒されたなんて初めてのことでドキドキが止まらない! という心境か」
ナイアさんの要らぬ読心に橘さんの身体がビクッと震えた。
「な、何をわけのわからないことを。だいたい全ての原因は貴女にあるってわかってます?」
「そうかもしれないな。ならば我が輩のことは信じられないだろうが、この土下座男のことはどうだ? このとおり女体に多少触れたくらいで取り乱して頭を下げる有様だ。これで君が本当に心配しているような事態を引き起こせるだろうか?」
橘さんは口をへの字にしてしばらく沈黙した後、深くため息を吐いた。
「もう、仕方ない。敷島君に免じて、今後も会って良いわ」
小百合ちゃんの顔がパッと輝いた。
「ただし、監視は続けますからね。それとナイアさん。貴女のそのふしだらな生活態度も改めさせてみせます」
「ふふん。せいぜい足掻くことだな小娘」
なんとか事態を収拾できたようだ。
一時はどうなることかと思ったが、これで当面は小百合ちゃんと会えるだろう。
「そういえば、何か大事なことを伝えに来たんじゃなかったっけ?」
「……! そうでした。実は、レオンス殿下がすぐに帰還できてかつ領土を渡さずにすむ方法を閃きました」
その具体的な方法を聞いた時、俺は驚きと同時に戦慄した。
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