第13話 学園祭事変〜後編〜
「……ごめんなさい。あなた達が何を言ってるのか、さっぱりわからない」
橘さんは頭痛でも患っているかのようにこめかみを押えた。
場所を空き教室に移し、学習机を四つ並べて説明したのだが、思っていたとおりの反応が返ってきた。
「つまり、敷島君の頭の中には宇宙があって、そこには人が住んでる星があって、敷島君と小百合はそこの皇太子と貴族のお嬢様とでそれぞれ魂が繋がってるっていうの?」
「はい」
「はいじゃないでしょ!?」
橘さんが机をバンと叩く。
「そんなわけのわからない話、信じられない」
「でもお姉ちゃん。先輩の言っていることは本当なの」
「小百合。小説の読み過ぎで空想と現実の区別が付かなくなってるんじゃないの?」
「でも、先輩と私とで同じ世界を経験しているのは確かなの。固有名詞まで全部一致してるんだから!」
いつになく小百合ちゃんの強い調子に橘さんは黙るが、とても納得しているような表情ではなかった。
心優しい橘さんのイメージとは程遠い、ジトッとした眼で俺を見てくる。
すると、ナイアさんが俺の腕をこつこつと小突いてきた。
「橘姉だが、君が何かして橘妹を洗脳したのではと疑っているぞ」
「なっ、なんで私が今思っていることを!?」
ナイアさんがどや顔で答える。
「ふふん。我が輩の力を持ってすればホモサピエンスの心など簡単に読めるのだ」
「いいえ! これはきっとトリックです。貴女は状況に合わせてそれらしいことを言っているだけです」
「そんなちゃちな真似などしとらん」
「しとるに決まってます!」
ナイアさんが肩をすくめて俺の方を見た。
「橘姉は小手先程度では納得しないらしい。いっそ天変地異でも起こしてみるか? F5クラスの竜巻なら今すぐにでも出来るぞ。なんならこの部屋だけ無重力空間にしても良いが」
「駄目です。……橘さん、信じろという方が無理なのは重々承知だけど、少なくとも俺は洗脳とか物騒な真似はしてないってことだけは信じて欲しい」
橘さんはじっと俺とナイアさんを見つめ、沈黙した。
それから数秒の後、軽くため息を吐く。
「……ほとんど納得してないけど、取りあえずは信じてみるわ。それで、今後小百合とはどうなるの?」
俺と小百合ちゃんは顔を見合わせた。
「どうって、まあ、向こうの世界での様子とか相談とか、話すことはいろいろあるけど。ちょうど今情勢が緊迫してるし」
「そうです! 今、大陸では戦争になってしまっていて、私……リリスの家族は帝都に避難しているんです」
「そうか、無事なのか」
「はい。ですが、フィッツジェラルド家の領地はセーヴィル帝国軍に占領されてしまいました」
「皇帝陛下が軍を出されたと聞いているけど?」
「はい。皇帝陛下御自らが御出陣なさいました」
それは意外な報だった。
皇帝であり父でもあるユーグ七世は七十近いご老体であり、まさか戦場に出るとは思っていなかった。
「指揮官は? まさか父上が指揮するわけじゃないだろう」
「ヴァイロテル将軍、という方でした」
その名には聞き覚えがある。
軍事関係の講義の時、講師の一人として来ていた。
教科書を丸暗記してます、という感じの知識は豊かだがお堅そうな男だった。
「敵将の名は?」
「クトゥーホフ将軍という方だとうかがっております」
聞いたこともない名だった。
いかんせん百年間も平和だったせいで、自国はともかく他国の軍人はよくわからない。
だが、一軍を任されているのだから相当な人物なのだろう。
「それで、戦況は?」
「まだお互いに行軍中ということで、戦ってはいないようです。攻め込んできたセーヴィル帝国軍は四万でこちらは八万ですから、戦わずして相手が撤退するのではとの噂もあります」
妥当な噂だ。
倍の敵軍が迫ってきて、それに対抗できる援軍の見込みがないのであれば、まともな指揮官であれば撤退を選ぶ。
打って出る指揮官がいるとすればそれは血気盛んな愚将か、あるいは危機の中に勝機を見出した名将か。
敵将の技量が未知数であり、まだ衝突してもいないのでは様子見するしかないだろう。
「戦争の状況はわかった。それで……ネロスのことなんだけど、今どうしている?」
「ネロス殿下でしたら、皇帝陛下の留守を護ると精力的に働いておられます。フィッツジェラルド家にも大変良くしていただいて、お陰で助かっております。ですが……」
小百合ちゃんの顔が曇った。
「実は領地から逃げる際、父は領民に何の布告もせずに逃げ出してしまいました。馬やワインの荷造りに夢中で気付かなかったのです。そのため、帝都ではあまり良く思われてなくて」
あの御仁のやりそうなことだ。
悪人とまでは言わないまでも、為政者としての資質に欠けている。
平和な時代ならあれでも良かったが、緊急事態に対応できる器ではない。
「ですがネロス殿下はそんな父を労わり、宮殿の一角を我が家の宿泊先として提供してくださいました。とても感謝しております」
なるほど、それがお前のやり方かネロス。
卑劣なことに変わりはないが、今のところ無理やりものにする気はないらしい。
「……小百合ちゃん。ネロスのことなんだけど、彼のことは信じないほうが良い」
不思議そうな顔をする小百合ちゃんに、あの夜に起きたこととエルフの国に流れ着いてからの一連の事実を話した。
話し終わる頃には、小百合ちゃんの顔は生気を失っていた。
「……そう、だったんですか。ネロス殿下がそんなことを。申し訳ありません。私のせいでこんな大事に!」
「謝る必要なんてない。悪いのはネロスだ」
「私は、私はどのようにすれば良いですか? ネロス殿下を問いただしましょうか? それともこのことを公にして……」
「いやそれは駄目だ。今の段階じゃ証明する手段がない。今は何も知らないふりをして、ネロスの動向に注意していて欲しい。俺が死んだと思っているうちは大人しいだろうけど、生存がわかればなりふり構わないはずだ」
「わかりました。それでは今後はネロス殿下の情報も含めて、こちらの世界で交換しませんか?」
良いアイデアだった。
情報の伝達があまりにも遅くてやきもきしていたところだ。
「そうだな。こっちでの立ち回りもやりやすくなるし」
「ちょっと待った!」
橘さんがスッと立ち上がり、場を制するように手を伸ばした。
「今後はって何? これからもこういうわけのわからない話し合いをするわけ?」
「そうだよお姉ちゃん。大事なことだもの。これから毎日先輩と話さなきゃ」
「毎日? 話す??」
小百合ちゃんはハッと手で口を押さえ、どこからかスマホを取り出した。
「連絡先も交換しましょう。どうしても会えない日もありますし」
「あ、ああ。それは良いけど」
橘さんの刺すような視線に怯えながら、俺は小百合ちゃんと連絡先を交換した。
寂しい電話帳に女の子の名前が追加される。
親族以外の女の子とこういうことをしたのは初めてで、なんだか嬉しい。
「それでは、今晩のことは明日の早いうちに連絡しますね」
こうして、俺の学園祭は小百合ちゃんの連絡先と橘さんからの不信を得て終わった。
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