第12話 学園祭事変〜前編〜
翌日、俺は学園祭に参加し、担当分の仕事を済ませると、予定どおり中等部へと向かった。
すぐ隣では、ナイアさんが学園祭のしおりを見ながら着いてきている。
「ふむふむ。ここが橘妹のいる文芸部の教室か」
「橘さんがそっちに向かったのは確認済みです。手はずどおり、さり気なくさも偶然入ったかのようにしてくださいね?」
「わかってるわかってる。それでさり気なく一緒に回るように頼めば良いのだろう?」
しおりに載せられたしょうもない四コマ漫画にケタケタと笑うナイアさんに不安を覚えつつ、問題の教室にたどり着いた。
教室には白い防音パネルが並べられており、それが掲示板兼経路となっている。
パネルには模造紙が貼られており、誰でも知っているような文豪たちの肖像や略歴、著作の解説などが書かれていた。
なかなか凝った内容ではあるものの、人影はまばらで寂しい。
「なんだ葬式会場かここは?」
「ナイアさん声が大きいです」
「だがここに並んでる文筆家どもは故人だらけではないか。おっ、こいつの死因は入水自殺か。君と似てるな」
「一緒にしないでください」
そうして経路を進んでいくが、結局橘さんとは出会えなかった。
暇そうに留守番をしている文芸部員に聞いてみると、姉妹揃ってどこかへ出て行ってしまったとのことだった。
「どうする? この場合は探すか待つかだが」
「……あくまで偶然を装う計画ですから、ここで待ちます」
教室内には自由に読書が出来るスペースが設けられていたので、そこで待つことにした。
スペースには数十冊の本が並べられていたが、どれもタイトルが堅くて手が出ない。
そこで『平成29年度文芸部作品集』というのを手に取った。
ふと目次を見ると、作者に橘小百合と書かれた項があった。
作品名は、待ち人。
知り合いの作品ということで、パラパラと読んでみた。
それはある少女の物語だった。
少女の家族は裕福で仲も良く、とても恵まれた生活を送っていた。
一見すると満たされているようだが、少女にはただ一つ、足りないものがあった。
それは少女にとっての初恋の人であり、今なお恋慕して止まないとある少年のことである。
少年はある日を境に少女の前から去り、少女は寂しい日々を送っていた。
『待ち人』は基本的には昔話風の物語だったが、終盤は詩の形に変化していた。
それはさながらミュージカル映画のようだった。
満月を見ながら、少女は月の見え方が一周してしまったことを嘆いた。
最後に満月を見た時から今まで、ついに少年とは会えなかったのだ。
後どれだけ待てば良いのかと少女は嘆き、他所からは悪魔とも何ともわからぬ者の声が響く。
「諦めろ」
「もっと良い人がいる」
「新しい人と新しい幸せを掴め」
だが、少女の心は動かない。
月が何周しようとも、悪魔がどれだけ言い寄ろうとも、いつまでも待つと少女は誓った。
そして、物語は少女のつぶやきで締め括りとなった。
「再会を信じております。レオンス・ラ・ファイエット様」
俺は、数秒間息をするのも忘れてその行を何度も読んだ。
何度読んでもその意味は変わりない。
向こうの世界における自分の名が、そこにはっきりと書かれていた。
咄嗟にナイアさんの方を見ると、にやにやと意味ありげに笑っている。
「どうしてここにこの名前が!?」
「書いた当人に聞くしかあるまい。なあに、待っていれば来るだろう」
「待っていられませんよ!」
自然と身体が立ち上がり、教室を飛び出した。
人混みをすり抜けながら四方八方を見回し、知り合いがいれば橘さんたちの行方を聞いた。
が、なかなか見つからない。
流石に身体がついて行けなくなり、立ち止まって息を整えていると、ひんやりとしたものが頬に当たった。
「落ち着いて水分補給しろ。君らにとっては必要不可欠な成分だろう?」
ナイアさんが、スポーツドリンクのペットボトルを差し出していた。
俺は素直にボトルを受け取り、中身を口に流し込んだ。
「ありがとうございます。でもこれどこで手に入れたんですか? お金は持ってないと思ってましたが」
「売店の前でじーっと見てたら売り子の坊やがくれたのだ。この容姿は便利だな」
呑気に笑うナイアさんがなんだか羨ましい。
「そういえば、橘姉妹なら校庭の外れで見かけたぞ」
「どっちの校庭ですか!?」
「車が並んでいた方だな」
俺は駆け出した。
我が校には校庭が幾つかあり、そのうち最も校舎から遠い校庭は学祭の際には駐車場として使われている。
どおりで校内とそのそばを走り回っても見当たらないはずだ。
校庭に着くと、車の群れの間を走って橘姉妹を探した。
途中で運転中の車にぶつかりかけてクラクションを鳴らされたが、一礼だけしてすぐに捜索に戻る。
その果てに、ついに姉妹の姿を見つけた。
だが姉妹の他にも客がいる。
うちの制服を着た男子一人と、大学生くらいに見える私服姿の男五人だ。
事情は知らないが遠慮なく割って入る。
「橘さん!」
「敷島君?」
「取り込んでるとこごめん。実は小百合ちゃんに大事な用事があって」
小百合ちゃんに話しかけようとしたが、背後から肩を掴まれる。
「おい何やってんだ」
振返ってみれば、男子生徒が額をひくつかせて睨んでいる。
身長は俺よりも若干高く、腕の力も強い。
「ごめん。実は小百合ちゃんに大事な話があって」
「こっちも用があってきてんだ!」
「もうそちらの話は済んだでしょ?」
橘さんが毅然とした口調で男子生徒に言い捨てた。
「小百合はあなたとは付き合いません。何度言っても何人お友達を連れてきても答えは同じだから」
「あんたの話は聞いてねーよ! 俺は小百合に告ってるんだよ」
ああなるほど。
いつものように小百合ちゃんが告白されて、それを橘さんがガードしてるのか。
俺が言うのも何だが、大人しい小百合ちゃんと金髪混じりの頭をしたヤンキーみたいなこの人とじゃ合わない気がする。
「なあ小百合、俺本当にマジでお前のこと好きになっちまってよ。見てのとおり俺ってダチが多くてさ。ファミリーってんだけどさ、小百合にも入って欲しいわけ」
「え、えっと。私はそういうことにあまり興味がなくてですね。だから……」
小百合ちゃんの小さな声を塗り潰すように、男子生徒の背後にいた私服姿の男が口を開いた。
「まあまあそう言わずにさ。まずはお試しで付き合ってみなって。俺の弟はガチなんだぜ?」
「でも、趣味や性格で不一致が大きいと思いますし、本当に申し訳ないですけど……」
「そんなん気にしなくて良いって! 俺らファミリーは自由だけがルールっていうか? んで絆は絶対っていうか? とにかくスーパーフリーで楽しいからさ。小百合ちゃんの好きな曲とか教えてよ。皆ノリ良いから大丈夫だって」
「アメイジンググレイスもですか?」
「何それ。三代目でそんな曲あったっけ?」
「いやもうこれ絶対に合わないですよね。音楽性の違いどころじゃないでしょ。ちょっと本当に急いでるんでそろそろ勘弁してくれません?」
普段ならこんな年上の、それもやんちゃ風な人に食ってかかるなどあり得なかったが、今はとにかく気が立っていた。
男がギロリと俺を見る。
「てめえはさっきから何なんだよ」
襟をがっちりと掴まれ、引き寄せられる。
「こんな時にちゃちゃ入れんじゃねーぞもやしが」
「でも小百合ちゃんと弟さん? が付き合うなんて無理って丸わかりじゃないですか。自由とか絆とか言ってるんなら広い心で潔く諦めてくださいよ」
男の腕が震え、拳を振り上げてきた。
橘さんが大きな声で何かを言いかけたその時、男の横っ面に二リットルのペットボトルがめり込んだ。
ボトルの中身は満タンだったようで、男は低い悲鳴を上げて俺から手を離し、後ずさった。
ボトルが飛んできた方向を見ると、ナイアさんが肩を回しながら立っていた。
「やれやれ。暴力はいかんな。特に頭は大事だ」
「何すんだてめえ!」
取り巻きの男の一人がナイアさんに掴みかかろうとしたが、そうなる寸前、男の身体が後ろ向きに飛んだ。
それは押されたというより、まるで何かに引っ張られているかのような転がり方だった。
男の身体は散々地面に擦りつけられた挙げ句、フェンスに衝突してようやく止まる。
「横に落ちた気分はどうかな?」
「なっ、何をした!?」
「重力が働く向きを少し変えてやっただけだ」
「……?」
何が何だかわからないが敵意は消えていないらしく、残りの五人がナイアさんに詰め寄る。
俺は咄嗟に、男子生徒の襟の真後ろの部分を掴んだ。
ただ抑えようとしただけだったが、男子生徒の身体はふわりと浮いて足をばたつかせる。
「おっおい。何だよこれは!?」
「俺にもわかんない」
まあ十中八九ナイアさんが何かやったのだろうけども。
「こいつら五人の体重を十分の一にしてやっただけだ。今なら君でも勝てるぞ」
試しに襟を掴んだまま振りかぶってみると、いとも容易く投げ飛ばされた。
男子生徒は地面に派手に叩き付けられて悲鳴を上げる。
もやしと呼んだ男の怪力を目の当たりにして、残りの四人が顔を見合わせて困惑している。
「タックルしてやれ。君の目の前に立っている連中は六~七㎏しかない。ちょっとした交通事故になるぞ」
言われるがまま、俺は手近の男一人に突進して右肩をぶつけた。
すると男は三メートル程吹っ飛び、生け垣に突っ込んだ。
なるほど交通事故みたいだ。
「さてと」
俺が次の標的を見定めると、男たちは目配せだけしてその場から逃げ出した。
自らが置かれた異常な状況をようやく正確に認識できたらしい。
しかし、ファミリーだの絆だの言っていたというのに、地に伏せって悶絶している仲間を見捨てて逃げたのだから呆れる。
邪魔を排したところで、俺は改めて小百合ちゃんを見た。
「小百合ちゃん。もの凄く大事な話があるんだ。君の作品のことで」
「私の、ですか。それって文芸部の作品集に書いた短編のことでしょうか?」
「ああ。月の見え方が一周する期間。つまり約一ヶ月間、ある人のことを待っていた少女の物語だ。その少女が住んでいる国の名は、ランシール帝国というんじゃないか?」
小百合ちゃんの瞼がカッと開いた。
唇を震わせながら、小百合ちゃんは一つ一つ言葉を紡ぎ出した。
「そ、その名は作中では出していません。どうして、ご存じなのですか?」
「一四年間だよ」
俺は一呼吸着いた。
「一四年間、俺はそのランシール帝国で生きてきた。レオンス・ラ・ファイエットとして。君もそうだろう? リリス・フォン・フィッツジェラルド」
小百合ちゃんの眼から大粒の涙がこぼれ落ちた。
「小百合!? 急にどうしたの?」
小百合ちゃんは涙をぬぐうと、俺に駆け寄り、跪いて手を取った。
「殿下! 殿下はご無事なのですか!?」
俺はしゃがみ、小百合ちゃんと両手を合わせた
「ああ。レオンスは生きている。帝国に帰る手段を探っているところだよ」
その言葉を聞いた途端、小百合ちゃんは俺の胸に飛び込んだ。
制服越しに、小百合ちゃんの涙が溢れ出ているのを感じる。
声を押し殺して泣く小百合ちゃんを、俺は黙って抱き締め続けた。
そうして数分が経って落ち着いた頃、橘さんが仁王立ちで俺のことを見下ろしていることに気付いた。
「……で、当然説明はあるのよね。敷島君?」
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