第11話 おそらくは性犯罪
目を覚ますと、世界が傾いて見えた。
「良い夢を見られたか?」
ナイアさんが耳元でささやいた。
どうやら、ナイアさんの肩に寄りかかって寝ていたらしい。
体勢を立て直し、目をこする。
「そうでもなかったです。むしろまた面倒なことになってしまって」
「だがまだ生きているようだな。せいぜいあがくことだ」
ふと電車の電光掲示板を見た。
目的地はまだ遠いというか、出発した駅からあまり離れていない。
「あれ? まだこんなところなんですか?」
「寝ていたのは五分ほどだからな」
時間の流れが滅茶苦茶なのは知っていたが、ここまでとは。
「向こうでは丸一日過ごしたのに、こっちでは五分でしかないなんて」
「時間というものは同じ宇宙の中ですら一致しないあやふやなものだ。慣れるしかないだろう」
ナイアさんは俺の頭をポンポンと乱雑に撫でる。
「苦労性の皇太子様は一休みにして、我が輩と色々しようではないか。なんなら膝枕でもして慰めてやろうか?」
「だから抱きつかないでくださいってば」
嫉妬と好奇の視線に耐えつつ、何とか家路についた。
帰宅した後は、ゲームをしたりテレビを鑑賞したりしてナイアさんの相手をしていたらいつの間にか寝る時間になっていた。
そうして普段どおり寝て向こうの世界に行ったわけだが、困ったことに、まるで事態の進展というものがなかった。
情報は大陸からはるばる渡航してやってくるので、どうしたって遅くなる。
そういった事情で、アウレリアやユリウスと大過なく過ごして一日が終わり、目覚めてしまった。
そのためか、日曜日の午後だというのに気が晴れない。
普段は起床と共に押し入れに仕舞う敷布団も、今日は出しっ放しだ。
ボーッとうなだれていると、ナイアさんが背を優しく叩いてきた。
「どうにもならんことで焦っても無益だ。ドンと構えて待つのも必要だぞ」
「それはそうなんですけど、どうしても気になって」
ランシール帝国の未来はもちろん、リリスがまだネロスの手に落ちていないかも気がかりだった。
その内心を察してか、ナイアさんはやれやれと肩をすくめてみせる。
「普段は雌に対してそう積極的ではないくせに、いざ他の雄に奪われるかもとなると気が気でないか」
「リリス嬢をどう思っているか以前に、ネロスがとんでもない奴だから止めなくてはならないんです」
「まあそこのところの痴話事情はともかく、今は二十一世紀の日本の高校生なのだから、そちらのことを考えれば良い。明日は学園祭とやらなんだろう? 橘へはどうアプローチするつもりだ?」
「べ、別にアプローチだなんてそんな考えてないですよ」
「では考えるが良い。最初から高嶺の花と諦め、他所の誰かに摘まれるのを良しとするなら無理強いはせんが」
そう言われると考えずにはいられない。
俺は橘さんに対し、単純な好意と諦めの心境の両方を抱いていると思う。
というか、最初は完全に諦めていた。
それが妙な巡り合わせで、今では無視できぬ強さの好意を持ってしまっている。
だから学園祭においても何かアプローチ出来たらそれに越したことはない。
しかしどうするか?
一緒に校内を回ろうなどとフランクに誘う勇気はない。
思い出してみるとこれまでの俺と橘さんとの接触は、どれも橘さんから寄ってきたものだった。
借り物競争の時も下校の時も土曜日の時も、全てそうだ。
「ふうむ。まずは声かけか」
またナイアさんが勝手に心を読んで話しかけてくる。
「正々堂々が無理であれば、搦め手しかあるまい。橘の方から声をかけてくるように誘導するのだ」
「どうやってです?」
「橘には妹がいただろう。あれが利用できるのでは?」
言われてみればそうだ。
橘さんは小百合ちゃんのこととなるととかく感情的というか素が出るように見える。
それに、うちは中高一貫校なので、学園祭も中高合同だ。
小百合ちゃんも学園祭に参加しているはずであり、橘さんが彼女に会いに行く可能性は高い。
偶然を装って小百合ちゃんと接触すれば、自然と橘さんもついてくる。
しかし、俺が小百合ちゃんの周囲に近づくのもそれはそれで切っ掛けがいる。
ただ一度会っただけの俺がのこのこ行ってもおかしいだろう。
いかにして、さも奇遇であるかのように小百合ちゃんと会うか?
腕を組んでううんとうなっていると、ナイアさんがにやにやしながら肩に手を乗せてきた。
「我が輩を案内している、とでも理由を付ければどこへでも行けるだろう。1.5ℓコーラで手を打つぞ?」
「……良いですけど、当日はくれぐれも騒ぎとか起こさないでくださいね?」
「善処しよう。それで、上手く一緒になったとして、次はどうする?」
「出し物を見て回ります。それからクラスの出し物にも参加して、何とか後夜祭まで一緒にいられれば最高ですね」
「なんだ暗がりに連れ込むとか告白の名所に誘ったりはせんのか」
「すぐにそういう方向に持って行くのはどうかと思いますよ」
すると、ナイアさんはどこからともなく肌色過多な雑誌を引っ張り出して見せびらかした。
「紳士面するな。頭の中はこの手のことで一杯のくせに」
「だから、そういうのは事情が違うというか何というか。とにかく返してください!」
ナイアさんの手から雑誌を奪い取ると、押し入れの中に隠した。
「やれやれ。その雑誌に載っているどの雌よりも我が輩の肢体の方が扇情的だというのに、何故押し倒さないのか。若い雄のホモサピエンスは常に発情期のはずだが」
「ナイアさんは人間の本能的な部分を重視しすぎなんですよ。人間には理性とか道徳ってものがあるんです」
「一理ある。だが雌を求める以上、ある程度の慣れは必要であろう?」
「それは、まあ」
ナイアさんがぐいと顔を近づけた。
蛇のように腰をくねらせ、俺の背に白い腕を絡める。
理性を逆撫でにする妖艶さに、意識が揺らいだ。
「まるで蛇に睨まれたカエルだな。そんなことでいざという時に上手くやれるのか?」
「橘さんも慣れているわけではないと思いますから、お互い様です」
「初々しさが有効なのは若い雌だけだ。初々しい雄などというのは雌から見れば頼りないものでしかない。だから君と同年代の雌は先輩なるものとつがいになることが多いのだ」
「だからナイアさんで練習しろとでも?」
ナイアさんは眼でそれを肯定した。
その瑞々しい口元に理性が吸い込まれそうになる。
俺は眼を閉じて一度呼吸すると、ナイアさんの腕を取り、その交差を解いた。
「ナイアさんが望もうが望むまいが、俺はそんな形でしようとは思いません」
「ふふん。全く強情だな君は」
「ナイアさんこそ、しつこいです」
「まあそう言うな。君とこうして話せて嬉しいのだ」
言われてみれば、ナイアさんはずっと俺のすぐ近くにいたわけだが、俺からは認識されることすらなかったのだ。
それがどういう心境なのかは想像しにくい。
「べ、別に話すのも嫌とかそういうわけではないですから。きちんと節度を守って欲しいだけです」
ナイアさんの顔が、我が意を得たりとばかりにやける。
ヤバいと思って身構える隙も与えず、ナイアさんは俺を敷布団の上に押し倒した。
「それでは節度を守って楽しもうではないか! 添い寝まではセーフなのだろう?」
「セーフですけど、そんなの押しつけないでください!」
「我が輩の胸をそんなのとは無礼な奴め。ほれほれ硬くなっているぞ? 身体は正直だな」
「ちょっと、そこは触らないでくださいって」
「私の手の中で出しても良いんだぞ。そういえば最近すっかりご無沙汰だろう? 以前はほぼ毎日だったというに」
「誰のせいだと思ってるんですか!?」
「私の眼など気にするな。生暖かく見守ってやるから。手の中が嫌なら胸ではどうだ? それともこの銀髪を汚したいのか好き者め!」
畜生、性別が逆だったら完全に性犯罪だぞ。
いやこの場合でも一応性犯罪にはなるのか?
それにしたって、同情よりも嫉妬の方が遙かに多く寄せられそうだ。
そうしてセクハラに耐えていたら、俺の日曜は終わっていた。
結局、その日も皇太子の方では動きが見られず、情報がない中時間だけが過ぎていく。
かくて、学園祭が始まった。
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