第10話 火急の知らせ

気付いた時には、明るい日差しが窓から差し込んでいた。


間違いなくボナパルトゥス邸の客室だ。


壁に掛けられた大時計が正確ならば、きちんと朝に起きられたらしい。


そうして、皇太子としての一日を始めることにした。


率直に言ってここは居心地が良い。


朝はアウレリアと一緒に弓の稽古をした。


皇太子の嗜みとして弓を習ったことはあるが、アウレリアの弓は精度と威力の双方において俺を圧倒している。


一射目を的の中央に当て、二射目がその矢を真っ二つに割るという離れ業も見せてくれた。


「アウレリア嬢の弓矢は古今無双だ。大陸にもここまでの使い手はそういないだろう」

「お褒めに預かり恐縮です」


アウレリアのはにかんだ笑顔が眩しい


アウレリアは弓矢の話となると年頃の少女らしい反応を見せてくれる。


「ですが、私はエルフの世界しか知りません。殿下がお住まいになっている大陸は、エルフの諸島よりもずっと広いと聞きます」

「そうだな。大陸は広大で、それ故に幾つかの国に分かれている」

「それほどの大陸であれば、私以上の射手がいるやもしれません。ミスリル以上の素材もあるやもしれません」


アウレリアの瞳は、何処か遠くを見ていた。


「アウレリア嬢も大陸に興味を?」

「エルフの諸島だけで至高の弓矢が完成するとは思っていません。ですが、エルフが大陸へ渡るのは難しいのが現状です」

「入植計画が実現すれば、それも叶うということだな」


アウレリアはコクリと頷いた。


「殿下が入植に慎重であられるのは承知しております。ただ、私個人としては、入植を望んでいます」


アウレリアは深々と頭を下げた。


「これは私の勝手な願いです。申し訳ありません」


ここで紳士的な行動を取らねば男が廃る。


俺はアウレリアの肩に手を置いた。


「そう小さくなるな。入植に慎重なのは事実だが、弓を追求したいという君の願いはわかるし、一心に精進する姿は好ましいと思っている。どうだろう? 私が帰国する際には君も同行してみては?」

「そ、それは真でございますか!」


アウレリアが面を上げた。


「ああ。親善のためとでもしておけば、一人や二人の随員追加は難しくはないだろう」

「ありがとうございます。必ずや、至高の弓を実現させてご覧にいれます!」


ふと、アウレリアに近づきすぎていることに気付いた。


俺の瞳がアウレリアの黄金の瞳と交わり、彼女の肩に置いた手を通して、熱と鼓動が伝わる。


顔と顔とが、吐息がわかるほどに近い。


アウレリアもそれを察し、一瞬の沈黙流れた。


これ以上は俺には無理だ。


俺は慌てて手を引っ込め、一歩引いた。


ナイアさんが見ていたら、この甲斐性なしめとでも言っていただろう。


「すまない。女性に対して無遠慮であったな」

「い、いえ。わ、私が殿下に不躾にお願いをしたせいです。どうかお気になさらずに」


アウレリアは顔を朱色に染め、照れたように微笑んでいる。


不快には思っていないようで安心した。


だが、なんだか気まずい沈黙が流れる。


畜生。


女慣れした男はこんな時どうしてるんだ。


その沈黙を打ち破ってくれたのは、ドアを勢いよく開けて入って来たユリウスだった。


「殿下! 午後は軍事演習を観覧されませんか? 我が国の精兵をご覧にいれます……っと」


ユリウスは、俺とアウレリアの微妙な距離感を察し、にやりと笑った。


「おおこれはこれは。どうやらお邪魔だったようですね」

「兄さん! なんて失礼なことを」

「そう怒るな。殿下、不肖の妹ですが、もしもお気に召しましたら気兼ねなくお申し付けください」


アウレリアが弓に矢を番えたので、まあまあと諫める。


「さて、ユリウス。軍事演習と言ったな? 是非観覧したい」

「それではご案内いたします! すぐに馬車を出しますので」


名残惜しそうなアウレリアに別れを告げて、俺は作業棟を後にした。


ユリウスと共に馬車に揺られること数十分。


着いたのは、山のすぐ側にある開けた台地だった。


臨時で作られたような外観の観覧席の最上部に腰掛ける。


隣に座るユリウスによると、今回は空砲を使用した野戦演習らしい。


演習場にいる兵士はざっと一万といったところで、赤い軍服が印象的だ。


それが半分ずつに分かれて向かい合っている。


歩兵・砲兵・騎兵が整然と並ぶ光景は壮観で、これだけでも練度の高さがうかがえた。


太鼓の音と共に、双方の砲兵隊が砲撃を開始。


その間に歩兵隊は横隊で前進し、互いの距離が百メートルくらいになった頃、一斉に銃撃を始めた。


戦列歩兵というもので、一見すると危険極まりないが銃の性能を考えると実は効率的だったりする。


やがて、片方の軍が撤退を始める。


撤退と言っても潰走ではなく、整然とした動きが出来ていた。


「演習においては勝敗役を交互に行い、追撃及び撤退まで兵に教え込みます」


ユリウスの言うとおり、勝っている側の歩兵隊は徐々に速度を上げ、最終的には鬨の声をあげて突撃した。


そして追撃の締めとして、抜刀した騎兵隊が突撃を敢行。


三時間ほどで、両軍共に各々の役割を果たした。


「いかがでしたか殿下?」 

「見事だ。兵一人一人の動きが連度の高さを物語っている」

「勿体ないお言葉でございます!」


ユリウスの笑顔に合わせて笑いつつ、思案する。


エルフの軍事力は想像以上に大きい。


もしも攻め込まれたら、勝つにせよ負けるにせよ大きな損害を被るだろう。


エルフは今のところは自制を保っているようだが、果たしていつまでもつか……。


こうなってはエルフとの戦争という最悪の展開に備え、彼らの軍事力を探って置くのが今の俺に出来ること。


そう思考をまとめ上げると、ユリウスの顔色をうかがう。


「全く見事な陸軍だ。海軍もさぞ精強なのであろうな?」

「海軍にも我々の技術力の粋を集められており、陸軍と引けを取らないと思われます。もしもよろしければ、海軍の方も御観覧なされますか?」

「ああ。そうして欲しい」


ユリウスは俺の急な要望をすんなりと受入れ、馬車は一路海を目指した。


徐々に海風が強まり、馬車の窓を揺らす。


そうしてたどり着いたのは、海軍第七工廠という札が埋め込まれた長大な石と鉄の門だった。


壁の向こうからは、地を震わすような騒音がひっきりなしに聞こえる。


ユリウスが門番に何事か告げると、程なくして鈍い音と共に扉が口を開いた。


そして、扉の向こうに見えたのは、見上げるほどに巨大な船首。


騒音の源は、その陸に上がった船の周囲だった。


ユリウスが手を口に添え、叫ぶように話した。


「ここでは今正に艦艇を造船しております!」

「興味深い。もっと近づいても構わぬか?」


ユリウスが何か返答しようとしたその時、赤い軍服の士官らしき中年男性が駆け寄ってきて、馬車の横で跪いた。


そんな姿勢をされてしまうと、車上からはその男性の頭部の寂しさが嫌でも眼に入る。


「殿下! このようなところに玉体をお運びいただき誠に恐縮でございます。私は工廠長のコルバウス・ギネウスでございます」


窓を開け、騒音に負けないよう息を吸い込む。


「工廠長! 歩いて工廠を見学したいのだが、差し支えはないか?」

「はっ! 私めがご案内いたします!」


工廠長は恭しく一礼して、馬車のドアを開けた。


ユリウスも反対側から降りて、同行する。


工廠長に先導される形で、俺とユリウスは乾ドックの側面に来た。


乾ドック内には巨大な艦艇が威容を誇っている。


「側面に穴が並んでいるな。あれが砲門か?」

「左様でございます。側面に五十門づつ設置されております」

「立派な戦列艦だ。だが、マストが見当たらぬ」

「本艦は外輪船ですので、必要ないのです」


流れ着いたばかりの時に見た、側面に水車のような円筒を付けた船のことだ。


なるほど、マストの代わりに煙突が立っている。


あそこから蒸気機関が放つ煙を放出するのだろう。


「ほう。だが、港で見た船は側面に外輪が付いていたのだが」

「民間の船であればそのような構造を採用しております。ですが、軍用船となると事情が異なるのです。ご覧のとおり、大砲は側面に最も多く並べられておりますので、その側面に外輪を置いてしまうと火力が落ちます」

「それで外輪を後部に持ってきたというわけか」


船の後部には奇妙な盛り上がりが見える。


二つの外輪が船の後部に食い込むようにして備えられていたのだ。


「こうすることで火力を維持できます。旋回性能は側面に外輪を付けた場合よりも劣りますが、速度はやや上回ります」


高い火力と速度を誇る、風に左右されない戦列艦。


帆船しかない帝国海軍で対抗するのは難しいだろう。


工廠内を歩き回っていると、ふと外に開けた場所に出た。


眼下には青々とした海が広がっている。


すぐ側には、水門のような設備があった。


「乾ドックで完成した艦船は、ここから海に出されます」

「それは感無量な光景であろうな」

「それはそれは華やかなものでございます。ただ、最近はもう何度も見たので流石に食傷気味ですが」


自分の耳がぴくりと動いた気がした。


「ほう。それほどまでに多くの造船を?」

「はい。ここ数年、大規模公共事業が次々に議会で承認されておりまして、造船もその一つなのです」


ユリウスが補足とばかりに口を挟む。


「なにぶん人余りでして、国が仕事を作らねばならないのです。今でこそ街は平和ですが、数年前までは失業者が多く、治安は悪化の一途でした」

「なるほど。苦労したのだな」


ユリウスの言うことは、半分は本当かもしれない。


だがもう半分には別の意図がある気がしてならなかった。


単に仕事を増やすためだけではなく、軍事増強によって侵略的な入植を行う腹づもりなのではないか?


公共事業は延々と効果が続くものではないし、財政の負担も凄まじい。


失業者対策の効果が消えいよいよ行き詰まったら、余りに余ったエネルギーを侵略に差し向けても何ら不思議はないのだ。


そんな疑念を考えているうちに一通りの案内が終わり、工廠を出た頃には太陽が真上を通り過ぎていた。


悩んでいても腹は減るらしく、俺の胃袋が情けない声を上げる。


「殿下。昼食を摂られてはいかがでしょうか?」


その提案に乗り、俺とユリウスはボナパルトゥス邸へと向かった。


ところがいざボナパルトゥス邸の前に来てみると、何やら騒がしい。


門前には見たことのない馬車が停車しており、周囲を赤服の軍人たちが囲っている。


俺たちの姿を認めた軍人たちの一部は、何やら大急ぎで門をくぐって中へ入っていった。


ユリウスは馬車を止めさせ、御者がドアを開けるのを待たずに自分で降車する。


「何事か!?」


軍人たちの中で最も貫禄のある者が進み出て、敬礼した。


「殿下に緊急のご報告があり、使者が参上いたした次第です。自分たちはその護衛であります」

「殿下に? 内容は?」

「その点につきましては、何も知らされておりません! 使者の方から直接にとのことです」


ちょうどその時だった。

門の向こうから、軍人を伴って見覚えのある顔が現れたのである。


「ウルピヌス殿!?」


俺の声に呼応するように、ウルピヌスは馬車の前で膝を折った。


「殿下! 御宸襟をお騒がせ奉り誠に恐縮です」

「火急の知らせのようだな。何事だ?」

「重大事案故、人のいない場所での御報告を願います」


俺は自分でドアを開けると、ウルピヌスの前に降り立った。


「では急ごう」


案内されたのは、ボナパルトゥス邸の一室だった。


いかにも精鋭然とした軍人たちが部屋の周囲を固め、厳重に人払いをしている。


その部屋で俺はテーブルを挟み、ウルピヌスと向かい合って座った。


取り調べの時と同じだなと面白く思ったが、口に出せる空気ではない。


「それでは、御報告をさせていただきます」


ウルピヌスは封筒から一枚の紙を取り出した。


「本日午前、大陸に潜伏させている諜報員からの緊急報告が届きました。それによりますと……」


ウルピヌスはこほんと咳払いし、息を整えた。


「セーヴィル方帝国軍約四万が国境線を越え、侵攻を開始したとのことでございます!」


その言葉を飲み込むのには、数秒を要した


沈黙を守る俺の顔色を見ながら、ウルピヌスは続けた。


「ランシール帝国軍は侵攻に対応できず、各地の基地はことごとく制圧。現時点において、セーヴィル帝国軍はシュレジエン地方をほぼ占領し、更に侵攻する気配を見せているとのことです」

「シュレジエンだと!?」


フィッツジェラルド家の領地とトゥーロン港は、シュレジエン地方の中にある。


頭から血が引いていくのがわかった。


「殿下?」


困惑気味になるウルピヌスに、俺はただ続けてくれと言うしかなかった。


「これに対し、ランシール帝国皇帝ユーグ七世は軍を招集。八万の兵でもってシュレジエンを奪還するとの宣言をされました。現在の報告は以上でございます」

「それだけか?」

「現時点では今お伝えしたことが全てです。無論、情報収集は引き続き行っておりますが」


四万に対して八万で対応するならば、少なくともこれ以上の侵攻は防げるだろう。


だが、フィッツジェラルド家の人々は無事だろうか?


トゥーロン港はセリュリエ大佐が守っているはずだが、彼はどうなったのだろうか?


火急に知りたいことがあるのに、その術がないというのはなんともどかしいことか。


苛立ちを殺し、ウルピヌスに軽く頭を下げた。


「ウルピヌス殿。よく知らせてくれた。今後も逐一情報を提供して欲しい」

「殿下のお望みどおりにいたします」


その後、俺はウルピヌスを玄関まで見送った。


ボナパルトゥス一家にたった今知ったことを全て話すと、ユリウスはまるで自分の国が攻められたかのように顔をしかめた。


「殿下、ご心痛の程お察しいたします」

「痛み入る。だがそう心配することはない。我が帝国は初動を誤ったようだが、その後の対応は出来ているようだからな」

「倍の兵力に加え、戦場は勝手知ったる自国領内。戦略的に見れば殿下の仰るとおりです。もっとも敵の援軍の有無と規模も懸念材料としては残っておりますが」

「そのことは父と家臣たちも想定しているだろう。私としては見守るほかない」


ガイウスがカイゼル髭を弄りつつ、ふむとつぶやいた。


「しかし、何故セーヴィル帝国は侵攻したのでしょうか? 両帝国は百年にわたって平和を維持してきたと聞いておりますが」

「……心当たりはある。数年前の火山の噴火以来、大陸全土が悪天候に見舞われ、どこも凶作に苦しんでいる。我が帝国よりも気温が低いセーヴィル帝国は尚更深刻で、食糧支援について交渉している途中だった。だが待ちきれず、豊かな土地と港を持つシュレジエン地方に手を出したのだろう」

「つまりは生存圏の確保……ですか。切実な問題故、セーヴィル帝国も粘るやもしれませんな」

「ああ。そうして戦が長引けば、我が帝国とエルフとの交渉も後回しになってしまうだろう。私の帰還は遠いようだ」


自嘲気味に笑ったその時、もう我慢できぬとばかりに腹が鳴った。


「ふむ。差し当たっては私の胃袋を満たさねばならんようだ」


そう言って場を和ませると、そのまま昼食を摂った。


腹は膨れたものの、精神的な負担はやはり大きく、自室で休むことにした。


大陸の状況について続報があるかもと内心では少し期待していたが、通信技術が未熟なこの世界でそんな次々と情報が入ってくるわけもなく。


そうして待ち惚けている間に夜が更け、俺はやむなく眠気を受入れた。

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