第7話 一歩違えば売国奴

独房で目覚めてすぐ、食事と共に服が二着運ばれてきた。


白を貴重とし、肩の部分が青く染められた上下一体型の服。


金や銀の刺繍が丁寧に施されているのを見ると、エルフの礼服らしかった。


もう一着は俺が着ていた服だ。


海水臭さはないが、血の跡が薄く残ってしまっている。


「それが限界でした」


服を持ってきたエルフの女性が申し訳なさそうに答えた。


「いや、これで十分だ。努力に感謝する」


実際問題として、服の汚れなど気にしていられない。


これから俺は、ある種の戦場に行くのだ。


何を考えているかわからない、未知に近い種族との交渉である。


俺は出された食事を完食すると、案内に従って馬車に乗り込んだ。


昨日乗ったそれとは異なり、屋根と窓がついた立派な馬車だった。


その窓から見ると、エルフ文明の進み具合がよくわかる。


道路はコンクリートのような素材で真っ平らに舗装され、驚くほど馬車が揺れない。


その道路は中央が若干盛り上がっており、その隅には鉄格子付きの排水溝が配備されている。


これなら水はけも良いだろう。


道行く群衆が着ている服も、全体的に質が良いように見える。


エルフは皆、大陸なら高級品に分類されるであろう複雑な服を着ている。


なるほど。


蒸気機関もそうだが、エルフは全体的に人間の先をいっているらしい。


そんな相手が俺をどうするつもりなのか、もやもや考えている内に馬車が止まった。


象牙色の巨石が器用に積み重ねられた、宮殿のような建物が眼に映る。


赤い服を着たエルフがドアを開け、俺がその者の指示に従って移動した。


そのエルフは帯剣し、更に銃を持っている。


どうやら護衛の軍人か何からしく、四人がかりで俺を囲い、厳重に護っている。


あるいは逃げないようにしているのか。


とにもかくにも、俺は中央本会議場とも言うのであろう場所に通された。


中央に巨大な壇が設けられ、その周囲を丸く囲む形で数百はありそうな数の席が並べられている。


入った瞬間、座席に居並ぶエルフたちが俺の方に頭を向けた。


老若男女様々な顔が見える。


彼らが議員なのだろう。


俺は深呼吸して、誘導に従い、中央の壇に登った。


壇は三六〇度をぐるりと見回せるようになっており、そこからは議員たちの顔がよく見える。


俺がだいたいの状況を把握したのを見計らってか、壇の根元に控える役人らしき太ったエルフが立ち上がった。


「各々方! 今ここに御座すは、ランシール帝国皇太子にして第一帝位継承権者、レオンス・ラ・ファイエット皇太子殿下である!」


腹の底から響く大音声だった。


なるほど、このエルフはそういう役割なのだろう。


見事な紹介の後、議員たちは万雷の拍手を俺に贈った。


俺は四方八方に手を振り、頭を下げて謝意を示す。


「それでは! これよりエルフィニア人口問題委員会の発議により、臨時総会を開催する!」


人口問題委員会??


思いもしなかった委員会名の登場だ。


その疑問について考える間もなく、議員の一人が起立した。


自信と若さに満ちた、正にやり手といった雰囲気の男だった。


「メドルス・ファムス議員です! 皇太子殿下、この度は大変な危難に見舞われ、ご心痛お察しいたします」

「お心遣い感謝する」

「この度、殿下にご足労いただきましたのは、殿下が遭難されるに至った背景として、大変深刻な問題が生じているという報告がなされたからであります」


報告、というところで、ファムス議員は俺から目をそらし、ある一点を見た。


そこにはウルピヌス法務官がおり、俺に一礼した。


それに応えるように、俺は息を吸い込む。


「そのとおり。既に報告されているとは思うが、私は帝位第一継承権者であったため、第二継承権者ネロス・トッド・ポンパドゥールに命を狙われ、その結果遭難するに至ったのである」


議会に響めきが広がる。


ファムス議員が再び口を開いた。


「殿下。エルフィニアは人間との接触を限定しておりますが、人間が住う大陸の情報収集は欠かしておりません。それによれば、確かにレオンス殿下がネロス殿下の生誕祭の折に行方をくらまされ、宮廷に混乱が生じているとの報告がなされております」

「……それは真か! 帝国は今どうなっている?」

「最新の情報では、現段階ではレオンス殿下は行方不明とされているため、帝位継承順位は変わりありません。ですが、既に帝国ではレオンス殿下は亡くなったものと見なされ、ネロス殿下の継承権繰り上がりを前提としてことが動いているようです」


どうやらネロスは兄弟殺しの罪を免れたようだ。


事態は悪い方向へと流れてしまっている。


俺はうつむき、リリスのことを想った。


まだ彼女は無事だろうか?


こんなところでは、何もわからない。


「これらの事態を踏まえた上で、レオンス殿下。我ら人口問題委員会として、ある一つのご提案がございます」

「なにか?」

「我らの船を用いれば、大陸への帰還は可能です」

「是非ともそうしていただきたい」


が、ここで何か含みがあるのはわかった。


ファムス議員の前置きが不自然に思えたし、議員の顔もどこか不穏だからだ。


ここは余裕を見せようと、ナイアさんを参考に、意地悪っぽく笑う。


「……が、そう簡単にはできないと見たが?」


ファムス議員が頭を下げる。


「ご明察です。帰還との引き替えと言っては誠に恐縮ですが、一つ、殿下にご考慮いただきたいことがございます」

「考慮とは?」

「大陸における、我らエルフの入植でございます!」


ついに言ったぞ、という空気が議員の間に生まれた。


俺は脳細胞に鞭を振るいながら、慎重に次の言葉を選ぶ。


「入植とは異なこと。人間との接触に消極的だったエルフがいかにしてそのような結論に至ったのか?」

「我らエルフは、人口爆発状態にあります。既にどの諸島にも余裕はなく、特例で高層建築物や海上住居の増設など取り組んでおります。食料も足りず、既に配給制の導入準備に入っています。が、それらの政策もその場しのぎに過ぎないでしょう」

「ふむ。窮状は察する。だが、入植に必要なだけの土地を確保できるかは保証できん。それに、帰還と引き替えに入植者を連れてきたのでは、私は自分一人の都合で領土を明け渡した売国奴の誹りを受けるだろう」

「おっしゃるとおり。我らもすぐに入植できるなどとは考えておりません。従いまして、まずは交渉の糸口として、殿下のお力をお借りしたいのです」


なんと面倒な提案をしてくるのか。


今ここで即答できるような問題とは到底思えない。


これが現代であれば、電話ですぐに帝国に相談できるというのに。


「……私はあくまで皇太子。皇帝ではない。まずは我が帝国に対して使いを送り、私の生存を伝えた上で、交渉というのはどうか? 必要であれば私が書状を書こう」


ファムス議員は他の議員と何やら相談を始めた。


そして間もなくして、再び声を震わせる。


「レオンス殿下! では、交渉は開始していただけるということで相違ございませんか?」

「うむ。皇太子としての分を超えない範囲で、力添えはしよう」


この言葉で、議会は拍手喝采で満ち満ちた。


よほど人口問題に苦しんでいるのだろう。


同情はするが、俺にも余裕などない。


果たしてこれで良かったのか?


後世の歴史家はこれをどう評価するだろうか?


そんな思いがぐるぐると俺の頭を巡る中、気付けば、先ほどの赤服のエルフがそばまで来ていた。


「殿下。本日のご宿泊先へご案内します」

「管理局のことか?」

「滅相もございません。今の殿下は国賓であらせられますので、相応の場所にお泊まりいただきます」

「わかった。木のベッドで二晩を過ごす気にはなれなかったところだ」


そうして、割れるような拍手に見送られながら、俺は議会を後にした。


それから馬車に揺られること数十分。


小高い丘を登り切り、厳めしい鉄の扉を通ったところで、馬は頭を垂れた。


案内のとおり馬車から降りると、八人の男女が出迎えた。


中央の二人は中年の夫婦のようで、夫はしゅるんとしたカイゼル髭が印象的であり、妻はやや小太りである。


夫婦の隣にはそれぞれ二十後半くらいに見える男と十代後半くらいに見える女が控えていた。


彼ら以外の四人は、メイドや下男、執事のようだ。


まず、夫らしい人物が恭しく歩み出る。


「お待ちしておりましたレオンス・ラ・ファイエット皇太子殿下。私は当主のガイウス・アウグストゥス・ボナパルトゥスと申します。こちらは妻のリウィアです」


リウィアは品の良さそうな笑みを浮かべ、挨拶を述べた。


そして、自ら前に出る形で、二十代に見える男の方が口を開く。


「俺は長男のユリウス・アウグストゥス・ボナパルトゥスでございます。ユリウスとお呼びください殿下!」


ユリウスはなかなかの偉丈夫だった。


二メートル近い背丈にバランス良く筋肉がついている。


ネロスはどこか影のある美少年だったが、ユリウスは影とは無縁な爽快さを感じさせる美青年だ。


ユリウスは十代に見える女の方を見て、挨拶を促した。


「ほらアウリも!」

「……長女でユリウスの妹、アウレリア・アウグストゥス・ボナパルトゥス」


アウレリアは、曇りなき黄金の瞳と気丈そうな雰囲気の顔が印象的だった。


女性としてはやや長身で、すらりとした身体は日本刀を連想させる。


「皆様方の歓待に感謝する」

「ご昼食はまだとうかがっております。そこで、ささやかながら宴を催そうと計画しているのですが、いかがでしょうか?」

「有り難く頂戴しよう。管理局のパンとスープも悪くはなかったが、そろそろ別のものも欲しい心境だ」

「では、昼時までしばし時間がございますので、それまでお休みください」


ガイウスの目配せでメイドが進み出て、部屋への案内を申し出た。


通されたのは、一階にある客室。


天蓋付きのベッドに品の良いお香が焚かれている。


大窓は庭への出入り口も兼ねていて、その向こうには良く整えられた芝生や池付きの庭園が見えた。


なかなかに良い部屋である。


ホッと一息吐いていると、ドアを叩く音が耳朶を打った。


「誰か?」

「ユリウスでございます殿下! 殿下に我が邸宅をご案内したく参りました」


なんだか、学校に何人かはいた体育会系のイケメンを彷彿とさせる男だ。


馴れ馴れしいが明るくて良い奴だから、乗り気はせずとも断れない。


そういうわけで、内心はベッドでのんびりしたかったが付き合うことにした。

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