第6話 既知との再会
あの真っ黒い空間で聞いたあの声とその主が、枕元に忽然と姿を現した。
相変わらずの銀髪で、相変わらずの巨乳で、何故か黒の下着姿だ。
「……!? なんなんなんでここに!?」
「それも前に言ったぞ。君が受精卵になった頃から見ていたと」
「見ていたって、生まれてからずっとそんな近くにいたんですか?」
ナイアーラトテップは首肯した。
「姿や声を認識させないようにしていただけで、一つ屋根の下ずーっと一緒に住んでいたのだ。ま、もう知り合ったわけだから、隠れる必要もないだろう?」
「……マジですか」
頭を抱えつつ、ナイアーラトテップの方をちらりと見た。
細かい刺繍が施された、ガーターベルト付きの黒い下着。
前回もそうだったが、なんでこうエロい格好で出てくるのか。
こちとら健全な高校生なのだから、少しは配慮して欲しい。
「むしろ君に配慮した結果、この格好をしているのだがね。時折こういう格好をした雌の画像や映像を眺めていただろう。そこの机に置いてある機械にもその手の情報が大量に記録されているではないか」
「いちいち心を読むの止めてくださいっていうかそんなところまで見ていたんですか!?」
「当然だ。君が居間でホモサピエンス向けの扇情動画を観ていた時も、私は隣に座って鑑賞していたのだ」
「ああああっ!」
心が折れそうだ。
この分だとかなり色々見られているだろう。
だが、あまり落ち込んでもいられない。
今日は金曜日。
学校があるのだ。
気を取り直し、敷布団から這い出た。
「とにかく、もうすぐ学校なので、今後のことはまた帰ってからにします。それで良いですねナイアーラトテップさん?」
「ナイアで良いぞ。あるいはナーたんでも」
「……ではナイアさん。くれぐれも留守中に変なことしないでくださいね?」
「ついていっては駄目なのか? 今まではそうだったのだがね。というか今後もついていくが何か?」
「駄目です! 今後は大人しく留守番しててくださいね!?」
ナイアさんは首肯することなく、ふふんと笑っている。
多分、この人に何かを強制することなどできないだろう。
撃たれて溺れて一ヶ月も死体だった俺を生き返らせたのだ。
その力は底知れない。
俺はため息を吐いて、リビングへと向かった。
当然のように、ナイアさんがペタペタとついてくる。
まるで背後霊だ。
こうなっては、なるべくいつもどおり振る舞うしかない。
そう心に決めて、俺はいつもどおり冷凍庫を開けて凍ったご飯を取り出し、電子レンジに入れる。
そして、ナイアさんもいつもやっているかのような手付きで冷蔵庫を開けてヤクルトを飲んだ。
「ちょっとちょっとちょっと! 今まで勝手にヤクルト飲んでたのってまさか!?」
ナイアさんは空になったヤクルトをダストシュートすると、おでこをコツンと叩いて舌を出した。
「なに可愛い子ぶってるんですか」
「そう怒るな。言っただろう? 君には借りがあると」
「借りってヤクルトのことだったの!? そんなんで人一人生き返らせたんですか」
「いやいや。対価がこれで済むとは思わんことだ」
ナイアさんが怪しげな笑みを浮かべたので、思わず後ずさりしてしまう。
「ま、まさか魂とか?」
「その選択肢もある。だが、君の肉体は全宇宙的に見ても貴重だ。だから、君には生きていて欲しい。生きて対価を払い続けるのだ」
「対価って具体的にはどんなのを指すんですか?」
「そうだな。今度はカルピスというのも飲んでみたい。オランジーナも気になるな」
「結局ジュース!?」
ナイアさんの真意は不明だが、魂をとられることはなさそうで内心ホッとした。
気を取り直して洗顔や朝食を済まし、学生服に着替え、玄関に向かう。
が、ナイアさんが下着姿のまま外に出そうだったので、仕方なく俺の大きめのセーターとズボンを着せた。
本当は女物の方が良いのだろうが、母の服を持ち出してバレたらどう説明したらいのかわからないので、ここは妥協しよう。
「下着でも良いだろう。我が輩は寒さをシャットアウトできるし、どうせ君以外には認識できんのだから」
「俺が気になるので良くないんです」
こうして、俺は一緒に登校するハメになった。
厚いセーターをものともせず、ナイアさんの胸がゆさゆさしているのなんて気にしない。
満員電車が嫌だからと、ナイアさんは電車の屋根の上に寝転んでいたが気にしない。
こうした苦難を経て、俺は登校を果たした。
その後も、授業中に黒板の上で昼寝するナイアさんをスルーし、体育のランニング中に異常な速度で疾走してプチ砂嵐を起こしたナイアさんをスルーした。
「疲れた」
放課後の学園祭準備の頃には、いつもの五割増しの疲労感を覚えていた。
おそらく小中高とナイアさんはあんな感じだったのだろうが、見えるようになっただけでこうも疲れるとは。
メニュー用の模造紙を前にして、ついついため息が出る。
ため息と言えば、橘さんも今日はなんだか元気がなかった。
今、俺は橘さんと隣り合って模造紙と向き合っているのだが、どうも彼女の筆が鈍い。
いつもならサラサラと綺麗な字を書いてくれるというのに、何か物思いに耽っているのか、動きが止まっていた。
「橘さん。何かあった?」
橘さんはハッと驚いたような顔をして、恥ずかしそうに笑った。
「ごめん。今朝、心配なことがあって」
「心配事? 俺で良ければ聞くけど」
向かい側でセクシーポーズをしているナイアさんを無視して、精一杯紳士を装う(あのポーズは昨晩、俺がネットで見てた画像の真似だ畜生!)。
「ううん。何でもないの。でもありがとう。心配してくれて」
「い、いやぁ。クラスメイトなんだし、これくらい普通だって」
「学園祭はもう来週。落ち込んでる場合じゃないよね。頑張って仕上げないと」
それから、橘さんは元気を取り戻し、作業は滞りなく進んだ。
ナイアさんが教室で空中浮遊していても、空に浮かぶ雲を指先で弄って名状しがたい模様を造っていても、滞ることはなかった。
メニューを記した模造紙も完成し、女子全員の着物も揃い、準備は完了。
後は週明けを待つばかりだ。
重荷から解放されてクラスメイトは浮かれていたが、俺はそうは言ってられない。
皇太子としての俺の明日には、議会での証言が控えているのだ。
だが、議会で何を聞かれるのか。
どう答えれば帝国へ帰れる方向に持って行けるのか。
何とも見当がつかない。
帰宅後、ネットで何か答えはないかと探ってみる。
日本やアメリカでも、議会に呼ばれて証言をすることはあるらしい。
ここで気になったのは、エルフの議会ではどのような題目で俺に質問してくるのかという点だった。
例えば、経済政策関連の委員会から呼ばれたなら経済の話をするのだろうし、何かの事件に関連した公聴会なら事件関連の話をするのだろう。
俺の生い立ちや漂着の経緯はウルピヌス法務官に詳しく説明しており、それをもう一度聞いてくるとは思えない。
となると、事件以外の質問してくる可能性がある。
一般のエルフは人間について疎いようだから、俺から人間社会の情報でも引き出したいのだろうか?
PCの前でうんうんと考えていると、ナイアさんが俺の肩に手をかけ、画面をのぞき込んだ。
もう片方の手には、俺が帰りに買ってきたオランジーナが握られている。
「議会ということは、偉い政治家が出てくるということだ。そんな奴がわざわざ聞きたがるのは社会の情報などではなかろう。そんな話は学者か官僚に任せた方が良いからな」
「偉い政治家が聞きたがること……ですか」
「直接自分で聞きたいことというのは、自分に直に関わりのあることだ。政治家ならばそれは政治に直結する話だろう。それで、君の政治的立場は何だ?」
「帝国皇太子。それも帝位にかなり近い。……エルフの議会は、俺に皇太子として政治的な話があるってことがあるってことですか?」
ナイアさんはオランジーナをラッパの様に掲げ、半分近くまで一気に飲んだ。
「そのとおり。連中は君に政治的に込み入った話があるのだろう。それも漂着した翌日に話を聞きたがるというのも尋常ではない。何か焦っているのかもしれんな」
「皇太子の俺に込み入った話ですか。というか、俺を皇太子と信じてくれたってだけでも驚きですが」
「呼び出したということは信じたとみて間違いないから、その点は大丈夫だろう。ただし、話の進め方には気をつけることだな」
ナイアさんが嗜虐的な笑みを浮かべる。
「ホモサピエンスの歴史がそうであったように、弱肉強食は多く見られる摂理だ。エルフも平和的で友好的とは限らん。皇太子である君を利用して何か企むということは十分に考えられる」
「人質とかですか?」
「それもあり得るだろうな。何にしても、後生の歴史家に無能呼ばわりされんように努めることだ」
帝国に帰ることばかり考えていただけに、そういうリスクがあるとは思ってもみなかった。
たとえ帰れないとしても、帝国を護るために必要ならばそうしなければならないのが皇太子としての義務だろう。
国を背負うということがどういうことなのか少しわかった気がした。
「さてと。難しい話が終わったところで何かして遊ぼうじゃないか」
ナイアさんが俺の肩に両手を回し、猫なで声でささやく。
「今まではただ見てるだけで退屈だったからな。存分に構ってもらうぞ」
「いやもう寝るだけって感じで準備してたんですけど」
「文句を言うなこれも対価だ。TVゲームをしようか? ここでボードゲームでも良いぞ。なんなら……」
ナイアさんがおもむろにセーターを下げだし、胸がこぼれる寸前でわざとらしく止める。
「君がしょっちゅう凝視している扇情動画の真似をしてみるか? 空想だけでは物足りないだろう」
「ばっ、何を言ってるんですか!? 冗談もほどほどにしてください」
「冗談ではないぞ? なあにこの身体は見た目も中身も本物と同一。自然生殖すらできる。私もこういった種の残し方というのは興味がある」
「とにかく! 対価は別のやり方で支払いますので、それで勘弁してください」
ナイアさんは数秒ほど頬を膨らませていたが、諦めたのかセーターを着直してくれた。
「では今日のところは同衾で許してやろう」
「一緒に寝るだけですからね?」
「……」
「返事は!?」
こうして、俺はナイアさんと一緒の布団に入るハメになった。
背を向けてはいるが、何せ狭いので背中越しにナイアさんの吐息や心拍を感じてしまう。
「ふふん。なかなか良い心地だ。だが、私にその若い欲望を解放すればもっと心地よくなれるだろうに」
「だから、そういうのは駄目なんです」
「画面の向こうの雌には解放していたのにか?」
「あ、ああいうのはただの発散です。人とああいうことをする時はもっとこう、ただの発散じゃなくて、誠実さとかそういうのが大事なんです」
「操を立てているのか。大方、あの橘さんとかいう雌のことであろう?」
心臓がぎくりと震える。
「そ、それも心を読んだんですか?」
「読まずともわかる。我が輩のセクシーポーズを無視してまで、あの雌に気を遣っていたではないか。あの雌との交わりであれば受入れるのか?」
「そ、それは、まあ。もしも、もしも万が一できればですけど」
自分で言ってて顔から火が出そうになる。
「なら、あの雌の姿になろうか?」
「だーかーらー、そういうんじゃないんですってば」
「うーむ。我が輩との交わりはそれほどまでに嫌か」
「嫌とは言ってません。ナイアさんはもっと自分の身とか心とかを大切にするべきなんです」
沈黙の後、ナイアさんがクスリと笑った。
「ふふん。ホモサピエンスが我が輩にそんな忠告をするとは滑稽な。我が輩は君らの種よりも遙か高位にいるのだぞ?」
「はいはい。下位の者が戯れ言言って悪うございました」
それからは、ナイアさんは一言も発しなかった。
ただ、黙って俺の背中に身体を預けてきた。
首筋に当たる吐息が気になって気になって、その晩はいつもより寝付きが遅くなってしまった。
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