第5話 流されてエルフィニア

最初に感じたのは、猛烈な吐き気だった。


目覚めるや否や、俺は吐き気のままに全てをぶちまけた。


白い地面に水やら血の塊やらが飛び散る。


一通り吐いた後、その地面が砂浜で、自分が複数の人影に取り囲まれていることに気付いた。


どこまでも続く青々とした空に、刺すような日差し。


その日差しの中に見える人々は、背丈は人間のそれだった。


しかし、耳が妙に長い。


徐々に意識も鮮明になり、瞳が周囲の明るさに順応する。


その結果見えたのは、黄金の髪と瞳を持つ、尖った耳の人々。


講義で教わった外見どおりのエルフたちがそこにいた。


「驚いたな。まさか生きているとは」

「どうする?」

「とりあえず管理局に引き渡そう。こんなのは聞いたこともない」


どうやら俺の処遇について話しているらしい。


「管理局? そこで私はどうなる?」

「おお、こいつ口がきけるらしい」

「人間の声初めて聞いたぞ俺」


エルフたちがどよめいた。


すると、エルフたちの中で最も歳を取ってそうな顔立ちの男が歩み出て、俺の前で膝を折る。


「失礼だがあんた、不法入国者なんだろう?」

「私は遭難者だ。望んできたわけではない」

「では遭難者よ。君の服に付いた血からするとただ事ではないし、その服自体が船乗りや庶民のそれではないこともわかる」


言われてみれば、俺の服は胸から下が血に染まっていた。


そこでやっと自分が撃たれたことを思い出し、胸元を探る。


傷らしい傷はなく、完全に治癒しているようだ。


これがナイアーラトテップと名乗るあの女の力なのだろうか。


「だが、事情がどうあれここは我が国の領土で、君が許可を取ってここにいるとは思えん。そうなると、我が国の法律上、君を拘束しなければならないんだ」

「なるほど。それで、その法律に基づいて私はどのように処される?」

「別に詳しいわけではないがね。普通ならまずは取り調べを受けて、起訴不起訴を決める。もっとも、人間がやって来たなんて聞いたこともないから、どう扱われるかは何とも言えん」

「……わかった。抵抗はしない。管理局とやらにも行こう」

「物わかりが良くて助かる」


俺はふらつきながらも自力で立ち上がると、エルフたちの誘導に従って、馬車に乗り込んだ。


馬車は物資輸送用のようで、荷台に載せられた形で運ばれることになる。


天井とガラス窓付きだった皇族用馬車が懐かしい。


その途中で、港のようなところに通りがかった。


港の船にはどれも帆がなく、左右や後部に巨大な円形状の水車が付いていることに気付いた。


また、船には大きな煙突もあり、そこからもうもうと黒い煙が上がっている。


「驚いた。あれらの船は熱機関で動いているのか?」


同乗しているエルフの中で、最も若そうな者がにやりと笑う。


「人間がそいつを知っているなんてのも驚いたな。人間はまだ帆船を使っていると聞いたぜ?」

「そのとおりだ。燃やしているのは何だ?」

「石炭だよ。それで水を沸かしているんだ。んで出てきた蒸気の力で動かすって寸法さ」

「エルフは既に蒸気機関を発明していたのだな。大したものだ」

「それにしてもあんた、人間なのによく知っているな」


若いエルフの顔が感心半分怪しみ半分になる。


「エルフとの交流がないわけではないからな」


若いエルフはふうんとだけ言って、それ以上は追求しなかった。


また、港でうごめく人影の多さからすると、エルフの島はかなり繁栄しているらしい。


「港はずいぶんと賑わっているな。トゥーロン港もここまでではない」

「ここに限らず、今はどこでもこうさ。賑わいすぎだ」


何故か、若いエルフは疲れたような様子だった。


「あまり嬉しそうではないな?」

「数が多すぎるのさ。お陰で食い物も土地も値段が上がりっぱなしだ。食っていくのに苦労してる奴も少なくない」

「対策はとられていないのか?」

「産んで良い子どもの数を減らそうとか色々上は考えてるらしいけど、人口の問題なんかそう簡単に解決しないさ」


そんな風に世間話をしていると、やがて馬車は灰色の建物の前で足を止めた。


何本もの太い石柱が並ぶその見た目は、パルテノン宮殿を彷彿とさせる。


先ほど俺に丁寧に説明してくれた年上のエルフが、何やら門番と相談している。


それから程なくして、赤い服を着たエルフが二人やって来て、俺に付いてくるように示した。


帯剣していることからすると警察官か何かなのだろう。


大人しく指示に従って付いていくと、衣服を着替えるように指示された。


なるほど、さすがに血染めの服のままというわけにはいくまい。


渡されたのは、素材そのままの簡素な灰色の衣服だった。


さっさと着替えると、鉄格子付きの窓が備えられた取調室のような部屋に案内された。


中央には四角い机があり、その左右には簡素な椅子が置かれている。


俺は促されるままに席に着いた。


だが、それから一時間ほども待たされた。


何をしているのかとドアを叩こうと思い始めた矢先、黒い服に身を包んだ壮年に見えるエルフがいそいそと入室し、俺の向かいの席に座る。


エルフは丸い眼鏡をかけていて、大学で教鞭を執ってそうな印象だった。


「いやはや待たせてしまって申し訳ない。何かとすることがありまして。さて、私は法務官のリーウィウス・ウルピヌスです。まずは名前と職業をどうぞ」

「私はレオンス・ラ・ファイエット。職業は……皇太子だ。ランシール帝国の第一帝位継承権者でもある」


流石にこれは駄目か?


ウルピヌスと名乗ったエルフの顔色をうかがう。


ウルピヌスは一瞬沈黙したが、すぐに口を開いた。


「それではファイエット皇太子殿下。貴方はどのような目的で入国を?」

「望んで入国したわけではない。海上で遭難し、ここに流れ着いた」

「なるほど。確かに、砂浜で倒れていたところを発見とありますね。遭難した際の具体的な経緯について説明できますか?」

「私はトゥーロン港を出て、無風海域のそばで船上の宴に参加していた。ところがそこで兄弟と争いになり、海に落とされてしまった」

「事件というわけですね。何故、そこまで争ったのですか?」

「とある女性を巡って争い、そうなった。私は争いなど望んでいなかったのだがな」


口に出してみると実に馬鹿馬鹿しく思えた。


殺人事件の多くは痴情のもつれか金銭トラブルから起きるらしいが、まさか自分がそういう立場になるとは。


「それでは、貴方は海に落とされ、漂流してここまで来たと推察できますね」

「そうだ」

「ですが、それはおかしいですね」


ウルピヌスは手で顎をさすりながら、うーんとうなった。


疑問をぶつけて俺を探っているというよりは、素直に疑問の解明に取り組んでいるらしい。


「なにがおかしいと?」

「貴方の言う無風海域とは、我々エルフが住む島々の周囲一帯のことを指しています」

「ああそうだ。確か濃い霧もたちこめていたはずだが、ここにはないのだな」

「無風海域も濃霧海域も、実はドーナツ状になっていまして、我が国の上空にはないのです」


ドーナツと聞いて、俺は台風の目のようなものを想像した。


気候のことは詳しくないが、まあありそうではある。


木星には、地球二~三個分の大きさの台風が何百年も存在し続けていると聞くくらいだ。


「貴方が無風海域の外で着の身着のまま海に落とされて漂っていたとすると、貴方がここまで流れ着くにはそれなりの日数が必要です。飲まず食わずでは到底生きられないでしょう」

「うむ。しかし、本当に漂流したとしか言えん」


生きられないも何も、ずっと死んだ状態で漂流していたのだが、流石にそれは言えなかった。


それに、ウルピヌスが言ったことの方が気がかりだ。


「ところでウルピヌス殿。貴殿は今、それなりの日数を漂い続けたはずと申したな?」

「はい。事前に海洋学者に問い合わせたところ、おおよそ一か月は必要とのことでした」

「一ヶ月……か」


一ヶ月。


帝国がどうなっているかは知りようがないが、悪い方へとばかり思考が動く。


一ヶ月も行方不明では、ネロスが第一帝位継承権者とされていても何らおかしくはない。


それに、あれほどリリスに執着していたネロスに一ヶ月も隙を与えてしまった。


もしかしたらリリスはもう……。


「ファイエット殿下? 大丈夫ですか?」


ウルピヌスが俺の顔をのぞき込んだ。


「……問題ない。それで、ウルピヌス殿。この国の法律に沿うと、私はこれからどうなる? 私は一刻も早く帝国に帰らねばならないのだが」

「貴方はただの遭難者ではありません。生きた人間がこの島に来るなど、おそらくは史上初のことですからね。そうなると、法律というよりも政治的な話になるでしょう」

「この国の王が判断するということか?」

「王はいません。共和制ですからね。既に議会から問い合わせが来ていますので、そちらの方で判断される可能性が高いです」

「……わかった」

「さて、それでは議会に色々と報告しなければなりませんので、貴方の詳しい経歴についてお答えいただけますか?」

「努めよう」


そうして、俺は生まれてからここに至るまでの詳しい話を聞かせた。


皇太子として生まれ、過ごしてきた普段の生活のこと。


帝位第一継承権者であるため、第二継承権者であるネロスに狙われていたこと。


ネロスの手から帝国を護るため、なんとしても帰らなければならないこと。


ウルピヌスは興味深そうに一言一句を書き取り、時に感心し時に憤っていた。


「なんと嘆かわしい! ネロスのような輩に至尊の座を任せてはおけませんな。リリス嬢のことも大変気がかりに思います!」

「う、うむ。ご理解痛み入る」


えらく同情されてしまった。


エルフがどんな種族なのか知らなかったが、喜怒哀楽は人間と大差ないらしい。


そうしているといつの間にか窓の外が夕日に染まっていて、その時点で取り調べは終了した。


終了した直後、ウルピヌス宛てに連絡が入り、明日、議会で俺が証言することになったと聞かされた。


俺を帰すもどうするも議会の判断次第ということらしい。


その後は、管理局の独房に入った。


ワンルームで狭苦しく、ベッドも木の板とあまり変わらない。


俺は与えられたパンと肉入りスープをあっという間に平らげ(おかわりを頼んだら意外にあっさりくれた)、床に入った。


明日に備えて体調も体力も万全にしておかなければならない。


必ず、必ず国に帰ってみせると誓って、俺は眠りに就いた。


直後、泥の中から這い出たように目覚めた。


冬だというのに、寝間着が汗でぐっしょりと濡れている。


どうやらここは現代日本らしい。


低い天井と寒くて狭い部屋を見てそう確信する。


随分と長く寝ていた気もするが、枕元のデジタル時計を確認する限り、普通に一晩寝ただけのようだ。


それにしても今回は本当に長い夢だった。


いや、夢ではなく、俺の頭の中にあるもう一つの現実か。


でもそんなことが本当にあるのだろうか?


俺の頭の中に宇宙があるなんて突飛にも程がある。


ナイアーラトテップという女自体が、結局は夢の中の存在だったのではないか?


なんだかそんな気がしてきた。


きっとそうに違いない。


そう心中で独り言を言ったつもりが、それに答える者がいた。


「だから、夢ではないと言っているだろう」


夢で見た通りの、あの銀髪女がそこにいた。

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