第3話 嫉妬の炎が実を焦がす~後篇~
太陽が完全に沈んだ直後、生誕祭の開催を知らせる楽隊の演奏が始まった。
宮廷楽隊の腕前は流石のもので、甲板に集まった来賓たちは会話を止めて聴き入る。
演奏が終わると、ネロスが壇上へと上がった。
「今宵は私の生誕祭によく足を運んでくれた。家臣に恵まれたこと心より嬉しく思う。戦乱から百年が経ち、我が帝国の力は満ち満ち、前途は益々明るい。この栄光を永久不変のものとするのが我らの高貴なる義務である。この私も成人を機に、そのための労を惜しまないと誓う!」
良い挨拶だった。
万雷の拍手がネロスを包み込む。
そういえば俺は今十四歳なのだから、来年には同じようにするべきだろうなとぼんやり思った。
すると、壇上から降りたネロスに代わり、ギネヴィアが登壇した。
場がサッと静まりかえる。
明かりに照らされた氷の女王は、近寄りがたいが目を離さずにはいられない怪しい美しさを放っていた。
「皇族として、ネロス皇太子殿下の気概に感服しております。そして母として、子の成長に万感の思いでもあります。皇族として、母として、皆様には今後ともよろしくお願い申し上げます」
ギネヴィアは深々と頭を下げた。
日頃から気位の高い彼女としては異例の対応だ。
一瞬の静寂の後、惜しみない拍手が贈られた。
ギネヴィアが降壇すると、楽隊の演奏が始まり、甲板のあちこちで歓談が始まった。
のんびり料理に舌鼓を打ちたかったが、皇太子という地位がそれを許さない。
俺の周りには来賓たちが集まり、挨拶やら何やらで水も飲みにくい有様なのだ。
主役であるネロスはそれ以上に忙しく、大勢に囲まれて愛想を振りまいていた。
適当に来賓たちを捌いていき、やっと一息吐いた頃には、甲板の中央で舞踏が催されていた。
男女が手を取り合い、優雅に舞う。
俺も皇太子としてこの手のレッスンは受けているため、恥をかかない程度の腕前はある。
参加する気はなかったが、いつの間にか隣に来ていた白亜のドレス姿のリリスが、頬を紅くして何か言いたそうにしていた。
傍らに控えているアルフレッドに眼で相談すると、こくりと首肯された。
女性から誘わせるのは恥というものか。
俺はリリスの方を向いて一礼した。
「リリス嬢。私で良ければ、一曲いかがでしょうか?」
「喜んで!」
先ほどまで流れていた曲が終わるのを見計らって、俺はリリスの手を引いて中央に歩み出た。
場が更に盛り上がり、楽隊は早速次の曲を奏で始めた。
俺とリリスは互いの身体をぴたりと合せ、音楽に身を委ねる。
リリスの背中に腕を回して気付いたのだが、彼女のドレスは背中が空いていて、手が肌に直接触れた。
互いにビクりと身を震わせたが、はにかんだような笑顔を交わしてすぐに持ち直す。
二人のステップの噛み合いは絶妙で、来賓たちを魅入らせるのには十分だった。
曲調の変化に合わせ、俺はリリスを背中から抱き締めるような体勢に変えた。
リリスの腰はキュッとくびれていて、それが大きな胸と見事にリンクし、魅惑的なラインを形作っている。
今の体勢は、この極上の身体を我が物にしているようで、妙な背徳感と気恥ずかしさがあった。
羞恥を散らすため観客側の方を見ると、ネロスが眼に映った。
楽しんでいるわけでもなければ退屈そうでもない。
ただただ俺の方を見据えている。
そういえば、同じような表情を見たことがある。
いつだったかの狩猟で、熟練の猟師がみせた表情。
獲物を観察し、命を奪うその時を見定める時の顔だった。
何を馬鹿な。
俺は心に宿った胸騒ぎを振り払い、舞踏に集中した。
リリスと舞うことだけを考えよう。
そうして、俺とリリスは一曲を舞いきった。
見事という他ない出来で、来賓たちの賞賛がそれを証明してくれた。
「いやはやお見事!」
「正に一心同体といったところですな」
この舞踏が効いたのか、生誕祭はその後も盛況だった。
そして夜も更けた頃、ネロスが再び登壇した。
「皆様方! 宴の締め括りとして、護衛の戦列艦より花火が打ち上げられる。存分に楽しむと良い」
来賓たちが色めき立ち、左右に分かれて戦列艦の方に注目した。
俺もそうしようとしたが、ネロスに呼び止められた。
「レオンス殿下。少し、お付き合いいただけませんか?」
俺は首肯し、ネロスの背中を追って、彼の部屋へと入った。
部屋の食卓の上には、ワインと軽食が揃えられている。
ネロスは俺を上座に誘い、俺のグラスにワインを注いだ。
「フィッツジェラルド家より献上されたワインです。来賓との会話ばかりであまりお召し上がりになっていないのでしょう?」
「ご明察痛み入ります」
グラスを揺らし、香りを確かめる。
確かに、馴染みのある香りだった。
ネロスと乾杯すると、ワインを半分ほど飲んだ。
「レオンス殿下とこうしていると、我らが争う立場であったことが悔やまれます。何故、継承権の第一位と二位という関係になってしまったのか」
「まったくおっしゃるとおり」
「もしも立場が逆であったなら、レオンス殿下はいかがされましたか? 継承権を狙いましたか?」
どうだろうと考える必要もなかった。
本当の俺は、ただの庶民。
皇族の贅沢な暮らしが出来ればそれでもう満足できる。
「いいえ。私は第二位でもそれで満足していたでしょう。そういう性分なのです」
「満足……ですか。確かに、満たされた人は争いません。しかし、私はまだ満たされていないのです」
「と、おっしゃいますと?」
「私はこれまで、母上に従って生きてきました。それで満足でした。ですが、人生で初めて、自分の意思で手に入れたいと心から欲したものがあります」
ネロスはグラスをぐっと傾け、空にした。
「リリス嬢です」
外から、爆発音と来賓たちの歓声が聞こえる。
花火の打ち上げが始まったようで、部屋の窓がオレンジ色に輝いていた。
言葉が、出なかった。
「恥ずかしながら、私はリリス嬢に恋慕してしまったのです」
「……なるほど。確かに彼女は魅力的ですからね」
「他人事のような口ぶりですね。殿下とリリス嬢が舞踏をされている時、私がどんな気持ちであったか!」
「し、しかしそれは……」
「ええ勝手な嫉妬ですとも。しかし、これが私の意思でもあります。母上の指示ではなく、自分の意思です。殿下、どうか」
ネロスは両方の拳を握り、頭を下げるようにうつむいた。
「どうか、リリス嬢をお譲りいただけませんか?」
脳細胞間で火花が散り、最良の答えを求めて思考が駆け巡る。
ここでリリスを譲れば、ネロスは完全に俺の味方になるだろう。
そうなれば継承権争いは大きく前進する。
国が割れることも、人心が惑わされることもなくなる。
リリスさえ諦めればそれで救われるのだ。
皇太子として、権力者として、取るべき道は明白だった。
だが、俺は純粋な皇太子ではない。
俺の本質は別にある。
人が人に恋することがどんなに心地よいか、俺はもう知ってしまっている。
「……それは、リリス嬢のお気持ち次第です。我らで勝手に決めてしまうというのは気が進みません」
「……リリス嬢の気持ちは殿下の方に向いています。つまり、私に諦めろとおっしゃっているに等しい」
「まだそうと決まったわけでは……」
ネロスは握った拳をそのままに、机に叩き付けた。
外では、ひっきりなしに花火の轟音が響いている。
「殿下は! 殿下は当たり前のようにリリス嬢の邸宅へ訪問し、親交を深められた。私もそうしたかったが、母上が許さなかった。成年を機に決意を固めましたが、最早殿下との差は歴然です! 今日もそうでした。私の生誕祭だというのに、リリス嬢は私に挨拶だけしてすぐに殿下のもとへ行ってしまった!」
「ネロス殿下。どうか落ち着いてください」
ネロスの美しい顔が、怒りに歪みきっていた。
「最早、リリス嬢を振り向かせるには、レオンス殿下に諦めていただく他ないのです。それが出来ぬのであれば、私は殿下の存在を許せない。母上からは、そういった場合に備えて毒の手習いを受けております」
俺はハッとしてワインを確かめ、胸に手を置いた。
身体に変調はない。
それを見たネロスがふっと笑った。
「ご心配なく。リリス嬢のワインに毒を盛ったりはしません。それにこれは私の願いです。母上のやり方ではなく、私のやり方を通します」
ゴトリ、という鈍い金属音と共に、ネロスは拳銃を持ち出し、俺に銃口を向けた。
撃鉄が起こされ、独特の火薬の臭いが鼻を突く。
発射準備は整っているようだ。
この距離なら体のどこかには当たるだろう。
「本気ではないのでしょう? こんなことが露見すればただでは済みませんよ?」
「音は花火によって消されます。部屋の窓から海へ落とせば、殿下は永遠に行方知らずとなり、私が帝位継承権第一位になるのです。疑われはするでしょうが、明確な証拠がなければ帝族である私を罰することなどできません」
「そんなことをして、リリス嬢が手に入るとでも?」
ネロスはカラカラと笑った。
「入りますとも! 失礼ながら、私は殿下よりも器量が良いですからね。傷心のリリス嬢に歩み寄ればたやすく愛し合えるでしょう」
「リリス嬢を本気で愛しているなら、そんな欺瞞で弄ぶことなどできないはず。殿下の思いは愛ではなく、ただの妄執では?」
「それは持つ者の傲慢です! 持たざる者は手段など選べないのです。妄執でも愛でも構わない。ただ私の腕の中にいればそれで良いのです」
ネロスは深呼吸して眼の焦点を整えた。
「さて、一度抜かれた剣は血を見ずには収まりません。言い残すことはありませんか?」
「……今はないですね。次会う日までに考えておきます」
花火の爆音が船内に響き、室内が赤色で照らされる。
それと同時にネロスの手元が一瞬だけ輝き、次の瞬間には俺の胸から血が流れ出ていた。
不思議と痛みは少ない。
だがとても息苦しい。
呼吸をすると、ゴボゴボと不快な音が鳴る。
不気味な冷たさが胸に染みる。
口の中に血の味が広がり、意識が急速に揺らいでいく。
全身から力が抜け、俺は机にうつぶせになって倒れた。
意識が消えていく。
次に意識を取り戻したのは、全身に浮遊感を感じた時だった。
どうやら俺の身体は今、船から落下中らしい。
視界は酷くぼんやりとしていて、花火で七色に染まる空しか見えなかった。
だがそれも、海面に落ちるまでのこと。
口から海水が流れ込むが、吐き出す力もない。
海に落ちた俺の身体からは止めどなく血が流れ、どんどん沈んでいく。
これでは助からないだろう。
夢の中で死んだのはこれが初めてだが、次はどうなるのだろうか?
またいつもの現代日本で目覚めるのだろうか?
この夢はここまでで、次に見る夢はまた別の世界の夢なのだろうか?
そんなことを考えていたら、今度こそ俺の意識は完全に消え去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます