第1部最終話 未真名市の一番長い日(前編)
「……始まりは、17年前」
ホワイトボードに貼られた数枚の写真──クレーターと化した那覇市中心部、黒煙を上げる米海兵隊基地、そして焼け焦げた路面に並べられる無数の死体袋。夏姫の白い手がその傍らに「17 years ago」と書き込む。
「国籍不明の特殊部隊が沖縄各地の海兵隊基地を襲撃、一部は市街地で海兵隊と激しい戦闘を繰り広げたのち、持ち込んだ小型戦術核を那覇市中心部で起爆。これにより米海兵隊は沖縄全土から全面撤退、中国系住民の保護を名目に上陸してきた中国人民解放軍にその管理を委ねることになる。通称『第二次オキナワ上陸戦』……以上。龍一、これに何か付け加えることがあるの?」
「ある」龍一は頷き、マグネットで新たな写真を貼り付けた。使い捨ての無針注射器を満たした無色透明の液体。「〈ネクタール〉だ。1年前、俺はジンさんたちと一緒に〈ネクタール〉の売人を狩っていた。何もかも……本当に何もかもが壊され尽くした沖縄でだ」
夏姫が大きな目をさらに見開く。「あなた、武器商人狩りの前は麻薬の売人狩りをやってたの? 命が幾つあっても足りないわよ」
「生きてるだろ」龍一は軽くあしらう。「警察が機能しているのは破壊を免れた高級住宅地やオフィス街だけだったし、中国軍の武装警察は見て見ぬふりだったからな。……市街戦と核爆発で痛めつけられた沖縄に、麻薬まで持ち込まれたら溜まったもんじゃない。毎日が死に物狂いだったよ。その甲斐あって『あいつらのシマでクスリを売買するのはまずい』と思われるようにはなった」
「強かったのね、そのジンさんって人。龍一がそこまで慕うんだから、何となくわかるけど」
「強かった。とてつもなく強かった……とにかくとんでもない人だった。発射された銃弾を避けたり、当然みたいな顔で壁走ったり」
夏姫が半目になる。「前から思ってたけど、銃弾を避けたり壁を走ったりってそんなに簡単なの?」
「そんなわけないだろ。絶対に真似するなよ」
「しないわよ。……会ってみたかったわね。そのジンさんに」
「ああ。君と気が合ったと思う」
2人は少しだけ、沈黙した。気を取り直したように夏姫が続ける。
「荒廃した沖縄を17年前席巻した〈ネクタール〉はマーケットの崩壊とともに消滅し、時を経て未真名市でほぼ同一配合のドラッグが〈アムリタ〉と名付けられて出回るようになった……」
「なぜか17年経ってからな」
「そう、『なぜか』ね。でもそれと沖縄に何らかの結びつきがあると見なすのは、まだ弱いかしら」
「もう一つある。件の『特殊部隊』だ」
龍一は新たな写真を取り出してホワイトボードに貼り付けた。監視カメラからの流用らしき斜め上からの画像。画像はひどく粗く、灰色の武装した兵士「らしきもの」としかわからない画像だ。
「公式には、米軍基地を狙った中国軍の秘密作戦部隊ということになっているけど……真相は今に至るまで不明のまま。中国側は中国側で米軍の自作自演を主張しているし」
「俺は、こいつらこそが真相を解く鍵だと思っている。沖縄を灰にしたのも、ジンさんを殺したのも、きっと同じ奴らだ」
さすがに夏姫は顔色を変える。「まさか……根拠はあるの?」
「根拠なんてないし、理由だってわからない。でも……」龍一の視界の全てが、一瞬、真紅の炎に塗り潰された──路地という路地から聞こえてくる悲鳴、自爆ドローンの突入で燃え上がる家屋、横転する車、海中に引き摺り込まれていく浮遊プラットフォーム。そして炎の中から亡霊のように現れる武装した兵士たち。
「間違いない。上手く言えないが……同じ臭いがするんだ」
否定したいがその根拠が見つからない、と言うように夏姫はかぶりを振る。「それじゃ、ジンさんは何かを知ってしまったということ? 第二次オキナワ上陸戦についての……何かを」
「それも、命を狙われるほどの何かを、だ。こいつらが何なのかはさっぱりわからないが、〈ネクタール〉の製造元と全くの無関係ってことだけはないだろうな。ジンさんが気づいていたものを、たぶん百合子さんは知ってるんだ」
「そして、知っていて隠してる……」夏姫は腕組みを解いて龍一に向き直る。「あの人の頭の中を勝手に想像したってしょうがないわ。こうなったら一緒に聞いてみましょ。答えられませんって言われたらその時よ」
「いいのか?」
「今さらね。私たち、
「助かる。……しかし、聞いて答えてくれるかな?」
「それに関しては勝算がなくもないのよね……案外、百合子さんの方で待ってるのかもよ。龍一が聞きに来るのを」
「……それじゃ、新田さんは進学希望ということね?」
「はい」担任の女性教諭に向かって真琴は頷く。念を押されるまでもない。万が一にも「進学しない」と言った時の母親の反応など、考えたくもないからだ。
「それと、もう一つなんだけど……最近は有坂さんとよく話しているようだけど、どう?」
「どう、と言われても……」そう答えはしたが、真琴は既に「ああ、そっちが本命か」と察していた。プリント一枚出して終わりの進路指導で職員室まで呼び出されるなんて、どう考えても変だとは思っていたが。「普通ですよ。昨日見たドラマの話とか、どんなゲームやってるかとか、その程度の話しかしてません」
担任は露骨に安堵したようだった──そこまでほっとしなくても、と言いたくなる安堵の仕方だった。「よかった……出席日数もギリギリだったから、どうしようかと思っていたの」
なるほどそういうことか、と合点した。受け持ちの生徒が登校拒否しているのはまずいが、彼女の「実家」に口出しするのも怖い。担任としては対応も中途半端にならざるを得ない──身勝手と言えば身勝手だが、真琴自身が可乃子の境遇に親身だったわけでもないから、あまり人のことは言えない。
「ね、これからも有坂さんと仲良くしてくれないかしら。新田さんや平野さんがついていてくれれば安心だし」
「いいですよ。別に頼まれて付き合ってるわけでもないですから」佳澄はどうだか知らないが、あいつだって心底嫌いな相手に話しかけはしないだろう。そもそも関心のない相手には指一本動かさない娘ではあるし。
「そう……そうよね」言われて担任はかなり恥じ入った顔になった。悪い人ではないんだよな、と思う。ちょっと身勝手なだけで。
周囲の教諭が無関心を装いつつ耳をそば立てているのに気づいて、真琴は内心で嘆息した。子供は親を選べない。もしかしたら、親も子供を選べないのかも知れないけど。
教室に戻ると、件の佳澄と可乃子が出迎えてくれた。「よ、どうだった?」
「どうもこうも」真琴は溜め息を吐いて座った。「普通の進路指導だったよ……変えようのない答えを繰り返させられただけ」
嘘ではない。全てでもないが。
「真琴は地頭がいいから期待されてんだよ。それはそれで大変だよなあ」佳澄は大げさに肩をすくめてみせる。「ま、私はカリスマ料理人になってがっぽがっぽ稼ぐから勉強する必要ねーんだけどさ」
「……佳澄、ユーチューバーは諦めたの?」
「競争相手多すぎて『うまあじ』がないからやめたんだってさ」可乃子はやれやれといった口調で言う。「真琴はこうなるなよ」
「『こう』って何だよ! ……それはそれとしてさ、もうすぐGWだし、どっか行かない?」
「今までの話の流れでどうしてそうなるのさ?」
「平野って『話聞けよ!』って怒る割りには人の話聞かねーよな……」
「まあ聞けって。例えばさ……」
〈ホテル・エスタンシア〉最上階のVIPルームに足を踏み入れたテシクが目にしたのは、百合子と崇だけではなかった。〈
いつもいるはずの龍一と夏姫、2人の姿がないのはそれだけ重要で、かつ聞かせたくない話だからだろう。ここにいる全員が、自分を含めて、いざとなれば殺人を躊躇いもしない手合いであるのも同じ理由だろう。
テシクは「端末」の青年を見下ろした。「そう言えば、お前の名前を聞いていなかったな。『端末』に名前があるのかどうかは知らんが」
青年はにこやかに応じた。「あの2人ならそんな言い方はしないと思うけど……まあ、呼び名がなければ不便というのは同意するよ。A、もしくはアレクセイ、でいい。今思いついた名前だけど」
「ならそれでいい」テシクは腰を下ろした。いちいち咎めていたら時間が幾らあっても足りない。「これで全員か」
百合子が頷く。「では始めます。この国から〈犯罪者たちの王〉の影を微塵も残さず──半永久的に消し去るための会議を」
「主語が大きいのは結構ですが、そこまで言うからにはごろつきどもを叩きのめして身ぐるみ剥ぐ程度じゃ話になりませんよ。今までならそれで済みましたが」
テシクの物言いに百合子は腹を立てなかった。彼の役割は〈月の裏側〉専属の軍事コンサルタントであり──つまりは誰もが言いたがらないことを言う役割であると、この場の全員が承知している。「もちろんです。今回は〈月の裏側〉単独ではありません。〈ヴィヴィアン・ガールズ〉そして〈ヒュプノス〉との綿密な連携が不可欠となるでしょう」「〈ラスヴェート綜合警備保障〉には2個中隊分の兵員・車輌パックを発注した」と崇。「正面戦力として警察への牽制、作戦区域の封鎖を依頼してある」
「〈ハリウッド・クレムリン〉からも直接戦闘員の派遣こそありませんが〈
テシクでさえ、喉が鳴りそうになるのを抑えるのがやっとだった。今挙げられた勢力がその能力を十二分に活用することができれば、都市の一つなど容易く落とせるだろう。「総力戦ですね」
〈冥土の使者〉が禿げ上がった額をぴたぴた叩く。「やれやれ、これだけすごい面子を揃えられたら、こんな老いぼれた殺し屋一匹などお呼びじゃないんじゃないかね」
「いえ、あなたの重要性は今回かえって増すはずです……あなたの真価は〈ヒュプノス〉と連動しての〈外科手術〉ですから」
「兵隊の数だけ幾ら揃えたって安心できねえよ。相手は全世界規模の犯罪ネットワークだ。俺たちはそれに侵入する、言ってみればウィルスだからな」
「それだけ『抗原抗体反応』も激烈なものとなる、か」
「危険で、困難な戦いとなるでしょう。ですが、それだけの価値はあります」百合子は静かにだが、強く言い切った。「それに、全く勝ち目がないわけではありません。たとえ中枢部を叩けなくとも、日本という市場を使用不能にすることは彼らの『ビジネス』に重大な支障を与えます。市場そのものを放棄して逃げたとしても、母体は無視できない規模のダメージを負うでしょう──人体の手や足、あるいは頭や胴を切り離せばただでは済まないように」
百合子の灰色を帯びた色素の薄い瞳が、今度こそテシクを見据えた。「あなたには〈ラスヴェート総合警備保障〉のスタッフとともに、具体的な作戦立案を行なっていただきます。必要があれば〈神託〉の支援も付けます。遠慮なく申し出てください」
想像以上に厄介なことになった、との思いはあった。だがそれへの答えも、既に決まっているようなものだった。「嫌も応もありません」
「ありがとう。それから……アレクセイさん、〈冥土の使者〉さん。申し訳ありませんが、席を外していただけますか」
「わかりました。待機しています」
〈冥土の使者〉は訝しげな顔をしたが、アレクセイと名乗る青年は平然と──何とも思っていないのか、あるいは察しがついているのかわからない顔で退席した。
百合子が崇とテシクに向き直る。「お二人に話しておきたいことがあります。私は、これから相良さんとの約束を果たそうと思います」
一瞬、沈黙がその場を支配した。
「止めはしませんが、あまりお勧めもできませんな」崇の口調は無造作だったが、慎重に言葉を選んでいることは見てとれた。元来、気を遣う男ではある。「ただでさえ不確定要素の必要な作戦の直前に、あの話をするってのは。あの坊っちゃん、とっくにご存知でしょうが、結構な豆腐メンタルですぜ」
「ジンさん……波多野仁さんの死の真相に関する調査と引き換えにするという名目で、相良さんはずっと私たちからの、危険で困難な依頼を受けてきました。どこまで真実に近しいかすら怪しい調査と引き換えに、です。むしろ今を除いて、あの話をする機会はない」
「……全部知ったあいつが、ご当主から去ると決めたら?」
「止める権利は私にはありません。無論、相良さんにとっては愉快な話ではないでしょう。ですが、一生そこから逃げ続けるような人でもない。少なくとも私はそう信じています」
「そこまでご当主がお心をお決めなら、俺が言うことはありません」崇の顔は「どうなっても知らねえぞ」と言わんばかりだった。たぶん俺も同じ顔をしているんだろう、とテシクは思った。
「時は来た」
暗く広大な空間に光が灯る。照らし出されるのはスカーフやガスマスク、シュマグで顔を隠し、手に手にAKを持った無数の少女たちだ。
「一人の女と7人の女の子。そこから始まった〈ヴィヴィアン・ガールズ〉も、思えば遠くまで来たもんだ」
「ええ。今日この日のためにね」眼帯で左目を覆い欠けた前歯を剥き出しにして笑う少女に、長身で浅黒い肌の少女が落ち着いた声で返す。「それが私たち自らの力ではなく、あの高塔百合子の助力を得て、なのが気に入らないけど」
「使えるものは何でも使え──母さんならそう言ったはずです」大人しそうな、美しさよりも優しさが勝る印象の少女が微笑して言った。同時に側に立つ小柄な少女が物思わしげに手を握ってくるのを、優しく握り返す。
眼帯の少女が一段高い木箱に乗り、無数の少女たちを見回した。白い肌の者も黒い肌の者もいる。波打つほど長い黒髪の娘も、縮れた毛を無理やり束ねた娘も、金髪をひどく短く刈り込んだ娘も──しかし、怯えている者は一人もいない。それを確認して言葉を続ける。
「私たちが復讐すべきは誰か。私たちを売り飛ばした故郷の両親か。私たちを最悪の種類の売春宿に叩き落とした人身売買業者か。違う! そのようなシステムを形作った者たちを放逐しない限り、悲劇は幾らでも繰り返される!」
次第に、居並ぶ少女たちの全身から熱気が──あるいは怒気が漂い始めた。ただうつむく者、鋭い息を吐く者、歯を噛み締める者。眼帯の少女はさらに言葉を続ける。
「そう、何度でも繰り返されるのだ。私たちの血と肉と涙を噛み潰して──〈犯罪者たちの王〉プレスビュテル・ヨハネスの生ある限り! そして何より、ヨハネスは我らがただ一人の〈母〉──メアリ・バーキンズの仇である!」
今度こそ、地響きのような怒号が沸き起こった。英語、日本語、中国語、ロシア語、あらゆる言語で呪いと罵倒が飛び交う。
「いいの? ずいぶんと端折った説明だけど」
鋭い容貌の小柄な少女の言葉に、傍らの眠そうな目をした少女が肩をすくめる。「いいんじゃない? 〈
「ヨハネスは全てを私たちに返す義務がある。家族も、人生も、財産も、尊厳も、とにかく私たちから奪った全てを。それができないなら……命で償ってもらうしかない!」
同意の唸り声が次々と放たれる。眼帯の少女の言葉を受け、浅黒い肌の少女が落ち着いた声音で続ける。
「これから始まるのは
少女たちはAKを振り上げて叫びながら足を踏み鳴らした。広大な地下空間が轟々と揺れた。「
「総攻撃の前兆だな」男は呟く。
はい、とタブレット端末を手にした金髪の若い女性秘書が頷く。「〈月の裏側〉〈ヴィヴィアン・ガールズ〉を含む、反〈王国〉連合組織間の通信量が増大しています。厳重に暗号化されてはいますが、大規模な攻撃計画の準備中かと」
やる気だな、と男。「では躊躇する必要はない」
「承知いたしました。稼働できる〈
男は少し考え込んでから言った。「……いや、それだけでは不充分だ。おそらく彼らの目的は、ネットワーク自体の解析と私の居場所の特定だろう。高塔家当主にしてみれば、〈月の裏側〉と引き換えにしてでもコストは釣り合う」
女性秘書は整った眉をひそめた。「〈夢遊病者たち〉を越える規模となると、国家軍規模の準軍事組織が必要ですが……?」
「軍を動かす必要はない。〈黒の騎士〉を48時間以内に励起状態へ」
女性秘書は動揺を隠し切れず、タブレットを取り落としそうになった。「しかし、あれは……市街地で運用するには、あまりにも
「あの呪われた地がいっそ灰になってくれればいい、と密かに考えている官僚や政治家は少なくない。それに戦術核で丸ごと吹き飛ばすよりは遥かに優しい──那覇のように」
「幾多の問題を抱えてはおりますが、〈のらくらの国〉はあの国のみならず、アジア圏ネットワークの要です。それを失えば、マーケットは大幅な撤退を余儀なくされます」
「〈のらくらの国〉は確かに必要ではある。ないと困る……が、むきになってこだわるほどのものでもない」男は断ち切るように言った。「彼の地を灰塵に帰してでも、〈月の裏側〉を殲滅する」
「かしこまりました」
「それと。……アンジェリカ」
「はい」
一瞬の間を置いて、男は一言だけ言った。「時は来た。君を使う」
彼女──アンジェリカはわずかに目を見開き、次の瞬間、花開くような笑顔となった。「御心のままに。〈
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