【バレンタイン特別企画】甘い犯罪

「うわ、遅くなっちゃった……これじゃ門限ぎりぎりだよ」

 真琴は近道するべく、暗くなった市民公園を急ぎ足で突っ切ろうとしていた。

「佳澄も可乃子も『もう少しもう少し』って粘るんだから……どうせあの2人に付き合ってたらこうなると思ってたんだよ」

 これで門限に間に合わなかったら、下手すると母は「次から門限は夜8時ね」と言い出すかも知れない。考えただけで震え上がってしまう。今どき門限8時なんて小学生ですら守るかどうか怪しいものだ。

 同時に、母の心配もわからないではない。何しろ真琴はこの半年だけで数回ほども命に関わるような大事件に巻き込まれたのだから。

 はあ、と何となく溜め息を吐いて真琴は右手の紙袋を見やる。乗り気じゃないんなら、最初から付き合わなきゃよかったんだ。このチョコだって、僕のお小遣いじゃ結構高かったんだし。

 どうもピンと来ないんだよな、と真琴は呟く。何がって、バレンタインもそうだが、好きな人には好意を示さなければならないという考え自体もだ。別段、クラスメイトで嫌いな男子がいるわけでもない。裏を返せば、特別に誰かを好きでもない。

 これを明日は気になる誰かにあげることになったんだが……どうしてそんな話になったんだっけ?

 案外それを言い出した佳澄からして、明日になったら「え、あたしそんなこと言ったっけ?」と真顔で言いそうな気がする(いやあいつならきっと言う、と真琴は確信を持って一人頷いた)──そう考えると馬鹿馬鹿しくなってきた。父親と次に会った時にでも渡そうか、と半分本気で考え始めた時。

 ベンチに腰かける人影に気づいた。

 考えてみれば不思議な話だ。座っても真琴の倍くらい高さももありそうなその人になぜ気づかなかったのか──だが、思えば初めて会った時から、そのような静けさの持ち主ではあった、と思い出す。

 相良龍一がそこに座っていた。目の前の真琴にすら気づいていない様子で。全身がまるで粉塵の中を潜ってきたように埃まみれで、そして何とも珍しいことに──見えた。

「……えーと、龍一さん?」

 なぜ声をかけてしまったのかはわからない(何を馬鹿なことを──あのとは今年こそ縁を切ろうと誓ったばかりじゃないか!)。ただ、気がつけばそうしてしまっていただけだ。

 龍一は顔を上げたが、真琴の顔に焦点を当てるのさえ苦労しているようだった。

「真琴……か?」

「そうだよ。何してるの、こんなところで?」

「何してるか? そうだな……」龍一は虚ろな目で、自分の掌を見るような仕草をした──それが指先にこびり付いた、乾いた血の跡を眺めているとわかって、真琴は「ああやっぱり」と思った。明らかに〈仕事〉の帰りだ。

「ゴミみたいな気分を味わっている……かな」

 真琴は隣に座った。そんなことをする義理は全く、断じて、ないはずだったが、何となく帰りづらかった。「龍一さんはさ、いつまでこんなことを続けるの?」

「時が来るまで。全部終わるまで……かな。それも、先に俺がくたばらなければの話だ」

 そんな答えを聞かされて納得するほど真琴も子供ではない。「あのさ……龍一さんは確かにすごい人だと思うよ。力も強ければ動きも早いし。僕が同じことをしようったって無理だもの。でも、龍一さんより強い人はこの世にいくらでもいるし、銃で撃たれたら死んじゃうんだよ?」

「違いない」龍一は苦笑しようとしたのか、口の端を引きつらせた。「でも……他に思いつかないんだ」

「それで犯罪なんだ」正直、真琴には何をどう考えたらそこまで飛躍できるのかさっぱりわからない。

「今日は随分とな」龍一は再び口元を痙攣させた。まだ笑顔は作れないらしい。「道徳の授業かな?」

「真面目な話をしてるんだから真面目に聞いてくれる?」

「すいません」

 急にしおらしくなるのはずるいと思う。

「自分のやってきたことを後悔はしていないし、恥じてもいない」口調こそ元に戻ってはきたが、まだ心もとない口調だった。「でも今日は……今日だけは何だかそう思えないんだ」

 沈黙が降りた。そう言えば、と真琴は思う。僕はこの人について何を知っているんだろう。こんな高いところから落としてもくたばらないような、バイタリティの総量なら真琴の一万倍ぐらいありそうな青年でも、自分のことをゴミとしか思えない瞬間があるんだろうか。

 思い切って、紙袋を龍一に押し付けるようにして手渡した。「はいこれ」

「?」龍一の表情こそ見ものだった。光り輝くUFOから降りてきた緑色の宇宙人に握手を求められてもこうはならないだろう。

「それを食べて、自分がゴミじゃなくて人間ってことを思い出してよ。……じゃ、早く帰るんだよ」

 ようやく龍一の口元の歪みが、顔全体の苦笑になった。「君と俺とじゃ、言うの逆じゃないか?」

「たまにはいいんじゃない、僕が龍一さんのことを気にかけても?」

 真琴は立ち上がった。これはもう駆け足でないと、門限に間に合いそうにない。

「真琴」踵を返した瞬間、背後から声をかけられた。「……ありがとう」

「こんなこと滅多にしないからね。今の龍一さん、僕でも倒せそうなんだもの」振り返る勇気はなかった。「じゃ、夏姫さんによろしくね」

 返事を待たずに走った。──いやいやいや、頬が熱いのはいいことをした後の照れ隠しだ。そうに決まっている。


【龍一? ……お疲れ様。『反省会』は明日からでいいんでしょ? 今日は休んで、時間がある時に寄っていって。『何の日?』なんて言わないでよ。どうせ龍一にチョコを渡す女の子なんか私以外に……ちょっと龍一? どうして笑ってるの!? 『腹痛え』って何!? 私そんなにおかしなこと言った?】

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