第10話 罪人の手がまだ触れない

「……どうも君の言う『犯罪工学』を聞くと、誤魔化されている気がするんだがな」

「あら、どうして?」

「『これから起こるあらゆる犯罪を予測あるいは制御する』という発想自体、尋常じゃないだろ。そりゃ俺だって、金融工学ってもんがあることぐらいは知ってる。非構造化・非定型的データビッグデータを元にアルゴリズムで人間の感情を数値化し、そこから市場予測システムを構築する──それ自体は突飛じゃない。でもブツが犯罪となると、また別の階層レイヤーが関わってくるだろ。代入する変数nにどれだけ膨大な情報をぶち込めばいいんだ? 正味、人間業じゃないだろ」

「そこまで筋道立てて考えてくれるようになったのね。嬉しいわ、私と初めて会った時に比べて格段の進歩じゃない」

「まぜっかえさないでくれ。昔は昔、今は今だ」

「そうねえ……あなたが引っかかってるポイントは2つあるわけね。一つ、人間の感情がそう簡単に計算できるのか。二つ、できたとしてそれを処理し、なおかつ出力することができるのか」

「まあそうだな」

「一つ目は簡単。金融も犯罪も、結局のところそれを構成しているのは人間でしょう?」

「ああ……って、むしろそれ以外の何だってんだ」

「人間は非合理的な生物であり、必ずしも合理的な判断に基づいて動いているわけではない。その一方で従来の経済学は人間の合理的な判断を重んじる。だから経済学は現実から乖離する。せざるを得ない。ここまではいい?」

「……まだついてはいってる」

「結構。

「はあ?」

「何を難しく考えているの? 相手は外宇宙から飛来した緑色のエイリアンでもなければ釈迦やキリストの類でもないのよ。同じ酸素を吸って二酸化炭素を吐き、腹が空けばそのへんのものを口に入れて眠くなれば寝転がり、用を足したくなればお漏らしする生き物なの。完全に予想がつかないわけがない。そもそも、金融と犯罪にどれほどの差があるの? 膨大な変数nに違いはないじゃない」

「うーむ、やっぱり何か誤魔化されている気がするなあ」

「二つ目は……あら、タイミングがいいわね。ちょうどその『処理および出力』が始まるところよ」


 ――妙に重々しいノックの音が響いた。室内でカードゲームに興じていた男たちは、反射的に扉の方を振り向いた。

 ここは厳重なセキュリティを誇る、高級マンションの最上階に位置するペントハウスだ。侵入するより先に、風体の怪しげな人物は玄関で警備員に門前払いを受ける。少なくとも、そのはずだった。

「監視カメラは?」

「変だ……メンテナンスモードに入ってる。回線が自動的にクローズドされてる……そんな話聞いてないぞ」

 更に言えば、来客があるとも聞かされていない。

 室内にいるのは、誰も彼もが暴力を生業とする者たちである。それ以上考える前に、手近な得物を引き寄せている。

 意を決して中の一人が、トカレフを手に扉へにじり寄っていく。周囲の見守る中、顔中に汗の粒を浮かべながら覗き窓から外を覗こうとして──

 大音響とともに、扉が弾け飛んだ。襲撃に備えて防弾板まで仕込んだ特注の扉だ。ぶ、と悲鳴を上げて扉の下敷きになった男を誰も見ようとしなかった。ただ、扉の前の人物に呆気に取られていた。

 そこに立っていたのは──甲冑の騎士だった。

 鏡のように磨き抜かれた装甲が、天井からの照明に美しく煌く。がしゃり、と重々しい金属音とともに一歩踏み出すその姿は鎧の重量もあるだろうが、余裕に加え優雅ささえ感じさせた。芸術品のようなその姿が、16世紀に流行した「最も美しい鎧」マクシミリアン型甲冑だと知る者は──少なくとも気にする者は、この場にいない。

「ふざけやがって……このコスプレ野郎が!」

 当然、彼ら全員を捉えたのは激烈な怒りだった。どう贔屓目に見てもこの甲冑騎士が好意の訪問者とは考えにくい。てんでに得物を抱えて不埒な侵入者に殺到しようとした時──

 拳銃を構えた一人が、悲鳴とともに高々と宙を舞った。

 まるで巨人に蹴り上げられたように、室内の男たちが次々と真下から吹き飛ばされ、天井へ叩きつけられた。しかも目の前の甲冑騎士は、微動だにしていない。

 未知の手段で攻撃されている──わかったからといってどうしようもなかった。床下からの目に見えない攻撃にどう対応すればいいのか。デスクの下に這い込んだ者、椅子の上へ慌てて上がった者もいたが、いずれも結果は同じだった。

 そこに甲冑騎士が突進する。右手のブレードソードが唸りを上げた。刃こそ潰されていたが、要は1メートルを越える鉄の棒である。ナイフを持つ腕がへし折れ、山刀は打撃でくの字に折れ曲がる。なおも立ち上がろうとする者は肉厚の刀身で頭部を一撃されて昏倒した。わずか数分の間に、男たちは全員半死半生の有様で横たわっていた。

「先生、終わりました。どうぞ」

 男たちを全員戦闘不能状態に陥れたことを確認し、ヘルムに仕込まれた無線で甲冑騎士が呼びかける。声は意外にも若い女性のものだった。

【〈騎士ナイト〉ちゃんお疲れ。助かったよ、ヘイト稼いでくれて。衝撃砲ショックカノンは障害物を無視して対象を無力化できるけど、ターゲッティングと充填に時間がかかるからね、正面からの撃ち合いには向かないんだ】

「お安い御用です。そちらこそ援護ありがとうございます。拳銃くらいじゃ穴も開かないとはわかってましたけど、やっぱり飛び道具相手はちょっと緊張します」

【殺しちまうのは寝覚めが悪い、かと言って手加減するとこっちがやられる……頭の痛いところだね。レーザー砲なら手っ取り早いんだけど】

「……それは本当に穴が開いてしまいます。人に」

【っと、いけね。床抜くからちょっと下がって】

「あ、はい」

 ジジ……と微かな唸りが聞こえ出してからわずか数秒で、床が円形にくりぬかれた、

「すごーい……犯罪映画みたい」

【まさか奴らも、真下の部屋から狙われるとは思わなかったろうね。半月前からコツコツ資材を運び込んだ甲斐があったってもんだよ。ゲーテッドコミュニティって、外部からの侵入者には強いけど内部からには脆いんだよね】

「理屈は確かにそうなんですけど、こんな豪快な方法、そう簡単には思いつきませんよ……」

【そいや〈騎士〉ちゃんさあ、〈騎兵キャバルリー〉ちゃんと話したことある?】

「いえ、ありませんね……が違うこともありますけど。それ以前に話が成り立つんでしょうか? あの人、私みたいな庶民と違って、なんかお嬢様っぽいですし……」

【趣味は合うと思うけどなあ。……ま、これで作戦の第一段階は成功だ。念のため、監視機器やレコーダーの類は全部叩き壊しておいて】

「あ、はい」

 高価な警備システムの類が、ブロードソードの一閃で鉄屑と化す。

 部屋の奥のビニールカーテンを開けると、むっとする温風が吹き出した。

「……あたり、です」

【開けてびっくり、都会の真ん中の麻畑、か】

 高層マンション向けミニチュア温室の天井には紫外線ライトとスプリンクラーが設置され、暖房で一定の温度が保たれていた。プランターの中ですくすくと育っている植物が何かは言うまでもない。

【出荷寸前だったみたいだね。おあつらえ向きに梱包まで済んでるじゃん】

「でもこれだけあると、私一人じゃ運べませんよ」

【なぁに、ここまで来れば人間様の出番はほとんど終わりさ。戻っといで】

 床に開いた大穴から、猫ほどの大きさの四足歩行ドローンが次々と顔を出した。【あとは私のドラちゃんたちが仕事してくれるからねー】

「えと……すいません。何ですって?」

【猫型ロボットだろ。だからドラちゃん】

「……先生って何でもできるし私の百倍ぐらい頭いいけど、ネーミングセンスは絶望的にありませんね」


【紅隊、藍隊、共に通信途絶! 応答ありません……!】

「呼び出しを続けろ! 一交戦もなしに全滅など、そんな馬鹿な話があるか!」

 とうの昔に住民にすら見捨てられた廃マンションの廊下。全身黒ずくめ、人よりむしろ甲殻類に似たシルエットの一群が移動していた。

 HUD一体化の防弾ヘルメット、全身防弾タイプのボディアーマー。光学照準器とドットサイトを装着した軍用自動小銃。いずれも闇市場でさえ入手困難な特殊部隊仕様装備だ。廊下の先へ向けられる銃口にも油断はない。

 だが交わされる無線通信の音声には不可解さへの困惑の色が濃い。

【緑隊も全滅、黄隊は……交戦中! この先の踊り場で交戦中です!】

「よし、直ちに合流するぞ! 敵勢力の規模は⁉︎」

【敵勢力は……たった一人⁉︎ 一人だと⁉︎】

 廊下の向こうからは消炎器特有のくぐもった銃声と、けたたましい悲鳴、そして何かのけたたましいエンジン音が響いてくる。

「敵はいったい何だと言うんだ! 報告しろ!」

【あ、あれは警察じゃない……どころか、軍の特殊部隊でもない……!】

 連続した発砲音、そしてそれをかき消す轟音が一際甲高く響き、無線は途絶えた。隊長は舌打ちする。

「黄隊も全滅だ。行くぞ」

 ──ペントハウスから強奪された大量のヘロインが、この廃マンションに運び込まれたことが判明するや幇の上層部はただちに彼ら『五刀』に出動を命じた。十数分と経たずに彼らは迅速に建物内へ突入した。模擬訓練施設キルハウスまで使用した訓練の成果であり、またそうでなければ潤沢な装備と待遇を得ている筋が立たないからでもあった。

 果たして、ヘロインはあった。だが予想に反し、輸送車両に積まれたままで、一切手がつけられていなかった。周囲には一切の罠もなく、運び出そうとした形跡すらない。彼らは首を傾げた。あれだけ厳重な警備を突破して強奪に成功していながら、なぜ肝心のヘロインを置いていった?

 不可解ではある。だがそれなら尚のこと、解明せずには現場を離れられない。

 何が待ち構えているかわからないビルの中へ迂闊には踏み込めない。まず小型の偵察用無人機を飛ばす。掌サイズだがカメラと各種センサーを備え、人工筋肉とオートジャイロで「羽ばたき」ながら敵地を偵察する飛翔体だ。

 5分と経たずに、無人機は詳細なデータを送ってきた。HUDに送られてきたデータは戦術ネットを通して全員に転送される。彼らを困惑させたのは、まるで壊れたCGのようなモザイク模様が建物の各所に点在していることだった。

「各階に不自然ながありますね。何かの欺瞞措置なのでしょうが……」

「欺瞞にしても稚拙だな。ここに何かありますよ、とわざわざ知らせているようなものだ」

 あるいは何かの罠なのだろうか。ますます強奪犯たちの意図が読めなくなる。ヘロインを持ってさっさと逃げればいいものを、それともこのビル内で『五刀』を迎え撃とうとでも言うのだろうか?

 首を捻っていても答えは出ない。彼らは建物内の捜索を開始し、そして……各隊からの連絡が一斉に途絶え始めたのだった。

 敵が正体不明だからと戦術を変える必要はない。セオリーに従い、センサーに反応のある部屋への突入ブリーチングは無人機による攻撃で始まった。球形の使い捨て自爆ドローンが室内で次々と炸裂し、閃光と轟音を撒き散らす。

「突入! 突入!」

 まず前衛の2人が、次いで後衛が2人それを援護しながら室内へ突入する。見事な連携だった── 全員が武警や人民解放軍から高給を約束されて引き抜かれた精鋭だ。

 銃口の先、天窓から降り注ぐ陽光を背に、異様なシルエットが妙にぎくしゃくした動きで向き直る。

 頭部には機動隊のものに似た防弾面付きの無骨なヘルメット。レーザーによる目潰しを警戒してか、黒く塗られて顔は見えない。ボディアーマーの上にさらに幾重にも装甲板を重ねているのか、肩幅が異様に広い。

 手には木を切るどころか、建物の解体にさえ使えそうな巨大なチェーンソー。それが刃を回転させながらけたたましい音を発している。

「あいつが電子妨害ジャミングの発生源か?」

「携帯式のECMポッドを背負ってますね。それにしても荒っぽいな……狙った周波数帯を撹乱するスポッティング方式じゃなく、ここら一帯の周波数帯をめちゃくちゃに掻き乱すバラージ方式だ。向こうだって無線が使えないはずですよ」

「最初から使う気もないのかも知れん……自爆を警戒しろ」

 そいつが発したのは、意外にも若い女の朗らかな声だった。ふざけているとしか思えない明るい口調で、

【投降してくれない? そうするとすごく楽なんだけど。私が】

「撃て」

 隊長は容赦なく命じ、応じて側の兵士が小銃の銃身に装着した擲弾筒を放った。軽い射出音とは裏腹に、放物線を描いて飛んだ弾体は人影に命中、爆発した。ずんぐりむっくりした巨体の上半分が綺麗に吹き飛ぶ。

「愚図が。飛び道具相手に、光源を背に立つ奴があるか」吐き捨てはしたが、隊長の顔からは訝しげな色が消えなかった。いくら油断したところで、こんな奴に部下たちが遅れを取るとも思えないのだが……。

 銃口を構えながら駆け寄った兵士が驚きの声を上げる。「隊長、これは人間じゃありません。機人アンドロイドですらない、まっすぐ歩くだけが能の案山子ですよ」

「警戒しろ。ジャミングがまだ消えていない……まだいるぞ」

 こんな木偶人形じゃ野菜だってろくに切れそうにないな、と隊長は冷静に判断する。すると、俺の部下は誰にやられたんだ?

【ちょっと、問答無用で撃つなんてひどくない?】黒煙を上げる金属の塊から先ほどの女の声。スピーカーはまだ健在らしい。【淑女レディの話は根気強く聞くのがモテる男の秘訣でしょ?】

「余計なお世話だ。お前こそどこの組織かは知らないが、大人しく投降したらどうだ。今なら命だけは助けてやる」

 助けた後の保障は何もないが。

【暴力を必要悪なんて言い換える卑怯者には負けない】案の定、女の声はあきらかに鼻で笑っていた。【それに実際問題として、『五刀』も、これでただの一刀じゃない】

 隊長は眉間に皺を寄せて黙り込んだ。このふざけた女の言う通り、彼の部下たちと通信途絶しているのは手品でも小細工でもないのだ。

「……解析終了。この階層です」

 部下の報告に隊長は頷き、改めて声を低めた。「位置は特定した。祈る時間はやる」

 女の声のトーンが1オクターブ下がった。【あらそう】

 破壊された金属塊の間からノズルのようなものが突き出した。

 たちまち白煙が噴出し、辺りを覆い尽くす。反射的に一歩下がる兵士たち。だがそれほどの動揺はない。HUDは夜間暗視や赤外線視覚補正まで兼ねているからだ。

「煙幕だと? 今さらそんなもので……」

「それより同士討ちに注意しろ、迂闊に発砲するな」

 スピーカーから再び女の明るい声。【全員下がった? それじゃ爆破するわよ】

 隊長が眉をひそめる。「今さらはったりを……」

 次の瞬間、金属塊が爆発した。

 腹の底まで揺るがす地響きとともにフロアの床が綺麗に抜けた。老朽化した床全体がたやすく爆ぜ割れる。悲鳴を上げながら数メートル真下へ、彼らは落ちた。

「皆、大丈夫か⁉︎ 負傷状況を報告しろ!」

「だ、大丈夫です……」

 耐衝撃性を備えた防弾装備のためか、1階分の高さをまともに落ちたにしては怪我人は少なかった。とはいえ、それは爆薬の量が加減されていたからに他ならない。謎の襲撃者たちが初めから殺す気なら……今ごろこの場の全員が怪我では済まなかったはずだ。

「これでもうわかったでしょ? 殺す気ならとっくにそうしてるってことが」

 あの女の口調からふざけた色が消えていた。そして、今度は肉声だった。「降伏なさい。三度目は繰り返さない」

 瓦礫の山の上に、勝利の女神よろしく一人の女が傲然と立っていた。

 声の印象を裏切らない、若い、溌剌とした女──であるらしい。らしいというのは、顔を京劇で使う鮮やかな仮面で隠しているからだ。

 肩の辺りで刈りそろえられた黒髪が、瓦礫の間を吹き抜ける熱風で微かに揺れている。均整の取れた肢体を包むのは、迷彩効果など欠片も考えられていない──考えるつもりもない豪奢な真紅の旗袍チャイナドレスだった。隊長を始めとする全員が、白日夢でも見ているような表情になった。

「死力を尽くし、結果として負けることを恥とは言わない。ましてや死とイコールではない──あなたたちの国の言葉じゃなかったかしら?」

 隊長は一瞬だけその言葉を吟味し、口を開いた。「……癪だが、お前の言う通りだ。だが、一つだけ間違いがある」

「何?」

「俺たちは『死力』など、まだ尽くしていない」

 挙げた手に応じ、背後の兵士たちが一斉に銃口を上げる。

 女の口元が吊り上がった。「上等」

 そのまま一挙動で背に回した腕を振り下ろす。成人の身の丈もある金属の棒が鋭く空を切った。

 女が奔った。瓦礫とガラスがうず高く積もる廃墟を、室内履きのような華奢な靴で駆けてものともしない。野生動物のようにしなやかで速い。何らかの身体強化措置か。それともチャイナドレス自体がある種の強化服なのか。

 全員が女の疾駆に容赦なく手持ち火器を向ける。

 だが、女は何を思ったか大きく身を沈めた。宙を泳いだ全員の視界が、次の瞬間、真白な閃光に塗り潰された。女の手から投擲されたスタングレネードだ。ヘルメットの対閃光防御で大半はシャットアウトされたが──それでも、眼前で発生した閃光と轟音は彼らをたじろがせるには充分すぎた。

「自分たちの使う武器は、敵には扱えないと思っている。減点1」

 這うような姿勢のまま、女の握り締めた金属棒が倍の長さに伸びた。内蔵してあった鎖により一本の棒が双つの棍となる。旋回した棍の反対側が顔面を砕き、脇腹をしたたかに打ち据える。ボディアーマーの上からですら、根は破城槌のような威力を発揮した。屈強な男たちが吐瀉物を吹き出してのたうち回る。背後の兵士たちもどうにか女を捕捉しようとするが、仲間を巻き込む射撃を躊躇う。

 瞬きする間に、女は致命的な近さまで距離を詰めていた。硬い音が連続して響く。数人の手から、構えていたはずのアサルトライフルが手品のように宙を舞った。

 無論彼らは挫けない。火器がなくても刃物か、素手で戦うまでだ。腰に手を回し、接近戦用の山刀マチェットやコンバットナイフを引き抜く。前方から2人、半秒タイミングをずらして背後から2人が襲いかかる。見事な連携だった。

「そぉい!」

 女が奇妙な掛け声とともに跳ねた。棒高跳びのように根を地に突き、高々と舞って頭上から兵士たちに襲いかかる。虚を突かれてたたらを踏む兵士の頭を鋭く踏みつけ、着地と同時に身を沈めて足元を棍で大きく薙ぎ払う。体勢を崩した兵士の喉に、槍のような鋭い突きを二撃、三撃と見舞う。防具の有無など問題にならない威力が炸裂し、兵士がまとめて悶絶して倒れる。

 それでも兵士たちは諦めなかった。刃物がなければ素手でもと、女の背に背後から掴みかかる。すぐさま女の掣肘を受けて崩れ落ちたが、間髪入れず真正面から山刀を手にした隊長が突進してくる。

 ──調子に乗りすぎたな、女!

 だが、女は不敵ににやりと笑う。「接近戦に持ち込めば勝てると、何の根拠もなく思い込む。減点2」

 次の瞬間、隊長は目を疑った。メインアームとでも言うべき棍を女はあっさりと前方に放ったのだ。……正確に言えば、今まさに突進してくる隊長の足元に。

 避けようのない位置とタイミングだった。突進の勢いそのままに足へ棍が絡む。

「えぃし!」

 バランスを崩した身体がぐいと引き寄せられ、喉元にハンマーで叩かれたような衝撃が走った。息を詰まらせた隙に視界が一回転し、今度こそ顔面に掌打を叩き込まれる。苦痛のあまり気絶すらできず、彼はのたうち回った。

「隊長!」

 どうにか動ける残りの兵士が火器を構え──そしてそのことごとくが、それぞれの手持ち火器を手から撃ち飛ばされて呆然となった。機関銃のような連続射撃だった。

「伏兵がいると考えもしない──トータルで減点3」

「う……動かないでください……」

 別の若い女の声が、やけにか細い声で警告した。

 瓦礫の間から現れたのは──競技用らしい無闇と銃身の長い自動拳銃を構えた小柄な影だった。ガスマスクとボディアーマーで顔も体型も不明だが、銃口は微動だにしていない。

「皆さん動かないでください……今のは警告です……わ、私、自分の腕に自信がないんです。少しでも動かれたら……み、皆さんの眉間に二連射ダブルタップで撃ち込んでしまいますから……」

「……自信があるのかないのかはっきりしろ」誰かが突っ込んだ。隊長はもう咎める気にもならなかった。「最初から狙いだったんだな。ヘロインはただの餌だったんだな」

「そ。私たちのスポンサー、コナ嫌いなのよ。でもそれで幇の実力行使部隊を骨抜きにできるんだったら、あれこれ手間かけて奪う価値はあるわね」

 隊長は重々しく溜め息を吐いた。どんなふざけた出で立ちだろうが、『五刀』はそのふざけた女たちに叩きのめされたのだ。

「投降する。命の保証はしてくれるんだろうな?」

「もちろん。言われた通り投降してくれた人の乳首が鼠の餌になるのを見過ごすのは、さすがに寝覚めが悪いもの」女はおどけたように肩をすくめた。「でも、覚悟はしておいてね──本当に私たちの一味になるつもりなら、今まで培ってきたものを全部捨ててやり直す必要があるわよ。1どころかゼロからね」


「どうもです、〈スパロウ〉さん。の調子はいかがでしたか?」

「ああ、〈仕立屋テイラー〉さん? 最高だったわ! こんな飛んだり跳ねたりしてもどこも痛くなったりきつくなったりしないなんて、本当になんて素晴らしい服なのかしら。それにこの綺麗な生地!」

「そう言っていただけると僕も作った甲斐があります。あなたに合わせて調整してありますから、使えば使うほど身体に馴染むはずですよ」

「……正直、二十歳過ぎてコスプレはきつすぎないかと思ったけど、戦っているうちにどうでもよくなってきたの。自分の好きな格好をして悪党どもを蹴っ飛ばすのがこんなに楽しいなんて。会社にいた頃あなたに出会えなかったのが残念。こんな逸材が野にいるとわかっていたら放っておかなかったのに」

「どうでしょうね。僕の才能は、やっぱり地下世界アンダーグラウンドでしか花開かない類のものですよ。今日改めてそれがわかった」

「……こういう服は他にも用意できるの?」

「幾らでも。アイデアは山のようにありますからね」

「楽しみだわ」


「……ご予約のアンソニー・チェン様でいらっしゃいますね? では、こちらにサインを」

「ああ」青年は勿体ぶって頷くと、警備員が差し出した電子ペーパーにペンを走らせた。高価ではあるがあまり洒落ているとは言えない鼈甲縁の眼鏡に、オーダーメイドのスーツ。やり手ではあるがあまり融通の効かなそうな若手ビジネスマン、という風情だ。

「お荷物はそちらですね? 金とプラチナが各1トンずつ、それに貴社の新製品のサンプル……ということでしたが」

 青年の傍らには貴金属のインゴットをうず高く積んだ自動運搬カートが従っており、後部には大型のスーツケース3個が並んで固定されている。

「規則により、スキャンはさせていただきます」

「いいとも」

 警備員は携帯スキャナをケースのあちこちに当てがった。すぐに眉をひそめる。「微弱ながら脈拍と呼吸を感知……生き物のようですが?」

 青年はスーツケースを軽く叩いた。外装が半透明となり、中身を映した。

 顔面に人工呼吸器を付けた全裸の人影がうっすらと透けて見えた。逞しい若者、ずんぐりした老人、そして若い女。内部には液体が満たされているらしい。いずれも胎児のように手足を丸め、夢を見るように目を閉じている。

「人体実験用の生体サンプルだ。本当はまずいんだが、君たちを信頼して見せておく」

 合点が行ったように警備員は頷く。「失礼いたしました。お入りください」

 1メートル以上ある特殊合金製の扉が地響きを立てて開き、黒光りする内装を露わにした。頷きながら、青年の目が素早く警備状況をチェックする。──詰所には常時最低2人以上の警備員。耐熱・耐爆構造の重金庫室。物理・電子両面で外部からの侵入はまず不可能──。

 カートがロボットアームで積荷を下ろしたのを見届けると、青年は重金庫室を出た。外でうやうやしく出迎えた警備員に苦笑してみせる。「ずいぶんぎらついた目で見てくれるものだね。心配しなくてもおかしなものは仕掛けやしないさ」

「申し訳ありません。規則ですので」

「まあいいさ、そちらも仕事だろうからね」

「恐れ入ります」

 ──警備員はプロらしく青年の挙動に目を光らせてはいたが、彼が踵を返す寸前の、密かな口中の呟きまでは気づくことができなかった。

「……僕にできるのはここまでだ。精々うまくやってくれよ、龍一のお友達」

 ──完全封鎖、完全密閉の重金庫室はその周辺に鉄壁のセキュリティを張り巡らせてはいるが、肝心の金庫内部には一切の監視機器を設置してはいない。それが〈顧客〉との契約条件ではあるからだ。

 だから。

 2個のスーツケースがかちりと音を立てて開き、中から大量の白濁した粘液とともに全裸の男たちを吐き出した光景も、誰も見ていない。

「うぇっぷ……ガキの頃ドブに落ちた時以来のひでえ気分だ。おい爺さん、生きてるか?」

「……お互いに、という風情だな」

 呼吸器を口から引き剥がしながら悪態をつく赤毛の若い男に、ずんぐりした老人が息も絶え絶えに返してみせる。

「どうにか成功はしたっぽいな」

「今のところはね。しかし気分もひどければ、格好も情けない。君たちがよく着る……ほれ、あのさえもなしかね?」

「言うなよ。服なんか着てたらそれこそ言い訳が立たないだろうが。俺たちゃあくまでなんだからさ」

「臓器扱いかね。いくら犯罪組織御用達の金庫室とはいえ、ひどいものだ」

「ぼやきなさんな、おかげで侵入できたんだから。それに忘れちゃいないだろ……今回の仕事は、そのド外道どもに一泡吹かすことなんだからよ」

 若者は口の中に指を突っ込んで粘液を掻き出していたが、気が済んだらしい。「そろそろ始めようぜ、〈冥土の使者チョスンサジャ〉の爺さんよ」

「了解だ、〈豊穣の角コルヌコピア〉。若者の流儀、この老骨に見せてもらおうかね」

 お互いに頷き合い、そして老人の方が思い出したように「……ところで、私たちは何か大事なことを忘れとりゃせんかね?」

「言われてみれば確かに……そうだ!」

〈豊穣の角〉は弾かれたように残る1個のスーツケースに駆け寄った。「おい、〈火落ファイヤーストライク〉! もう出てきていいんだぞ、大丈夫か⁉︎」

「タイマーが作動するはずじゃないか? いや、作動しなかったらまずいんじゃないかね?」

「嘘だろ……おい、冗談はやめろよ! あんまり面白くないぞ!」

 血相を変えた〈豊穣の角〉がスーツケースに手をかけた途端。

 かちりと音を立ててスーツケースが開き、爆発するような勢いで大量の粘液を2人に浴びせかけた。煽りを食らった男たちが壁際まで吹き飛ばされる。

 全身から粘液を滴らせ、全裸の若い娘が呼吸器を剥ぎ取りながら身を起こす。歳は20歳前後。腰まで垂らした白に近い金髪、明るい灰色の目。素晴らしい肢体の持ち主だが、目鼻立ちが整いすぎて作り物めいてすら見える。かなりの上背で、直立すると青年とそう変わらない長身だ(老人と比べれば頭一つ分の身長差はある)。

「2人ともいつまで寝ているつもり? そろそろ起きて仕事をしましょう」

「……ともあれ、侵入には成功したんだ。次の段階に移ろうじゃないかね」まだ釈然としない顔をしながらも〈冥土の使者〉は乾いて粉状になりつつあるゲルを全身から払い落としながら立ち上がった。

「そうだな。『抽出』に進むとしようか」〈豊穣の角〉は積まれた金とプラチナの山から黒い小箱を引っ張り出し、両手で強く揉んだ。幾重にも折り畳まれたそれはたちまち展開し、完全密閉式の戦闘服となる。「ほれ、ご要望通りのぴったりスーツだ」

 別に好き好んで着たくはないんだが、と呟いて老人はスーツを受け取ろうとしたが、思い直したらしい。「お嬢さん、お先にどうぞ」

 娘はどうにか明後日の方向へ目を逸らしている〈豊穣の角〉と〈冥土の使者〉を見て不思議そうに首を傾げ、それから自分の肢体を見下ろして、妙に幼い仕草でまた首を傾げた。「私は気にしないけど?」

「俺たちが気にする」青年は憮然と呟く。

「そう言えば〈豊穣の角〉さんよ、お前さんのその何とかマシンは作れるのかね?」

「何でも、は作れねえな」若者は2個のスーツケースを分解して組み直し、全く別の装置を組み立てつつある。工具すら使わずに驚くべき早さだ。「無から有は作れないし、生き物も無理だ。戦車や戦闘機みたいな大型で複雑な兵器は作れなくもないが、材料を他所から持ってくる必要がある──ま、そんな手間をかけるくらいなら、そのまま持ち込んだ方がまだましだな」

「では何が作れるんだね?」

「ふむ……しかし、無から有は生み出せないんだったら、火器以外にもいろいろ入り用じゃないかね」

「材料なら持ち込んだろ、ここに山ほどさ」

〈冥土の使者〉は何か言おうとして口をつぐみ、そして周囲を見回した。「なるほど……そのために金とプラチナをしこたま注ぎ込むのか。世界一贅沢な銀行強盗だね」

「高塔がバックについてなきゃ不可能な仕事だろ? さ、さっさと得物を作っちまおうか」

 3人は手分けして装置の上方に開いた漏斗へインゴットを放り込んでいった。青年がパネルのメーターを見ながら頷く。「よし、こんなもんだろう」

「私の銃を出せる?」

「お安い御用だ」

 青年が手慣れた動作で手元のパネルを操作すると、ノズルに小型モニターを取り付け、さらにエンジンと蒸留器を合成したような奇怪な装置が微かに唸り出した。大量の溶解液が瞬く間に壁を溶かし、やがてその中から金属の輝きが見えてきた。

 壁から削り出されたのは、成人の男でも構えるのに苦労しそうな大口径回転式拳銃リボルバーだった。出荷したてのように艶やかに輝く銃身からは、未だに微かな湯気が立っている。娘の親指が撃鉄を起こすと、がちり、と獣の牙が噛み合うような硬質な音が響いた。

「この3人の中で一番の火力持ちがカノジョってのは、なんかすげーな……」

「正面戦闘のスキルに関しては、私やお前さんを凌ぐんだから仕方ない」老人が妙に白っぽい表情で呟く。「……とは言え、それで撃たれる相手のことをあまり考えたくはないね」

 娘は大真面目な顔で頷いた。「安心して。あなたたちには決して向けない」

 自動運搬カートを従え、3人は油断なく廊下へ出た。湾曲する廊下には天井各所に等間隔で監視カメラが設置されている以外、目立った警備システムはなかった。

「……当然だよな。でなきゃ入るのにこんな手間をかけない」

「逆に言えば、一度中に入れば好き放題ということだね」

 大量の溶解液を正面の扉、電子ロック部分に浴びせかける。一瞬後、電子ロックが表示部にでたらめな文字列を映し、冗談のようにたやすく開いた。天井近くの監視カメラにも吹きつけておく──これで警備室には偽の画像が映し出されるはずだ。

「ハッキングするまでもない。こいつを持ち込めた時点で、俺たちの勝ちさ」

「ふむ、そう単純なら助かるんだがね。あれを見たまえ」

 廊下の彼方から電撃銃テーザーを装備した警備員が二人一組ツーマンセルで歩いてくる。歩調に油断はなく、何より凹凸の極度に少ない廊下には逃げ場がない。

 反射的にリボルバーを構える〈火落〉に老人は諫めるように首を振った。「それは最後の手段だ。監視室で警備員の生体反応バイタルサインをモニタリングしている可能性がある」

「じゃどうするの?」

「私がこうする」

 2人が止める間もなく、老人はふらりと歩み出た。しかも完全に素手だ。

「やあ」

 声をかけられて警備員たちは凍りついた──

 テーザーを向ける間もなく、老人の拳が警備員の鳩尾を抉り、もう一人の喉を掌底で潰している。体格の良い警備員がくたくたと崩れ落ち、息を詰まらせて喘ぐ相方の頭頂部に肘が落とされた。まさに瞬きする間の早業だった。

「すげえな……どうやったら真正面から相手の不意を突けるんだ?」

「真正面から相手の不意を突いたのさ」〈冥土の使者〉はこともなげに言ってカードキーを放った。「さあ、ローマの宮殿をフン族のごとく荒らそうじゃないか」

 一際広いホールに出ると、青年が喉を鳴らした。「……あれだ」

 ホールの中央にある巨大な立方体は、それ自体が巨大な金庫室だった。クレーンで真上から出し入れできる構造になっているらしい。

「あれがお宝か。日・中・露各犯罪組織合同で運営する違法データ避難地ヘイブンにして……」

 青年がノズルを構え、溶解液を金庫室の壁に浴びせかけた。浴びた部分がたちまちモニターとなり、内部の様子を映す。

「……人間の脳をそのまま使った、資金洗浄工場マネーロンダリングファクトリー。量子通信システムは犯罪組織にとっちゃまだまだ高嶺の花だから、ならば人力で、ってのは当然の帰結だわな」

 十数もの人体が、極低温の金庫室の中で凍ったままうずくまっていた。全身の毛という毛を剃られた裸の男女たちは、性別すらも判然としなかった。いずれも若い。目を伏せ、俯いたまま全身に霜を貼り付けた彼ら彼女らは、彫像よりもよほど彫像らしく見えた。

「さすが犯罪大国ロシア、優秀な数学者やハッカーをこうしてしてるわけだ」

「文字通り生きているわけね。これをそう呼んでいいのかわからないけど」〈火落〉の声には信じられないものを見た恐怖と、それですら隠し切れない憤怒の響きがあった。

「こいつはそのまま運び出す必要があるんだろう?」老人の声は変わらない。これよりひどいものなど幾らでも見た、と言いたげだ。「ちょっとばかし骨だな」

「ロケット砲で開かないかしら」そう言う〈火落〉の顔はもちろん大真面目である。

「……そういうのも嫌いじゃないんだが、戦車砲でも耐えられるって話だし、扉が歪んじまったら元も子もない。。構造上、振動には強いはずだしな」

 彼らがカート上のインゴットを装置に放り込み始めて間もなく、耳をつんざく大音量で警報が鳴り出した。

【ゲストルームにて敵性分子による破壊活動コード・レッド進行中! 全警備要員は急行せよ! 敵性分子は未知の重火器を使用! 最大限の注意を払い、対処に当たれ!】

 青年は舌打ちする。「意外に早いな。〈ヒュプノス〉らしくない……いや、俺たちがしくじったのか」

「反省会は後にしよう。B

「2人は作業を続けて。私がどうにかする」〈火落〉が大砲のごときリボルバーを構える。

 入口で荒々しい足音が入り乱れた。

 姿を現した警備チームがテーザーなどの非致死性武器ではなく室内戦用カービンライフルを装備していたのは、さほどの驚きでもなかった。この手の施設の常として警備チームが「撃ってから素性を問い質す」ことなど珍しくもないからだ。だがその背後から現れたのは、鳥足のような二脚を備えた自走砲台ウォーカーだった。ミニチュアの戦車じみた角ばったボディの上部では、可動式砲塔タレットにマウントされた機銃と散弾銃が鎌首をもたげている。

「やべえぞ爺さん。さっきみたいに不意は突けねえのかよ!」

「駄目だね。私のは飽くまでも不意打ちだ。しかもこの数で、戦闘機械メックの支援を受けているとなれば尚更だ」

 猛烈な銃火が彼らの盾にする自動運搬カートを見舞い、金やプラチナのインゴットに当たって甲高い音を立てた。

 首をすくめながら青年が怒鳴る。「もっとをぶち込め! まだ全然足りない!」

 決死の形相で装置にインゴットを放り込みながらも老人が怒鳴り返す。「やっとるじゃないかね!」

 浴びせられた粘液がカートの一部をタレットに変え、次々と電撃弾を吐き出した。だがそれを物ともせず、ウォーカーが短距離走の勢いで一気に距離を詰めた。ボディに装着された嘴のような衝角が不気味に黒光りする。〈冥土の使者〉が警告を発する間もなく衝角が〈豊穣の角〉を串差しにしようとしたその時──

 傍から伸ばされた手が、衝角をがっしりと握り締めた。

「……私がいる限り、この人たちには指一本触れさせない」

 低い呟きを発した娘の細腕が、一呼吸でウォーカーを捻り倒した。起き上がる暇も与えず、複合センサーに向けて立て続けにリボルバーを撃ち込む。火花を撒き散らしてたちまちウォーカーが沈黙した。背後から躍りかかるもう一台のウォーカーの蹴りを避け、逆にその足を取って振り子のように振り回し、床に叩きつけた。軽自動車がトラックを跳ね飛ばしたような、冗談としか思えない光景に2人だけでなく敵警備チームまで呆気に取られている。ぶちぶちと音立てて付け根からウォーカーの足がもぎ取られた。青黒い人工血液をまき散らし、放り投げられた足が生々しく床の上で痙攣する。

「……スポンサー殿が〈火落〉を投入した理由、何となくわかったよ」

「もうあの娘一人でいいんじゃないかね……」

 敵警備チームの銃火を〈火落〉はまるで怯むことなく、完全に一人で圧倒していた。ウォーカーからもぎ取った機銃を右手に、散弾銃を左手に、至近弾を物ともせず乱射する。修羅のごとき、と形容しても過不足ない戦いぶりに敵警備チームは遮蔽物から頭を出せず、距離を詰めることもできない。銃弾と散弾を弾き返しながら新たなウォーカーが肉薄する。銃弾の擦過で眉間から鮮血を滴らせながら、〈火落〉は銃弾の切れた機銃を槍のように繰り出した。センサーのレンズを叩き割り、めりめりと音立てて機関部近くまで突き込む。棍棒代わりに振り回された散弾銃で、飛びかかる警備員を薙ぎ倒す。

 それでも劣勢は明らかだった──侵入側に対して警備側は幾らでも増援を送り込めるのだ。

「まだか〈豊穣の角〉、もう保たないぞ! 私は40以上も歳の離れた娘の死なぞ見たくはないからな!」

「60の間違いじゃないのか⁉︎ ……いや、そんなの俺だって見たくないよ!」

 青年は決死の形相でノズルを振り回す。白煙の中から円筒状の自爆用ドローンが次々と飛び出し、立て続けにウォーカーへ体当たりした。直撃を食らったウォーカーが全身から火花を散らして沈黙する。

「よし、これでどうだ!」

 金庫室全体がびりびりと轟音で震えた。白煙を浴びたボックスの下部からロケットブースターが突出し、幾重もの防壁を突き破って地表へと飛び出した。

「待たせたな! 脱出!」

 自動運搬カートのタレットが今度はワイヤーガンに変換され、ワイヤーを射出して金庫の底面に磁石式のフックを貼り付ける。カートの上に3人を乗せたまま凄まじい勢いで上昇する。なおも発砲を続ける警備要員の頭上を〈火落〉が全弾を撃ち尽くす勢いで掃射した。呆気に取られて見上げる警備員たちの姿が、見る見る小さくなっていく。

「……蓋を開けてみれば本当に『攻撃』になっちまったな……」

「まあ、いいんじゃないかね。終わりよければ全てよし、だ」

「ここ、見覚えがあると思ったら廃線になった下鹿駅じゃないか! 道理で見覚えがあると思った……」

「なるほど、ここなら倉庫街も近いし、〈のらくらの国〉との境界間際なら警察の巡回もなおざりになるからね。考えられた立地だ」

「〈豊穣の角〉!」

 目をきらきらと輝かせた〈火落〉に、鼻同士が触れ合わんばかりに顔を近づけられた青年がもう少しでカートから落ちそうになる。「いきなり何だよ⁉︎」

「見て、私たちのあの街があんなに小さいの! すごく綺麗! ……どうしたの〈豊穣の角〉? 顔が赤いわ」

「いっいや……何でもねーんだ」

 娘の顔が極端な寄り目になる──ちなみに、眉間からは鮮血が滴り落ちたままだ。「嘘。その顔は何でもなくない顔。どこか悪いんでしょう。見せて」

「何でそういうところに妙に聡いんだお前? ……いやそれより血を拭けよ! 拭いてください!」

 さっきから私は何を見せられているんだろうね、と老人はしみじみと呟く。


〈月の裏側〉の拡大に比例して、龍一と夏姫の役割もかなり変化した。現場へ出るのは相変わらずだが、それと同じぐらい他のメンバーの支援や斡旋、事後処理も行うようになった。

 ただし、それは楽になったことを意味しない。むしろその逆だ。

「夏姫、例の金庫をβチームが抜いた。プランBだが、成功は成功だ」

 さすがね、と夏姫はコンソールの前で満足げに呟く。「じゃこっちもタスクを進めましょ。『潜入スニーク』から『強襲レイド』に移行する頃合いね」

「……移行するまでもなく『強襲』に転じたみたいだけどな」龍一はやや渋面になりながら言う。

「予定は予定よ。進めば上等、進まなくてもそれはそれ」夏姫は平然と応えながら、視線移動アイコンと空間投影ボードへ入力を開始する。

「この分だと、増援は必要なさそうだな」

「ええ。いいことだわ」

 ──運送会社の輸送トレーラーに偽装した大型移動基地、今は尾樫貞信の遺品となってしまった〈機動作戦センター〉の中で二人はどちらともなく顔を見合わせて苦笑いする。

 警視庁に押収されたはずのそれを高塔百合子がどのようなルートで入手したのかは定かではない(崇に聞いても『聞いてどうするんだ、お前の部屋のインテリアにするわけでもないだろう』と素っ気なくあしらわれただけだった)。が、無線有線を問わず電話・インターネット・SNSの傍受と盗聴、〈ヒュプノス〉の情報共有能力を応用した暗号通信、夏姫の専用偵察戦闘バイク〈スナーク〉の整備基地、果てはレーザー砲やペレット射出システムと連動したアクティブ防御システムまでも備えた移動前線基地は、今の龍一たちには得難い装備であるのは確かだった。

「あの『金庫』の中にいた人たちは助かるのか?」

「……現状では難しいわね。『死んでない』というだけだから。最低限の生命維持だけで、いつか蘇生させられる技術が生まれることを祈るしかない」

「……そうか」

 互いにやや口調が重くなった。空気を変える必要を感じた。

「この調子で行けば数日もすれば未真名市の暗黒街は一掃されちまうぞ。……本当にやってのけるなんてな」

 正直なところ、龍一は舌を巻いていた。治安機関でさえ手を出しかねていた多国籍犯罪組織への複数同時攻撃を、〈神託オラクル〉と〈ヒュプノス〉のバックアップが可能にしたのだ。

「組織としては大所帯でも、それを構成するのは私やあなたと同じ、一人ひとりの人間でしょ。入ってくるはずの『商品』が届かなかったら? 大切な取引の拠点をめちゃくちゃに壊されたら? 商売を脅かす不届き者を懲らしめてくれる頼もしいセキュリティがいきなり消息を絶ったら? 自分たちの身がとてつもなく危険に思えてくるんじゃないかしら?」

「なるほどなあ」龍一は両手を頭の後ろで組んで椅子にもたれた。「よく望月さんの言う『犯罪の因数分解』って奴だな。こうも大規模なものを見たのは初めてだけど」

「大したものでしょ」そちらを向かなくても得意げな顔が見えるようだった。「それこそ私の『犯罪工学』の賜物よ。これによって『中国人マフィアの人身売買ルートを壊滅することで、日系ヤクザの麻薬取引を阻止し、さらにロシア人の資金洗浄システムに大打撃を与える』というが可能となった」

「……前から思ってるんだが君の言う『犯罪工学』って『風が吹けば桶屋が儲かる』をかっこよく言っただけじゃないのか?」

「もっとお洒落に言ってよね、もう」

 口を尖らせた夏姫は、しかし一転してにやりと笑った。「まあ、間違ってはいないけどね。それに『犯罪工学』の真骨頂はこれからよ」

 当然、彼女の目的は犯罪組織を退治して「それでおしまい」ではないのだろう。

「わかってるよ、君や百合子さんの狙いは。〈〉、そいつが君たちの仕留めるべき大物ビッグゲームなんだろう」

 夏姫の口調がやや改まった。「やっぱり気づいてたのね」

「ちょっと耳をすますと、誰も彼もがその名を呟いている。妖怪か何かか?」

「……プレスビュテル・ヨハネス。東の者は西にあると言い、西の者は東にあると言う。〈どこにもない、どこにもある国の王〉。全世界規模の犯罪金融と人身売買ネットワーク、軍事医療産業複合体、そして暗殺組織〈ヒュプノス〉、その全てに影響力を振るう人物」

 言葉を選ぶようにして彼女は言った。「都市伝説の類じゃないかという意見も多いわ。あまりに都合のよい存在すぎてね。人食い鬼ブギーマン地下世界アンダーグラウンドバージョンってところ」

「……〈どこにもない、どこにもある国の王〉」

 だが、龍一はその言葉を半分も聞いていなかった。「〈犯罪者たちの王〉……プレスビュテル・ヨハネス。もしかすると、

「……まだわからないわ」彼女にしては珍しい、言葉を選ぶような口調だった。「それが本当に……あなたの大切な人の仇なのかどうかは」

「だろうな」龍一は静かに言った。冷静な──冷静であろうと努めている声だった。


「〈インフラ〉が目指すものとは『誰とでも、何とでも換えの利くシステム』です」

〈ホテル・エスタンシア〉最上階、VIPルーム。デスクの周囲に立体投影像を浮かべた百合子の声が響く。

「金融・人員・そして軍事の流れを三勢力が意図せず互いに補い合う──他勢力の動きに支障が出れば即座に残る二つがそれを補正する」

「確かに、金には罪もなければ国境もありませんな」崇が平板な声で同意する。愛国心など精通を迎える前に燃えるゴミの日に出しちまったと豪語して恥じない男ではあるが、それでも目の前の図式に何も思わないではいられなかった。

「だからこそ、本来なら無謀と言うべき複数組織同時攻撃に踏み切ったのです。。それも日時を分かつことなく、ほぼ同時に。反撃どころか対応の隙さえ与えることなく。もっともそれは、龍一さんや夏姫さん、そしてあなたの尽力があったればこそですが」

「……おわかりでしょうが、報復も熾烈なものになりますよ。ましてやその背後にいるのがなら」

「望むところです」静かな眼差しであり、声であった。、と崇は密かに思った。


「今月だけでネットワークへの物理・電子攻撃件数が一千倍に膨れ上がっています。既存組織からは考えられない規模です。各国諜報機関、及び治安機構は何の動きも見せていません」

「考えるまでもない。相手はわかっている」

 事実上の宣戦布告か、と秘書からの報告を受けて男は呟く。「高塔め」

「いかがなさいますか? 投入可能な軍事請負企業ミリセクは既に数社ピックアップしてありますが」

 秘書の提言に男はきっぱりと首を振る。「いや、それはまずいな。ミリセクを使うにしても、資金ルートと情報の階層レイヤーを解析される恐れがある。むしろ高塔は、こちらの指揮系統を解明するために目を光らせているふしがある。うかつには動けん」

「しかしこのままでは……」

「無論、放置するつもりはない。ある意味では彼ら彼女らの目論見と、私の計画プランは一致しているからな。ただ……その日取りを勝手に決められては困る、というだけだ」

 男は少しの間思案し、やがて口を開いた。

「〈笛吹き男パイドパイパー〉を動かせ。例の計画プランと連動させる」

「かしこまりました」

 秘書は一礼し、退室する。残された男は低く呟く。

「私は私以外の犯罪者を全て殺し、私を止める者を全て殺す。

 私こそが全ての犯罪者たちの上に君臨する〈王〉であり、人類最後の犯罪者である」

 男は椅子の肘掛けを握り締めた──指が埋まるほどに強く強く。「邪魔はさせない、高塔家当主よ。たとえ君が、私にとって大恩ある人の孫であろうと」

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