第4話 神と銃弾(当日、12月31日)

【12月31日 午前8時

 ビジネスホテル『ムーンクレスト』】

 室内であっても吐く息さえ白く見えるような早朝の肌寒さの中、全員が黙々と装具の点検を続けていた。弾倉に銃弾を詰め、銃のサイトを調整し、装着した防弾ベストを互いに点検し合う。

「時間だ」

 尾樫の声と同時に、全員が一斉に立ち上がった。龍一もテシクもORSのメンバーと同様、防弾ベストとボディアーマーに身を固めている。ほぼ全員がHK416アサルトライフルを標準装備に、サブとしてホルスターにグロック19を装着している。ただしテシクだけはHK416ではなく、同社の半自動式狙撃モデルであるG28DMRを選んでいた。416の使用する5.56ミリ弾より強力な7.62ミリ弾を使用するバトルライフル仕様だ。「撃った敵が実は生きていてこちらの寝首を掻こうとしているかどうかなど考えたくもない」というテシクらしい選択だった。

 しかし――あのルツという顔の左半面に大きな火傷の痕がある女だけは、一人だけセルビア・ツァスタバ社製のM76狙撃銃を構えていた。テシクがどれほど強硬な説得をしようと、これだけは頑として譲らなかったらしい。あの口数は少なくとも寸鉄人を刺す男が、結局折れたのだから相当なものだと龍一は思う。

「好きにさせてやって、軍事アドバイザー。彼女は他のことなら何でも聞くんだけど、よほどその銃に思い入れがあるらしいの。私たちがいくら言っても駄目なんだから、ボスも最後には『まあしたいようにやらせてやれや』ですって」

 エマと呼ばれる欧米系のほっそりとした女性が笑いながら言い、その隣ではリクと呼ばれる中国系らしきがっしりした男が同意するように頷く。

 結局、テシクは本当に渋々とだが承知したのだった。「その手の『こだわり』とやらは、寿命を縮める程度の役にしか立たないぞ」と一言吐き捨てはしたが。

 やがて、例によってキリンのぬいぐるみをライナスの毛布よろしく抱き締めた島崎苑子が駐車場へ降りてきて、完全武装の一団を見て「すごい大げさだね……」と呟いいた。セルーの異様な姿には驚いたらしく、目を丸くした。「はじめましてソノコちょっとしたドライブに行きましょ」と差し出されたマニピュレーターを、おっかなびっくり握り返している。

 そして全員がそれぞれ割り振られた車に乗り込んだ。

 1号車はドライバーの陸呉、エマ、コウ

 2号車はドライバーのグェン、テシク、ルツ、保護対象の苑子、セルー。

 3号車(機動作戦センター)には尾樫、崇、そして夏姫。

「え? 望月さんはともかくとして、あなたも護送に加わるんですか?」

「当然だ。指揮官が身体を張らないと誰もついてこないからな」尾樫は胸を張る。心がけは見上げたものだが、そんな通り一遍の決まり文句を真に受けていいものなのだろうか。

「私たちは『シールド』と『ランス』だから先頭に行かしてもらうわね」エマが手を振って笑いながら1号車に乗り込む。何のことだろう、と龍一は訝しむ。

「先頭は彼女たちに任せておけば安心ですよ」と晃が含み笑いをしながら言う。「万が一襲撃があったとしても、させられますしね」

「よっぽど自信があるんだろう。あいつらに任せておけ」と崇。龍一は、彼がどうもどことなく不機嫌なのが気になった。崇の好きそうな大火力任務だというのに、こちらはこちらで釈然としない態度だ。

「出発します」グェンの声と同時に車が動き出し、地下駐車場を出る。今年最後の朝は、今にも泣き出しそうな気の滅入る曇天だった。

「始まったな……どうしたんだ? あんまり乗り気じゃないのか?」龍一はヘッドセットを通して崇に話しかけた。補正ソフトのおかげで小声でもクリアに伝わる特殊部隊仕様の通信機だ。

【お前らのことは信用しているし、尾樫の部下たちも優秀だ。そのやり方がお前らのお気に召すかどうかは微妙だがな。それに薄々気づいてはいるだろうが、あいつらは

 この男なりに龍一や苑子たちのことを気遣ってはいるらしい。ちなみに当の苑子は、セルーと打ち解けたのか携帯ゲーム機で(電源はセルーの『玉座』から引いている)夢中になって遊んでいる。

【お前らのことならまだいい。敵は自衛軍の『濡れ仕事』チームだぞ】

【不安要素は山積みね】と夏姫。

【……ま、どうにかなるさ。人生は問題解決の連続だからな】

 気楽な崇の口調に、龍一は頷いた。実際、どうにかならなければ困るのだが。


【同日、午後2時30分】

 想像はしていたが陰気なドライブになった。後方へ流れていく景色は数時間前から似たようなものしか映していなかったし、保護対象の苑子もさすがに飽きたのか、それとも眠いのか黙り込んでしまい、そして周囲の大人たちも元気づけようという気など見せなかったからだ。

【……このあたりの景色、俺の生まれ故郷に似てる】1号車の陸呉がぽつりと言う。【どこまでも続く一車線と、どこまでも続く成型一体型モジュール建築の安っぽいマンション。この国ならもう少し違うものが見えると思ったんだが】

「僕の出た田舎もそうですよ」ハンドルを握りながら2号車のグェンが同意する。「マンションを建設しているのは中国資本の建築会社で、食っていきたかったら日雇いで働くか物乞いになるかぐらいしか働き口がない。どこまで行っても同じような景色が続いていて、一生ここから出られないって気分になるんです」

景観ランドスケープに関する議論は結構だけど人間の生理的欲求についても気を配ってくれないそれとも終点まで降りないつもり?」

 セルーが唐突にそう言い出した理由はすぐにわかった――隣席の苑子が妙にもじもじしていたからだ。

【……正直なところ、いい加減ケツが痛くなってきた】崇が同意する。

【本当なら携帯用トイレで我慢しろというところなんだがそれも酷だな】と尾樫。【――よし、次の東砂とうさごICで全員一息入れるか】


「……まあ、確かに女の子が用を足すのに、武装した男たちがぞろぞろついていくのも何だかな」

「だろうな。きっと闇夜の照明弾みたいに目立つぜ……夏姫嬢ちゃんだけじゃなくて、ルツとエマも入口で見張ってるんだから大丈夫だろ。下手な男よりも腕が立つんだからな」

「同感だが……目立つかどうかについては、もう充分すぎるほど目立っているだろ」

 夏姫に連れられた苑子が小用に立っている間、小休止も兼ねてORSメンバーも交代で車外に出て強張った身体をほぐしていた。武器やボディアーマーの類は車内に置いてはいたが、彼らの雰囲気はどう贔屓目に見ても堅気とは言い難い。

 スモークガラス仕様のSUV2台に威圧感に溢れるトレーラーの組み合わせは、里帰り中の家族連れ軽自動車や初日の出を拝もうとするバイカーたちの間では充分すぎるほど目立っていた。たぶん「組」関係だとでも思われているんじゃないだろうか。

「とりあえず今のところは何もないな」

「今のところは、な」龍一の呟きに崇が答える。「起こるとしたらこれからだ。ビルを爆破し死体の山を築いている濡れ仕事部隊が、血を見ずに済ませるはずがない。この一件が明るみに出てみろ、奴らの方がおしまいなんだからな」

「俺が連中なら、長時間のドライブで気が緩み始める時間を見計らって襲う」やや陰気な口調でテシクが同意する。「長距離からの狙撃なら、難しくはない」

「それなら私の『目』に任せて現在IC中のカメラをチェック完了不審な人影なし」車内に残っていたセルーが言う。「時限消滅機能付きエージェントも残しておいた何かあったら報告が来るから」

「そいつは頼もしい……が、ところであれは何だろうな」

 崇の指摘通り、IC内を行き交う人の流れに異変が生じていた。スマートフォンやタブレット端末をいじりながら食事していた人々が、不安げにざわめきながら画面を指さし、あるいは顔を見合わせている。

 尾樫が、別人のように鋭い声を発した。「セルー、ニュースをつけろ」

「はいボス」

 セルーの操作に応じ、車内のモニター内にドラマの中でよく登場する白亜の建物が黒煙を上げているのが映し出された。

 ――数千人の職員と数万人の警察官が勤務し、全国数十万人の警察官を統括するあの最高機関の庁舎だ。

 周囲は幾十輌ものパトカーや救急車に取り囲まれ、今も救急隊員たちが担架で負傷者を運び出している。そのうちの幾つかからかけられた毛布の端から血まみれの手が垂れ下がっており、明らかに生気がない。

 まるで戦争だった――いや、実際そうなのかも知れなかった。

【臨時ニュースです。本日正午、東京都千代田区霞が関の警視庁本部庁舎に所属不明の遠隔操作式軍用無人車両ドローン2台が突入、重機関銃とグレネードランチャーによる攻撃を開始しました。ドローンは緊急出動したSAT狙撃部隊の対物狙撃銃により鎮圧されましたが、警察官を始め一般職員も含め死者26名、重軽傷者は158名にも上っており、今後もさらに増える可能性があるとのことです……】

 原稿を読み上げるキャスターの顔まで青ざめている。

「……これも『攻撃』か?」

「十中八九な。無関係にしちゃタイミングが良すぎら」

「相手が悪すぎる。防弾ベストに9ミリ自動拳銃じゃ、ひとたまりもなかったろう」尾樫の顔も心なしか青ざめて見える。「親父殿が役目を全うする前に、心労でぽっくり行かないか心配になってきたぜ」

「このまま予定通りに護衛を行って、案の定襲撃されるのか? どう考えたって襲撃側が二手、三手先行ってるじゃないか」

「もっともだ。この局面から俺たちが巻き返すのは並大抵のことじゃない。だが、打てる手がまったくないわけでもない。俺たちはその準備を充分にしてきたはずだ」崇はいつになく真剣な顔になった。「それに、俺にはもう一つ気がかりがあってな」

「どんなことだ?」

「……後で話そう。保護対象が戻ったらすぐ出発だ」その口調から、ORSの面々には聞かせたくない話なのだな、と龍一は即座に悟った。

【レーダーに反応】セルーが堅い声を上げる。【アイアンドームを自動迎撃モードで起動】

 曇天を背景に、何か黒い点のようなものが見えた。遠くからではわからないが、かなりの高速で移動しているようだ。

 トレーラーコンテナの一部が展開し、何かの光学機器めいた機構を露出させた。【直視しないで。――照射】

 ジッ、と何かが焦げるような音が発せられると同時に、空の彼方で鈍い爆音が響いた。地上の人々の間からどよめきが上がる。

「……自爆ドローンか。自己鍛造弾を搭載して真上からトップアタック食らわす奴だ。安い上に効果は絶大」

「それよりもトレーラーにレーザー砲積んでるのかよ……」

 やっぱり崇の知人というだけはある、と龍一は呆れる。

「龍一、ついて来い。たぶん襲撃されているのはこちらだけじゃない」

 テシクはそれだけ言うとほぼ走るような速さで女子トイレに向かい歩き出した。龍一でさえ容易に追いつけないような速さだった。

 龍一たちが凄まじい速さで歩いてくるのを見て黄色い悲鳴が上がる。人波が割れる中、周囲とは違う反応を見せる影が2つ――清掃員の制服を着ている男たちが、用具入れの中から何かを掴み出そうとしている。

 考えるより先に身体が動く。龍一は渾身の力を込めて彼らの傍らに体当たりした。軽自動車に撥ねられたように男が吹っ飛び、背からロッカーに激突した。周囲の悲鳴がさらに大きくなる。

「伏せろ!」

 テシクの反応もまた早かった。ホルスターからグロックを抜くなり立て続けに撃った。機関銃のような速射だった。それぞれの胸に一発、顔面に一発。ロッカーに激突した男がのけぞって倒れ、組み立て式の短機関銃を取り出そうとした男が血に塗れて崩れ落ちる。

「手洗いに来ただけで大変な騒ぎね」場違いなほど陽気な声に振り向くと拳銃を手にしたエマがにこやかに手を振っていた。背後では真っ青になった苑子がルツに肩を抱かれてどうにか立っている。

「手助けは余計だったか?」

「そんなことない。実際、この2人だけじゃなかったしね」確かに、エマの拳銃からはうっすらと硝煙が立ち昇っており、ルツが手にしたナイフからは鮮血が滴っている。

「こいつらがその何とか部隊なのか?」

「どうかしら。素人ではなかったけど、装備も練度もばらばらだった。現地調達された人数合わせかも」

「ま、詮索は後にするか。行こう、先導する」

 女子トイレから出ると、周辺は大変な騒ぎになっていた。先ほど流された警視庁襲撃ニュースでただでさえ浮足立っていたところへ、銃声を聞いて泡を食った女性たちが一斉にトイレから逃げ出したのだから無理もない。ぶつかり合う人々の怒号に幼児の泣きわめく声まで混じり、手が付けられなくなっている。

 車両まであと十数メートル、というところで新たな銃声が連続して沸き起こった。それも拳銃や短機関銃より遥かに重い、連続した銃声だ。停車していた車列のウィンドウが次々に砕け散り、タイヤを破裂させ、さらに逃げようとしていたドライバーたちの背中を容赦なくえぐった。

「ひでえ……滅茶苦茶だ」

 自販機の影に身を隠しながら、お前ら以上の無茶ぶりだな、とテシクが吐き捨てる。ルツに肩を抱かれた苑子は声すら上げられない様子だった。これはまずいな、と思う。おそらく家族が目の前で死んだ時のフラッシュバックが蘇りかけているのだ。

 間断なく銃弾を吐き続けていた機関銃が、くぐもった悲鳴とともに沈黙した。

「無事か!」

「すみません、遅くなりました。こちらも襲撃を受けていたもので」

 HK416を構えた崇と晃が駆け寄ってくる。

「保護対象は回収した。長居は無用だ」

「待てよ。これだけの騒ぎを起こしておいて、後は知らねえってか?」

「だったらどうした。救急車が来るまで手でも握っててやるか?」

 言うだけ言うと崇はさっさとトレーラーに乗り込んでしまった。龍一の抗議など意にも介さないという態度だった。

 泣きじゃくっている苑子の背をセルーがマニピュレーターでさすっている。その様子を横目で見ながら、龍一は何かがおかしい、と思った。

 セルーの「目」をかいくぐっての超長距離狙撃は困難だろうが、だからと言ってこんな派手な形での近接戦闘を挑むのはリスクが高すぎる。巻き添え被害コラテラルダメージが大きすぎて、成功しても割りに合わないはずだ。

 何か彼らなりの意図があっての襲撃なのではないか。

 ? だが、だとしたらなぜ?


【同日、午後4時】

 車内に戻ってきた苑子は泣き止んでいたが、目からは先刻にも増して生気が失せていた。目の前で人の身体が銃弾で穿たれるところを見せられたのだから無理はない。

【いい知らせと悪い知らせがある――いい知らせからだ。俺たちの車は警視庁が試験的に採用している軍事請負企業の所属として一時的にだが、警察車両として扱われることになる。つまりこの先の検問でもノーチェックで通れる。悪い知らせの方だが――やはり警視庁襲撃の直後で各地に厳戒態勢が敷かれていて、とても増援を回す理由はないそうだ。いくら親父殿の権限でも、そこまで無理は押せなくてな】

【ま、そりゃ初めから見えてなくもない話だわな。邪魔はしないが手助けもしないって条件でもぎ取った契約なんだろ】

 そんな尾樫と崇の会話を聞きながら、龍一は傍らの苑子に目をやった。「大丈夫か」

 気休めにしても酷いと自分で思った。大丈夫なわけがない――自分の言葉にウェブ漫画の吹き出しのような薄っぺらさを感じたが、それでも何か言わずにはいられなかった。

 ウィンドウの外を見ながら、苑子はぽつりと言った。「私がトイレに寄らなかったら、あの人たちは死ななかった?」

「そんなふうに考えるもんじゃない。『終点』まで我慢できるわけがないだろう。俺たちだって無理だった」

 セルーの『玉座』から伸びたマニピュレーターが苑子の肩をそっと抱いた。俺の言葉よりよっぽど効き目がありそうだ、と思った。

【龍一、また来たわ】後方のトレーラーから夏姫の張りつめた声で通信が入った。【後方から接近中の黒のワゴン。仕掛ける気配を隠そうともしてないわね】

 車内モニターが切り替わり、夏姫の言葉通りの車両を映し出した。トレーラーを含め各車両はかなりの速度を出しているはずだが、艶なし黒一色の車両は引き離されるどころかじりじりと距離を詰めてくる。獲物を見つけた鯱を連想させる不気味さだった。

【総員、警戒態勢。周囲にも気を配れ】

「上空から接近する飛行体群を感知先刻と同タイプの自爆ドローン」苑子の背をなだめるように撫でながらセルーが淡々と報告する。

【数で来たな】と崇。

「ああ。長時間のドライブで気が緩んだところへの第二波攻撃だ。おそらく第三波、第四波もあるぞ」

 宙を見つめていたセルーが顔を強張らせる。「ドローンへのクラッキング失敗おそらく画像認識と自律制御レーザーも通じていない耐光コーティングで弾かれる」

【無誘導のペレット射出ならいける】夏姫が声を張る。【弾道予測システムで飛行経路を先読みしてやる。皆、ドローンはこちらで対処する。目の前の敵に集中して!】

「わかった、そっちは頼む!」

「ナツキこちらからも修正データを送る後方のワゴンさらに加速敵影増加バイク3台!」

 黒のフルフェイスヘルメットと黒のライダースーツ、黒一色で統一されたバイクの群れが猛然と追いすがってきた。獣じみた素早さで側面に回り込んだライダーの手元で短機関銃の銃火が煌めく。2号車のボディが無数の銃弾で乱打され、苑子がかすれた悲鳴を上げる。

【各車、迎撃開始!】

 尾樫の号令を待たず、テシクはウィンドウから身を乗り出していた。銃弾が身を掠めるのを物ともせず、一挙動でG28DMRを構え、撃った。7.62ミリ弾を使用するバトルライフルの威力は凄まじく、ヘルメットに包まれたライダーの頭部が熟れすぎた果実のように粉砕された。蹴飛ばされたミニチュアのように横転し、たちまち遥か後方へ遠ざかっていく。1号車からも応射が開始され、回避しそこねたもう1台のライダーを無数の銃弾で引き裂いた。

 だがその隙にワゴンがさらに速度を上げた。ウィング方式のサイドドアが跳ね上がる。車内のヘルメットとバラクラバ帽、戦闘服からボディアーマーまで黒で統一された戦闘員たちが一斉に短機関銃の銃口を向けた。

 いや――その中の一人が、明らかに一回り大きい銃火器を構えている。取り回しをよくするためだろう、銃身と銃床を切り詰めてはいたが、

対物アンチマテリアルライフルだ! 回避しろ!」

 テシクの叫びに風切り音が重なった。防弾のはずのウィンドウをたやすく貫通し、龍一の顔をかすめ、反対側の扉から抜けた。衝撃波がまともに龍一の顔面を打ちのめした

「リュウイチ!」

「だ、大丈夫だ……」かすめただけなのに視界一面で星が散った。ボクサーのパンチをまともに受けたように頭が据わらない。

 戦闘の余波は周囲を走る一般車両にまで及んでいた。帰省中の家族連れミニバンや積荷を満載した大型トラックが次々と運転席を射抜かれ、ガラスの内側に血が付着する。前方の車両が次々と玉突き衝突を起こして停止した。グェンが見たこともないような必死の形相でハンドルを駆り、事故車の鼻先をぎりぎりのところでかすめる。銃声と呼ぶには重すぎる轟音がまた響き、サイドミラーを弾き飛ばした。後続のトレーラーは猛然とペレットを射出し続けているが、弾幕をくぐり抜けた自爆ドローンが1号車の至近距離で炸裂し、強化防弾ガラスに無数の亀裂が走った。

 とんでもない乱戦だ――ぐらぐらする頭をどうにか巡らせようとしながら龍一は呻いた。お互いを援護し合うどころか、自車両への猛攻を凌ぐだけで皆精一杯だ。

「あのワゴンとんでもない凄腕ですよ、僕が車の運転で前を取られるなんて初めてだ……!」

「操作系統への侵入失敗車両電子機器ヴェトロニクスだけでなくあらゆる装備をネットから寸断しているそれであの動きは正直人間離れだわ」

「龍一、生きているんなら援護しろ! 当たらなくていい、とにかく応戦して気を逸らせ!」

 仲間たちの声にどうにか応えようと龍一がHK416に手を伸ばした時、黒いバイクの最後の一台がテシクとルツの銃撃を交わしざま、全身にかかるGをものともせず猛然と前方へ躍り出た。今までとはまるで違う動きに車内の全員が目を剥いた瞬間、ライダーが手を広げて

 黒いライダースーツに包まれた肢体が凧のように風を孕んでふわりと浮き――凄まじい勢いで後方へ流れていった。

「何今の!?」

!」

 ガン! と車体に衝撃が走り、鈍く輝く刃がギロチンのように天井の装甲版を突き破った。防弾防圧防熱そして防爆が売りのはずの装甲がじりじりとバターのように切り裂かれ、長大な刃を逆手に握った全身黒のライダーが裂け目から姿を覗かせた。まるで死神のような姿に龍一や苑子ばかりか、テシクまでもが絶句する。

 刃が一度引かれ――そして苑子の顔面に向けて、柄まで通れとばかりに突き出される。

 耳障りな金属音が車内に響く。突き出されたセルーのマニピュレーターがそれを受け止めていた。驚いたことに、そのマニピュレーターにまでじりじりと刃が食い込んでいく。手加減などしていないことは、セルーの歯を食いしばった表情からも明らかだ。何らかのパワーアシスト機能か、それとも身体そのものへの強化措置か。

 濁った怒声が誰かの喉から迸っていた――龍一自身の喉から迸る怒声だった。

 一気に視界がクリアになった。広がった裂け目にHK416の銃口を押し当てるようにしてトリガーを力一杯引き絞る。照星の向こうで銃火が煌めき、金色の薬莢がばらばらとシートにこぼれ落ちる。銃弾のほとんどは相手の身体をかすめて空を切ったが、うち何発かは確実にライダースーツを射抜いた。アッパーを食らったボクサーのように黒い肢体がのけぞり、宙へ一瞬浮き、後方へ落ちた。

 首を後ろへねじ向けると、黒のワゴンが地面に伏したライダースーツの傍らに停車するのが見えた。各車両へ殺到していたドローン群も空の彼方へ飛び去っていく。第二波はここで一区切り、ということだろうか。

 荒い息を吐いていた龍一はひたすら震えている苑子と、マニピュレーターの調子を確かめているセルーの方へ目をやった。「……ありがとう」

「どういたしましてやることをやっただけよお互い様だしねそれにお礼よりも気にしてほしいことがある」

「どんな?」

 サーボ機構にダメージを負ったか不快なきしみを上げているマニピュレーターを眺めてセルーは苦々しい顔を隠していなかったが、それだけではなさそうだった。「さっきの襲撃チーム過剰なほどハッキングクラッキング対策をしていた明らかに私やナツキの存在を意識していたドローンだけでなく車両までネットから切り離していた電子兵装のサポートなしでも車を駆れる凄腕のドライバーまでセットでね用意周到というには徹底しすぎている」

「つまり?」

「内通者がいる」

 車内の空気が凍った。


 倒れていたライダースーツはすぐワゴン車内へ引き込まれた。走行を開始した車中で、指揮官然とした男が薄く微笑みかける。

「しくじったな、准尉」

「申し訳ありません、中佐。次の強襲では必ず……」

「次があるかどうかは微妙だ。〈ジャバーウォッキー〉の番だからな。獲物は班全員で貪らないと士気も上がらない」

「……了解しました」

 指揮官は微笑んだ。髪を短く刈り込んだ顔は端正だったが、冷え冷えとした雰囲気は周囲の兵士に勝るとも劣らない。「容易ならざる相手ということはわかっただろう。お前が油断していたとは言わないが、それでもなお甘いということはありうる」

「確かに……小学生の寝首を掻くなんて正直気乗りはしなかったんですが、あそこまでの手練れなら不足はありません」

「その鼻息を忘れるな。……ところで、肩は直しておけよ」

「え? ……ああ、失礼しました。痛覚制御ペインキルも良し悪しですね」

 はむしろわずらわしげに、鈍い音を立てて外れた肩を嵌め直した。


【同日、午後5時】

「内通者だと……?」

 時間の経過とともに重く暗くなっていく曇天の下、ORS車列はさきがけ市に面した大橋の橋梁下に展開していた。敵がドローンを保有している以上、当然の用心ではある。

 セルーの言葉を聞き、負傷者の手当や車両の修理のため車外へ展開していたメンバーの反応はまちまちだった。呆気に取られる者、考え込む者、少なくとも表面上は大したことでないように受け取る者。

「……まさかそんな」晃はORSメンバーの中で動揺を隠せていない一人だった。「セルーの電子防御をかいくぐって外部にこちらの情報を漏らせる者なんて、少なくとも彼女と同等のシステムと腕の持ち主ですよ。それに加えて、夏姫さんまで加わっているんじゃ……」

「俺は信じるぜ」打ち身に救急パッチを張りながら崇が顔をしかめる。「尾樫がへまをやったって可能性はもちろんあるが、こうも立て続けに行く先々で襲撃を食らうってのは、情報漏れだと思った方が手っ取り早い」

 顔や腕に生傷を負っているルツや陸呉はまるで表情を変えていなかった。そういうことはあるだろうがもっと大事なことは山ほどある、という顔つきだ。

 尾樫が数回手を打ち合わせる。「やめだやめ。身内を疑っても仕方がないだろう。――セルー、引き続き戦術ネットには目を光らせておけ」

【わかりましたボス】セルーは車内で周囲の索敵や道路状況の確認、ネットを通しての情報収集などを行っているため、表情まではわからない。

「崇、出発するのは構わないが、寄り道をするぞ。する必要がある」

「情報漏れの可能性を放置しておいても片づける要件なのか?」

「その対策をするために前に話していたCPチェックポイントに寄る。今の交戦で想定以上の弾薬を撃ち尽くした。補充も兼ねて火力を強化する。車だって応急処置程度じゃどうにもならないから交換する必要がある。……それにお前の言う通り、お互いを疑っているような状態じゃ命がけで戦えない」

「……そうだな」崇は防弾ガラスに罅が入りボディの表面が無数の銃創でささくれ立ったSUVと、それぞれの顔で押し黙っているORSメンバーの顔を見て頷いた。

 全員がそれぞれの車へ歩き出す。龍一は小走りに崇に駆け寄り、囁いた。「これを百合子さんは予想していたのか? 護衛チームに裏切り者がいるってことを」

「少なくとも俺たちはお互いを胡乱な目で見なくて済むわけだ」崇は振り向かずに肩をすくめる。「安心しろ、お前に探偵なんて柄じゃないのはご当主も先刻ご承知だ。内通者の炙り出しなんて土台無理だし、できたとしても――お前にそいつのドタマをぶち抜くなんて無理だ。全力で身を守れ。それが一番の近道だ」

 確かにそうだが、それでいいのだろうか。龍一は漠然と感じていた疑念が再び胸中で渦巻くのを感じ始めた。――内通者以前に、この護送任務そのものが怪しくなってきてはいないだろうか?


 尾樫が設けたCPは、さきがけ市との境に広がる廃コンテナ地帯、通称さきがけスラム内に位置していた。

 夕闇の迫る盆地全体に灯火がぽつぽつと点き始めており――自家発電機もしくは盗電によるもののようだったが――それに照らされる光景は、良くも悪くもそれなりに見ごたえがあった。

「驚いたわねえ」エマが感に堪えないという顔で呟く。「この国でヨハネスブルグみたいな光景を見られるなんて」

 崇が心外そうに目を剥く。「あそこまで物騒じゃねえよ。口が曲がっても文明的とは言い難いけどな」

「ここが文明的なら、さっきの東砂ICなんて大都会だ」とテシク。

「いいねえ。これぞ人間の剥き出しになった世界って感じがするぜ」尾樫はいささかどうかと思うくらいに上機嫌な顔をしている。

 会議の結果全員が行く必要はないだろう、となったので尾樫を筆頭に、交渉役の崇、軍事アドバイザーとしての役割を期待されたテシク、そして護衛のエマと龍一、という面子で目的地へ向かうことになった。夏姫やセルー、それに苑子は車内で留守番である。崇曰く――ある意味、銃撃戦以上にガキの教育には悪いからな。

 雪が降り出してもおかしくない寒さだったからほうぼうで焚火されているのはわからなくもなかったが、ヴァイキングのように毛皮を身体に巻き付けた、さもなければほとんど裸に近い格好の男たちが串刺しにした豚一頭(!)を、桟木をゆっくり回転させて丹念に焙っているのを見た時は、さしもの龍一もとんでもないところに来てしまった、と思わずにいられなかった。何もかもがとてつもなく野蛮だった。

「……あんたら、どこにでも現れるな」

 コンテナの影から現れた影を見て龍一は驚いた。武器商人の趙安国は夏に着るには暑そうな、かといって冬の服装としてはずいぶんと薄っぺらいジャンパーを着て、案の定ひどく寒そうで不機嫌だった。

「そりゃこっちの台詞だよ、趙さん。〈のらくらの国〉中心に商売してるもんだと思ったが」

 俺が頼んだのさ、と尾樫。「スペアの武器や車輛を預かってもらう代わりに、補充弾薬を優先的に買うのが条件でな」

「何だ、癒着もいいところだな」と崇が笑う。なるほど世間は狭い。

「俺ぁ商人なんだぜ……ビジネスチャンスとなればどこにでも行くし、顧客が多くて困るこたぁねえからな」

 趙は肩をすくめ、こっちだ、とコンテナの一つに一同を導いた。表情ほど不機嫌ではないらしい。

 コンテナの扉が閉ざされると同時に照明が着き、エマが目を丸くして口笛を吹いた。「これはまた、合衆国憲法修正第二条もびっくりね」

「それは褒め言葉って受け取っていいのかね、美人さんよ? 客が欲しいもんを揃えるのは商売の大前提だからな」

 コンテナの中央に長大な対空機関砲(もちろん、人が持てるサイズではない)が据えられているので龍一は呆れ果てた。「あんなもん、誰が何のために買っていくんだ?」

「さあな。何にでも穴を開けたがるマニアが欲しがるんじゃないのか?」

 別に知りたくはない。

 テシクは何の感銘も受けない様子でコンテナの中央に踏み込み、周囲をぐるりと見回してぼそりと言った。「戦闘用散弾銃を10と、通常の散弾・スラグ弾・照明弾。それに対物ライフルと重機関銃を各2挺ずつ、徹甲弾と炸裂弾合わせてありったけ。携帯式対装甲・対空ミサイルを2基ずつ。対車輛地雷1ダース。あと、そこの壁際にある対ドローン用のEMPガンももらおうか」

 趙は恨みがましい上目遣いをしたが、やはり見かけほど腹を立てているようには見えなかった。「お前らは確かに太い客だが、目玉を片っ端から買っていくもんだから他の客に売る分がなくなっちまう」

「客の欲しいものを売るのが商人なんじゃなかったのか?」

 言葉尻を捕らえる嫌な野郎だ、とこぼしながら趙は電卓を操作し、尾樫に差し出した。要求された金額を見て尾樫は一瞬嫌な顔をしたが、結局何も言わずに無記名の電子マネーで払った。


 趙から買った武器弾薬はコンテナ街の外れまで目つきの鋭い男たち(女も混じっているようだったが、見かけからはわからなかった)が届けに来た。尾樫は携帯用の盗聴器スキャナーを使い、買った武器と、今まで全員の装備していた銃器を全てチェックした。その後で、これ以上この件についての口外を全員に禁じた。それなりの対策を取らなければ統制が取れなくなることを彼なりに憂慮したのだろう。

 それから車両の整備を終え、交代で出発前のわずかな休憩を取った。


【同日、午後7時30分】

 広大な、広大なだけの土地の彼方で日が沈んでから数時間。藍色に染まっていた空は、もう完全に夜の色になっていた。

 埃っぽい単車線の左右に広がっているのは、自動農薬散布装置と収穫用ロボットによって区画ごとに管理される農業プラント地帯のような、現代の「田園地帯」ではない。

 単に打ち捨てられた廃村の、誰も手入れする者のいなくなった、荒れ果てた田畑だ。

【プラントを導入できなかった地域は、どこもかしこもこんななのかよ】と崇。【有り金かき集めて契約できねえ農家は死ねって言わんばかりだな】

【実際、私の祖父も父もそれで首を括ったんですよ。仕事をなくした上、先祖代々の畑まで企業に取り上げられてね。そのおかげで社長に雇っていただけたんですが】と晃。

【まさかこの国でもアメリカと同じ光景が見られるなんてね】とエマ。【そう言えば、あのプラントも中国人の……〈西海シーハイジーンテクニカ〉の設計だっけ】

 子供の前で陰々滅々とした話はやめろ、と龍一は言いたくなったが、尾樫や崇が何も言わないので黙っていた。これ以上空気を悪くする必要もないし、黙っていたらもっとたまらなくなる彼ら彼女らの気持ちもわからなくはないからだ。

 数十メートルごとに配置された街灯――それも割られて消えているのも一つ二つではない――以外光源のない、頭上に広がる星空は美しかった。空気が澄んでいるため、一つ一つの星がなおさら大きく見える。龍一はHK416を構えながら、それに目を奪われないようにするのに苦労した。

 龍一のスマートフォンに振動があったので何かと思って見ると、夏姫からのメールだった。星空の写真が添付してある。あなたが何に目を奪われているかなんておわかりよ、という彼女の意地悪い笑みが目に浮かぶようだった。

【全員、スペックス装着。夜間戦闘に備え暗視ノクトヴィジョンモードに切り替えろ】

「ボス後方500メートルからワゴン2輌東砂ICで会敵したものと同タイプ足回りを明らかに強化している防弾仕様車やトレーラーでは振り切れない」

【来たな。総員戦闘準備】

【……それと皆さん、もう一つ残念なお知らせがあります】夏姫の声は緊迫感を隠せていなかった。【新たに大型の飛行体を検知。機種判明――大型攻撃母機〈長元坊チョウゲンボウ〉と対人・対車輛用〈鷦鷯ミソサザイ〉】

 ――上空から、爆音とともに巨大な質量が降下してきた。全力に近い速さで走るSUVのウィンドウがびりびりと震えるほどの轟音だった。

 両翼に備えた可変推進エンジンで空を舞う、エイにも似た大型の強襲用ドローンが龍一たちの車列に追いすがってきた。その威容を見せつけるような、ゆったりとしたその飛び方は優雅ですらあったが、尾樫らの乗るトレーラーとほとんど変わらないくらい大きい。有人型の戦闘機であれば操縦席があるはずの機首はのっぺりとしたレドームになっていて、流線型の機体と相まって本当に海棲生物のように見えた。ゆらりと機体を傾けた拍子に、翼下に収納された、あの東砂ICで襲ってきた自爆ドローンがびっしりと格納されているのが見えた。

「ピーチクうるせえ雛鳥の次は親鳥か……!」

【本当だったら要塞や大型艦船相手にするような兵器よ。例の小隊とやら、ちょっとばかりキレてるわね】

 確かに、通る者もいない深夜の廃田とはいえれっきとした軍事兵器を暗殺任務に差し向けてくるとは思わなかった。尾樫が増援など呼んだところで意味はない。警官が十人二十人増えたところで、苦もなく皆殺しにされるだけだろう。

【道路を外れろ! 一直線だと上空から狙い撃ちだ!】

 まるで尾樫の号令を予測していたように、車列は一斉にハンドルを切り水の枯れた廃田へと突入していた。だが追撃者たち――今やドローンの上空支援まで従えた追撃車輛は動揺など欠片も見せずに追ってくる。

「ボスやっぱりドローン群への妨害は不可能ね短距離のレーザー通信らしいからジャミングもハッキングもできなさそう」

【龍一、EMPガンを使え】崇からの指示。【上空をぶんぶん飛んでる蠅を黙らせるだけでも助かる】

「わかった」龍一は足元のコンテナからEMPガンを取り出した。数本の指向性アンテナを束ねてポータブルTVとトリガーを付けたような、「銃」と呼ぶには異様すぎる外観だ。情けない話だが、人を撃たずに済むことに内心安堵した。

【敵火力の増大に対応し、〈盾〉と〈槍〉の使用を許可する。全火力を持って迎撃しろ!】

【了解、ボス】1号車のエマが小気味よく返答する。【陸呉、ご指名よ。みんな、少しだけ持ちこたえて!】

 テシクがG28DMRを撃ち始めるのに呼応して、ルツもM76による発砲を開始した。だが命中弾はワゴンのボディに当たって火花を散らせるのみで、命中はしても致命的なダメージは与えていない。

「内張りに防弾プレート。7.62ミリでも駄目か」テシクの口調がわずかにだが苦くなる。「埒が明かない。地雷を寄こせ」

【どうぞ】セルーのマニピュレーターがフリスビーそっくりの対車輛地雷と、セットになった起爆スイッチを掴んで助手席に差し出した。【安心して戦術ネットを見ながらでもこれくらいはできるから】

 どうも、とテシクは不愛想に受け取る。

 窓を開けたテシクの右手から車輪付きの対車輛地雷が後方へ飛んだ。先頭のワゴンは回避したが――その後方を走っていたワゴンの真下に地雷が滑り込んだ。錯覚には違いないが、龍一には地雷がワゴンの底部にマグネットで貼り付くがちんという鈍い音が聞こえたような気がした。

 間髪入れずにテシクが左手の起爆スイッチを強く押し込んだ。

 スペックスの対閃光機能がなかったら目が眩んでいただろう。夜の底に突如として数メートル近い火柱が上がった。爆圧の直撃を食らったワゴンがくの字にへし折れ、金属片と人だったものの一部が周囲に降り注ぐ。龍一たちの2号車にまでそれが降り注ぎ、苑子がかすれた悲鳴を上げた。

 あっちはテシクたちに任せておけば充分――というか俺の出る幕はないな、と思いながら龍一は上空を舞う〈鷦鷯〉にEMPガンの先端を向けた。付属しているモニターを使って照準を合わせ、トリガーボタンを押し込む。

 音も衝撃もなかったが、モニターの中で危なげなく飛んでいた〈鷦鷯〉が大きくバランスを崩した。突風に煽られた洗濯物のように、ふらふらと後方へ飛び去って行く。しばらくして数百メートル後方で火柱が上がり、鈍い轟音が伝わってきた。

〈長玄坊〉が翼下からばらばらと新たな〈鷦鷯〉を投下し始めた。龍一も必死でEMPガンを向けて落とし続けるが、何しろ数が多い。至近弾が2号車の真横に落ち、嵐の海に落ちた葉のように車体が揺れる。後方のトレーラーも、しきりに煙幕弾と電子攪乱グレネードを射出して防戦しているが、かろうじて凌いでいるというのが現状のようだ。

 たちまちEMPガンのバッテリーが尽きた。交換する暇も惜しくて龍一は歯噛みする。「数が多すぎる! 一体ずつ落としていたんじゃ切りがない!」

 たちまち崇の叱咤が飛んできた。【てめえこそタマ落としたか? 泣き言吐いてる暇があったらちゃきちゃき手を動かしやがれ!】

 空飛ぶ死神のように旋回する〈長玄坊〉――その腹の下にぶら下げている機銃とミサイル発射筒、擲弾射出機を搭載した兵器ステーション自体が別種の生き物のように蠢き、龍一たちの車列へと鎌首をもたげた。

 今にも文字通り火を吐こうとしていた兵器ステーションが――突如、真横から迸った火線によって根元からもぎ取られた。

「……は?」

 龍一は思わず目を瞬き、そして見た。――1号車のサンルーフを開き、エマが上半身を乗り出しているのを。

【みんなお待たせ。ごめんね、調整に手間取っちゃって。でももう安心。『揉め事は物理的に粉砕する』が我が社のモットーだもんね、ボス】

 対物ライフルと重機関銃を左右の腕に装着した支持架と直結した背負い式の強化外骨格を装着したエマは、特別製らしい顔面のほとんどを覆うスペックス(ほとんど夏姫たちのHMDに近い)の影で、口が耳まで裂けるような笑い方をした。龍一が目を剥いたのはそれだけではない――複数腕で火器を操るタイプの強化外骨格は珍しくはない。問題は、エマがもう一対の腕であの対空機関砲を持ち上げていたからだった。

【それじゃまあ――いっちょう粉砕しますか!】

 強化外骨格に装着された全火器が轟音を放った。ジャミングの影響を受けない無数の銃砲弾が曳光弾の淡い光を引いて飛ぶ。瞬く間に数機の〈鷦鷯〉が巻き添えを食らい、ぼろ布のように引き裂かれた。〈長玄坊〉はロールを打って逃れようとしたが、上がりかけた機首をエマの火線が捉えた。

 センサーの集中するレドームに無数の穴が穿たれた。バランスを大きく崩し、内部からも炎を吹き始めた〈長玄坊〉を徹甲弾と炸裂弾が引き裂いていく。エンジンが発火すると後は一瞬だった。スペックスの対閃光防御が作動するほどの爆発が機体全体を飲み込んだ後、龍一が戻した視界には何も飛んでいなかった。

 いつの間にか、地面を掃除用ロボットに似た無数の円盤が埋め尽くしていた。舗装もろくにされていない廃田であることを考えれば滑るような移動速度だ。それの表面がシャッターのように開き、複雑な内部機構を露わにした。

 複数の円盤が稲妻のような紫電を発した。円盤同士が発した電光が美しいアーチを描き、追ってくるワゴンのエンジンを一撃で停止させた。

【ナイス、陸呉!】

 エマの攻撃は後方を走るワゴンにも向けられた。飛行ドローンを打ち落とすほどの砲火が向けられたのだからたまったものではない。同乗する晃もHK416 を撃って援護してはいるが、それが線香花火にしか見えないくらいの火力だ。防弾仕様のワゴンがたちまち原型をとどめない鉄屑と化し、畦道に乗り上げて横転するまで数秒とかからなかった。

「〈盾〉が聞いて呆れるな。とんだインチキ火力じゃないか……」

【そうでもない。セルーのバックアップと〈機動作戦センター〉の処理速度がそろってなければただの置物だ】陸呉の声は、心なしか誇らしげだった。

【皆、生きてるな?】

【1号車、走行に問題なし】

【2号車、同じく問題なし】

【こちら〈機動作戦センター〉。同じく問題なしだ。よし――この先に山間部トンネルがある。速度を落とすな。突っ切るぞ】

 ――龍一は窓の外のそれに気づいた。

 数十メートル左手の荒れた田畑と畦道を、小山のような黒々としたシルエットが驀進している。昼間であれば凄まじい土煙が立っているだろう。

「……何だ、ありゃ?」

【エマ、照明弾撃て】

【了解】

 フレアガンから射出された照明弾が夜空を飛び――車線に沿って驀進する巨体を眩い光で照らし出した。

【……マジかよ】崇が呆れたような声を上げる。

 それのシルエットを無理やり表現するなら、甲虫にタカアシガニの脚を無理やり付けたような、とでも表現するのだろうか。 

 角のように前面へ突出しているのは市街戦用の低圧砲か。戦車の主砲に比較すれば威力は格段に劣るが、それは同クラスの戦車に対しての話だ。防弾仕様とは言えSUVやトレーラーが食らえばもちろんひとたまりもない。

「多目的多脚強襲プラットフォーム〈ジャバーウォッキー〉」

「兵器設計者がよくかかる病気だ」吐き捨てるようにテシクが言う。「空飛ぶ車、海陸空共有可能な誘導ミサイル、空中空母、あるいは潜水戦車、とにかく。あれもその一つだ」

「そこまで詳しいんならあいつの弱点もわからないのか?」

「無茶言わないで弱点どころか完成していたことさえ知らなかったのよてっきりアーセナルシップや原子力エンジン搭載爆撃機と同様歴史の狭間に消えた幽霊兵器だと思っていたくらい」

 旋回砲塔が完全に車列を向き、間髪入れず、撃った。火柱が夜の底に立ち、数メートルと離れていない箇所の土砂を大量に巻き上げた。

【弾道予測システム作動。敵砲及び誘導兵器回避の最適コースを各車に転送します。みんな、セルーのジャミングが成功するまで持ちこたえて!】

「電子欺瞞実行敵センサーに対するジャミング開始」

【敵がこちらの弾道予測を逆解析し始めた】セルーの声にこれまでにない焦りが混じる。【画像認識に対する欺瞞まで無効化されつつある敵は〈機動作戦センター〉と同等の処理能力を保有】

対電子戦闘ECCMを想定している。やはりこちらの手の内まで読まれている……」

【諦めるのはまだ早い。解析される前に奴を潰す!】

 阿修羅像のような姿のエマが全火器を〈ジャバーウォッキー〉に向けて放った。周囲が一瞬で昼間に変わったかと思うほどの砲火が〈ジャバーウォッキー〉の表面で弾け、装甲に眩い火花を走らせる。

 それに対する反撃は、ただ一度だった。

「……小型運動エネルギーミサイルCKEM

 火の玉と化した1号車がなおも慣性に導かれるまま〈ジャバーウォッキー〉に突進する。節足動物のような巨大な金属製の前足は、むしろ静かに降り上げられた。

 一瞬で振り下ろされた前足が、空き缶を貫く釘のように1号車を串刺しにした。

【1号車、通信途絶!】

「エマ! 陸呉! 晃!」

【あいつらは腹を括った。てめえが取り乱すんじゃねえや】

【崇の言う通りだ】かろうじて冷静さを欠いていない、という程度の尾樫の声。【この先はトンネルだ、あの図体では入れねえ!】

「駄目私の予想通りなら――」

 次の瞬間、ずんぐりとした〈ジャバーウォッキー〉の巨体から何かが噛み合うような音が連続して響き、水平に細長く

「…………は?」

 節足を生やした甲虫のような姿から、全体のパーツを組み替えて細長い竜のような姿になった〈ジャバーウォッキー〉は、たやすくトンネルの入り口をくぐり抜けてぐんぐんとトレーラーに追いつきつつある。

【そんな……】夏姫の声は呆然としていたが、無理もなかった。1号車の犠牲と引き換えに稼いだ距離がこんな形で詰められたのだから。

「あれのやばさは火力じゃない。あらゆる地形を踏破する能力と、あらゆる局面に対応できる火力を駆使できる柔軟性だ」

【あれの設計者がここにいたら、金玉の付け根から逆さに吊るしてやりてえよ】

「そんなことより今どうにかしないと、俺たちがバーベキューになっちまうぞ!」

 トンネルそのものを揺るがすような轟音が響いた。【やられた! エンジンに異常発生、速度が上がらない!】

「……いや」龍一は自分の構えたEMPガンを改めて見つめた。「多少をすれば、いけるかも知れない」

 バックミラー越しにテシクの目が龍一を見つめていた。「行けるのか」

 ルツがこいつら正気か、という目つきでテシクとこちらを睨んでいたが、テシクは気にも留めなかったので龍一も気づかない振りをした。「やれるさ」

「わかった。行け」

 龍一はEMPガンのバッテリーをありったけチェーンのように腰からぶら下げ、ワイヤーガンを手にした。突入作戦用に炸薬を内蔵した衝撃インパクトハンマーも背に負う。

 サンルーフから身を乗り出す寸前に、泣きそうな目でこちらを見上げてくる苑子の頭を少し撫ぜてやった。

 上半身を乗り出しただけで、凄まじい風圧が襲いかかってきた。後方から怒れる魔神のような〈ジャバーウォッキー〉の異形が、トンネル内のオレンジの光に照らされて迫ってくる。

【龍一が引っ付く! 総員、援護しろ! 残りの煙幕も全部使え!】

 トンネルの中が膨大な白煙で覆いつくされた。ガスマスクとスペックスからの戦闘情報がなければ何も見えなかっただろう。

 別に俺は死にたいわけじゃない――痺れたような頭で、自分がそう考えられるだけの余裕は残っていることにやや安堵しながら、龍一は2号車から飛んだ。射出したワイヤーアンカーが猛スピードでトンネル内を走る〈ジャバーウォッキー〉の胴体に引っかかる、確かな手ごたえ。電動ウィンチを作動させて全力で巻き取る。――いつか命取りになるかも知れない、馬鹿げた見栄って奴だ――!

〈ジャバーウォッキー〉の巨体が見る見る迫る。身体が宙を浮くぞっとするような数秒間、着地に備えた――その龍一の身体が、錘のように大きく振り回された。

「おおお……!」

 頭に血が昇る。トンネルの壁が凄まじい勢いで迫ってくる。このままでは壁の染みならぬトンネルの汚れになることは確実だ。

 

(動け……!)

 頭ではなく足からトンネルの壁に着地する。平地のように数歩走り、〈ジャバーウォッキー〉の背に向かって飛んだ。

 ぐらぐら揺れるとはいえ、これほど足裏の感触をありがたいと思ったことはない。

 立ち止まっていたら恐怖で身体が動かなくなることはわかっていた。だから足を止めなかった。白煙の中で早くも背面に設置された〈ジャバーウォッキー〉の兵器プラットフォームが動き出し、龍一に照準を合わせようとしていた。

 吠え声とともに衝撃ハンマーを振りかざし、接合部に向けて一閃した。鉄製のドアを紙のように打ち破るハンマーが炸薬で突起部を撃ち出し、装甲されていない接合部を大きく歪ませた。獣の牙のように内部機能を大きく損ねたプラットフォームががちがちと不快な音を発し、でたらめな動きを見せる。

 周囲の火器プラットフォームが動き出そうとするが、そのセンサーが火花を散らして撃ち抜かれた。テシクたちの銃撃だ。今は涙が出るほどありがたい。

 邪魔が入る前に蹴りを着ける。

〈ジャバーウォッキー〉の操縦席は――胴体だろう。あんなぶんぶん振られる頭部に人間のパイロットを乗せるなど論外だ。

 どっちみち、電子系統を全て焼き切れば終わりだ――!

 直結してチェーン状になったバッテリーを装着し、EMPガンを垂直に構えて撃った。これで止まるはずだ!

 止まらなかった。前にも勝る速度で〈ジャバーウォッキー〉は驀進している。もう龍一はしがみついているだけで精一杯だった。

 どうなっているんだ、いくら電磁シールドされていても回路を焼き切られてはまともに動けないはずだ。それともこいつ、まさか……!?

 急に視界が開けた。満点の星空が一面に広がった。トンネルを抜けたのだ、と思った次の瞬間には、急停止した〈ジャバーウォッキー〉の背から龍一は放り出されていた。

 あ、と思う間もなかった。


【落ち着いたか?】

【はい。……中佐、ごめんなさい。僕、あいつが向けてきた銃から変なものを浴びせられて、目を回しちゃって】

【神経系をシールドされていても電磁パルスの至近照射は辛いか。まあいい。奴らの〈盾〉と〈槍〉を潰せたのは大きいからな】

【わかりました。今度こそ、うまくやります】

【その調子だ。さあ、次が最後だぞ。奴らが、今が攻め時だ】


 小石のように身体が高々と宙を舞った。星空が縦に一回転し、地表へ真っ逆さま――

(動け!)

 受け身を取れたのは奇跡に近い。それでも小石のように5、6回転は転がり、畦道で跳ね上がって背から叩きつけられた。アスファルトだったら全身が卸し金にかけられたようになっていただろう。

 身体中の骨という骨が砕けたような衝撃だった。何か黒い大きな影がのしかかっているようだった。おい、今お前は死神に品定めされているぞ、と自分に言い聞かせたが、どうにもならなかった。龍一の意識は途絶えた。


(第5話『テーセウスの船』へと続く)

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