第4話 神と銃弾(幕間:第6の戦場、12月28日)

「演習プログラムはこちらで用意したわ着いてきて電気食うからあまり使えないんだけど今日ばかりはボスの許可が下りたわあなたラッキーねこのトレーラーのバッテリー使って構わないんですって」

 息継ぎもせずセルーは一息に言うと先に立ってさっさと「椅子」――名称を知らないので相変わらずそうとしか呼びようがない――で移動を開始してしまった。意外に早く、夏姫は小走りでないと追いつけない。

「電子戦の経験はある?」

「あるわけが……」言い直す。「ないわ」

濡れ仕事ウェットワークスに慣れるのと同じぐらい簡単だからすぐ慣れるでしょわからないところを教えるのが私の役目だしそれにあなたにもできるわよ私にだってできたんだから」

 頷いた夏姫の目を、黒葡萄のような一対の目が覗き込んだ。

「その前に聞いておく――これからあなたに教えるのは明確な殺しの技よ負傷した兵士に包帯を巻いて戦場へ送り返したり弾切れの銃に弾丸を装填して手渡すのと同じぐらいかもっと容赦ないあなたにその自覚は? やれる?」

 夏姫は躊躇し、そしてようやく思い当たる。龍一も、テシクも、おそらくは崇も、この質問に幾度となく直面したのだ。

 声こそかすれはしたが、はっきりと言った。「

 黒葡萄の目が細められる。笑ったらしかった。「オッケーそれだけが聞きたかった始めましょHMDヘッドマウントディスプレイは自前のを持ってきたのね好都合だわあなたも他人の借り物なんて使いたくないでしょ」

 そう言うと同時に床から伸びた爪が「椅子」をロックし、トレーラーの壁面全体がモニターに切り替わった。

 夏姫もHMDをかぶるため髪をまとめつつ、彼女の異様な「椅子」の方に目が泳いでしまう。

「これが気になる?」

 向こうから言われた。「……ごめんなさい」

「謝ることはないわ誰でもまず最初にそちらに目が行くだろうし私はニューデリーの出なの」

 その名前を聞いて無関心でいることは難しかった。「暴動があったって聞いたわ。それ以上のことは知らないけど。それじゃ……」

「いいえのはムンバイの実業家の家へメイドに出された後よ貧しさからは逃げられたけど化学兵器からは逃げられなかったってわけ。結局は脳の半分を腐ったココナッツみたいに掻き出す羽目になってメイドすらもお役御免になったんだけどね貧民救済プログラムで放っておけば売春窟へ叩き売られるかわいそうな娘を雇う余裕はあっても寝たきりになった娘まで世話する余裕はさすがになかったみたい」

 夏姫はぞっとして身体を震わせた。「何てこと」

「でもそのおかげであなたの国の言葉で何て言ったかしら『捨てる神あれば拾う神あり』? 私の頭を配線し直してもらった上にこの『玉座スローン』を貰えたのよ感謝はするべきよねずいぶんと後ろ暗い研究機関だったらしくて私がそこから出てボスに雇われるまでにはもう少しややこしい経緯があるんだけど」

 玉座、とはまた奢った名前だがその名称者の気持ちもわからなくはない、と思った。どっしりとしていて堅牢で何一つ不自由さを感じさせるものがない。

 夏姫は改めてセルーの横顔を見た。褐色というより漆黒に近い肌、可愛いや美人と形容するにはやや造作の立派すぎるどっしりとした鼻筋と顎。自分より1、2歳年下のようではあるが、実年齢以上のふてぶてしさが全身から放たれている。

「でも身の上話はこのへんにしておきましょうか時間が惜しいしそもそもあなたもうって顔してるもの」

 夏姫の視線を気にもかけない調子でセルーが言い、慌てて夏姫はHMDを装着した。セルーの背後から伸びたマニピュレーターがHMDをカウボーイハットのように指先でくるくる回し、宙に放った。見事彼女の頭部にすぽりと収まる。

「……便利ね」

「でしょ?」セルーは幾分か得意そうだ。

 視界の彼方まで埋め尽くすワイヤーフレームの海が、一瞬にして現実の繁華街に変貌する。目を凝らせば道行く人の顔や看板の端などにわずかなグリッチが見て取れるが、それ以外はまるで実写映像を観ているような鮮明さだ。

「プログラム自体は米軍特殊作戦軍の市街戦用VRシステムから流用したわアップデートで原型なんてとどめないくらい私が弄っているけど」

「無茶苦茶するわねえ……バレたらどうするのよ?」

 セルーは不敵に笑った。「彼らの方でそんなものがここにあるなんて認めたがらないでしょ誰だって偽善者から失業者になりたくないもの」

 こいつ結構性格悪いわね、と夏姫は呆れる。

「経験は?」

「え?」まさか男性経験のこと聞かれてないわよね、と躊躇した後で夏姫はそれが濡れ仕事について聞かれているのだと思い当たる。やっぱり性格悪いわ、こいつ。「……ドローン遠隔操作とそれを介しての監視機器への上書きオーバーライドと通信傍受ぐらい。それ以上となると現場に出る必要があるからお前にはまだ無理、って」

「上等よを現場に持っていかないと何もできない人たちにあなたがどれほどのことができるのか見せつけてやってよそんなこと言ってる肉人形ミートボーイだって神でもなければ超人でもない私たちの仕事は彼らが間に合わなかった時に間に合わせる仕事何をどうするかですって? 

 視界内に異変が生じた。餌を運ぶ蟻のように一糸乱れず行き交っていた人波がわっと割れ、黒光りする異形の影が停車してあった車の群れを容赦なく押し潰す。――冷却用スリーブに包まれた長大な砲身と、アルマジロのような追加装甲が特徴的な主力戦車MBT

「スタートからゴールまでにこの国が展開できる最大戦力を計算した同士討ちにならないぎりぎりの範囲でね」

「え、それってまさか……」

「主力戦車3輌歩兵戦闘車IFV5輌対戦車攻撃ヘリ6機完全武装の電子化小銃歩兵デジタル・インファントリー1個連隊155ミリ榴弾砲・精密誘導砲弾仕様その全てとデータリンクした陸上・飛行偵察ドローン40機その指揮管制車」

「……ねえ何を相手に戦争するつもりなの? 米第7艦隊? それとも海から上がってくる形状しがたい何か?」

「現実よりシミュレーションやっても意味がないでしょ忘れないでこれ私だけじゃなくてあなたもこなせるようになる必要があるのよ」

 無茶苦茶ではある。夏姫は呆れた――だがそれは、夏姫の好みの無茶苦茶であることも確かだった。

「そうね。あなたの言う通りもっと単純に考えた方が良さそう――要はゴールに着けばいいわけね?」

「わかってるじゃない始めましょ」


「お忙しいところすいませんね。こちらも結構な感じで火がついてまして」

「なあに、君のところのご当主にはお世話になっているからね。子供の命がかかっているとなればなおさらだ」 

 崇がカレールーの上に落とした卵をスプーンでかき混ぜている間、目の前の男はもうハンバーグを綺麗に片づけていた。。軍人の食事の仕方だ、と崇は思う。

「殺された内務監査官は、本人が思っていた以上の厄ネタに触れちまったみたいだな。どう思われますか赤星光太郎

 度の強い眼鏡のせいでハリウッド映画のコミカルなエイリアンに見えなくもない男は口元を拭いている。「僕も腐っても軍人。身内は売れないよ」

「身内を売るのは気が引ける。不実な身内を売るのは喜んで」

「わかってるじゃないか」棟方はナプキンを丁寧に畳みながら澄ました顔で言う。

「〈つるぎかい〉という名前を聞いたことはありますか?」

「例のリストにあった名前だろう。あるよ。族議員と兵器メーカーの重役、それに旧自衛隊のOBクラスによる勉強会って話だけど。米国からの独立と日本の軍備増強、中国と統一朝鮮への強硬姿勢を打ち出す人々の『勉強会』なんてどんなものなのやら」

「だんだん陰謀論じみてきましたね……『特殊装備運用小隊』の方は?」

「名前だけは。そういう非公然部隊を飼っているという噂は根強いよ。ハニートラップに引っかかって国外へ情報を漏らした官僚を殺したり、どこまで漏らしたかを調べるために拷問にかけたりする……まあ、間違っても自分のお祖母ちゃんに聞かせたくないような話さ」

「陰謀論の次は都市伝説ですか。で、その非公然部隊とやらが死体の山を築いてでも証人を消したがっている、と……そこまで血眼になるネタってのは何でしょうね」

「わからんねえ。ただの贈収賄だったらほとんどの日本人はで済ませそうなもんなんだけど」

「クーデターでも計画しているのかな?」

「それこそ『まさか』だね」赤星はコップの水を口に含みながら言う。「クーデターなんか計画しようもんなら、その日のうちに逆クーデターを起こされて潰されちゃうよ。第一、今の軍にクーデターを起こす必要性なんか欠片もない。誰にもうまみがないんだもの」

「確かに……最近は軍出身の議員も増えてきましたしね。そうすると何だ?」

「核」

 しばらく、2人の間を沈黙が結んだ。

「君も薄々想像はしていたんじゃないのか? 見せてもらったリストの中に、明らかに核兵器に流用可能な設備と臨界実験のためのシミュレーション装置、それに精密誘導装置を製造可能な企業が数社あったよ」

「日本が核武装して何になるってんです? 原発一つ満足に運用できないのに。立てて拝むんですか? そういや、そんな小説がありましたっけ」

「米軍の核戦略の一環としてなら、笑い話じゃ済まなくなる」

「……なるほど。だいぶ話が見えてきましたよ。米軍の関与は考えなかったわけじゃないが、そこまで絡んでるとなると……」

「ついでに言えば、米軍相手には軍の内務監査もつい及び腰になるからね。監査を逃れて何かをするつもりなら、アメリカさんを一枚噛ませるってのは、まあ一つの手だね。参考になったかな?」

 崇は伝票を手に立ち上がった。「充分すぎますよ。ありがとう」


 目の前で極彩色の閃光が煌めき、視界が暗転する。

 だあっ、と夏姫はHMDをむしり取りながら良家の子女らしからぬ雄叫びを上げてしまった。「どうすりゃいいってのよこんなの! 圧倒的な敵勢に少数で立ち向かいあえなく蜂の巣にされるなんて『ワイルドバンチ』の中だけで間に合ってるわ!」

「あんまりしないでナツキここから見てるとそうね確かに一息入れた方が良さそうよあなた」人の腕より関節が多いマニピュレーターがスポーツドリンク入りのチューブを差し出してくる。「飲む?」

 夏姫はセルーを睨みつけたが、結局黙ってチューブを受け取った。「……そうね」

「あなたよっぽど自分の力に自信があるのねお世辞抜きですごいとは思うわほとんどの人は上手くいかなくて苛立つ前にパニックに陥るものでも言っちゃ悪いけどあなたそれを鼻にかけてるところがあるわねただでさえドローン遠隔操作と監視機器へのオーバーライドに敵通信傍受を行っているのに敵のタグ付けと画像強調と味方への警告に加えて敵誘導兵器妨害と車両操縦系統介入まで行ったら生身の脳なんて幾つあっても足りないわそうでしょ?」

 夏姫は黙ってストローを咥えた。腹は立ったが――図星でもあったからだ。

「指先が焦げるほどキーボードを叩くくらいなら自分の手を千単位でオーダーすればいい飽和攻撃でマルチタスクが間に合わないなら億単位の分身エージェントに肩代わりさせればいい脳が焼き切れる寸前まで計算するくらいならクラウドから資産リソースを借りてくればいいそんな『自分でなくともできること機械マシンでなくてもできることミートにでもできること』にネットを使わないでもっと本当の意味で自分の全身でネットを感じ取って」

 機械の中の少女は静かに、だが誇らしげな口調で夏姫に言った。「ようこそナツキ第6の戦場ブレイン・ウォーフェアへ」


 棟方と別れて店を出たところで、尾樫から着信があった。

【悪い知らせだ。島崎苑子を匿っていたホテルが爆破された。本人が身柄を移されて30分もしないうちにだ。たぶんメッセージだろう……逃げられると思うな、ってな】

 崇は無意識のうちに唇を舐めた。「いよいよケツが詰まってきたな。わかった。そろそろ龍一たちを呼び戻す頃合いだろう。いい感じに揉まれたみたいだからな」

【そうだな。後で邂逅地点を送る。準備を始めてくれ】


 角を曲がると同時に『ホテル・シャーウッド』のライトアップされた正面玄関が視界に入ってくる。それを覆い隠すように、上空から不吉なシルエットが舞い降りてくる――「空飛ぶ戦車」の名にふさわしく、機銃とロケット砲と対戦車ミサイルをウェポンベイに満載した戦闘ヘリだ。後方の曲がり角からも、奇形の四足獣じみた戦車がゆっくりと姿を現し、砲身を向けてくる。随伴歩兵たちがその周囲を取り巻き、数名が容赦なく対戦車火器をこちらに向けた。

 

 偵察ドローンのデータリンクを逆に利用し、航空電子機器アビオニクス火器管制システムFCSに介入、ヘリの機銃で周辺の随伴歩兵を一掃。対戦車誘導ミサイルの敵味方識別装置IFFと画像認識シーカーを上書きオーバーライド、標的を後方の戦車へ書き換える。念のため戦車自体の電子操縦機器ヴェトロニクスにもウィルスを送り込んでダウンさせておく。

 真上から二重タンデム式弾頭の直撃を受けて砲塔自体が吹き飛び、一瞬遅れてヘリが地上へ真っ逆さまに落下する。

 爆炎の中から七色に輝く〈Congratulations!〉の文字が出現し、安っぽいファンファーレが鳴り響いた。

 しばらくして夏姫はぽつりと呟いた。「これあなたのデザイン?」

「そうだけどなぜ?」

「プログラムは見惚れるほど美しいものを書けるのに、どうしてクリア時の演出だけこんなにダサいわけ?」

 傍らで明らかにセルーがむっとした顔をした。自信があったらしい。「そこまで言うなら次はあなたがデザインして今のあなたの手際みたいなクールな奴をよ」

 夏姫は微笑んだ。「任せて。思いっきりのを用意するわ」

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