第4話 神と銃弾(幕間:天国と泥、12月27日)
その年のクリスマスを、龍一はフィリピンの泥地で迎えた。
舗装さえされていない、半ば獣道に近い道――それとて森林の中では稀有な方だ――を、4WDの全天候型タイヤが泥を蹴立てて疾走する。当然、運転はドライバーの腕に関係なく嵐の中の客船のようにひどい揺れで、後部座席の龍一はレールガードを装着したAKカスタムを取り落とさないよう、さらに隣席の「
「ドローンからの通信が途絶えた」ハンドルを握るベトナム人の青年グェンがやや堅い声で言う。「来るよ、龍一」
次の瞬間、左側の茂みが爆発するように割れ、黒光りするランドクルーザーが怒れる獣のように突進してきた。
「
凍り付く龍一を尻目に、助手席で待機していた顔の半面を火傷に覆われた女――ルツがAKカスタムでウィンドウを容赦なく叩き割り、間髪入れず撃ち始めた。
俺も応戦しなければ――反応しようとした龍一の全身を凄まじい衝撃が襲った。横腹から追突されたのだ。敵のランクルがフロントノイズを4WDのドアにめり込ませるような形で停車する。車内は粉々になったウィンドウで惨憺たる有様だ。
必死でハンドルを操るグェンの顔面に朱が弾けた。フロントガラスを破った銃弾が頭部を直撃したのだ。
「降車!」
ルツの叫びに背を蹴飛ばされるように、龍一はパッケージの肩あたりを掴みながら車外へ転がり出た。
振り向いた龍一の目に、車の影から後方へAKカスタムを撃っていたルツが喉から血を噴いて崩れ落ちる姿と、物陰から忍び寄ってきた覆面が目に入った。そいつの手にするコンバットナイフの輝きが異様に禍々しく龍一の目を射た。
だが龍一も伊達に刃物相手の格闘をこなしてきたわけではない。
左手でパッケージを突き飛ばし、反動を利用して右手でホルスターからグロックを抜き出す。先端に取り付けた近接専用のマズルスパイクを相手の肩に叩きつける。呻いて前のめりになった相手の腕をねじり上げ、もう一人の方へ盾として突き出そうとする。
胸と腹へ立て続けに銃弾を食らう方が早かった。
――時間の流れが元に戻ってきた。内臓と骨まで直接響くような衝撃に、龍一は足元の泥の上に膝を着いてしまった。深呼吸ができない。脂汗が勝手に滴り落ちてくる。
「何度言ったらわかるんだ? 相手が刃物で挑んできたからって、こちらも律義に付き合う必要はないんだぞ。美学は結構だが」テシクは足元に転がる『パッケージ』役――丸めた毛布に防弾ベストをかぶせたダミーだ――さらに数発ペイント弾を撃ち込んだ。「それは自分とパッケージ両方を守れてからにしろ」
「そう彼を責めないでやってください、テシク」泥の中に転がっていたもう一人が立ち上がり、覆面の下から落ち着いた壮年の男の顔を覗かせた。苦笑交じりに取りなそうとする。「私に対処した腕はかなりのものですよ」
「あんたもあまりこいつを甘やかさないでもらおうか、
塗料まみれになった毛布を見下ろしている龍一の顔をちらりと見て、ルツがすれ違いざまに肩を叩いていった。よほど情けない顔をしていたらしい。
クリスマスイブの夜、その日最後のニノイ・アキノ国際空港行き最終便に放り込まれた龍一が到着したキャンプ地は、フィリピン軍の特殊部隊がジャングル戦の演習に使用する、れっきとした軍の施設だった。そこで堂々と実弾演習をできるあたりに尾樫の影響力がうかがえる。
ORSのメンバーは龍一を小馬鹿にすることも、子供扱いにもしなかった。彼ら彼女らはとりたてて獰猛でも、エキセントリックなところもない気さくな男女であり、龍一を自分たちの新たな後輩として、あるいは弟分として扱ってくれた。ただしその手にする刀剣や銃火器に関しては本物であったから、龍一は油断しなかったが。
そして特筆すべき点として、龍一は初めて銃を撃った。
甲高い銃声が残響を引き、青空に吸い込まれていく。
「肩に力を入れすぎだ」少し離れて龍一のフォームを観察していたテシクが言う。「狙いがずれるだろう。お前が使うヌンチャクやトンファーと同じだ。必要な瞬間に適度な力さえあれば、緊張は必要ない」
「わかった」
「もっと数を撃て。そうすれば、どこで力を入れてどこで抜くかのタイミングも見えてくる」
龍一は頷き、静かにトリガーを引き絞った。手首を蹴られたような反動があり、銃口がわずかに跳ね上がった――だが、今度は予想していたためか、それほどきつくはない。
これをいずれ誰に向けることになるのか。テシクは、崇は、そして百合子さんは、誰に向けさせるつもりなのか。そして俺は、その時トリガーを引けるのか――そんな分別臭い思考が脳裏をかすめた。だが、鼻を突く金臭い硝煙の臭いと、手首から伝わる反動にすぐ押し流されて消えた。龍一はさらに撃ち続けた。
【送られた動画を見た。手こずってるみたいじゃないか。ぐにゃぐにゃの鉄棒だって真っ直ぐに矯正できるお前にしちゃ、珍しいことにな】
「手こずっているよ……自分でも意外なことに」
【……あー、実はな、薄々予想はしてたんだ。やっぱりあいつにとっての『あの人』が銃で殺されたってのが一番堪えてる感じだな。もっともそれが今までは好都合だったってのはある。銃を使えばどうしたって『暴力の応酬』はエスカレーションするし、下の毛もろくに生えそろわない餓鬼に『これ一挺で何でもやってのける』と思い込ませるなんて害にしかならないからな】
「本人の中に銃に対する強い禁忌があることは、悪いことばかりじゃない。それは簡単に捨てていいものじゃないからな。だがこれからは、それでは困る。心が迷っても銃は撃てる――それができるようになってもらわないと。でないと誰かが、あいつのしくじりで死ぬことになる」
【お前だって充分あいつには甘いじゃんかよ。あいつはただでさえ近接戦思考なんだから、拳銃に専用のスパイクなんか取り付けてやったら嬉々として殴りに行くに決まってんだろ】
「用途に合わせて靴を選ぶようなものだ。銃だって向き不向きがあるだろう」
【大体、マズルスパイクってのは何なんだ。そりゃ銃持ってるのに格闘戦へもつれ込むこともある時はあるだろうが、だからって肉叩きハンマーみたいなトゲトゲを拳銃に付けて殴りに行くか? どうかしてるぜ】
「アメリカ人は別にお前を笑わせるために設計したわけじゃないぞ。とにかく、もう少し時間をくれ。当日までに何とか動けるようにはする。ご当主からは既に前金を貰っていることだしな」
【頼むぜ。あいつが棒立ちのまんま穴だらけになるなんて俺は見たくないし、それはお前だってそうだろう?】
「言われるまでもない。……そちらは何かわかったのか」
【尾樫から例の『ご託宣』で名前の出てきた組織や金の流れを洗ってみた。『敵』の名称、わかったかも知れん】
「ほう?」
【複数のダミーカンパニーを通じて、国防省直轄下のある部隊のみに機甲連隊に匹敵する予算が注ぎ込まれている。……統合自衛軍・特殊装備運用小隊】
「統合、と呼ばれているということは、陸海空どの部隊でもない?」
【お察しの通りだ。名目上は三軍の仕切りなく制式装備のテスト運用を行う実験部隊ってことになってるが……調べれば調べるほど臭いぜ。よくこんな怪しげな組織が『国防白書』に名を連ねてるもんだと思うよ。指揮官も兵士も名前は一切不公表、明らかになっている所在地は国防省の直轄研究地のみ。思うに歴代の内務監査部は眼鏡の度を違えたか、今晩のおかずのことで頭が一杯だったんじゃないかな】
「自衛軍の
【まあ、警視庁が傭兵を雇うご時世なんだから、自衛軍だって似たようなのを飼っててもおかしくはないわな。とは言え……どうも尾樫の奴も何かを隠してやがる気がするんだよな。護衛任務への準備と並行して、ケツを撃たれない工夫もしておいた方がよさそうだ】
「わかった。そちらは頼む」
その日の夜、龍一があてがわれた宿舎の食堂で山羊肉のシチュー(味はともかく、肉の固さと獣臭さには閉口した)に四苦八苦していると、テシクが向かいに座ってきた。
「なぜ撃たない」テシクは真正面から切り込んできた。周囲の者は無関心を装って食事を続けているが、その実興味津々であることは明らかだった。
「……銃は苦手だ。故障しやすい、引き金を引かないと絶対に殺せない、おまけに臭い」
「人間も同じだ。適度に休ませないと機械と同じように壊れる割りに、早さと正確さでは遥かに劣る。おまけに臭いつきだ」
龍一はやや上目遣いになった。そういう混ぜっ返し方は好きではないし、そういう話し方をする時はこの男が少なからず腹を立てている証拠でもある。
「それともお前、銃で撃つよりも殴り殺す方がヒトの温もりを感じられる、なんて思うクチか?」
龍一の顔を見て、テシクは言いすぎたと感じたらしい。「銃を好きになれとは言わない。だがそれなりの敬意を持って触れろよ――でないと、銃の方がお前を殺すぞ」
そう言うと、呆気に取られるほどの速さでシチューを平らげてさっさと食堂を出てしまった。周囲で全身を耳にして聞いていた者たちが明らかに安堵していた。
その晩、龍一は自室で自分に渡された拳銃を手にしばしの間考え込んだ。
テシクの言う通りだ――何のかんの言っても、これは鋏やハンマーと同じ道具だ。それに向かって好きだの嫌いだの言うのは、銃をハニーだの愛称つけて呼ぶ気持ち悪い連中と大して変わらないんじゃないのか?
考え込んだ末、もう一度最初から、もう少し慎重に分解掃除をしてみることにした。
次の日、射撃場に続く控室で銃を整備しているとテシクが近寄ってきた。整備中であるのを見て取ってだろう、声はかけなかったが見つめられていることはわかった。
銃身の中をクリーニングブラシで磨き、ガンオイルを垂らして乾いた布を通して吹き、部品を一つ一つ拭き、手の中で部品同士を噛み合わせる。スライドが噛み合う鋭い音を聞くと同時に、テシクがぽつりと言った。
「どうだ。少しは銃が好きになったか?」
龍一は言った。「ますます嫌いになったよ」
「……その調子だ」
それだけ言って、テシクは踵を返した。どこか嬉しそうだったのは、気のせいだろうか。
何となく課題を片づけた気がして、龍一はそっと溜め息を吐いた。帰国の日はもうすぐ迫っている。
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