第8話 大人な僕の大人の条件

『大人とは自分を律する理性を有する存在だ』とアサギリ教授は言った。

『大人とは責任を果たす存在だ』とヤミナカは言った。

『大人とは闇を抱え、それを受ける器を持つ存在だ』とミカヅキは言った。

 そして、三人に共通していたのは『大人とはつまらない存在だ』という結論だった。


 ――こんなこと、ツキヨに言えるわけないよな。

 僕は嘆息する。

 だってそうだろ。こんなこと、一家庭教師の僕が前途ある若者に言っていいことじゃない。この先の人生は今より楽しくなりません。なんて言われてこれから先どうやって希望をもって生きろって言うんだ。下手したらそれこそミカヅキが言うように、精神的か肉体的に死を選ぶ可能性だってある。

 そんな大事なことを、ツキヨと関係のない僕が言うわけにはいかないのだ。もしそれを言うならば、ツキヨの人生にこれからも関わる、家族や恋人など愛のある存在が言うべきだ。アフターサポートのできない僕のような他人が言うのは無責任が過ぎる。

 では、どうするか。

 答えは決まっている。僕の答えを述べればいいのだ。幸い僕は3賢人ほど人生を悲観していない。まだ人生を楽しめている方だ。だから、その答えを伝えてあげることにしよう。


 、というのが僕の思う大人像だ。

 ヤミナカの言う『責任を果たす』と意味は近い。だが、少し違う。

 人には得手不得手が必ずある。だから、全部が全部自分だけで出来るわけじゃない。最も楽に生きる方法は、不得手なことを他の得手としている人間に振る行為だ。そうすれば、人は不得手なことをしなくても生きていける。

 ただし、それだけをするのは愚かな行為だ。繰り返していれば、いつか振られる側がこちらを見放す。当たり前だ。これだけではただ仕事逃れをしているだけに過ぎないのだから。きっと、周りから見ても気持ちのいいものではないだろう。

 だから、お返しをするのだ。相手の不得手を引き受けるのだ。それも出来るだけ、自分が得意としている事柄を。そうすると何が起こるか。答えは簡単だ。自然と助け合う環境が出来上がるのだ。

 人は一人では生きていけない。手垢にまみれてすでに目新しさの欠片すら含まない言葉ではあるが、これは真だ。人は生きているだけで誰かを助け、誰かに助けられている。何かを消費し、何かを生産している。迷惑を与え、助けを預かっている。遠慮して生きててもそれならば、いっそ振り切って生きればいいのだ。もっと人に迷惑をかけ、もっと人に助けてもらえばいい。

 それをみんながすれば、その関係はいつしか端の無い輪となり、その輪は収縮と膨張を繰り返し、より大きな輪となっていく。そうすれば皆で出来ることが増え、よりコミュニティは成長する。良いことづくめだ。

 そうやって楽をして生きるためには、己の役割を果たさなければならない。何が得意で何が苦手かを冷静に受け止め、得意で人の役に立ち、苦手で人に迷惑をかけなければならない。くれぐれも全部自分でやろうとしてはならない。それは助け合いの輪を絶つことになるのだから。人は自分の役割を見誤ってはいけないのだ。

 結論だって自ずと望むものとなる。楽をして生きるためにするのだから、楽しいに決まっている。うん、嘘もついてないし、ミカヅキも納得するに違いない。

 そうやって頷いてから、僕は日曜日の真昼時にアパートから足を踏み出すことにした。ドアを開けてすぐ目の前を見上げると空には入道雲が散見していた。からっとした風が吹いてはいるが、もしかしたら通り雨が降るのかもしれない。

 僕は傘を一つ手に取って、ツキヨの家に歩き始める。

 日曜日の家庭教師は13時からだ。真夏の真昼時は殺人的なまでに暑い。アスファルトの上で目玉焼きが焼けそうだ。僕はツキヨに会うことに少し緊張を覚えながらも、暑さに負けないように懸命に足を進めることとしたのだった。

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