第6話 大人な僕と無垢な夢魔 前編
僕が三人目の賢人、ミカヅキに会ったのはヤミナカと分かれた次の日、つまりは土曜日の夜だった。因みにツキヨの家庭教師は週三回、月・木・日曜日の19時半~21時の90分なので、明日にはまたツキヨに会うことになる。
ミカヅキ――彼女は僕のアルバイト先の中華料理屋の先輩バイトだ。とは言っても、年は僕と同じ20歳。僕は正直、彼女のことはあまり得意としていない。
恋愛ごとに慣れていない僕にとって、彼女の刺激は強すぎるのだ。
「アカツキ君。私に用事って、なぁに?」
「少なくともミカヅキさんが期待しているようなことじゃないですよ」
「えー、ついにアカツキ君も私の魅力に落ちたかと思ったのにぃ」
ふふ、ざぁんねん、とさして残念そうでもなさそうにミカヅキは淫靡な笑みを浮かべた。僕はそれに苦笑いで答える。
「アカツキ君はいつも通りビール?」
「お構いなく、と言いたいところですが、ここは夜アルコール強制ですもんね。なら、ビールで良いです」
「日本酒とかブランデー、ワインもあるよ?」
「僕をつぶそうとしないでください」
ここ、とはミカヅキの自宅のことだ。彼女は専門学生で1LDKのアパートで一人暮らしをしている。こう言っては難だが生き方が不自由な彼女の割には、部屋の中は小綺麗だ。毎日のように来客があるからだろうか。
彼女の部屋には夜はアルコール強制という彼女が定めた決まりがある。郷に入っては郷に従うのが礼儀のため、僕もここに来る時にはアルコールを摂取するのだ。
「乾杯」
小さな机を挟んで二人だけの静かな呑み会が始まった。
ミカヅキはカルアミルクを、僕はビールを半分ほど飲み下す。瞬く間にミカヅキの頬が赤く蒸気して、目が座り始める。彼女はあまり酒に強くないのだ。
僕は話を切り出そうと改めて彼女に視線を向け、思わず背けた。胸元の大きく空いた水玉模様のドット柄キャミと青色のショーツしか着ていない彼女を直視するのは非常にきつい。ましてや、彼女は小柄な身長な割にグラマーな体つきをしているから余計に目を背けたくなる。
「ん?」
ミカヅキが面白がって前かがみになって胸元を強調してくる。やめてくれ。
「……ミカヅキさん、そんな恰好で寒くないんですか?」
僕は少し効きすぎているクーラーを指してそう言った。ミカヅキは待ってましたと言わんばかりに答える。
「んー、ちょっと肌寒いかな。こっちに来てあっためてくれない?」
「素直になんか羽織ってくださいよ。僕がミカヅキさんを襲わないのはこれまでの経験で分かってるでしょう?」
「いやいや、実は案外紙一重ってところでしょ? 毎回うぶな反応返してくれるし」
間違ってはない。間違ってはないけど。
「……ミカツキさんは魅力的だとは思いますけど、僕は別に誰でもいいわけではないので」
「ざぁんねん。でも、ここは私の部屋だから、アカツキ君には気を使わないよ。私は自分の部屋で上着は着ない。こっちからアカツキ君を襲わないだけましだと思ってね。まあ、それも私の理性が持つ間だけだけど」
ミカヅキは残っていたカルアミルクを飲み下し、2杯目に移った。これまでの経験上彼女は5杯まで理性を保っていたはずなので、まだ安全圏内ではあるけれど、そこまで時間もなさそうだ。
僕はもう一度彼女に向き直り、本題を切り出すことにした。
『アカツキ君。君は娼婦のように尽くされるのと、女王のように使われるの、どっちが好き?』
は? なに言ってんだこの人。それが僕の率直な感想だった。
これは、僕とミカヅキが初めてシフトが合った時に最初に問われた質問だった。彼女は僕が今まで会った人間の中ではぶっちぎりで頭がおかしかった。壊れていると言っても良い。彼女はその後も同様の発言を繰り返し、人を嫌わないのがポリシーの僕にとっては珍しく、彼女にタブーと言ってもいいほどの苦手意識を持ったのだった。
彼女はいつ、どこで、誰と、何をしていても、こんな調子だった。目の前に男が居れば、その男を落とすために文字通りなんでもするのが彼女という存在だった。
自分と違う価値観の三人――三賢人を探す必要が無かったら、僕と彼女の縁はとっくの昔に切れていただろう。それほどまでに相性が悪い。だからこそ彼女は賢人足りうるが、だからこそ本当に苦手だ。
彼女のこれまでの質問の答えは以下の通りだ。
「キスが気持ちいいか? そんなの私とキスすれば簡単に分かるよ――って、ごめんごめん、怒らないでよ。どうかなー相手による、って感じ。私にとってのキスはもう性交渉の手段の一つとしてしか見てないから、気持ちいいとかそんなのもはやどうでもいいんだよね。相手がノってくれるならそれで良いかなって。ただ、相性の良しあしってあるんだよね。上手いとか下手とかじゃなくて、この人とはキスしたくないなーってしてから思うやつ。あれ、なんなんだろう。やっぱり性交渉って広義で言えば子孫繁栄のための手段だから、生物学的に相性が良いとか悪いとかあるのかな、で、それがキスで分かるのかなー。まあ、回答をまとめると相手による、ってことぐらいかな。これでいい?」
「愛って何? そんなの私と身体を重ねれば簡単に分かるよ――ってこれこの前もやった流れだね。ごめんごめん、1パターンだった。じゃあ、私と結婚しようよ、そしたら分かるよ。え、しない? そりゃそうだよね。私だってまだ結婚したくないし。――と、真面目に答えようかな。愛は、誰かと一つになりたいけど、決して一つになれないことを知っている状態だと思う。私はいつだって、誰かと繋がって一つになりたいから、まだまだ恋の状態だけど。いつかは恋を諦めることになるとすれば、最も強い感情はきっとその愛って状態だから。人は誰だって誰かと一つになりたいんだよ。好きで、好きで好きでどうしようもないって状態は、その人に触れたいって状態でしょう? 触れたいって考えるのは、触れた先まで考えてるのと同じだよ。触れて、その人自身に触れて、一つになりたいの。同じ行為をして同じことを考えて過ごす時間、その時だけ人は醜い自分自身のことを考えなくてすむから。この世界の鎖から解き放たれてるのと同じだから。だから人は恋をするの。で、愛っていうのは、恋が永遠に続かない、相手と同じことだけしていても生きていけないって気づいたときに至るの。その感情の行きつく先は、実は自分なんだ。相手を通して自分を愛することが出来ること、それが愛ってやつ。結局のところ、人っていうのは自分って存在が大っ嫌いでどうしようもないんだよ。と、こんな感じでよかった? アカツキ君」
そのどちらも今の僕にはよく分からなかったが、彼女の実感を伴う発言は僕の心に深く突き刺さった。彼女はどうやら自身のことを心底嫌っているらしかった。
彼女が大人という存在をどう思っていて、大人を楽しいと思っているかというところに、実は僕はほかの賢人の発言よりも興味があった。なぜなら、これまでの経験上ツキヨとミカヅキは思考が似ている傾向にあるからだ。
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