白い子猫

楠 新太@現代叙情派

白い子猫

白い子猫



 真由美が、拾ってくださいと丁寧に書かれたダンボール箱を抱え、肩で息をしながら病室に戻ってきた。

「ちょ、おま、それどうしたんだよ」

 パイプ椅子に腰掛け静かに本を読んでいた俺は驚いて、思わず声をあげてしまった。

「待合室のところ散歩してたらどこから鳴き声が聞こえてきて、それで、見てみたら窓の向こうに、あの、いたから」

「だから外に出て、連れてきちゃったのか?」

「うん」と小さく、申し訳なさそうに真由美が頷いた。

「だめだよ、戻してきな」

「でも……」

「それに、勝手に外に出ちゃだめじゃないか。外寒いんだから。身体に負担かけちゃいけないって先生に言われてるんだろ?」

「でも、でも……」と真由美が半泣きで首を横に振った。「外、雪降ってるから寒いし、あのままにしてたらこの子、死んじゃってたかもしれない」

 閉められていたダンボール箱が開いた。中から酷い毛並みの白い子猫がぴょこんと顔を出した。いや、白というより灰色に近い色だ。

「でも、ここ病院だぞ?」

「わかってる、けど……」

 真由美は、にゃあにゃあと鳴く子猫を抱き上げながらポロポロと涙を流した。

「放っておけなかったのか?」

 俺の問いに真由美はこくんと静かに頷いた。そんな彼女を見て、僕は頭をかりかりと掻きながら溜息をついた。

「戻せない、もんな」

「……うん」

 真由美は子猫をぎゅっと抱きしめながらか細い声で言った。抱きしめられている子猫は状況が飲み込めていないのか、真由美と真由美の病室と、ついでに俺をきょろきょろと眺めながらにゃあにゃあ鳴いている。

 痩せ細った真由美に、同じく痩せ細った小さな子猫が抱き抱えられている光景を見て胸が痛くなった。

「病院じゃ、飼えないけど――」

 気がつけば口が開いていた。真由美が顔を上げ、涙で腫らした目でまっすぐ俺を見つめる。

「病院じゃ飼えないけど、うちのアパートなら、大丈夫かも」

「本当に?」と真由美が言った。

「ああ、なんとかするよ」

 本当のことを言うと、うちのアパートは、猫はおろかペット自体禁止だ。だけど、こんなちっこい子猫に二度も捨てられるという経験をさせたくはないし、何より真由美がこの子猫を助けたいというのならそれを叶えてやりたいと思った。

「さっきはさ――、その……」

「ん?」

「戻してこいとか言ったり、色々強く言い過ぎたよ」

「大丈夫だよ。私も取り乱しちゃったし。だから――」と真由美が子猫の額をちょんちょんと撫でながら「おあいこ、かな?」と言った。

 子猫がごろごろと喉を鳴らしている。すっかり真由美に懐いたようだ。時折彼女が頬ずりをすると気持ち良さそうな顔をする。そんな子猫をみていると少し妬けてきた。けれどそれ以上に、病気になる前の元気を取り戻したかのように笑っている真由美を見て密かに子猫に感謝した。


 やがて面会の時間が終わり、俺はすっかり眠ってしまった子猫をコートの内側で抱きかかえながらベッドから立ち上がった。

「次も週末にくるよ」

「うん、待ってるね」

「早く身体治して、こいつの世話してやらないとな」

「そうだね」

「って言っても、真由美はちょっと抜けてるところあるから結局俺がやることになりそうだな」

 僕はからかうように言った。真由美は「ひど~い」と言いながら笑った。

「じゃあ、そろそろいくよ」

「……うん」

「次は週末にくるから」

「それ、さっきも言ってたよ」

「あれ?そうだっけ?」と俺は惚けながら真由美の肩に手を置き、そのまま身体を引き寄せ、顔を近づけキスをした。

「次は――」

「週末にくるんでしょ?」と真由美が頬を赤く染めながら言った。「待ってるから」

「じゃあ、いくよ」

「うん、この子のことお願いね」

「ああ、わかった。じゃあな。」

「うん、ばいばい」



 次の週末、俺は真由美の病室に行くことは叶わなかった。真由美の容態が悪化し、家族以外は面会謝絶となったからだ。

 それからは、すべてが速かった。面会謝絶から僅か二日後、真由美はこの世を去った。


 葬儀に参列した際、真由美の両親に逢った。

「娘を、真由美を愛してくださってありがとうございました」

 真由美の父親が涙を流しながら深く頭を下げながら俺に言った。真由美の母親もその横で涙を流しながら同様に頭を下げている。

「いえ、こちらこそ――」

 ありがとうございました。あなた方の娘さんはとても優しくて、思いやりがあって、俺のかけがえのない、大切な人でした。

 それ以上の会話はしなかった。きっと、しなくてもわかってくれたと思う。


 家に帰り、雪崩のようにベッドに飛び込んだ。仰向けに寝転がり天井の染みを見つめていると視界が徐々に霞んでいく。拭っても拭ってもそれは止まらない。

「真由美……」

 真由美の笑顔を思い浮かべる。本当に、よく笑っている。

 もう何も見えない。涙で視界は完全に霞んでしまっている。

「逢いたいよ……、真由美……」

 俺は嗚咽を漏らしながら言った。

『待ってるね』

「なんで、待っててくれなかったんだよ」

 苦しくて哀しくて、愛しくて、愛しくて仕方がなかった真由美はもういない。なら、もういっそ――。

 にゃあにゃあ。

 鳴き声がした方を見る。白い子猫がちょこんと座りながらこちらを見て鳴いている。

 ああ、そういや、こいつうちで飼うことにしたんだっけ。

 にゃあにゃあ。

「――」

 にゃあにゃあ。

「ふふ」

 子猫が尻尾をぴんと立て、ごろごろと喉を鳴らしながらこちらに擦り寄ってくる。

 我が家に連れてきてから二週間。やっと俺にも懐いたのか。

「ご飯か?今用意するからな」と僕は立ち上がり苦笑した。そして、気がついた。

 真由美、俺どうかしてたよ。お前に頼まれたもんな、こいつのこと。俺がいなきゃこいつは死んじゃうかもしれないしな。

 最初で最後の、我儘だったもんな。

「ほら、食えよ」とキャットフードの入った皿を子猫の前に差し出す。子猫はくんくんと匂いをかぎ、食べ始めた。その背中を撫でながら俺は思った。

 なあ真由美、結局俺がやることになってるよな、こいつの世話。

 かりかりと夢中でエサにありつく子猫を見てふと思った。

「そういや、お前の名前決めてなかったな」

 決めてやらないとな。

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