第26話 Replication of the Soul

「がはっ!」


 ウツロは血を吐いて苦しそうにくずおれた。ウツロの身体を支えながら前方を見やると俺達の目の前には粉々に吹き飛んだタタリの上半身と、なんとか下半身だと判別できる焼け焦げた肉の塊が落ちていた。


全身に激痛が走るが今は文句を言ってられない。異臭の中、タタリの残骸から視線を反らしウツロを起こす。


「クソっ……無事か!?」


「大丈夫、少し焦げただけ。ギンジは焦げてる女の子は嫌?」


「何言ってんだお前!? 焦げてても生でもお前ならいいよ!」


「そう、良かった」


 ウツロは馬鹿馬鹿しそうに笑った。けれどその身体は夥しい出血と熱傷で赤黒く染まっている。恐らくもう動く事は出来ないだろう。一刻も早く治療をしなくてはならない。どうやってウツロを運び出すか考えると同時に、地面で何かが蠢動しているのに気付いた。目をやるとタタリの残骸がふるふると震えながら粘菌のように集まりだしていた。


「……これでも終わらないってのか」


 ハイドラマグナの再生能力を読み違えたのかもしれない。もう手元のグレイプニルに弾は残っていない。ウツロも既に限界を超えている。当然戦う力は残っていないだろう。

 逃げることも、戦うことも、俺達にはもう出来ない。

 流石に万事休す、という奴だろうか。諦めたわけではなかったがもう一度その場に座り込む。

 ウツロの顔に付いた血をぬぐってやる。その間も黒い肉の固まりは集合していく。


「……私は良い。ギンジは先に逃げて」


「嫌だ」


「うるさい。私一人ならどうとでもなる。でもここでギンジが死んだら――」


 ウツロの頬を両手で支え、唇を合わせ言葉を遮る。


「――お前の事、好きだよ」


「……知ってるよ」


「そういうデリカシーの無いとこはちょっと嫌だけどな」


 くすりと笑う。ウツロも笑ってくれた。


「何ていえばいいのか解らないから。ボクも、ギンジのこと、好きだよ」


「有難う」


 もう一度、キスをした。恐怖は確かにあったけれど、それでも最後までウツロと一緒に居られたのなら。ウツロの冷たくなっていく身体を抱きしめた。

 湿った音を立てながら黒い肉の塊が近寄ってくる気配を強く感じ目を瞑る。


「――ねえ、あなたは、シアワセになれた?」


 声を発したのは蠢動する黒い肉塊。口のように開いた穴がぱくぱくと動き、歪な声色で問いかけてきた。何も言えずにただウツロを抱き寄せる。


「うん、幸せだよ」


 ウツロは俺の手を強く握り締めながら、黒い肉塊にもう一度告げた。


「今が一番幸せ」


「そっか、それが聞けて、良かった」


 黒い肉塊は先ほどまでと同じ声で、けれど柔らかな調子で返す。ウツロの顔をみやると一体何が起こっているのかという表情をしている。ウツロは黒い肉に、震える声でゆっくりと問いかけた。


「……おねいちゃん、なの?」


「ええ、そう――」


 やや小ぶりの黒い肉塊はぐにゃりと変形し、ゆっくりと姿を変えていく。上半身だけではあったが、それはウツロと同じ銀髪のミニステルアリスだった。


「――私だよ」


 ウツロの姉タタリを名乗ったそいつはにこりと笑って言葉を繋ぐ。


「がはっ! ……せっかく会えたのに、どうやらそんなに時間はないみたい。ねえウツロ、貴女が全てを終わらせるつもりなら、私の話を聞いて欲しい」


 俺とウツロは再度顔を見合わせ、静かに頷いた。


「ありがとう。……もう薄々気付いているかもしれないけれど……ハイドラマグナはね、模倣者なんだ。取り込んだものをただ模倣する、本来それだけの生き物でしかないの」


 模倣者。それがハイドラマグナの正体。


「ハイドラマグナは海の中で最初にヒドロゾアを模倣した。それが、不幸な事故で人を食べてしまった。人は、きっと死の間際に陸地に想いを寄せていたんでしょうね。ハイドラマグナはその想いごと人間を模倣した。だからハイドラマグナは陸地を目指した。きっかけはそれだけだったの」


 ウツロはぼんやりとしながらもタタリの話を聞いている。


「ハイドラマグナは人への、陸地への憧れから人に近づき、その手を取ろうとした。けれど刺胞毒に塗れた腕を人が取ることは出来ない。結果として人間は死に、憎しみだけを産み出してしまった。そうして人はハイドラマグナを駆逐する為にミニステルアリスを、私達を作った。覚えてる? あの日、私たちは私たち自身に隠された秘密を知って人間を憎んだ。自分の存在を呪って、その上で――ハイドラマグナに食べられた。私だって、格好をつけていたけど本当は悲しかったし苦しかった。ウツロたち妹が居たから、背伸びしていたけど私だって子供だったんだから。――だからなの。ハイドラマグナは人を憎み、人を、ミニステルアリスを襲い出した。全て、捕食した生物を模倣し、再現したから起こった事なんだよ。だからハイドラマグナは――ううん私達は人と敵対した」


 最初はただの偶然で人を襲った。捕食対象の思考を模倣した結果、ハイドラマグナは陸地に憧れ、人を求め、そして拒絶された。さらに人を憎んだアリスを捕食した事で、ハイドラマグナは人への憎しみを募らせていった。



 ハイドラマグナとは、人の、アリス達の想いを模倣し再現した存在だった。

 だが、先ほどの戦闘中そこかしこでウツロを守るような意志は間違いなく存在していた。そもそもタタリが本気を出せばウツロの命を終わらせる事はたやすかったはずだ。いくらウツロが善戦しようとタタリの蝕肢全てを二本の腕で捌き切る事など土台無理だったのだから。何度もウツロに止めを刺すチャンスはあった。けれどそれらは全てタタリの不可思議な行動によって阻まれていた。


「ハイドラマグナは今の人間の科学力より数段、ううんずっとずっと高い解像度で全てを模倣した。記憶も、人格も。……そしてそれは呪いや魂の領域にまで及んだ」


 ごぷん、と音がしてタタリの片腕が崩れ黒い肉へと戻っていった。


「細胞の位置、電子等素粒子の位置、それら全てを丸ごとコピーすれば人の人格、記憶全てがコピーされる。理屈はわかる? その素粒子よりもっともっと、人の英知がまだ届かない、その領域でハイドラマグナは捕食対象を模倣していった」


 確かに素粒子レベルで対象を完全にコピーする事が出来れば記憶と人格を再現することは可能かもしれない。だがそれ以上の領域での模倣とは一体どのような物なのか想像すらできない。


「……理屈はぼんやりと解った。だが魂って一体なんなんだ……?」


「それは私にも解らない、理解が及ばないから説明も出来ない。けれど結果としては今言ったとおりなの。ハイドラマグナはたくさんのアリス達を喰らい、その魂を、怨念を模倣して蓄積していた。そして彼らの中にあった最も強い存在である私をベースとして怨念を再現し、澱木瑠璃の身体を求めた。ハイドラマグナとの親和性が奇跡的に高かった澱木瑠璃はこれ以上無い程の極上の存在だったから。そしてその捕食の瞬間こそが私にとって最後のチャンスだった」


 ハイドラマグナは原盤を取り込むことで人の理解領域を広げる事を目的としていた。その身に宿す怨念を肥大化させより多くの人を殺戮する為に適した身体へと変貌する為に。そしてタタリは自らを再構成する足がかりとする為に。


「そこから先は賭けだった。ハイドラマグナが原盤を完全に取り込み理解する前に私を破壊し、再構築させる必要があった。そしてそれはウツロによって成されたの。模倣された怨念の器である私の身体をウツロが物理的に破壊した、してくれた。だから最後の最後ハイドラマグナは溜め込んだ数多のデータプールからもう一度私を選び、私を、タタリを模倣し、更なる超高解像度で再現した。そうして数多の情報と共にほぼ完全な状態で再構築された存在――それが今の私。だから必ずしも生前の私と同一人物というわけじゃあない。あくまでもタタリの模倣者にすぎない偽物。けれど、私は私の魂を感じている。アリスへの、ウツロへの愛を感じている。それで、今はいいかな」


「良いも何も――だったら本当におねいちゃんなんじゃない……」


 ウツロがか細い声で、涙を流しながら言うとタタリは柔らかく笑った。


「……こんな姿になってしまった今の私を、そう呼んでくれるんだね、ありがとう。ウツロ、あなたが頑張ってくれたから、人と生きた貴女が私達の怨念の器を破壊してくれたから、もう一度こうして出会えた」


「うん、うん……寂しかった。ずっと会いたかったの」


「私もだよ」


 タタリは泣きながら自らにすがろうとするウツロの銀髪をそっとなでた。そして愛おしそうに頬ずりをしながら抱きしめる。


「ねえ、ウツロはどうしたい? ……私と一緒に来る? それとも、人と生きる事を望む?」


 ウツロは自らに問いかけたタタリを見つめ、一瞬の間を挟み答える。


「ボクの居場所がもうこの世界に無い事は解ってるんだ。けれど、あと少しだけど人間と、ううんギンジと生きていたいの」


「居場所が無いとか、言うなよ……!」


 泣きながらウツロの手を握り締めると、熱が更に失われているのを感じた。ウツロは俺の手を弱々しく握り返して、涙が溢れた瞳を俺に向けた。俺たちの様子を見ていたタタリは満足そうに微笑みを浮かべる。


「……そっか、ふられちゃったな。――ならもうひとつ、伝えておかなくちゃ。あなた達と暮らしていたもう一人の小さなアリス――あの子の魂はね、最後まで穢れることは無かった。失われる最期の最期まで、恨みも、呪いも、何一つ生み出さなかった。あの子が最後に得た感情は、ただ、喜びと幸福だけだった。――人ならざる私たち(アリス)を、あの子を、ウツロを、愛してくれて、有り難う。あの子はこの世界を、人間を愛したまま消えていった。その強い想いこそが、それだけが今の状況を終わらせる為の最後の希望になる」


 理由は解らないがタタリはコワリの事すらをも知覚している。群体生物としての特性なのだろうか。集合生命体であるハイドラマグナは何らかの方法で意識を共有しているのかもしれない。それはハイドラマグナだけでなく原盤から生まれたミニステルアリスにも及ぶという事。コワリの最後の記憶。それがコワリの言っていた極彩色の世界だったのだというのであれば、本当に彼女は最期の瞬間まで幸せで居てくれたのだろうか。


「……私はね、死んでしまう最後の瞬間、アリスあなたの、人間達あなたたちの幸せを願ったの。それが叶っていたと知って、嬉しいな」


 タタリは笑みを浮かべゆっくりと手を伸ばしウツロにそっと口付けをした。


「え?」


 あっけにとられたウツロは小さく驚いた。


「……ハイドラマグナの怨念は私が鎮める。もってかえる。それを成す事がきっと今なら出来るから。だからお願い、私を海に帰して欲しい。説明する時間はもうないけれど――ねえ、津田博士。こんな姿になってしまったけれど、私を信じてくれますか」


 タタリは言いながら俺達の背後に視線を向ける。そこにはよろめきながら足を引きずり近づいてくる親父の姿があった。


「……俺には……何が何だかまだ解らないことが多すぎる。だがそれがお前の最後の願いだと言うなら、何を差し置いても、必ずそうすると約束する」


「……ふふ。貴方はいつも自分を責めすぎるから少しだけ、心配です。こう見えても今の私は、貴方に感謝しているんです。勿論あの時人間を強く恨んだことも事実ですけれど、それでも私はこの世界に生まれることが出来た。そうして妹たちに、お母さん澱木博士に――貴方に出会えた。人間から見れば私達はきっと不幸な人造人間だったのかもしれない。けれど、たとえ短い時間でも、私にとって、それは全てだった。私はその世界が、気持ちが、ミニステルアリスという存在が、間違った物だったなんて思いたくない。たとえ偽物の身体でも、この想いは、魂だけは、私の物だと信じている。だから、もう何も恨んではいません。あの時は伝えることが出来なかったけれど――津田博士。私を、この世界に生みだしてくれて、約束を守ってくれて、ありがとう。私は貴方と会えて良かった」


 タタリが涙を流しながら笑顔で告げると、親父は崩れ落ち子供のように泣き叫んだ。


「やめろ……! 俺に、そんなことを、言うな! 俺にありがとうなんて、言うな……! 俺は……そんな言葉をかけて貰えるような人間じゃ無い!」


「……そう言ってくれる、貴方だから、私は……。いえ、私は貴方のそういう所も嫌いでは無かったですよ。……すこし違いますね、きっと私は……ええ、貴方のそういう所が好きだったのだと思います」


 崩壊しかけている身体でタタリはにこりと笑った。


「……それじゃあ、私は少し眠らなくちゃ。ウツロ、お別れだね。どうか、これからも幸せに生きて。貴女の幸せは、いつか存在したかもしれない私の未来でもあるんだから」


「いやだ、ばいばいしたくないよ、おねいちゃん」


 ウツロは弱々しく答えタタリへとすがりつこうとする。


「大丈夫、貴女はもう……」


 言いながらウツロの頭をなでたタタリの輪郭は光を伴いながらちりちりと空気の中にほぐれていく。ゆっくりと光の粒子が拡散していき、最後に小さな白い石が残った。わずかに光を放つ白い石をそっと拾い上げて、ウツロの手の平に乗せた。



 タタリ。ウツロを愛し、そして愛されたおねいちゃん。

 六年前、ハイドラマグナからウツロを救う為にその身を犠牲にし、捕食され、取り込まれた後もウツロの幸せを願い、こうして今日その姿を現した。


 それがハイドラマグナの怨念に囚われた彼女に出来る唯一の、ウツロをハイドラマグナとの戦いの運命から救い、再会する方法だった。戦闘中、狂気を孕んだ表情の合間に見せた何かを慈しむかのような笑顔を思い出す。


 ウツロに止めをさすチャンスは何度だってあった。けれどその度にタタリは不可解な行動を取りウツロの命を救っていた。自らの魂を侵食するハイドラマグナの怨念に抗い、なんとかウツロを殺さないように。


 瑠璃の身体を取り込む事で自らの身体を構成するヒトの領域を拡大させ、その上で自らを破壊させた。そうすることで更なる高解像度での模倣を促し、タタリは魂の再構築を成し遂げた。


 六年前に分かたれた二人の運命は二重の螺旋を描き、永遠に交わる事は無いはずだった。

 けれど最後に、たった一度だけ。

 確かに運命はもう一度交わったのだ。

 それこそがタタリという存在の、魂の起こした奇跡。


 たとえ模倣された魂であろうと、その想いと愛はタタリのものと何ら変わりはしない。


「ねえ、ギンジ。おねいちゃん……居たよね? 幻なんかじゃ、なかったよね?」


 ウツロはべそをかきながら、白い石を握り締め、震える声で言った。


「ああ、確かに、居た。ウツロの姉さんは、ここにいたんだ」


 俺とウツロは泣きながら抱き合った。ややあって、周りに武装した人間が集まっている事に気がついた。けれど、気にせずそうしていた。

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