第25話
原盤を取り込んだカトゥルー級ハイドラマグナ、そいつを包んだ黒い肉塊から出てきたのはウツロと同じ顔の、銀髪の少女だった。
そしてウツロは相手をおねいちゃんと呼んだ。
ウツロがその呼び方で呼ぶのはこの世界でただ一人。最初のミニステルアリス、タタリ。
六年前、ウツロを守る為にその身を散らしたウツロのおねいちゃん。
「どう、して?」
ウツロは明らかに動揺し、震えながら後ずさる。その様子を見たタタリの姿をしたハイドラマグナは目を細めてにこりと笑みを浮かべた。
「わからない? 勿論あなたを迎えに来たんだよ」
しぼんだ黒い肉の繭を踏みしめて、ゆっくりとウツロに近づいていく。
手足を覆う黒い外骨格にはわずかに光を放つ赤い血管状の模様が脈動している。ウツロがタタリと呼んだそいつは作り物のような笑顔を貼り付けたまま言葉を接いだ。
「私と一緒に行こう、ウツロ。私達ミニステルアリスが人間にどう扱われたか、忘れてしまった訳じゃ無いでしょ? 私たちは死ぬ為に生み出された。私たちの価値が化け物を殺す使い捨てのバケモノ、ただのそれだけしかなかったのだと理解して、私は、私たちはあの時絶望した。
恨んだ。憎悪した。人が憎い。憎い憎い憎い憎い。
――だったら、殺せば良かった。
全部、綺麗さっぱり人間を殺して、私達だけで暮らせばいい。そうすれば、私たちミニステルアリスという
ウツロがタタリと呼んだハイドラマグナはうっとりとした表情で語り、ゆっくりとウツロに近づく。一歩踏み出すごとに黒い外骨格が肥大化し、タタリの身体を覆っていく。
「ウツロも協力してくれるでしょ? 同じ事なんだよ、殲滅する対象がハイドラマグナという化け物から、ニンゲンという化け物になっただけ。そう、同じ事なの」
ゆっくりと歩みを進め、タタリは震えるウツロの頬に手をやり言う。ウツロは呆然とした表情をしたままタタリを見つめ、手に持っていたナイフとグレイプニルを取り落とす。その様子を確認したタタリは嬉しそうに顔をゆがめ、ウツロへ囁き続ける。
「私は、私たちは人間が憎い。貴女を、
憎い、憎い。人間が憎い。ただ繰り返す。壊れたスピーカのように。
そして手を広げてウツロの肩に手をやり言葉を繋ぐ。
「さあ、ウツロ。貴女も私を手伝ってくれるでしょ? もし拒否するなら……ねえ、解るでしょ? 貴女でも容赦しない」
タタリの言葉を聞いたウツロははじかれたように顔を上げる。
「おねいちゃんはね、解ってたんだ。私たちの呪われた運命を。それでも戦ったんだ。どうしてなのかあの時は全然解らなかった。けどね、今なら解るよ。おねいちゃんは、ボクの事を、皆を愛してくれた。命をかけて。……ボクが今ここに居るっていう事は、そういう事なんだ。……本物のおねいちゃんだったら、そんな事、絶対言わない!」
ウツロはゆっくりと、けれど力強く答えた。歯を食いしばり、タタリの胸に手を当て明確に拒絶を示す。タタリは一瞬ウツロを慈しむような優しいまなざしで見つめた後、即座に豹変し、けらけらと笑い出す。
「ふうん? でも見て? 私は、貴女の、ウツロの『おねいちゃん』でしょう?」
「わからない。お前は確かにおねいちゃんの見た目をしてる。けどそれだけだ。それ以上おねいちゃんの魂を汚すつもりなら容赦しない」
ウツロの言葉を聞いたタタリはにこりと笑顔を浮かべ一瞬の躊躇を見せるかのような仕草の後で芝居がかった口調で言葉を返す。
「……そう、ウツロは私じゃあなく、そいつらの味方をするんだね。わからないなぁ、同じアリスなのに。私と同じ、生まれながらに呪われた存在なのに」
「ボクだって人間は嫌いだ。六年前……皆を、おねいちゃんを失って、一人だけ残されて、運命を呪った事もある。でも何かを恨むことに意味なんて無かった。人間にだって色んな人がいる。良い事をした人間も悪い事をした人間もいる。過去を悔いて罪滅ぼしのために生きている人間だって。……澱木博士だって、その身を挺してボク達を庇ってくれたじゃない! ずっと正しく生きていく事なんて誰にだってできない。間違いは悪じゃない。何度間違えたとしても、正しくある為に足掻く事こそが生きるって事なんだ。コワリは……私の妹は、最後にこの世界を綺麗だって言ったんだ! あの子が愛した世界を汚いものになんて絶対させない!」
強く、決意を秘めた瞳でウツロはタタリを真正面から捉え、力強く返す。
「そう……だったら、あなたはもういらない」
まるでウツロに興味を失ったかのように表情のなくなったタタリは腕を覆う黒い外骨格をざわりと肥大化、異形のブレードへと変化、即座に腕を水平に薙ぐ。
対するウツロも体を倒し回避、同時に地面に落ちた得物を拾う。
タタリの動きも止まらない。コンクリートの床を舐めるように走るブレードは火花を纏いウツロ目掛けて振り上げられ、ウツロはコンバットナイフで滑らせて刃を受け流す。
直後上段から振り下ろされるブレードをウツロは両手にナイフに持ち替えて受け止めた。
力は拮抗している。ぎちぎちと軋む音がする。
一瞬身体を下に落とし、ナイフへの圧力を逃がす。斜めに身をよじり回転と共に斬撃を放つ。一連の動きを見切っていたタタリは即座に後ろに跳びのいて回避。
「お前は一体何なんだ。何故その姿を取っている。タタリおねいちゃんをどうした」
「何言ってるの? 私がタタリだからだよ? ウツロの大好きな、おねいちゃんでしょう?」
「そう。例え何者であっても止めるだけ」
絶対零度に研ぎ澄まされ燃えるウツロの視線はタタリを射るように貫く。
薄く笑ったタタリは反対の腕の外骨格をも肥大化、ノコギリのように荒々しいブレード状の外骨格で前腕部を覆っていく。挑発するかのようにゆっくりと両腕を伸ばし、ウツロへと飛び込む。
緩急をつけた動きに必死に対応し、喰らい付くウツロだがいつもの余裕は無い。紙一重で斬撃を躱していくがかわし切れずいくつかの傷を負っていく。
右手のコンバットナイフを即座に持ち替え、グレイプニルで近距離からタタリの右足の装甲、その隙間に弾丸を撃ち込み距離を取る。ややあって、高周波と共にタタリの右足はぶつりと千切れ飛ぶ。
「ああ、ああ。あんなに優しかったウツロがおねいちゃんにこんな酷い事をするなんて」
ケラケラと笑いながらちぎれ飛んだ脚にフォークのようにブレードを突き刺し拾い上げると蛇のように口を広げ、飲み込む。即座に脚の切断面から黒い脚がぼこりと生える。
常軌を逸した再生速度とグロテスクな状況に胃液がこみ上げる。
タタリの様子を見て驚いていたウツロだったが直後、今度はウツロからタタリに飛び掛る。ナイフが届くのと同時に放たれたタタリのブレードがカウンターのようにウツロの脚を刺し貫く。
「ぐうっ!」
バランスを崩し血を流しながら転ぶ様を見て追撃しようとしたかのように見えたタタリだったが、どういうわけか一瞬の躊躇を挟みバックステップで距離を取り首をかしげた。直後狂気を孕んだ歓声をあげながらブレードからしたたるウツロの血液をべろりと舐め取る。
またしても一瞬表情が弛緩し、直後に歪んだ笑みを浮かべた。
「痛そうだねえ、ウツロ。どうする、このまま動かなければ苦しまないように首をはねて殺してあげてもいいのだけれど。
歪んだ口調で言い放ちブレード状の腕を目の前にかざすと更なる刃が出現し、巨大なハサミのような形状を取って鋭利な音を立てだした。ウツロは傷口を押さえて震えながらも立ち上がる。
「お前は……一体何なんだ!」
「あはは、だから私は『おねいちゃん』だって言ってるのに」
「違う……おねいちゃんの願いの為にも、絶対にお前にだけは負けられない!」
タタリから一瞬で表情が消え去った。
「私の……願い……? ――あはは、なんだったかな。けどもうそんなものどうでもいい。今私の中にあるのはただ憎しみだけだから。これは、アリス達皆の想い。私は海の底でそれをいっぱいいっぱいいっぱいいっぱいいっぱい見てきたの。――憧れは拒絶され、憎しみは肥大した。憎悪を糧に際限なく膨れあがっていった黒い怨念は全てを塗りつぶし、いつしか私は憎悪その物になった。わかる? 確かに過去の私は妹たちの為にハイドラマグナを殺したかもしれない。けれど今の私は私たちの為に貴女と人間を殺す。それが
狂っているような笑い声をあげながらひらひらとタタリは踊るように動き続ける。
(どういう、ことだ)
タタリを名乗るハイドラマグナは今、何と言った。組み立てる。
アリス達皆の想い、それを凝縮した存在である事。
そしてタタリと同じ姿を取っている。
つまり、こいつは何らかの形でアリスを模倣し、擬態している?
いくつか点在していた疑問が徐々に繋がっていく。
始め、大海原で人を襲ったハイドラマグナという危険生物が出現した。
彼らは理由が解らないままに自らの身体が適応しないはずの陸地を目指した。
そうした彼らを屠るために作り出されたのがミニステルアリスだった。
目の前に居るのは陸上活動に特化し、人間を殺す為にそのミニステルアリスを模倣し再現した存在。
浮かび上がった事実を反芻し、衝撃が走る。
もし俺の予想が当たっているとするなら、それは何よりも残酷な……。
タタリはぎちぎちと音を立てて前腕を変形させていく。肘を支点として複数に分岐し扇のように黒い蝕肢が生え。まるで甲殻類のような刃は全てが冒涜的で昏く、鋭利な輝きを放っていた。
対するウツロは、どうしても動きにキレがない。目の前にいるのは最愛の姉の姿をとったハイドラマグナ。頭では戦うつもりでも、どこかで躊躇しているのかもしれない。
俺になにができる。そもそも銃での援護射撃でサポートするほどの腕は俺には無い。近接戦闘もできない。だったら俺はウツロに何もしてやれないのか? タタリが右腕を振るい、ウツロが受けるも分岐した副腕全てを受けることは出来ず、前腕を切り裂かれる。
俺に出来る事。それは、おそらくタタリの願いを叶える事。俺は力の限りに叫ぶ。
「迷うな! お前がタタリの魂を救いたいのなら、目の前のそいつを眠らせてやれ!」
「……虫けらが」
タタリは冷たく言い放ったが、声色とは一転して、喜びに満ちた表情をしている。
タタリの表情をみて俺の心は撃ち抜かれたように震える。
やはり、そうだ。
全部じゃ無い。
けど、そこに、そいつの中には本物のタタリが存在している。
そして彼女の願いこそが恐らくウツロに殺される事――。
「……おねいちゃんは、さいごに、ボクに強く、そして、幸せになれって言ってくれたんだ……おねいちゃんが命をかけて愛してくれたボクが、ちゃんと幸せになれたところを、見てて」
ウツロの表情にもはや微塵の迷いも無かった。タタリは痙攣を起こしたかのように震え、身体をくねらせると、副腕を広げてウツロへと飛びかかる。
「……コワリ、これで最期だから……力を、貸して……!」
激突の瞬間ウツロは右手のナイフでタタリの蝕肢をいなし、刃の上を滑らせる。捌ききれなかった副腕にナイフをはじきとばされながらも斬撃を右肩を盾にして受けた。
勝ちを確信し笑うタタリ、だが視線を外れた太股のシースからコワリのナイフを引き抜いたウツロも小さく笑う。
「うおああああああ!」
血飛沫を飛ばしながら回転し、タタリの胸へ真っ直ぐにナイフを突き立てる。
ウツロ自身の傷も明らかに致命傷であり、大量の血を噴出させている。胸を貫かれたにも関わらずまるでダメージを受けていないかのようなタタリは冷静な動きで倒れ込んだウツロの首を掴み上げ、小さく首をかしげると副腕で刺し貫こうと構えた。今のウツロにそれをかわす事はもう出来ない。
「やめろぉぉぉ!」
俺は後先を考えずがむしゃらに飛び出す。だが俺に一瞬視線を送ったタタリは小さく笑みを浮かべ、ウツロの体に回し蹴りを叩き込む。
「が……は……!」
鋭い蹴りで吹き飛ばされたウツロの体をなんとか抱き留めたが勢いは殺せずそのまま背後の瓦礫に叩き込まれた。背中に激痛が走り、砕けたコンクリートから突き出た鉄骨が俺の足の肉を裂く。ウツロは血まみれのまま俺の腕の中で倒れ込む。
胸に突きたてられたナイフをずるりと引き抜いたタタリは自らの血で染まる刀身をまじまじと見つめた後、興味を失ったかのように後ろへと放り投げ、ゆっくりと近づいて来る。蹴り飛ばされた衝撃で崩れた瓦礫に足を挟まれたウツロは最早逃げることも抵抗する事も出来ない。足をやられた俺がウツロを担いで逃げることも現実的では無い。
「ねえ、ギンジ。お願いして、いい? もう、動かせないや」
ウツロの表情と手に触れたものから意図を理解する。
「……ほんとに、いいんだな」
「……うん。おねがい」
俺は頷いてウツロの体を抱きしめた。俺達へ近づいてきたタタリは目の前で立ち止まるとけらけらと笑い、しゃがみ込むと余裕を持ってウツロの顎を指先で持ち上げた。そうしてタタリは再度ウツロの首を刺し貫こうと右腕の蝕肢を羽根のように展開し、構える。
「それじゃあ、おやすみ」
「……最後に一つ、良い?」
肩で息をしながら血まみれのウツロは言う。タタリは声高らかに笑い、答える。
「なあに? 言ってご覧。聞いてあげる」
「大好きだよ」
ウツロは微笑みを浮かべながら、瞬時に体を横に倒した。
そして俺はウツロに握らされたそれを。
――対大型ハイドラマグナ用単発式ガトリングパイル――
タタリの胸にそっと押し当て、捻る。
瞬間、タタリの瞳に光が宿った気がした。
「……
直後、タタリの上半身は高周波と共にはじけ飛んだ。
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