第22話

 神光シーサイドパークを人型ハイドラマグナが襲撃して一週間が経過していた。


 総勢六十三名もの人が犠牲になり、出動したG2もほとんどである総計十七体が破壊されたという。今までは多少大きくても愚鈍な存在であったハイドラマグナは突然人の形を取り、明確な殺意と共に人を襲い出した。一時かん口令が敷かれたが、当然隠せるはずもなく、徐々に噂は広まっていった。


 コワリの遺体は親父の車で運び出し、俺とウツロで荼毘に付した。意識を取り戻した林はコワリの死を遊びに誘ってしまった自分のせいだと責め続け、家に篭りがちになっている。あれから何度かお見舞いに行ったが、結局顔を合わすことは出来ていない。


 そして親父は右足に麻痺が残った。コワリを襲うハイドラマグナを蹴り飛ばした時に刺胞毒が打ち込まれていたらしい。家に帰ったときには既にどうしようもなく、切断はまぬがれたものの右足首から先はほとんど動かなくなってしまった。


 治療の為、親父は昨日まで入院していたが無理矢理に退院してきた。まだもっと酷い怪我人も多いため、引きとめられなかったという。


 俺の身体のそこかしこにも刺胞毒が付着していた。数日焼けるような痛みが続いたが何とかやけどのような痕が出来るだけにとどまっていた。ハイドラマグナの刺胞毒の効果には個人差があるようで、俺や親父の場合普通なら死んでいてもおかしくない量が体内に入っていたと後から言われた。

 そして、俺の掌には最後に握り締めたコワリの手形がくっきりと残っていた。



「親父、全部教えてくれ。一体あの時親父は何をしていたんだ」


 退院して、初の夕食後切り出した。親父は黙り込み、何も答えない。ウツロも俺の隣で静かに机を見つめている。いつもならここで引いていたかもしれないが、俺は喋りたい事を整理もせずそのまま口にする。


「……俺はさ、ミニステルアリスがその身を危険に晒して俺たち人間を守ってくれる存在だって、知ってたんだ。その影で、何体ものアリス達が死んでいるんじゃないかって、本当は知っていたんだ。でも俺は、見ないふりをしてたんだ。でもさ、コワリを目の前で失って、俺はこんな事が今まで平然と行われていたんだって漸く理解した。知ってたのに、理解してなかったんだよ、俺は。……かけがえの無い、大事なものを失って初めて理解するなんてさ、ドラマの中じゃよく見るよ。まさか自分がそんなバカな人間だったなんて思いもしなかったんだ。……結局コワリを死なせたのは……知っていたのに、知らないふりをして何もしなかった俺自身だったんだ。俺は、このままじゃ自分を一生許せないと思う。コワリに合わせる顔なんてない」


 俺は親父を説得したかったわけではない。ただ、思っていたことを、整理もせず、ただ思うままに吐き出した。そうしなければ、泣き言を言わなければ心が砕けてしまいそうだった。


「……違う。全ては、俺が元凶だ。これは……贖罪だ」


 親父は沈痛な面持ちで、ゆっくりと語りだした。

 自分がから生み出したミニステルアリス達が死に続けている事に耐えられなかった事。

 計画を止める為に人間が扱える対ハイドラマグナの駆除用遠距離兵器を開発し、夜毎テストしていた事。

 ミニステルアリスG2開発局、鰐沢という人物と取引をし、ハイドラマグナの出現情報を得ていた事。

 あの日、鰐沢からの連絡を受けて財布に付けた発信器を頼りに俺達の元に駆けつけたこと。


「すまなかった。コワリを死なせたのは、ウツロを、アリス達を苦しませたのは全て俺が原因だ。お前が気に病む必要は無い」


 親父は表情を変えずにいった。何か言い返したかったが、その目に溢れる涙を目にして何もいえなかった。


「俺は当初、どうすればミニステルアリス計画を終わらせる事が出来るかを考えた。いくらやめろといっても無駄なことはわかっていたから、止めざるを得ない理由を作らなくてはならなかった。奴らはもう既にこの計画が多くの国民の理解も得たと思い込んでいる。実際の、特攻兵器としての姿は隠したままな。当初俺はアリス以上に安価で安全に扱えるハイドラマグナ駆除用遠距離武器があれば、あいつらだってアリスを使う必要が無くなるはずだと考えた。そうして生み出したのがあの銃だ。『HW-13 Gleipnirグレイプニル』と呼ばれている。ハイドラマグナの体内にマイクロウェーブ発生装置を撃ちこみ、内部から焼き殺す為のものだ」


 親父はだが、と一度言葉を切った。


「携帯性、コスト、駆除性能、それなりの手応えはあった。だが陸に上がるハイドラマグナを駆除し続けても終わりは来なかった。それは秘密裏に行われていたアリス計画自体の本質が変異したせいでもある。つまりハイドラマグナの駆除の為ではなく、人が人ではない人を生み出す事自体が大きな意味を持つようになったということだ。だからこそ上の奴らは駆除コスト程度の生半可な理由ではこの計画からは絶対に手を引かないだろう」


 ハイドラマグナの排除のために生み出されたアリス達には、既に次の地獄が用意されていたという事。


「そこで俺たちは考えた。この悲劇の連鎖を終わらせるにはどうすべきかを。その為にはとにかくミニステルアリスを作るための最大の要因であったハイドラマグナの危険性を排除する必要があった。その上で全てを公表し世論を味方につけアリス計画の本質を白日の元に暴き出す。完全な排除には程遠いだろうがそれでも現実的には大きなダメージを与えることができるだろうとな」


 好き放題に扱える人造人間が作れるとして、その恩恵は計り知れない。奴隷、兵士、臓器、考えればいくらでも活用する余地はある。倫理的に許されずともそういった存在を望む人間が少なくないことは簡単にわかる。人はそれほど強い存在ではないからだ。既に広まりつつある世界規模の陰謀を阻止する為、親父は自分になにができるのか悩み続け、そう結論を出したのだろう。


「そもそも俺はハイドラマグナがどうして陸地に上陸するかを考えた。あいつらがわざわざ地上に上がり、人間に危害を加える理由がどう考えても思い浮かばなかった。けれどこの何年かの間、奴らの出現記録を調べていく事で一つの仮説が浮かんだ。それはハイドラマグナが何らかの原因で陸上に引き寄せられているのではないかという可能性。そして、この国で奴らを誘引しているとすれば、考えられるのはただ一つ。十二年前にラボに運び込まれたとされる原盤と呼ばれる存在だ。通常ハイドラマグナの生体細胞を長期間にわたり生かしておくことは出来ない。だが適合個体の細胞にハイドラマグナの細胞を埋め込み、融合させた母体が存在している。ハイドラマグナの母体であり最初のアリスでもある原盤とも言える存在。その個体はラボの最奥で厳重に保管されている。それこそが俺のかつてのパートナー、澱木ミコトの亡くなった娘、澱木瑠璃。ミコトの知らぬ間にくそったれ共によって作り上げられたミニステルアリス作成の禁断の苗床。俺はそれをどんな手を使ってでも破壊するつもりで現在のミニステルアリスG2開発局局長、鰐沢に近づき奴と取引していた」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。そんなものがどうやって遠く離れた海のハイドラマグナを誘引するんだ……?」


「わからん。けどな、理屈は何であれハイドラマグナが原盤のあるラボへと集まっているのは客観的なデータからも明らかなんだ。もう一体の原盤を所持していた合衆国はすでにそれを失っている。そうなると残された最後の原盤にこれまで以上に多くのハイドラマグナが押し寄せる可能性は想像に難くない」


 アリスを生み出した親父は、アリス計画を止める為にそんなことをしていたのかと今更ながら驚いた。だが、話を聞かされた今となっては思い当たる節はいくつもあった。いつも昼間は寝て部屋に引きこもっているだけだと思っていた親父だが、実際には昼夜逆転した生活を送りながら、夜毎ハイドラマグナを狩っていたのだ。そこまで黙っていたウツロが突然口を挟んだ。


「ねえ、津田カズマ。貴方は一つ、嘘をついてる」


「……黙れ」


 親父は静かに、けれど強く言った。けれどウツロはひるまなかった。


「アリスを生み出した理由。本当は貴方の好奇心なんかじゃ……」


「黙れと言ってる!」


 だん、と机に右手を叩き付ける。


「どういう事なんだ、親父。今更隠し事は無しだろ?」


「お前が知る必要は――」


 親父の言葉をウツロがさえぎる。


「津田カズマがミニステルアリスを開発したのはキミの為なんだよ、ギンジ。決して自らの好奇心を満たすためなんかじゃないの」


「違う! 俺は……!」


「うるさい、少し黙ってて」


 ウツロは親父の包帯が巻かれた足をげし、と軽く蹴った。親父は『はうっ』と悶絶して黙る。


「それって、どういう……」


「津田カズマはどうしてもキミの病気を治すためにお金とコネクションが必要だった」


 言葉の意味は解った。けれど理解する為に数瞬を要した。


「それは……本当、なのか。親父」


「……これ以上話すことは無い」


 否定はしなかった。それは認めたのと同義だ。


 親父は俺の病気を治すために、ミニステルアリスを開発していたというのか。だが俺自身、小さな頃ずっと病院で過ごしていた記憶がおぼろげながら残っている。何故かある時期から俺は普通の子供として生活を送る事が出来るようになっていた。ウツロの話は、冗談でも嘘でもなんでもない。事実なのだと理解した。

 ならばミニステルアリスが生まれたのは、俺が原因だったのだとも言える。コワリが死んでしまった事も。突然突きつけられた事実に臓腑から震えが起こる。


「……とにかく俺は何らかの要因でハイドラマグナを誘引していると思われる原盤を破壊する。そうすればきっと、ハイドラマグナだってわざわざ陸地に上がってきたりはしないはずだ。そうなれば今ですら倫理的な問題を含むアリスの存在に正当性は無くなる。世論を巻き込み、全てを暴露し、全て終わらせる。全ての元凶である俺が、終わらせなくてはいけない。それが俺に出来るあいつらへの唯一の贖罪だ」


「一つ忘れている事がある。それとも言わないのは優しさ?」


 ウツロが静かに親父に問いかける。親父は再度黙り込み、悲痛な表情を浮かべた。たっぷりと沈黙が続いたがウツロが静寂を破りゆっくりと話し出す。


「津田カズマ、貴方の言った話は恐らく間違ってはいない。その話を聞いて、どうしてボクがあのプラントに何かを感じていたのか今の話を聞いてようやく確信したよ。ボク達ミニステルアリスに組み込まれているハイドラマグナの因子がそうさせていたんだね。ハイドラマグナの脅威を無くすためには原盤だけじゃない。ボク達アリスも消え去らなくちゃいけない」


 ウツロたちミニステルアリスにハイドラマグナの因子が組み込まれていた事も驚きだった。けれど、事態を収束させるためにはアリスも消えなければならない事。つまり、ハイドラマグナを駆除する為のアリスと、そしてその研究所こそがハイドラマグナを引き寄せていたという事。それが意味するのはウツロが生きている限りハイドラマグナは居なくならないという事。


「そんなの、いやだ……!」


 両の手が震える。当然ウツロの寿命の事は知っていた。あと数ヶ月でその命は燃え尽きる。けど、理屈ではない。例え短い時間だったとしても、俺はこれ以上何者も失いたくない。


「大丈夫、元々ボクの命は短い。ギンジが気にする事じゃない」


「俺の気持ちを、お前が決めるな! 寿命がどれくらいだとか、そんなのどうでもいい! 俺はお前まで居なくなるなんて絶対嫌だからな!」


「……そう。ギンジはやっぱり変な子だね?」


 ウツロはいって、けど笑ってくれた。いつの間にか頬を伝っていた涙をぬぐった。


「親父、そいつは、原盤は誰がぶっ壊したっていいんだろう。どうすればいい」

「お前には関係ない。俺がやる」


「関係なくは無い。親父にアリスを生み出させたのは俺が原因だっていうなら俺にもケリをつける権利くらいある。この際それが事実かどうかはどうでもいいんだ。今の俺にとってはそれが真実なんだからな。それとも何か。俺に一生脛に傷を抱えたまま生きていけっていうのか。……もうこれ以上コワリみたいな存在を生み出したくは無いんだよ。それにその身体でどうするつもりなんだよ。……無茶を言ってるのは解るんだ。でも、頼む。お願いだ。俺にも何か手伝わせてくれ。もう気付かないフリをして大切な人を失って生きていくなんて俺には出来ない。それは俺が俺であるために、人間であるためにはどうしても必要な事なんだ」


 親父は黙った。その目を見つめ、絶対に視線を反らさない。意志は曲げられない。


 しばらく無言で視線が交差していたが、やがて親父が視線を反らしながらため息をついた。


「華……いや、母さんそっくりだな、お前の頑固なところは。……今回の騒動の影響であさっての夜、原盤は違うラボに搬出する手はずになっている。その原盤がハイドラマグナを誘引している可能性については研究者達だって気が付いている。だから神水市のような港町じゃなく、一時的に海から離れた内地のラボに移すつもりらしい。それでハイドラマグナが諦めてくれるなら良い。だが、今回の人型ハイドラマグナを見ても解るが奴らは急速に進化し、陸地での活動に適応していっている。最悪やつらは更に陸上活動に特化し、内地のラボに至る地域に住まう人間を襲うだろう。そうなれば犠牲者は今回の比ではない。何千、何万という人が襲われる可能性だって出てくる。それだけは絶対に阻止しなくてはならない。だが、残念ながらどこのラボかまでは俺では……俺達では解らなかった。俺達に出来るのは搬出のタイミングで原盤を破壊する事、それだけだ。そして恐らくハイドラマグナもあわせてやってくる。今まで最大厳戒態勢(レベル4)で管理されていた原盤が表に出てくるんだからな。当然より強くハイドラマグナを引きつけるだろう」


「手はずを教えてくれ。ウツロも手伝ってくれるか」


「いいよ。それを破壊して、ボクも一緒に消えるとするよ」


「駄目だ、それは許さない」


「あのね、ギンジ。何人死んだと思ってるの。ボクが居たらこの負の連鎖は無くならない」


「だったら原盤を破壊して、俺はお前と無人島にでも移住すりゃいい。それならいいだろ」


 ウツロは目を見開いて、意外だという顔をして沈黙する。


「……何それ、告白?」


「違う。全然違う」


「……もう少し考えてから答えてもいいのに」


 ウツロは不満げにうー、とむくれてみせた。


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