第21話

 園内は限定的な招待客だけだという事だったがゲートから中に入ると人でごった返していた。けれど、恐らく正オープンすればこの比ではないのだろう。


「まずは、どれに乗りますか!」


 コワリが目を輝かせている。続けて林が口を開く。


「ええと、まずは記念パレードがあるみたい。それを見てからにしよっか」


「解りました! マスター、パレードって何ですか?」


 コワリが聞いて来たのでお祭り行列、と適当に応えておく。だが、俺たちの様子を不思議そうな顔をして林が見ていた。


「ますたーって?」


 やばい、普段からそう呼ばれていたからなんとも思っていなかったが客観的に見ると相当おかしい!


「ああ、いや……ええとコワリのハマってるアニメかなにかの真似らしいんだ、気にしないで」


 それだけでコワリは察して、そうなんですと話をあわせてくれた。本当にウツロと違ってなんて物分りの良い……! と思っていると脇を指でぶすりと突かれる。勿論ウツロだった。


「今、良くない事考えてたでしょ」


「こういう時だけ俺の考えを読むな」


 笑いながらほっぺたを引っ張ると例のごとく「うー」と言ってぷいと横を向く。


「ほらほら、こっちだよ」


 林に連れられてパレードの会場まで歩いて行く。道中はラフな質感の白いレンガを隙間なく並べたとてもおしゃれな通路で一本道になっている。レンガを多用した海外風の町並みでありながらも、その真っ白で真新しいカラーリングのアンバランスさがこの場所には妙にしっくりと来た。こういった非日常感こそがテーマパークの醍醐味なのだろう、そこかしこで招待客達による記念撮影が行われていた。


「ねえ、マスター私達も写真撮りたいです!」


「ああ、じゃあ撮るからそこ、並んで」


「違いますよ、一緒に撮りたいんです!」


「なら、私が撮ろうか?」


 林がいってくれたので一瞬迷ったが、


「ありがとう、じゃあ頼むよ」


 と言ってスマホを渡す。


「はい撮るよー」


 林の声で俺と、ウツロ、コワリの三人で棒立ちのまま写真をとってもらった。


「ちょ、ちょっと、お地蔵さんじゃ無いんだからもう少し楽しそうに……ほら、ポーズとか!」


「そ、そうだよな。なんか写真って慣れてなくて……」


 ぎこちないながらも色々なポーズをとり後何枚か撮ってもった。


「林も一緒に撮ろうよ」


 と言ってみたのだが、今日は駄目だとかよく解らないことを言って帽子で顔を隠してしまった。思ったより恥ずかしがりやなのかもしれない。


 道なりに進んでいくとそこかしこで恐らくはイメージキャラクターであるだろうタコっぽいきぐるみが愛想を振りまいていた。コワリによるとトゥルヒーと言う名前らしい。


「うわあ! 本物だ!」


「なんだあれ、凄いのか」


「そうですよ! 食べるとたこの味がするんです! 原作でのたこ焼き回面白いんですから!」


 俺にはよくわからないが熱量に押されてしまった。

 長い通りを抜け、パレード出発地点であるという海に囲まれたステージのような場所にたどり着く。そこにはきらびやかな船を模したであろう乗り物と、たくさんのキャラクターの着ぐるみが集まっていた。あまり詳しくないのでさっき教えてもらったトゥルヒーの兄弟みたいなタコ連中以外は解らないがそれぞれが人気なのだろう、周囲の柵から身を乗り出した子供たちは声を上げて盛り上がっていた。


「可愛いなぁー!」


 コワリも目を輝かせてはしゃいでいる。その様を見ると連れて来て良かったと思う。あとでお土産物屋で何か買ってあげてもいいかもしれない。



 パレードの開始時刻まであと十分と少し。出発地点からは少々距離がある場所だったがいつの間にか人が増え、周囲の人と触れ合わずにその場にいる事が難しくなってきた。


「そういえば林は、どのキャラが好きなの?」


「え、私? うーん、やっぱりトゥルヒーかなぁ。たこ焼きにされたりして可愛いし」


「やっぱりたこ焼き回ですよね! あのシーン大好きです!」


「トゥルヒーといえばたこ焼き」


「うんうん!」


 ウツロとコワリも返すが正直言って何言ってるか全く解らない!


「そ、そうなんだ」


 としか返せない。女性陣は謎のたこ焼きのネタで盛り上がっていて微妙な疎外感を感じる。帰ったら俺も見てみようかな……。

 次の瞬間、近くに居た子供が嬉しそうに叫んだ。


「あー出てきた!」


 時計を確認するがまだ開始時刻には早い。予定時刻を前倒しにするなんて事があるだろうか。だが、確かに海の中から着ぐるみがざぷんと上がってきている。海中から潜って準備していたのだとすると随分凝った演出だ。

 ずぶ濡れの着ぐるみ、いや真っ白な人間に係員が小走りに駆けて行く。

 違和感。違う、これは。


「……ダメだ、違う! 逃げて!」


 ウツロが叫ぶ。同時に、着ぐるみを着込んだかのような白い人間の腕が係員の胸を貫いた。白い体に鮮血が飛び散る。ざわついていた会場は一瞬で静寂に包まれる。


「な、なにこれ、子供も見てるのに悪趣味すぎない?」


 誰かが乾いた笑いと共に声を苦言を呈した直後、胸から腕を引き抜かれた係員はたたらを踏んで後ずさる。白い人間は引き抜いたばかりで血にまみれた腕をすっと横に薙いだ。直後、ごとりと係員の首が地面に落ちた。


 絶叫。当初は特殊な演出だと信じて見守っていたギャラリーは蜘蛛の子を散らすように無茶苦茶に逃げ惑い出した。幸か不幸かここは最前列で、出口は後方。前方のフェンスを必死に掴んで身体を支える。


「クソっ、とにかく離れ離れにならないようにフェンスにしがみつくんだ!」


 隣に居た林、ウツロ、コワリも言われたようにがっちりとフェンスを握り締める。混乱した人たちは走って逃げようとしているが密集しすぎて上手く逃げられていないようだ。将棋倒しが起こりあちこちで悲鳴が響き渡った。あの白い人間は、一体。


「ウツロ、もしかしてあれハイドラマグナか」


「初めて見るタイプだね。でも、きっとそうだと思う」


 平静を装おうとしているがウツロは歯がみして相手を睨みつけている。


「お前も初めてみるタイプなのか。とにかく俺たちはここを逃げ出そう。出口どっちか解るか」


 林に向かって聞くが先ほどの光景でショックを受けた林はがたがたと震えて真っ白な顔をしており、俺の声が届いていないようだった。いつの間にか被っていた麦藁帽子もどこかに飛ばされてしまっている。さっきの白い人間、いや人型をしたハイドラマグナを見るとパレードの着ぐるみ達の方向へ向かったらしく、周辺には凄惨な赤が見えた。


 そして、人型ハイドラマグナは最初の一体だけではなく、何体も海から上陸してくる。


 ただの猛毒クラゲだとずっと言い聞かされていたハイドラマグナが陸上に上がり、積極的に人を襲っている事に驚きと恐怖を覚える。

 生物は基本的に捕食の為に狩りを行う。だが、人型ハイドラマグナの暴力はそれを目的としていない。ただ、純粋に殺戮を行う為だけに振るわれているように見えた。実際首を落した遺体には目もくれず次々と生きている人間を襲っているようだった。


「マスター、とにかく林さんを無事連れ出さないといけませんね」


「ああ、そうだな」


 叫び声がそこかしこで響き渡り、転倒し怪我をした人たちがそこらじゅうに居た。酷い怪我をした人たちを見捨てるわけにも行かない。自力で動けなさそうな人たちに肩を貸して出入り口まで連れて行く事にした。


「すまないね、恩に着る」


 俺が肩を貸した老人は転倒して額を切った為か血まみれの顔でそういった。派手に出血はしているが足をくじいただけで命に別状は無い様だった。


「困った時はお互い様ですから」


 震える頬を押さえつけて無理矢理笑顔を浮かべる。ウツロと林、コワリでもう1人のおばあさんを運ぶ。出口付近の広場までやってきたが人はごった返し一向に進む気配が無い。



「何してんだ! さっさと開けろ! バケモノがくる!」


「何なのあれは! 死にたくない!」


 怒声が鳴り響く。拡声器を持った男性が落ち着いてください、順番に退園していただきます、と必死に繰り返して列を形成しようとしている。

 近くに居た係員に怪我をした人を預けて後ろを警戒する。遅々として進まない行列は暴動を起こす寸前に見えた。


 次の瞬間、叫び声が聞こえた。一体何が起こったのかと理解する前に叫び声が連鎖し飽和していく。前を向くと拡声器を持っていた男が台の上で人型ハイドラマグナに胸を貫かれていた。鮮血に彩られた真っ白な身体をステージの上でくねくねと動かしていたそいつは鋭利な腕を引き抜きゆっくりと目の前の人間達へと歩を進める。周囲の人たちは更なるパニックを起こし、奇声を上げながら散り散りに逃げ惑った。


「一体、あいつはどこから現れたんだ? 園内に潜んでいたって事か? もしそうなら……」


 ただの危険生物でないとしたら。

 あいつらに知能があり、この時を狙っていたのだとしたら。

 恐ろしい想像で足が震える。


「今はまだわからない。とにかくこっちは……ダメだね、裏から逃げよう」


 ウツロはパンフレットの地図を広げて俺に見せた。確かに半分が海に囲まれた園内から逃げ出すには表門を除けばもう一つの第二ゲートから脱出するしかないだろう。


「ああ。林、おぶされ」


 人の死を目の当たりにして腰が抜けへなへなと座り込んだ林の前にしゃがみ背中を晒す。


「う、うん」


 林はそれだけ応えて俺の背中に覆いかぶさる。


「ウツロ、先導してくれ。コワリは後方の警戒を頼む」


「解った」


「任せてください! マスター!」


 思っていた以上に、そこかしこに人型ハイドラマグナが居るらしく悲痛な声と絶叫が周囲から響きわたる。もしこれが事前に潜伏し待ち伏せていたのだとしたら、奴らには何らかの知性が存在し連携しているという事。

 その考えが決して無茶なものでない事を理解して身の毛がよだつ。どうすればいいのだろうと考えるも、状況の解らない今、自分と知っている人の身を守るのに精一杯だった。


 歯噛みしつつ、第二ゲートへと急ぐ。先ほど通った通路と同じはずが周囲は赤い血肉と死臭で満たされており、まったく別の世界に迷い込んでしまったかのようだった。



 第二ゲートへと向かう最中、バラバラとヘリの音が聞こえ出す。G2が到着し始めたのだろう。そしておそらくはG2バロットも。

 そこかしこで火の手があがり、死臭がどんどん濃くなる。

 林は俺の背中で号泣し続けていた。気持ちは痛いほど解る。俺だって一人だったら何も出来ずに泣き叫んでいたはずだから。


 ウツロの先導で無事第二ゲートへ繋がる広場へたどり着いたが、既にゲート周辺には人型ハイドラマグナが陣取っている。偶然ではなく、明らかな待ち伏せ。ざっと視界に入るだけで計四体。その周辺にはいくつもの赤い染みとばらばらになった肉の塊が落ちている。恐らくは第二ゲートの存在に気づいて脱出しようと先にたどり着いた招待客たちだろう。


「うっ……! 目ェ、瞑ってろ。絶対に目を開けるな!」


 背中の林に言ったが、俺自身も死体を目にして判断が遅れていた。林が悲鳴を上げると四体の人型ハイドラマグナはゆっくりと頭部をこちらに向けた。

 真っ白な光沢のある身体、そして身体の各部には鋭角的な外骨格を生じている。


 鮮血に彩られた手足、そして頭部はつるりとしていて何も無いのっぺらぼうのようだった。ゆっくりと俺達の元に近づいてくる。ぺたぺたと歩いてくるハイドラマグナの姿はコミカルであったが俺に死を意識させるには十分だった。

 直後、俺の頭にふわりとなにかを載せられる。ウツロの帽子だった。凄惨な死臭の中、ほんのりと甘い香りがした。


「邪魔だからもってて」


 銀髪をさらけ出し、カバンから取り出した大型コンバットナイフを手にウツロは人型をしたハイドラマグナへと向かう。


「ウツロ、油断するなよ! こいつら何かおかしいぞ!」


 気の利いた台詞など浮かびはしない。


「何、ボクが負けるとでも思ってるの?」


 ウツロはいつもどおりの口調と表情で返す。


「……お前が泣いてるとこなんか想像できねえわ」


 考えるより早く俺は雰囲気に合わない軽い調子で言葉を返していた。ウツロはにこりと笑う。


「コワリ、しばらくギンジと林のことお願い」


「解りました! 姉さんも気をつけて!」


 状況に似つかわしくないイタズラっぽい笑みを浮かべたウツロはこちらに近づいてきた人型ハイドラマグナの元へと歩を向ける。不思議な事に人型ハイドラマグナはウツロを察知すると震えながら奇妙な挙動を取り、同時にどこからともなく異音が鳴り響く。


 どうやら人型ハイドラマグナが発しているらしい。ぐねぐねと動き出した人型ハイドラマグナは顔面をかきむしり、皮膚を剥いでいく。グロテスクな骨格と、乱杭歯に縁取られた口のような穴がそこに現れた。


「ゥうおおお! おおっ! うおっ!」


 奇声を発しながらぐるぐると腕を振る。何らかの威嚇かもしれない。気をつけろというより先にウツロは猫のように身を躍らせすれ違いざまにナイフを小さく一閃。相手は頚動脈に相当する部位からぷし、と音を立てて大量の鮮血を撒き散らした。人型なだけではなく、構造も人に近しいのかもしれない。奇妙な行動を取っていたハイドラマグナだったがばたばたと踊り狂うように苦しみながらもがき、やがて動かなくなった。


「何だ……?」


 ウツロはナイフの血をぬぐい、あたりを警戒する。その様を見ていた残りのハイドラマグナが一斉に空を仰ぎ顔面の皮を剥ぎ始め、不協和音のように甲高い奇声をあげはじめる。まるで泣いているようだった。


 続いて別方向からも接近してくる人型ハイドラマグナをコワリが牽制する。ウツロとコワリが人型ハイドラマグナの相手をしている間、俺は情けない事に林をおぶったまま何も出来ずに逃げ惑っていたが人一人背負って走り回るには限度がある。ついに俺の元に残った人型ハイドラマグナがゆっくりと向かってきた。

 意味の解らない言葉を叫びながら逃げる。膝が笑いほとんど体力は使い果たしている。


 接触するだけでも刺胞毒で死ぬ。ただの人間である俺にできるのは無様に逃げ回る事だけだった。せめて林だけでも逃がさなければと考えながら必死に逃げるが転がっていた人の腕に躓き、バランスを崩し、気がつくと地面に転がっていた。


 人型ハイドラマグナは奇妙な声を出しながら、真っ直ぐこちらに向かってくる。表情も何も無い頭部だったが直感的に殺意を感じた。このままでは、林もろとも死ぬ。


「くっそ……!」


 次の瞬間、短い破裂音が響いた。同時に俺に迫っていた人型ハイドラマグナは胸を押さえてたたらを踏み、後ろに倒れる。ややあってキィィ、と高周波が響き人型ハイドラマグナは爆ぜた。飛び散った体液が俺の頬をかすめ、激痛が走る。何が起こったか解らず周囲を見渡すと第二ゲートから黒い人影がこちらに向かってきていた。


 その両手には良く見ると銃が握られている。真夏なのにも関わらず黒い革つなぎのようなものを身に纏い、鳥のような仮面(恐らくはペストマスクだろう)を被った人物は首をかしげて銃を出口に向けて逃げろ、と合図したように見えた。俺は気を失っている林を抱きかかえて一目散に出口へと向かう。


「助かった、有難う!」


 すれ違いざまに黒い男に声をかけたが反応は無かった。

 なんとか助かった、と思い。脱力し掛けた瞬間、視界に違和感が突き刺さる。

 出口である第二ゲート、その上部に備え付けられたオブジェの陰から人型ハイドラマグナが姿を現し、俺に向かって飛び降りようとしていた。


 世界から音が消え、まるで走馬灯のようにゆっくりと時間経過を感じる。


――避け切れない。林だけでも――


「マスター、危ない!」


 コワリの声で現実に引き戻され直後衝撃が走る。コワリに突き飛ばされたのだと理解した。同時に悲鳴が響く。

 視線を向けると組み敷かれたコワリが人型ハイドラマグナの腕で脚を貫かれていた。冗談のような光景を目にすると同時に、自分が叫んでいる事に気が付いた。

 人型ハイドラマグナは血に染まった赤い腕をコワリの脚から乱雑に引き抜き、再度その腕を撃ち込もうと引き絞る。


「やめろぉぉぉぉ!」


 俺は林に覆いかぶされて何も出来ないまま無様に叫んでいた。人型ハイドラマグナの血に染まった腕がスローモーションのようにコワリの胸に吸い込まれていく。

 その腕が突き刺さるのとほぼ同時に先ほどの黒い男のブーツが人型ハイドラマグナの顔面にめり込み、のけぞらせた。そのままもう一度回し蹴りで後ろに倒し、肩口を踏みしめ頭部を銃で撃ちぬく。人型ハイドラマグナはじたばたと苦しげに暴れたがややあって高周波と共に爆ぜ、動きを止めた。


「コワリッ!」


 林を寝かせて血まみれのコワリに駆け寄る。


「来ない、で!」


 コワリはごぼごぼと血の音と共に、鋭く叫んだ。胸の傷は貫通こそしていないが見るからに深く、傷口は真っ赤に濡れていた。


「……触らない、でください。今、私、刺胞細胞だらけだから。ますたー、早くはやしさんとにげてください。わたしも、すこしやすんだらむかいます、から」


「やすんだらって……! 休んでどうにかなる傷じゃない!」


 コワリの胸と脚に出来た赤黒いしみは急速に面積を広げていく。


「コワリ!」


 返り血に染まったウツロが事態を察知して駆けて来た。


「……一体何があった?」


「隠れていたハイドラマグナが……でもコワリが、俺を庇って……!」


 混乱した俺はまともに言葉を接げない。ウツロはこくりと頷き、コワリの怪我を診る。


「――――っ! 臓器まで……!」


 そうしている間にもコワリの身体からは夥しい量の血が流れ出てくる。人型ハイドラマグナとの戦闘により刺胞細胞が飛び散っているであろう身体に俺は触れる事すらできない。


「……ます……たぁは、怪我は、ありません、でしたか? だいじょうぶ、でした、か?」


 コワリがうなされたように、途切れ途切れに言った。その言葉で漸く痛覚の存在を思い出した全身からじくじくと痛みを感じる。少量では有るが刺胞毒が入ったのだろう。だが、今は気にしている場合ではない。


「ああ、無事だ! 傷一つ無い! お前の、コワリのお陰だよ!」


 そう伝えた。ウツロが俺の代わりにコワリの身体を支えて起こした。


「ありがとう、姉さん。少し呼吸が……げほっ、しやすく、なりました」


 ウツロは何も言わずにコワリの顔に付着した血を慈しむようにぬぐう。


「見せろ」


 いつの間にか背後に居た先ほどの黒い男がそういってコワリの傷を診る。この声は……。


「クソッ……深い。……少し痛むぞ」


 黒い男は、いや親父はポケットから取り出した白い綿の様な物をコワリの傷口にねじ込んだ。


「うううう!」


「止血キットだ。……少しなら持つだろう。話を聞いてやれ。周囲は俺が見る」


 親父は銃のカートリッジを交換し、周囲に集まりつつある人型ハイドラマグナを狙撃していく。どうして親父がそんな格好でここにいるのか。そんな疑問も浮かんだが今は気にしている場合ではない。すぐにコワリに話しかける。


「俺を、かばったせいで……!」


「ううん、無事で、良かった。だから、そんな顔しないでください。……ねえ、ますたぁ、私に、最後にわがままを言わせてくれませんか?」


「最後だとか……!」


 言うなよ、と続けたかった。けれど俺は理解していた。コワリとの時間はもう幾ばくも残されていない事を。認めたくは無かったが、間違いなかった。


「いいんです。自分の事は、自分が、いちばん、わかるから」


 コワリはにこりと微笑んだけれど、視線は恐らくもう俺を捉えていなかった。


「最後に、私、スティグマを取り外して欲しいんです。私は、ずっと、スティグマに半分の私を支配されていました。だから、今も、私の見ているこの世界は、全部がわたしのものじゃ、無いんです。だから最後に、わたしに、私だけの世界を見させて欲しいんです。お願いします」


 ドーパミン放出をコントロールし、人間のいう事を聞く事でしか快楽を得られなくする非人道的な鋼の寄生虫、スティグマ。引き抜くことで、脳に不可逆のダメージを与えるのだと、コワリはいっていた。


「そんなことしたら……」


 コワリは間違いなく死ぬ。だが、きっとこのままでも今の俺に、俺たちにコワリを救う手立てはもう無かった。


「ギンジ、貴方が決めて。時間が無い。……でも、ボクだって同じ状況ならきっとコワリと同じことを願うよ。自分が自分であるかすら解らないまま、死ぬなんて嫌だ。自分だと思っていたものが、こんな金属の……!」


 ウツロは震える声で言った。その目は涙に濡れていた。


「お願いします、ますたぁ……」


 そうしている内にもコワリの身体に広がる赤黒い染みは面積を広げていく。


「解った……! ウツロ、手伝ってくれるか」


 ウツロは何も言わずに頷いてくれた。

 コワリの頭に残るもう一つのスティグマ。それに付着した血とハイドラマグナの刺胞毒をウツロが丁寧にふき取る。


「これで、いける」


 ウツロの声が嗚咽で詰まる。


「ここから、は、ギンジ、が、やってあげて。ボクからも、お願い、だよ」


「やって、ください」


 コワリも懇願する。これを。

 このちっぽけな鉄の塊を引き抜けばコワリの命は燃え尽きる。

 けれどそれがコワリの最後の望みなら。


「コワリ、ちょっとだけ、我慢してくれ……!」


 震える声で。震える指先で。コワリのスティグマをしっかりと掴んだ。ひねりながら、ゆっくりソケットから引き抜いていく。


「う…………!」


 恐らく激痛が走っているのだろう。コワリは顔をしかめながらも、涙を流して、それでも声を上げず。……俺はコワリを生まれてから今まで縛り付けていたスティグマを引き抜いた。


 コワリはゆっくりと目を開く。その目にはもう何も映っていないはずだ。けれど、表情はやっぱりいつもの笑顔だった。


「……ああ、良かった……じつは、すこしだけ、怖かったんです。

 前にますたぁは私のこと、私だって話してくれたけど、それでも私は、私じゃないんじゃないかって。スティグマにコントロールされている人形が私なんじゃないかって。

 その人形がますたぁの事を無理矢理好きになってるだけなんじゃないかって。ばかみたいですよね、そんな不安がずっとあったんです。

 でも、違いました。私は、コワリは、スティグマがなくても、やっぱり、ねえさんと、ますたぁの事、大好きなまま、でした」


 嗚咽が言葉を塞ぐ。涙はいくらぬぐっても尽きない。


「俺だって……コワリが、大好きだよ」


 それだけをなんとか搾り出した。


「えへへ、良かった。最後に私は、ちゃんと私だったって、わかってよかった。

 ほんとうの、私を、ますたぁがすきだって、言ってくれて、よかった。

 うれしい、な。

 ずっと灰色の世界で生きてきた私に、最後にこんなシアワセで、素敵で、綺麗な、極彩色のセカイを見せてくれて……

 げほっ……ますたぁ、そこにいますか? まだいてくれていますか?」


「いるよ、ここに!」 


 俺は、衝動的にコワリの手を取った。焼け付くような痛みが掌に走ったが、強く握り締めた。


「よかったぁ……ますたぁの手、あったかい、なぁ……ねえますたぁ、私ね……今とっても……」


 コワリの声は徐々に小さくなり、もう何を言っているか解らない。


「駄目だ……駄目だコワリ! ジェットコースター一緒に乗るって言ったじゃないか! なあ! まだ、乗ってないだろ! それだけじゃない、俺はもっと……!」


「…………」


 コワリは笑顔で、小さく頷いた。声は聞こえない。けれど、その唇はかすかに、ありがとう、と動いたように見えた。同時に小さな手の平から力が抜けていく。


「コワリ……!? コワリッ!」


 コワリの笑顔はもうなにも俺に返してはくれない。


「ギンジ……もう、コワリは……」


「う……うああああああ!」


 コワリが、たった数週間の、短い命を終えた瞬間だった。

 まるで人事のような周囲の喧騒を耳にしながら俺とウツロはその場で、ただ、泣いた。

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