第三章 極彩色の世界

第20話

 夏休みは平和に過ぎていく。

 終業式の日は山田と海に遊びに行ったと思ったらウツロにナイフを突きつけられ、翌日は巨大なハイドラマグナを目撃し、死にそうな目にあいながらも怪我をした少女、コワリを家に連れ帰ってきた。無口で機械的なコワリだったが、風呂場での事故で人格が変わってしまった事には驚かされた。


 たったの二日だったが今まで経験した夏休みの中で最も濃厚なスタートだ。このままでは夏休みが終わる前に俺の心臓が胸焼けに耐えられず死んでしまうのではないかとすら思ったが気がつくとそれから何事も無く二週間が経過していた。

 初日から特に遠慮も無かったが、今ではすっかりウツロは我が家の空気に溶け込んでいた。


「あ! マスター、アイス当たりでしたよ! ほら見てください!」


 それはコワリも。あたりと書かれたアイスの棒を誇らしげにこちらに向けている。


「おお、んじゃもう一本もらえるな。今度貰いに行こう」


「はい!」


 結局コワリのスティグマは幸運な事にあのまま特に戻ったりする事は無かった。親父が色々と調べてはいたけど、下手に弄るとコワリの脳に影響が出てしまう可能性があるようでむき出しの内部パーツをパテで覆うだけにして断念していた。

 特に意味も無く椅子に座ったままくるくると回転してみる。


「マスター、私も回りたい! 膝に乗っても良いですか?」


「うーん、いいけど別に面白くは無いぞ」


「はい、構いません!」


 というわけでクーラーもないクソ熱い部屋でコワリを膝の上に乗せてぐるぐる回る。実際やってみてもやっぱり楽しくもなんともないし、目が回って寧ろ気持ちが悪くなってきた。けれど、コワリは気に入ったようで、


「あはは! 面白い! 姉さんみてください!」


 と嬉しそうにはしゃいだ。


――あれから、コワリはウツロの事を姉さんと呼ぶようになった。誰が指示したわけでもなくコワリ自身がウツロにそう呼んで良いかと聞き、ウツロはそれを了承した。

 呼び方が変わるだけだったがウツロは姉さんと呼ばれて少し嬉しそうにはにかんでいた。二人の性格は見るからに合わなさそうに思えたが、意外な事に二人は本当の姉妹のように仲がよく見える。実際遺伝子的には姉妹といって良いのもあるが、とにかく相性は良かったらしい。


「コワリ、それ面白い? ボクはやらないけど」


 やや馬鹿にしたようにウツロが言ったものの、はしゃぎながら俺と一緒にぐるぐる回るコワリをちらちらと横目に見ている。何より何も聞いてないのに「ボクはやらない」と来た。


「ほんとはお前もやりたい癖に」


「ボクはやらない。でもどうしてもって言うならやってみても良い」


「じゃあ、やらなくてよーし! 楽しいな、コワリ!」


「はい、マスター!」


 俺は本当に何が面白いのか解らなかったが、イタズラ心から言ってみた。

 相変わらずコワリは嬉しそうにきゃっきゃ言っている。ウツロはむむむ、と顔をゆがめ、ぷいと向こうを向いた。しばらくぐるぐる回り続け流石に吐きそうになってきたので止まろうとすると、突然スマホが鳴動する。


「ちょっと、電話出るから止まるぞ」


「あ、はい。解りました!」


 ポケットからスマホを出してドアに向けて歩こうとしたが、案の定三半規管がやられてまともに歩けずその場にしゃがみこんだ。一方飛び退いたコワリは何の影響もなさそうで驚く。


「はい、津田。どなた?」


 急ぎすぎて画面の表示を見れなかったのでとりあえず出てみる。


「あ、あの。林だけど……あれ? もしかして私って登録されてない?」


 林凛子だった。笑ってはいるけど、ややトーンが低い。


「ああ、違う。今慌てて取ったから画面見れてなくて」


 なぁんだ、と安心した声が響いた。


「それで、何かあった?」


「ううん、ええとね。その……偶然なんだけどお父さんが会社の人から神光(かみつ)シーサイドパークの先行チケットもらっちゃって! それで、その。良かったら一緒に行かないかなって。ああ! 友達にもね、聞いてみたけど予定が合わなくて! 日時指定だから次の土曜日になっちゃうし入場時間規制で早朝から並ばなきゃだけど、どうかな?」


 最近話題の新しいテーマパークへのお誘いだったようだ。かなり大きな物らしく連日TVで紹介されていた為、まだオープンしていないとはいえその手のものに疎い俺でも知っていた。多分こんなチャンスは滅多に無いだろう。だがウツロはともかくコワリは俺の傍を離れる事が出来ない。


「おお、凄いな。先行ってことは関係者しか入れないやつだろ? でもどうしても面倒見なくちゃいけない、ええと、親戚がまた来てるんだ」


「あ……一応チケットは一家族四人までいけるみたいだからもし良かったら一緒にどう?」


「え、大丈夫なのか?」


「もちろん、このままだと無駄になっちゃうから」


「ちょっと待って」


 スマホを耳から離してこっちを見ているウツロとコワリに視線を向ける。にやりと笑顔を浮かべた後、コホンと咳払いをして仰々しく問いかけた。


「……遊園地行きたい人~?」


「ゆうえんち……? ……え!? それってこの前TVでやってた奴ですか!? はい!」


 コワリが即座に挙手。大きい方も視線をそらしてやや恥ずかしげにそろそろと手を上げた。


「もしもし林? じゃあ、俺とあと二人付いてきても問題ない? 一人はこの前服を選んでもらったウツロで、もう一人はその妹なんだけど」


「いいよ、勿論! なら土曜日の朝八時に神光(かみつ)駅に集合ってことでいい?」


「解った、じゃあそれで。声かけてくれて有難うな。じゃあまた」


「ううん、こちらこそ。じゃあ、またね」


 通話終了ボタンを押す。


「即決しちゃったけど、不味かったかな?」


 人混みにウツロとコワリを連れて行くのはなにがしかリスクがあ流かもしれない。


「いいんじゃない? 帽子ちゃんと被ってれば」


「ああ、マスター凄く楽しみです!」


 コワリが腕を妙な動かし方で喜びを表現している。とにもかくにも次の土曜日は新テーマパークの先行入場というとてもラッキーなイベントに参加する事になった。



「よし、準備OKだな。じゃあ親父、夕方には帰ってくる」


 玄関で靴を履きながら親父に声をかける。


「ああ、一応気をつけて行けよ」


 ウツロたちとテーマパークに行く話だが、当然良い顔はされなかった。ただきちんと帽子を被っておく事を条件に行く事を了承してくれた。更に珍しく軍資金としてがま口を持たせてくれた。妙な黒いまりも状のキャラクターマスコットが付いているがこれは親父の趣味なのだろうか。よくわからないので言及は避けておく。


「ああ、楽しみすぎます! じぇっとこーすたーとかたくさん乗りたいです!」


「ふうん、俺は遠慮しておくけど飽きるまで乗って良いぞ」


 正直皆何が楽しくてあれに乗るのか解らない。


「何、怖いのギンジ」


「べべべ、べつにこわかないやい!」


「良かったね、コワリ。ギンジも一緒に乗ってくれるって」


「えへへ~皆一緒が良いです!」


 ウツロの策略より、コワリのその一言で俺は折れた。こうなれば自棄だ。


「……解ったよ。今日は一日めいっぱい付き合うとするよ」


 やれやれ、といいつつもまるで小学生の遠足みたいに楽しみにしても居たのだが。



 待ち合わせ場所に到着すると既に林が立っていた。シンプルな花柄のワンピースと麦藁帽子といういでたちで、流行とかそういうものではないけれどとても夏らしい格好をしている。正直、学校でのイメージとのギャップに驚く。


「すまん、待たせたか?」


 小走りで近づいて声をかけた。ウツロとコワリも後ろに続く。


「あ、津田……くん。大丈夫、今来たところ。えっと、ウツロちゃんは二度目だね。もう一人の子は……」


 前回に引き続いて「くん」付けされる。妙なむず痒さを感じつつもコワリを紹介する。


「この子は、ウツロの妹でコワリって言うんだ。ほらコワリ、この子がクラスメイトの林さんだ。挨拶できるか?」


 急にびしっと背筋を伸ばしたコワリは、


「ほ、本日はおまねきにあずかりまして……」


「普通でいいぞ」


「あうう……林さん、今日は有難う御座います! 私、遊園地って初めてで!」


 やはり無理していたらしい。コワリの変わり身を見て林は破顔する。


「ははは、喜んでもらえてよかったよ。……可愛い妹さんだね」


 ぼけーっとしていたウツロに向けて林は笑顔を向けた。


「うん、いいでしょ」


 少し笑みを浮かべて返したウツロはコワリの手をきゅっと握っていた。

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