第18話
「おはよう」
朝食の準備をしていると親父が起きて来た。自分から起きてくるなんて結構珍しい。
「おはよ、昨晩はちゃんと寝てたんだな」
「ああ、流石に最近寝てなかったからな……」
どうせ聞いても理由は話したがらないので特に追求する事も無い。
「そういえば、昨夜親父が寝てからコワリが――」
「おはようございます! マスター、寝坊して申し訳ありませんでした……起こしてくれたらよかったのに!」
リビングの扉を開けて元気良くぶかぶかのジャンプスーツ姿でコワリが入ってくる。とても良い笑顔だ。親父は真顔でしばし時間停止した後、こっちを見る。
「……と言うわけなんだ」
「……お前一体なにした?」
かくかくしかじか、という具合に昨晩起こった事を説明する。
「成る程、片方のスティグマが完全に壊れたって可能性はありえるかもしれん。……G2になってもミニステルアリスの構造や製造法自体はそうかわっては居ないはずだから、基本OSはそのままのはず。なら現状個性のあった第一世代に何らかの制約がかかってる状態になるのか……?」
親父は一人でぶつぶつ言いながらなにやら考え込んでいる。
「何の話ですか、マスター! 私にも解るように言って下さい!」
「いや、なんでもないよ。コワリは可愛いなって話」
「え……! あ、ありがとうございます……」
適当に返してマジな反応されると辛いものがある。
「ギンジはロリコン。今度林に教えてやろ」
ふ、と薄い笑みを浮かべてウツロもリビングに入ってきた。
「お前目玉焼き無しな」
「……正に外道」
ウツロは目を潤ませて言った。
朝食に卵を四個も消費した事で冷蔵庫内の在庫がちょうどなくなってしまった。ちなみに卵の特売日は三日後。その間卵無しなど耐えられない。
「仕方ない、行って来るか」
別に夕方でも良いのだが、特にすることも無いので買い物に行く事にする。
「親父、スーパー行くけどなんか欲しいもんある?」
親父の部屋の前で声をかけるとすたん、とふすまが開き、「甘いもの。あとチビの服も適当に」と言って軍資金をくれた。
問題はコワリだ。本人に直接聞いてみる。
「なぁ、俺買い物行くんだけど家で留守番できるか?」
「出来ません」
即答と来た。俺も男なので女の子に懐かれるのは嬉しい。嬉しいが、流石にここまでべったりだと多少疲れるし気も使う。
「どうすっかなー。ウツロー、お前買い物行って来てくれない?」
声をかけながら俺の部屋をのぞくとまたウツロが筋トレをしている。
「え、やだよ」
こっちも即答だった。
結局コワリと二人で買い物にいく羽目になった。
だが国家機密クラスのG2を連れてスーパーに行くってどうなんだろう。一応昨日の状況を親父に説明した限りだと、例の放送後使われたのは広域照射型マイクロウェーブ兵器らしく、それにより周囲の電子機器は動作していない可能性が大いにありえるという。ただカメラには映っていないかもしれないがG2自体は一体居なくなっている訳で、捜索されている可能性は否定できない。六年前、親父がウツロの死を偽装した時はウツロ以外のアリスがハイドラマグナに捕食されていた事でなんとか誤魔化せたようだが、今回のハイドラマグナが最後どうなったか見ていなかったので少し心配だ。色々考えていると、ピンとひらめいた。
「これを着るんですか?」
「うん、着替えたら出てきてくれ」
ぱたん、と扉を閉める。コワリに渡したのは俺の昔の服。つまりは男装させれば良いじゃないかという事だ。幸いコワリは、ええと端的に言えばボリュームに欠けるので十分誤魔化せるはず。等と考えていると、
「着替え、終わりました」
やや困惑した表情でコワリがおずおずと出てくる。膝丈のパンツにTシャツだけだが髪の毛が黒いので帽子を被るだけで十分少年に見えるだろう。
「よし、採用。外出する時はそんな感じで行くことにする」
「はい、わかりました。特に衣服にこだわりは無いので大丈夫です!」
どこぞの食いしん坊とはえらい違いである。などと考えていると当の本人が顔を出し、
「ボクもこういうのがいい。動き易いやつ」
コワリの服を指差す。
「林が折角選んでくれたし、お前じゃ男装は無理だろ」
「なんで」
なんでと言われると回答に困るのだが、具体的には出るトコ出てるからである。
「と、とにかくウツロは昨日買った奴だ」
「けち」
「コワリの方が妹なのにお姉ちゃんはわがままだなぁ。あ、言っちゃった」
イタズラ心に従いあえて口に出す。
「ギンジの馬鹿。ばーか」
悪口の語彙は少ないようでウツロはしょぼくれた顔をして部屋に戻っていった。少しかわいそうなことをした気がしなくもないのでデザートは張り込んでやろう。と、ちょっとだけ反省した。だがすぐにウツロがもう一度顔を出す。
「そういえば、この子下着無いよ。私のじゃサイズ合わないし。ギンジ、買ってきてあげてね」
自然とコワリの方を向く。それって……。
「すまん、ウツロさんやっぱ一緒に行こうよ。アイス買ってあげるよ」
「アイスかぁ……でも甘やかしちゃだめって言われてるから。コワリ、ギンジにパンツ買ってもらっておいで」
誰にだよ、と突っ込む前にウツロはニヤリと笑って引っ込んだ。言われたコワリはあわわ……と慌てふためいている。どっちにも爆弾ぶっこんでいきやがったこの野郎。
ただ下着が無いというのは問題なので、教えてくれた事自体は助かった。自分からは言い出しづらいだろうし、ウツロなりの気遣いだったのかもしれない。とても低い確率ではあるが。
「どうしよう、売り場でコワリに買わせるしかないのか」
そんなもんどこで買えばいいんだと小一時間。たとえ場所がわかってもそこには俺にとっての地獄しか存在しない気がする。一人で買って来て貰うのが一番合理的だが、風呂にまで着いてこようとしたコワリがそれを許すだろうか。きっと難しいだろう。
「……仕方ないか」
俺はポケットから秘密兵器を取り出した。
◆
「いきなり呼び出してごめんな」
「おう、いいって事よ! で、言ってた子どこだよ!」
山田が鼻の下を当社比三倍くらいに伸ばして聞いてくる。ここまでくると骨格レベルで完全に別人だ。
少し前、山田に電話をかけて、
「この前の子の妹が買い物するんだけど、付いて来てくれない?」
「いやだよ、妹も凶暴なんだろ」
「いや、それが妹は凄く大人しくて可愛――」
「まかせろ。俺たち友達だろ? ウェヒヒ」
「笑い声が気持ち悪い!」
というやり取りがあった。
「ほら、出ておいで。怖くないから挨拶して」
背中に隠れているコワリに声をかける。
「は、はい……あの、初めまして。私、コワリです」
俺の影からおずおずと姿を現したコワリが恥ずかしそうに、上目遣いで山田に挨拶する。
一方、どう考えても同年代ちょい下程度を想定していたであろう山田は一瞬の硬直。
コワリはどうみても小学生程度の見た目なのでがっかりしているのだろう。
「あー、何て言うか嘘はついていないが騙したみたいになってすまん。ちょっと訳ありで俺の服着てもらってるが正真正銘女の子だ。ちょいと事情があってお前の協力が――」
「まかせろ」
と、思いきや思いのほか良い声で山田は答えた。こいつ、もしかして……いや、友達の事を悪く考えてしまうのは良くない。
「俺、最近気付いたけどロリもいけるから」
駄目な予想をそのまんま口に出された! 思ってもいうなよ!
「駄目だ、やっぱお前帰れ! もしくは投獄されろ!」
流石に真性の傍にコワリを近づける訳には行かない。腰を落として両手をわきわきさせながらじりじりとコワリに近づく山田の前に立ちふさがって言った。コワリは俺の背中に隠れて怯えている。
「馬ッ鹿野郎、俺をニュースを賑わす阿呆な外道共と一緒にするな。いいか、本物は絶対にタッチしたりしない。そういう存在をただただ愛でる。……それだけで幸せになれるんだよ」
こ、こいつこんな気持ち悪かったっけ……昨夜のコワリのように今度は俺がドン引きしている。
「おまわりさん呼びたい! けど、とりあえず本物のロリコ……いや紳士である山田は女の子に優しいし、悪さもしないってことだな? 本当にお前を信じていいのか?」
「ああ」
山田はとても胡散臭い顔で答えた。信用ならねえ!
ただ事態は急を要するので多少の妥協もやむなしだった。
「あのさ、じゃあ頼むわ。この子昨日突然うちにきたんだけど、下着持って無くてさ。買ってきてくれ」
「ホワイ?」
どうやら山田ですら、キャパシティという名の変態袋を大きく超えてしまったらしい。
正直、最初は罪悪感があった。友達に女の子向けの子供下着を買わせるなんて自分でも酷い奴だと思っていたからだ。でもなんか予想外に「ええ~、こまったなぁ、でもそこまで言うならぁ」みたいな空気を感じたのでごり押しで頼んだ。
俺の中で山田の株は下落したけど、それはもう随分下落したけど、ストップ安だけど、ありがたいことはありがたいので感謝しておく。だがもし何かあれば友人の一人として即座に警察へ情報提供する心構えだった。
ややあって、何だか良い顔をした山田が店から出てくる。まるで一皮向けたような、そんな顔をしている。その後ろで店員さんがなにやらごにょごにょ話をしているようにも見えた。
「いや、正直すまなかった。でも随分助かったよ」
「いいってことよ! でもさ、コワリちゃんがお前と離れられないなら一緒にお店に入れば問題なかったんじゃないの?」
それが嫌だったからお前を呼んだんだ。
「女物、しかも子供の下着売り場に入るとかそれある意味社会的には死刑じゃねえか」
「俺そんなやばいことした!? まあ、良い経験になったよ」
深く考えるとこいつを殺して俺も死ぬ流れになりそうなのでスルーした。当人であるコワリは恥ずかしそうに山田からブツを受け取った。
「あの、山田さん、有難う御座います。ただマスター、今度からは私一人で買ってきます」
……勝手に「一人で買い物させるのは難しい」と思い込んでいた。俺の早とちりだったようだ。
「そっかコワリはえらいな! じゃあ山田有難う!」
「ちょっとまてやぁ?」
その後一悶着有るかと思ったがコワリが黙っていた私が悪いんですと言い出すと、山田は笑顔全開で誤魔化されていた。同年代なのにまるでおじいちゃんのような山田の扱いやすさが今はただ有り難かった。
とにもかくにも山田には世話になったので超高級アイスであるウィアードテイルズの三段盛りをおごらせてもらう事にした。初めてアイスを食べたコワリも驚きと共に嬉しそうな顔をしていた。ただ、その喜ぶ様を見るとこの『美味しい』という感情すら本来はスティグマによって抑制されていたのだと考えるとじくりと胸に痛みが走った。
山田とは別れて帰路についたが、本命が卵の補充だった事を思い出し、結局一度戻って買いなおす羽目になった。
◆
夕食後、全員で珈琲をすする。
珍しくTVが付けっぱなしになっている。普段は消しているが動物番組だったのでそのままにしていたのだ。サバンナの過酷さ、そしてそこに生きる生き物たちの生態をナレーターが熱く語っている。可愛らしい動物の子供を人形のように扱い、可愛いを連呼するだけの番組は苦手だがこの手のドキュメンタリー物はやはり面白い。
今はシマウマの縞がサバンナの環境においてどれほど保護色として優秀かをモノクロ映像を交えて説明していた。
「ギンジ、シマウマ好きなの」
ウツロが聞いてきた。嫌いではないが、特別好きでもないし、そもそもそんな話をウツロとしたことは無い。
「なんで? 別に嫌いじゃないけど」
「だって、しましまばっかだったから、コワリの……」
「ちょっ、ウツロさん!」
コワリが真っ赤な顔をして立ち上がる。そして親父の冷ややかな目と侮蔑の浮かんだ笑みが痛い。知らんぞ、そんなもん確認もしていない。
「ち、違う! それ山田だから! 買ってきてもらったんだよ!」
俺は俺の身が可愛い! 俺の裏切りにより山田の株価は我が家でも地に落ちた。
「……今度、山田君もうちにつれて来い。美味い飯でも食わしてやれ」
なんとなく察してくれた親父はくつくつと笑いながら自分の部屋に帰っていった。
「なんだ、ギンジの好みじゃなかったのか。ボクも穴が空いたらいずれシマシマを支給されるのかと」
「ももも、もうやめませんかこの話題……」
コワリが涙目になってるので頭をぽんぽんと撫でて慰めておく。
「あーあ、妹を泣かすなんて酷いお姉ちゃんだなぁ」
わざとらしく言ってやる。ウツロも反抗してくるかと思ったが、予想外に反発は無かった。
「そうだね、ボク、やっぱりタタリにはなれないなって実感したよ」
少しだけ寂しそうに見えた。冗談っぽく笑っていたけど、放っておくには寂しすぎる笑顔だった。
「……すまん、言い過ぎた。でもウツロがタタリにはなれないのは当たり前だろ。タタリはタタリでしかないし、ウツロだってお前しか居ない。コワリだってそうだ。人間ってのは皆固有の魂をもって生きてるんだしさ」
魂、イメージとしては解るがそれが何かというのは正直俺の脳ミソでは理解が追いつかない。
「……人間、ね。瑠璃のクローンであるボクたちにも魂ってあると思う? たまに思うんだ、自分の心だと思っているものが、実は全く違う誰かのものなんじゃないのかって」
瑠璃。ミニステルアリス計画の発案者、澱木ミコト博士の亡くなった娘の名。ウツロたちミニステルアリスは瑠璃の細胞を培養して作られている。それゆえに、自分の魂が瑠璃の魂に引きずられたものではないのかと不安に思っているという事だろうか。
視線をそらしながら言ったウツロの横顔は儚く見えた。
「……あのさ、えーと、確かデカルト……だったっけ? まあいいや、とにかく『我思う故に我あり』って言葉があるんだけどさ。意味は、自分を含めた全てのものが虚偽だとしてもそれを疑う自分の意識だけは本物だし、それこそが自分だって事。つまり、そういう悩みを持ってる時点でウツロは立派な意識を持ってるって話なんだよ。実際さ、自分が自分である事なんて誰かが証明してくれるわけじゃない。逆に言えば自分で決めていいんだ。そういった言葉が生まれるって事は、昔からみんな不安だったんだと思う。皆自分が唯一の存在だって、そう思いながら生きてるんだ。……何か不安にさせたならすまない。つい軽口言っちゃったな」
不安の度合いはアリスであるウツロとコワリの方が自分よりはるかに大きかっただろうと思い、深く反省し、謝罪を口にした。
「ふうん。ギンジにしては面白い事言うね。我思う故に我あり、か。じゃあ、ボクはボクでいいってことだね。……じゃあそれとは別にさ、ギンジはボクがボクだって信じてくれる?」
「当たり前だろ。お前みたいな食いしん坊がそうわらわら居てたまるか。ウツロはウツロだよ」
湿っぽい空気になってしまったので笑いながらウツロの頭をわしわしと撫でる。嫌がるかとも思ったが、ウツロはそのまま目を瞑って、
「そっか」
と呟いた。そして、小さく有難うと呟き、
「もう少しそうしていて」
と、言った。茶化すのも憚られたのでそのまま撫でてやる。
ウツロもひょうひょうとしてはいたが、自分という存在を不安に思っていたのだろうか。だから、消えてしまう前にタタリの事を知りたがったのかもしれない。自分という存在を認識し、肯定する為に。……ウツロは来年の今頃はもうこの世にいないという事実が不意に俺の心に突き刺さった。それはとてもじゃないが信じられなかった。
「マスター、私も!」
そこまで黙って聞いていたコワリもそういって膝の上に乗って来た。やや重いが恐らくは両手に花という奴なので甘んじて耐えた。
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