第17話

 食後の珈琲を淹れて、テーブルに置く。コワリとウツロの分はミルクを入れてラテにしておいた。


「苦いから砂糖入れたければ入れてくれ」


 コワリにスティックシュガーの詰まった瓶を渡す。うちは基本二人とも面倒臭がってブラックなので来客用のものだ。親父も以前は甘党だったらしいのだが。


「有り難う御座います。それでは不足するカロリーを補う為に頂きます」


 そういってさらさらと珈琲に砂糖を入れていった。だが予想外に次々と砂糖を投入された珈琲は限界を超えてしまい、見るもおぞましいどろどろした茶色い粘液へと変貌していく。コワリは涼しい顔でそれをぐねぐねとスプーンでこねている。水飴かな? とりあえず見なかったことにする。


「親父はさ、ミニステルアリスの開発者だったんだよな?」


「……そうだな」


「当時から、こういうコンセプトだったわけじゃないんだろ?」


「もちろんだ。こんな外道な研究が認められてたまるか。もし世間に公表したらとんでもない事になるだろうな」


 親父はいいながら、少し笑っているようにも見えた。


「そもそもミニステルアリスって存在自体が非道すぎるだろ」


 批判してからミニステルアリスを開発したのは親父だという事をすっかり忘れていたことに気付く。


「ああ、その通りだな。ミニステルアリスは、終わらせなくてはならない。いや、生み出した俺が言えることじゃないがな。俺の残した罪だ、俺がけりを付けなくてはならない」


 コワリは表情を変えず、そのままテーブルに座っている。そういえばふと気になったのはこの少女の頭部にくっついている金属製のコブのようなもの。片方は壊れているようにも見える。先ほど親父がこれに触れようとした事で防衛機能が作動したらしいことを口走っていた。


「なあ、コワリ。お前の頭って俺なら触ってもいいのか」


「マスターであれば問題有りません」


「半分壊れてるみたいだし、怪我もしてたよな? 痛くないのか?」


「確認します。……ややエラー領域が増えていますが相互補完により稼働自体に問題は有りません」


 ちょっと見るぞ、とさらさらの黒髪を掻き分ける。丁度、耳の少し上側の部分に左右それぞれ金属製の小さな機械が頭部に付属している。破損している片方は中のパーツが少し見えていた。幸い怪我自体はたいしたこと無いらしく血は止まっている。


「親父、ちょっと見てくれ。解ってると思うが触らないでくれよ。なんだこれ」


「……解らん。俺も初めて見る」


 軽く触れてみる。だが頭部に固定され動かない。どうも張り付いているわけではなく埋め込まれているようで簡単に取り外しが出来るものではないらしい。


「コワリ、これ何?」


「ドーパミンコントロールユニット、スティグマです。警告します。無理に引き抜くと脳に不可逆のダメージをもたらします」


「何だそれ」


 何いってるのか解らない、といった俺とウツロ、そして相変わらず機械的なコワリだったが親父だけは険しい顔をしてぶるぶると震えている。


「クソッタレどもが!」


 突然親父は激昂して叫んだ。


「ど、どうしたんだよ!?」


「どうもこうも……!」


 頭をかきむしり、眼鏡をテーブルにたたきつけて目頭を揉む。


「すまん、取り乱した」


「そんなにやばいものなのか? なんなんだよこれ」


「……ドーパミンてのは脳内の情報伝達物質だ。主に快楽をつかさどっている。それをコントロールしてるっていったな。おい、どんな条件だ」


「黙秘します」


 親父が俺を見て顎をしゃくる。代わりに俺が質問をする。


「教えてくれ、コワリ」


「畏まりました、端的にスティグマはマスターの指示に従うことでのみドーパミンの放出を行わせる事が可能です」


 相変わらず何を言ってるのか解らない。


「どゆこと?」


 親父に聞く。想定内だったらしく暗い顔をしていた。


「……ギンジ、お前好きな食べ物はなんだ」


「から揚げ」


 いきなり何を言い出したんだと思いながら真面目に答えた。から揚げは親父の好物でもある。


「から揚げ食べると美味しいとか幸せだとか感じるだろ。それは脳ミソにある中脳、その中の黒質という部位がキーになってドーパミンを放出する事で快楽を得ている状態だ。つまり、楽しいとか美味しいとか好きだとかそういった感情の根源だ。そいつをそのくそったれな金属の寄生虫にコントロールされてるってことだ。いわば機械で強制的にシャブ中(覚せい剤中毒者)にさせられてると思えばわかりやすい。こいつが言ったとおり主として認めた人間の指示に従う事でしか快楽を得られない。こいつらは命令を聞くためだけに、つまりは喜んで死ぬ、それだけの為に生み出されたってことだ」


 絶句した。洗脳とか、そういうレベルではない。

 コワリ達は『人のいう事を聞かなければ快感を得られない』。そしてバロットが生み出されたのは廉価版特攻兵器としての側面が強い。


 つまり、彼女たちは『自死する為に生まれてきた』。

 特攻による自殺を命令される事でのみ快楽を得る存在。

 確かにそうであれば絶対に命令に逆らう事はない。だが、これは言うまでもなく人の尊厳を完全に無視してつくられたものだ。


「酷すぎるだろ、そんなの……! どうにかできないのか、これ取れないのか?」


「取り外す事は可能です。ただし中脳深くに食い込んでいますので脳に不可逆の損傷をもたらします」


 これは、人間のやって良い事ではない。ミニステルアリス自体がそういう存在として作られている。そうであったとしてもG2に施されたスティグマによるドーパミンコントロールはとても許容できる事ではない。


 ただのコストカットの為に未成熟のまま、鋼の寄生虫で洗脳し、使い捨てるG2バロットの存在を作り出した存在が同じ人間である事を強く嫌悪した。



 時計は二十三時を示していた。そろそろ就寝時間だ。

 親父は俺たちが今日見た武器らしきもの、カイマン社周辺で流れていた音声放送の内容を聞きだした後、調べ物があると言って部屋に引きこもってしまった。


「そういやコワリ、いつもどういう時間帯に寝てるんだ? 普通に夜間眠るのか?」


 充電とか必要なのだろうか。


「いつも、といわれても私が覚醒したのは数時間前になります。睡眠時間帯はマスターの指示に従います」


 そうだった、普通に会話が出来ているから勘違いしていた。


「ならとりあえず今日はここで寝てくれるか?」


 リビングのソファを指差す。


「マスターもここで休眠されるのでしょうか」


「いや、俺は部屋だけど」


「でしたら拒否します。私はマスターの傍で休眠します。これは決定事項です」


「あれ? じゃあ命令するぞ、ソファで寝てくれ」


「拒否します」


「ど、どうして?」


「私達G2はインプリンティングによりマスターを設定しますが、悪用を防ぐ為にマスターを警護する必要性があります」


「ど、どゆこと?」


 傍にいたウツロに聞いてみる。


「え、プリン……? 多分津田カズマが食べたと思う。ボクじゃない」


「わかった、有難う」


 どうもインプリンティングからそこだけしか聞こえてない。あと勝手にプリン盗み食いしたのを自白してるとみた。


「私達をハッキングする事は出来ません。ですが、マスターを抑えれば私達を間接的に好きに使う事ができます。それゆえに私達は戦闘時以外は常にマスターの傍にいるようにプログラミングされています」


 つまり、G2を悪用しようとする場合最もゆるい鍵が主になる為、それを防ぐ意図があるという事か。主な用途が、胸糞悪いが使い捨ての特攻兵器であるG2バロットであればそれで問題なかったのかもしれないが、一緒に暮らす事になるとなるとその条件は正直困ってしまう。


「解った、じゃあ俺の部屋に寝袋敷くから今夜はそこで寝てくれ。それでいいか?」


「畏まりました」


 とりあえず色々ありすぎて疲れた。もう風呂に入って寝る事にする。


「じゃあウツロ、コワリに俺の部屋教えておいてあげてくれ」


「わかった」



 脱衣所でいそいそと服を脱ぎ浴室内へ入る。椅子に座ってふう、と一息つく。正直色々ありすぎてどっと疲れていた。やはり一日の〆は風呂に限る。ぼんやりと石鹸を手に取りタオルにこすりつけていく。曇った鏡にシャワーをかけると、俺の背後に着衣のままコワリが仁王立ちで映っていた。一瞬意味がわからず、反応が送れてしまう。


「うおっ! 何してんだ!」


 驚いて手にしていた石鹸を放り投げ、大きな声を出してしまう。


「何、とは。先ほど説明したとおり私たちはマスターから離れる事は許可されていません」


「いやいやいや! おかしいだろ! そもそもお前が着衣で俺が全裸って何処に向けたサービスシーンだよ!」


「マスターが仰っているお話の意味が解りません」


「解らんでもいい! いいから出てくれって、風呂から! すぐに!」


「何を慌てているのです? マスターは入浴されるのでしょう? でしたら身体を洗う手伝いでも――」


「いいって!」


 おもわず伸ばされた手を払う。直後ごちんと鈍い音がした。

 恐る恐る振り返るとバランスを崩したコワリは後ろにひっくり返り目を回していた。運の悪い事に石鹸を踏んづけて滑ったらしい。


「ちょっ、コワリ!? 大丈夫か?」


 仰向けに倒れて目を回しているコワリからは返事が無い。


「……なあ、コワリ?」


 やはり返事が無い。ま、まさか……死……。怖気が走る。


「お、おいちょっと!」


 即座に抱きかかえて浴室の外に出す。とりあえず下着だけ履いて呼吸を確認する。よかった、きちんと胸は上下している。ややあって、コワリはゆっくりと目を開く。


「おい、コワリ! 大丈夫か?」


「う、う~ん……うん? 大丈夫、です」


「良かった……! 自分の名前、わかるか?」


コワリ、です」


 返事を聞いてとりあえずは安心した。


「どこか変なトコないか?」


「大丈夫、ちょっとくらくらしますけど……」


 目を瞬かせながら答える。


「俺が誰か解るか? これ指何本に見える?」


 チョキを見せながらそう聞く。


「勿論、マスターです。ええと、二本ですね」


……言ってる事は全て正しいのだが、この違和感は一体どこからくるものだろう。

 どうしたものかと、悩んでいるとパンツ一枚の俺の姿に気付いたらしいコワリが口を開く。


「あ、あの! マスター、残念ですが私達に生殖機能はありません。そ、それに私たち未成熟ですし……ですので、多分ご期待に添えないかと……一応知識としてはあるんですけど……」


 顔を真っ赤にして手で顔を覆いながら言った。でもやや開いた指の隙間から見開いた目が覗いている。好奇心旺盛か。


とりあえず今の状況をコワリサイドからシミュレーションしてみる。



『気を失って目を覚ましたら、パンツ一枚の男がそばに居ました』


……うん、これアカンやつや……! 混乱しすぎて言語野が関西弁に侵食される。


「いや違うぞ! この格好はお前が風呂場で転んだから慌てて介抱したからであって別にやましい事しようとしたわけじゃないぞ!?」


「ええ、ええ! 勿論解っています! 解ってますよ! 安心してください、大丈夫です! 誰にも言いませんから……だから酷いことしないでください!」


 何が大丈夫だというのかこの娘は。なんか絶対大いなる誤解をしている。けれどそれ以上に何かがおかしい。この違和感の正体は一体なんなのだろう。


「なぁ、コワリ。お前なんかおかしくない?」


「どういう事です?」


 さっきまでまるで機械みたいだったコワリは突然年齢相応の喋り方になってしまっている。

 とりあえずパンツ一枚は変なので服を着なおして二階に連れて行く。部屋の中で寝転がって漫画を読んでいるウツロに声をかけた。


「なあ、ウツロ。コワリがおかしくなった」


「ギンジがお風呂で何かヘンな事でもしたんじゃないの」


 ほう、こいつコワリが俺の風呂についてくるの知ってて見送りやがったな……!


「あのな、普通俺くらいの年齢の男は異性とお風呂入らないの。解るか?」


「なんで。……ああ、理性と戦ってるのか。ギンジはボクとも交尾したがってたもんね」


「してねえ! 記憶を捏造するな!」


 コワリはひぃっ、と言って俺から一歩離れた。大丈夫、俺のメンタルはぎりぎりまだ死んではいない、ほんとにぎりぎりだけど。


「とにかく! 俺が浴室に入ったらコワリがいて、色々あって転んじゃったんだ。それで、頭を打ったんだけど……」


「押し倒した?」


「衛生兵ー! 換えの堪忍袋今すぐありったけもってこい!」


 思わず叫んだがうちに衛生兵はいない。


「とにかく! 俺はそんなことしません。勝手に俺のキャラを作るな。コワリ、転んでからなんかおかしいんだよ」


 ふう、とため息をつくウツロ。どちらかというとそれは俺の……いや今はとにかく。ウツロはそのままコワリに近づいて、


「コワリ、頭触っていい?」


「痛くしないなら……」


 さっきまでは全力拒否だったはずだがコワリはウツロにおずおずと頭を差し出す。ウツロはおお、と驚きながら優しくコワリの頭を撫でた。さっき親父が触れたときは喉輪を決めていたのに。


「さらさらだね」


「あ、ありがとうございます……」


 その後特に話も進展せずウツロはコワリの頭を撫でていた。ダメだこいつ、やっぱ趣旨わかってない! 仕方ないので本人に解るところが無いか聞いてみる事にする。


「コワリ、スティグマの稼働状況は解るか?」


「あ、はい。チェックします。……あれ、おかしいですね。左側のスティグマが機能していません」


 今度こそ壊れたって事だろうか。もしそうならさっき風呂場でコケたのが原因なんだろうけど……。


「いや、でもそんなアホなことあるか……?」


 にわかには信じがたいが、それでも今は実際に起こっていることをベースに考えるべきだろう。とにかく今の話が本当ならば目の前にいるコワリが本来の人格という事なのだろうか。


「ええと、じゃあ記憶は何処からあるんだ?」


「勿論目覚めたところからしっかりありますよ。マスターが食事を作ってくれた事とか」


「……親父に喉輪を仕掛けたこととか?」


「え? 誰がですか?」


 冗談かとも思ったが本当に解らないらしい。ならばもしかするとあの反応はスティグマによる防衛機構のようなものでコワリの意識とは別物だったのだろうか。


「あー、なんか頭痛くなってきた……とりあえず、俺風呂入り直すからコワリはここでウツロと一緒に居てくれ」


「それは駄目です。私、可能な限りマスターの傍に居ないといけないんです」


 そっちは残ったままか……。ついでにコワリも言葉ではそう言いつつも涙目で明らかに怯えている。まさか知り合って初日の少女にここまでドン引きされるようになるとは。


「解った、じゃあ浴室の外で待っててくれるか? それが駄目なら俺は舌噛んで死ぬ」


「え、ええ!? 解りました、それで妥協します。けれど定期的に話しかけても良いですか?」


「それくらいなら」


 とりあえずなんとか安全ラインを確保。けどこれまさかトイレもじゃないだろうな。


「ねえ、ギンジ」


 黙っていたウツロが真面目な顔をして急に口を開く。


「なんだ?」


「お腹減った」


「水飲んで寝ろ」


 露骨に悲しそうな顔をしたウツロを尻目に、階下に下りた。コワリがぴったりと背後にいるのがなんともむずがゆい。

 約束通り、浴室外で待っていてもらいながら風呂に入るのはどうにも落ち着かなかった。

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