第16話

 何が起こったか、恐らく理解するだけの材料はあったが、考えたくなかった。とにかく予想以上にやばい事に遭遇した事は確かで、帰りは林道を突っ切り、なるべく人目を避けながら休憩しもって移動する羽目になった。


「この子、なんで連れてきたんだ?」


 ぶかぶかのジャンプスーツに包まれた、黒い目隠しをして眠っている不思議な少女。怪我をしているようだが胸は上下している。呼吸と脈拍は問題ないようだった。


「ボクも、真似したら解るかもしれないから。男は、もう死んでたし」


 真似する? もしかして誰かを助ける、という事をだろうか? よく解らないがふうん、とだけ返事をした。


 漸く家に着いた頃にはあたりは真っ暗になっていた。さっきの少女は未だに動きがない。帰り道、ウツロが刺胞細胞が付着している可能性のある箇所をふき取り、ふき取ったものは拘束衣と、逃亡時に履き直していたウツロの古いスニーカーと共に焼き捨てた。だが念のために刺胞毒が付着している可能性を捨てず、ウツロはまず子供とシャワールームに入ると言う。


「よく解らないからこれはそのままにしておく」


 樹脂製の目隠しをつつきながらウツロは謎の子供とシャワールームに入っていった。親父に相談しようと部屋の前まで行くといびきが聞こえて来る。昼から寝ているのなら起こしても良いかと声をかけた。


「親父、ちょっとトラブルがあって客が来てる。飯はもう少し待って」


 ンガッ! といびきが止まり、ああ、とだけ返事が聞こえた。



「出たよ」


 しばらくするとバスタオルに巻かれた少女を抱きかかえてウツロがリビングに入ってきた。親父の筋トレ用マットを広げ、少女を寝かせる。


「何なんだろうな、この子」


 言いながらも俺は既におぼろげな答えにたどり着いていた気がした。その答えが間違いであって欲しいと願いながら。


「とりあえず、この目隠し取るぞ」


 樹脂製の目隠しを指ではじくとコンコンと反響音が響く。特に接着されているわけでもないが軽く触ったくらいでは取れない。あちこちを見ていると、目隠しは首の後ろ側に、つまり人体に直接埋め込まれたソケットに直結させられている。目にしたものが何か理解して胃が蠢動し始めた。


 ゆっくりとソケットからコネクタを取り外す。目の前に有るものを見て頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。思わずウツロの顔を見つめる。ウツロもある程度は想定していたのだろう、ゆっくりと頷いた。


 とにかく今はおいておく。さっき血を流していた頭部の怪我を見ようと消毒液を片手に髪を掻き分けると少女は突然目を開き、むくりと起き上がった。驚いた俺も言葉を失う。


「――使用者承認、フェイスデータのインプリンティング完了。貴方(マスター)の識別コードを音声入力してください」


 なんの脈絡も無く俺の方を向いて突然話し出した。ウツロと顔を合わせる。


「コード? とりあえず俺の名前は、津田ギンジ。君の名前は? 解る?」


 訪ねると少女は俺の手首に指をそわせ軽く掴む。


「マスターの識別コード、声紋、その他生態反応、正常に入力完了。私は『G2-xx balut(バロツト)』壊(コワリ)です」


 機械のように単調に、けれどぺらぺらと喋り出す。

 まさかそうではないだろうと否定し続けていた自らのどろりとした黒い思考が形を帯びていく。這い寄る絶望をかみ締めて、目を閉じる。


 この子の仲間が宇宙服の大人に指差されたハイドラマグナへ突っ込み、赤く爆ぜたこと。

 飛び散る刺胞細胞が身体に付着しても影響なかったこと。

 そして、なにより髪の毛は黒く全体的に幼いが、顔はウツロにそっくりだった。


「……嫌な予想ほどよく当たる」


 自分の発した言葉の意味をかみ締めるともう一度胃液がこみ上げてきた。



 G2は皆をハイドラマグナから守ってくれる無敵のヒーロー。皆はそう思っているだろう。俺だってその皆と同じだった。たまに事故が起こり死亡する個体が存在する事をわかっていつつも、みんなそれを意識的に無視していた。


 時々TV画面に映ったり、イベントで登場する無表情な綺麗な顔立ちの女の子。ただそれだけのはずが、これはなんだ。明らかにそういった個体と比べて幼い。十二歳前後の外見をしている。


 俺は目にしてしまった。この子と同じ装備をした少女が、赤く爆ぜてハイドラマグナを食い破った様を。

 あれは、特攻だ。人間爆弾だ。

 漸く理解した。ハイドラマグナをアリスが駆逐する事、それはTVの中のヒーローのようにカッコイイものなんかじゃなかったって事を。


「マスター、ご命令を」


 少女は焦点の合わない目で機械的に言った。


「命令? いや、そんなの無いけど」


「繰り返します。マスター、ご命令を」


 すぐさまそう返答される。


「いや、ええと、じーつー? バロットだっけ。じゃあ君がわかる範囲で良い。君は何なんだか説明してくれるか?」


「はい、畏まりました。私は対ハイドラマグナ殲滅特化兵器ミニステルアリス第二世代、バリエーションコード『G2-xx balut(バロツト)』壊(コワリ)です。私の存在意義はマスターのオーダーに応える事、一点のみとなります」


 さっきとほぼ同じ言葉を繰り返す。『ジーツーダブルエックスバロットコワリ』。びみょーにサンスクリット語のような響きはあるが多分違うだろう。


 何語なのか、どこで区切るのかが解らない。おそらくジーツーはそのまんまG2なんだろうとは思うが。気にはなったがとりあえず呼び方はどうでもいい。


「他は?」


「エラー。機密情報です。アクセスコードの音声入力をお願いします」


 駄目か、とうなだれるとごそごそと物音がして親父が伸びをしながらリビングに入ってきた。


「おい、ギンジ。お前何やって……」


 言いかけて親父も動揺している。それはそうだろう。親父なら少女の顔を見れば一目でミニステルアリスだとわかるはずだ。


「ボクが、拾った」


 ウツロが無表情に告げると親父は額に手を当てて唸りながら、


「……訳がわからんぞ。顔洗ってくるからスープでも飲ませてやれ」


 と言って出て行った。


「スープ。そうだね、ギンジ。この子きっとお腹減ってる。早く」


「そりゃお前だろ」


 俺は漸く少しだけ笑って台所に向かった。



「ほら、出来たよ」


 スープを入れたカップを三つ食卓に並べて台所に戻る。

 自分の分のカップを啜りつつ夕飯の準備でもするかと思っていると直ぐ側にカップを持った先ほどの少女が何をするでもなく立っていた。この辺はウツロで慣れているのでそこまで驚いた声は出なかった。


「こんなとこじゃなくリビングで飲んでな。飯ならもう少し時間がかかるぞ」


「それはご命令ですか」


 違うけど、今は肯定しておく。


「うーん、じゃあ命令」


「畏まりました」


 少女はお辞儀してリビングに戻って行った。料理がそろそろ出来るかなぁと思ったくらいのタイミングだった。リビングからがしゃんと大きな音がして驚いて顔を出す。


「警告します、それ以上スティグマに触れるようであれば攻撃します」


 少女が親父に喉輪を決めており、ウツロがとめようとしている状態。


「ちょ、何してんだ! やめろ!」


「それは私への命令ですか、マスター」


「そうだよ! お前だ! 今すぐやめろ!」


「畏まりました」


 喉輪から解放された親父はげほげほと咳き込んで床に崩れ落ちる。


「親父、大丈夫か!?」


 親父は喋れないらしいが片手を挙げて大丈夫だと意思表示した。致命的なものではないらしい事にとにかく安心した。


「何があったんだ!?」


 喋られない親父の代わりにウツロに聞く。


「津田カズマがこの子の頭の怪我を見ようと触った」


「……え、それだけ!?」


「うん」


 無表情に虚空を見つめる少女の肩を掴み目線の高さを合わせる。


「暴力は振るっちゃ駄目だ!」


「機密保持の観点からマスター以外をスティグマに触れさせる事は出来ません」


 なんだ、スティグマ?


「とにかく暴力は駄目! 解るか?」


「繰り返しますがマスター以外の方による頭部への接触はお断りします。これは私の根底に組み込まれたプログラムで有る為、命令の解除は出来かねます」


 やはり機械のように単調な対応を取られる。言い終わるとすとんと椅子に座って引き続きスープをすすりだした。


「すまんな……」


 そういって親父が起き上がる。喉をさすりながらやや苦しそうに。


「親父、ほんとに大丈夫?」


「ああ、女の扱いってのはいくつになってもわからん」


 そういって笑った。全然面白くなかったが一応冗談を言える元気はあるようだと安心した。

 バタバタしたせいで若干焦げてしまったチキンライスを食卓に並べる。とにかくまずは飯だ。腹が減って頭も回らない。


「頂きます」


「いただきます」


 全員が倣いもくもくと食べ始めるが誰も喋らない為少し空気が重い。


「あー。そういや、ウツロは最初頂きますって言えなかったのにバロットだっけ? は言えるんだな」


 暗い雰囲気だったので場を盛り上げようと軽口を言うとウツロはじっとこっちを見た後、無言で俺のチキンライスをスプーンでひとすくい強奪していった。


「バロット? なんだそれは。こいつの名前か」


 親父が口を開く。


「解らない、この子の名前かな。何て呼んでいいか解らないからそう呼んじゃったけど。もう一度君の名前を言ってみてくれるか?」


「畏まりました。私の名前はバリエーションコード『G2-xx balutジーツーダブルエックスバロットコワリです」


 親父はスプーンを置きため息をつく。


「どうしたんだ?」


「……バロットってのはな、東南アジアの料理で孵化直前のアヒルの卵の事だ」


 少し間を置いて親父が何を言いたいのか理解した。この少女はつまり、未成熟のG2だという事なのだろうか。


「ギンジ、何があってこいつを連れてきたか経緯を聞かせてくれ」


 俺は親父に簡潔に先ほどの事を説明した。親父はこの子が育成途中、何らかの事情で逃亡した『はぐれ』だと思っていたらしく、ハイドラマグナに突っ込まされていた事を聞いて蒼い顔をする。


「……クソ……!」


 親父は珍しく声を荒げた。


「廉価版ってことか、ふざけやがって!」


 バロットという単語の意味。あの光景。そして廉価版という単語の意味。


「親父、どうしたんだよ」


「……人間ってのは肉体の最盛期を十六歳から十七歳で迎える。だからミニステルアリスはその年齢を約九年間保ったまま生きて行くように設計した。運動性能――つまり戦闘目的ならその年齢に合わせてくるはずだ。だが当然育成にはそれなりのコストがかかる。これだけ未成熟の状態で運用するってことは運用方法を限定する事で『収穫』を早める為だ。……コストカット、それしかない」


 既に俺の中で形を帯びていた絶望は更に黒く塗りつぶされていく。バロットなどという悪趣味なコードネームがある事からこの少女はこれで完成品なのだ。コストカットの為に生み出された生きた特攻兵器。それがこの世間には隠されたG2、バロットシリーズなのだ。使い捨てする為にコストを抑えた廉価モデル。一体今までに何体のバロットが犠牲になったのだろう。


「……人間のすることじゃない……! 大体そんなのドローンやラジコンで十分だろ!?」


「ハイドラマグナを駆除するだけならその通りだな。だがおそらく今となってはミニステルアリス計画自体が隠れ蓑になっているんだろう。その為に廉価版アリス、バロットを大量生産し化け物退治用に消費してるってこった」


 親父は珍しく怒りを隠そうともせず乱暴に言い捨てた。


「隠れ蓑って……アリスを作り出すこと自体に何か意味があるって事なのか?」


「……今のは忘れろ。口が滑った」


 はっとしたような表情をした直後、視線に力を込めて言われた。


「なんだよ。教えてくれないのか」


「忘れろ、と言った」


 答えるつもりは無いという事らしく切り捨てるように返された。

 ウツロはというと我関せず、黙々とチキンライスを食べている。こいつはほんと心臓毛ぼーぼーだろうな。視線を廉価版アリスとして作られた少女に向ける。


「……つまりは君の個体識別用の名前が『コワリ』ってことか?」


 俺は目の前の少女に聞いた。つまり『ジーツーダブルエックスバロット』の『コワリ』。本来の個体識別名は後半のコワリの方だった。目を合わせて聞いてみるが相変わらず焦点がどこで合っているのか解らない表情をしている。


「はい、ミニステルアリスは伝統的に製造時ランダムに一字の漢字を与えられます。それを名前と表現してよいのであれば私の名前は壊(コワリ)です」


 はきはきと答えつつ、コワリはチキンライスを全て平らげた。親父より早い。


「食べる?」


 そういってウツロがスプーンに掬ったチキンライスをコワリの皿に移す。


「頂きます」


 なんだか微笑ましいと思ったが、チキンライスの出所は俺の皿だった。

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