第13話
夏休み初日。ジーワジーワと朝からセミが鳴いている。軽く伸びをして目を開くとウツロがじーっとこちらを見ていた。そう、昨日からうちに居候する事になった不思議少女。枕にさらりと広がった銀髪はとても綺麗だった。
「……おはよう」
「うん」
「いや、うんじゃなくておはようって言われたらおはようって返します」
「じゃあ、おはよう」
むくりと起き上がる。十七歳にして女の子と同じ寝具で寝るというのは、大人の階段を二段くらいは登ったのではなかろうか。今度山田に自慢しよう。残念ながらウツロの部屋着はジャンプスーツなので何一つ色っぽいイベントは起きなかったが。
「とりあえず飯食うか。俺外で着替えるからこの部屋使っていいぞ。……一応言っておくが俺が出てからな?」
いうやいなや首元のジッパーに手をかけたので慌てて念押ししておく。Tシャツとジャージを箪笥から引っ張り出してそのまま部屋を出た。
基本的に俺が家事を担当する事になっているので朝食の準備に取り掛かる。親父は部屋で引きこもっているがどういうわけか月末になると生活費が口座に振り込まれている。何をしているのか聞いても答えてくれないので怪しい仕事でない事を祈りたい。まさかあの顔で小説を書いているなんてことは無いと思うが。
「うーん、一人増えたから卵が次の特売日まで持たないな……」
男料理にとって卵は生命線だ。絶対に切らす訳には行かない。それゆえに冷蔵庫の卵のストック数は俺の心の安寧に直結している。眉間に皺を作りつつパックから卵を三つ取り出す。熱したフライパンに油を引き、卵を落とした。蓋をして、昨晩の残りの味噌汁に火をかけた。
「親父~、朝飯出来たよ~」
声をかけておく。普段なら寝起きが最悪な親父が今日は妙に反応が早かった。すたん、とふすまが開く。
「もう起きてたんだ。今日は早いな」
「……そりゃ寝てないからな」
そのまま欠伸をして洗面所に入っていく親父にそれ以上言葉をかけるのはやめた。
「ウツロ~、ご飯だぞ~」
「いるよ」
「――――ッ!」
またいつの間にか背後に居たらしい。気配がなさ過ぎる。驚きすぎて怒る気もどこかにいってしまった。今朝のものとは色違いなのか紺色のジャンプスーツを着ている。
「暑くない? それ」
「まぁ、暑いね。でも便利。オールインワン」
無表情で親指を立てられる。ジャンプスーツって洗濯も大変だし、普段着にするには微妙な気もしたが、今はご飯が冷めてしまうので追求を避けた。
「とりあえず、ご飯食べるから席ついて」
「うん」
テーブルには親父の隣にウツロ、そしてその向かいの席に俺の食器を置いた。昨日のフォーメーションはすこぶるやりづらかったからだ。親父はいつもの場所に座る。そして俺も。
「…………」
ウツロはずるずるとランチョンマットごと食器を移動させて俺の隣に座る。
「何で」
「津田カズマは嫌いだから」
子供みたいにぷいと顔を横に向けて言った。すると、普段無口な親父が噴出して笑った。
「何で笑う」
「いや、すまない。気にするな」
親父はしばらくくつくつと笑っていた。釣られて俺も笑ってしまうがウツロだけは意味がわからないという顔をしていた。
「ま、揃ったし食べようか。いただきます」
「いただきます」
俺と親父が手を合わせる。
「うん」
「うんじゃなくてご飯食べる時はいただきますって言います」
「じゃあ、いただきます」
一番最初に完食したのは言わずもがなウツロだった。まるでずっとご飯食べていませんでしたみたいな顔をしているが、昨日もバッチリ食べていたのを俺はみている。恐ろしい子。食後、お茶を出していると親父がウツロに切り出した。
「そういえば何でそんなしゃべり方なんだ」
「何が」
「いや、前はそんなじゃなかっただろう」
「津田カズマが何言ってるか解らない」
「……ボクってのは何だ」
「強く生きてっておねいちゃんに言われたし」
「…………」
親父はよくわからんという顔をしている。が、多分面倒くさくなったのだろう、それ以上の追求を避けた。直後、思い出したかのように、
「そういえば、お前他に服ないのか」
「あるよ、色違い。あと寒いとき用のふわふわした奴。あれすごいね、一枚着ただけですごく暖かい」
なんだろう、ダウンジャケットの事だろうか。とりあえずこの不思議少女はどうやら基本的にジャンプスーツしか着ないらしい。
「なんでジャンプスーツなのさ?」
流石にツッコミを入れる。
「これだと一着で済むから便利。飛んでいかないしなくさない」
まぁそうかもしれないが、穴とか空いたら丸ごと買い替えになるのでやはり普段着には向かないと思う。などと思っていると親父がダッシュボードの上に置いていた財布からいくらかお金を抜き出して俺に差し出した。
「こいつの服をなんとかしてやれ。もうちょっとマシなやつに」
「え、俺が!?」
「お前しかいないだろうが」
いや、貴方がいるじゃないですかと思ったがなんとなく怖いのでそのままお金を受け取った。
「服ならあるし、いらない」
ウツロはしかめ面で拒否する。
「あのな、ジャンプスーツは流石に目立つ。もう少し回りに溶け込めそうな服を着ろ。多分あいつらもお前が生きてるなんて夢にも思ってはいないはずだが、それでも目立たないに越した事は無い」
「面倒くさい」
「いいから行って来い」
うー、と唸っているウツロをよそ目に親父はごそごそとカバンの中からキャスケットを取り出す。
「こいつも貸してやる。本当ならその目立つ銀髪を黒染めさせたいところだが……せっかくタタリと同じ色の髪なんだ、それは嫌だろう? ならせめて隠せ」
ウツロが頷くと頭に帽子を被せた。
ややあって、渋い顔。
「……変な臭いがする」
朝食の後、ウツロがそのままだと帽子を被りたくないと言うので親父の変な臭いがするらしい帽子を洗濯する事にした。風呂場で手洗いして物干し竿に引っ掛ける。この天気であれば昼には乾くだろう。親父はというと結構ショックだったらしくやや凹んでいた。その後はまた部屋に引きこもってなにやらしているようだった。
洗濯を終えて自分の部屋に戻るとウツロがせっせと腕立て伏せをしている。
「何してんの、このくそあつい中」
「トレーニング。やりたい?」
「やりたくない。好きなの? 筋トレ」
「別に。おねいちゃんが作ってくれたメニューだし、習慣」
ふうんと何気なく返事を返すのと同時に気になっていたことに突っ込んでみる。
「『おねえちゃん』な」
「何?」
「いいからもう一回言ってみ? おねえちゃん」
「おねいちゃん」
「おねえちゃん」
「おねいちゃん」
「OK、もういい。とりあえず帽子乾いたら服買いに行くから、筋トレ終わったらシャワー浴びなよ」
「うん、わかった」
返事をしたウツロは黙々と腕立て伏せをしだした。なんとなく様子を見ていたが何回連続でやってるんだこいつ。終わりそうにも無いので邪魔が入らない内に宿題に手をつける事にする。
宿題が一段落した頃にウツロがシャワーを浴び終わって出てきたが髪の毛は濡れたままでタオルを首に巻いてふらふらしている。
「髪、乾かさないのか?」
テキストを閉じて聞いてみる。
「夏だしほっといても乾くし、これで良い」
「良くない。ばっさばさになるぞ」
「良い」
「ふけも出るぞ」
「良い」
多分面倒くさいんだろう。短ければそれでも良いがウツロの場合肩口くらいまで伸びている。流石に乾かさないと痛んでしまうだろう。何より、濡れ髪で出歩くのは目立つ。
「子供かよ。仕方ないな、こっちこい」
「ええ〜」
一瞬考えたが、手を引いて洗面所へ連行する。
「いいのに」
「面倒臭がるなよ。じっとしてろ」
ドライヤーを引っ張り出して温風を出す。ウツロはうー、と言いつつも特に抵抗するでもない。そのまま髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜながら乾かしていると山田の飼っている犬を洗うのを手伝った時の事をぼんやり思い出した。今回のわんちゃんはやや大きめだが。
「――――」
どうやらウツロが何か言っているらしいがドライヤーの音で何を言っているかまではわからない。あらかた乾いていたのでスイッチを切る。ウツロの銀髪は毛が細くて量が多いので乾かすとふわふわとしていた。
「さっき何か言ったか?」
「……何も言って無い」
「嘘つけなんか言ってただろ」
「言ってない」
ぷい、と横を向いた顔はすこしふてくされたような顔だった。
なんだかよくわからないが、とりあえず準備が出来たのでそろそろ買い物に行く事にする。
「これでいいのになー。なーんにもこまってないのになー」
まだウツロは服を買いに行くのが嫌らしく、ジャンプスーツの太ももの部分を掴み、ぱたぱたと引っ張りながらぶーたれている。
その姿を見て思ったのだがそもそも服を買いに行くのにジャンプスーツというのも目立つ。もちろん買い物の理由を考えれば仕方ないのだが。
少しだけ悩んだがとりあえず俺の小さくなったTシャツを着せて、ジャンプスーツは上半身を開き、袖は腰に巻きつけておいた。裾もロールアップ。
うーん……まぁ、怪しいけどこれで多少の胡散臭さは緩和されたかなと思う。
最後に目立ってしまう銀髪をアップにしてキャスケットの中に隠す。ウツロは眉毛や睫毛も真っ白なので目元も隠せるよう大き目のサングラスををかけて完成!
「う、うさんくさい……」
結局キャスケットとサングラスの破壊力がすさまじく、ものすごく目立つ事には代わりが無くなってしまった。
「しわしわになる」
ウツロはというと見た目よりロールアップした裾が気になるらしい。どうでもいいトコ気にするんだな、とちょっと笑ってしまった。
「いいよ、帰ったら洗濯するし。諦めろ、買い物は決定事項だ」
正直親父に言われてしぶしぶ、と思っていたがよくよく考えれば女の子と二人で買い物なんて初めてだなと考えるとほんのりテンションが上がってきた。
まぁその相手はものすごく嫌そうな顔をしていて、胡散臭い格好なわけだけども。
「あちぃ~!」
玄関を出ると猛烈な日差しが容赦なく降り注ぐ。
「そういえばさぁ、山に篭って、買い物は通販って言ってたけどたまに外に出たりはしてたんだろ?」
アスファルトの照り返しがきつく、手でひさしを作りつつ聞いた。流石にここまで日が照っていると俺もサングラスが欲しくなる。
「うん、たまにご飯食べたりしてた」
「どんなもの食べてたんだ?」
「牛丼」
最近では女の子一人での食事も増えたとはいうがなかなか豪快だった。
「食べられる草とか虫とか、すごい覚えた」
「虫食ってたのかよ!」
「覚えただけ、食べてない。まだ」
「とりあえず野生のはやめとけ……」
殺虫剤とか浴びてたりするかもしれないし寄生虫だって……。
かなり怪しげな世間話をしつつ繁華街まで出てきた。なんだかんだ夏休みなのでそれなりに人はいる。
「なぁ、そういえばどんな服着たいとかあるか?」
「丈夫な奴。ジャンプスーツ。オールインワン。機能性があるやつ。つまりこれ」
「ジャンプスーツ以外な」
「じゃ、無い」
ツナギか、それ以外か、みたいな。どこのイケメン様だよ。……まぁいい。とにかくひらひらだのピンクだの言われなくて済んだのは良かった。よく考えたら女の子の服とかどこで買えば良いか全く見当も付かない事に今更ながら気付く。
とりあえずファストファッションのお店あたりで買えばいいか、と思ってお店の方角に足を向ける。ウツロは暑いからか、ややふらふらとしている。
「ほら、しっかり歩けって。日陰入ってお茶でも飲むか」
迷子になったら大変な事になるので少し迷ったが手を引いてやる事にした。
「あれ、津田……くん? ……え?」
しばらく歩いていると人ごみの中で名前を呼ばれた。声のした方向に顔を向けるとクラスメイトの林凛子が立っていた。
「おう、林。買い物?」
無難に挨拶を返す。けれど林からは何も返事が無い。
「ギンジ、これ誰?」
暑さで半分溶けかけのウツロがぼけーとしながら聞いてきた。これ呼ばわりはやめろと思ってようやく今の状況を客観視する。ウツロの手を引いていたが、傍から見たら手を繋いでいるように見えなくも無い。もしかして誤解されるかもしれない。思わずぱっと手を離す。
「あ、ああ。クラスメイトの林さんっていうんだ。学校の友達だよ」
「ふうん」
ウツロはさして興味無さそうで、ふわあ、と欠伸をした。なんとなく気まずい。だがそこでナイスなアイデアがひらめいた。
「そうだ、林って今暇?」
「え? ま、まぁこれといった用事は無いけど……」
石のように固まっていた林は漸く硬直が解けたようだ。渡りに船、とはこの事かもしれない。
「もし良かったらこいつの服を選ぶの、手伝ってくれないか? 俺じゃ女の子の服ってよく解らないからさ」
「服を買う? お金は津田くんが出すの?」
「え? まあそうなるな」
「……ふーん、プレゼントかぁ、そっかぁ。ふーん」
いやにニコニコしているがなんか雰囲気がおかしい。もしかしてご機嫌斜めなのかもしれない。一瞬思ったが、林は笑顔で答えてくれた。
「いいよ。貴女、名前何ていうの?」
「ボク? ウツロ」
ウツロはぶっきらぼうに答えた。そうだ、ヘンな事言い出す前に予防線を張っておかねば。
「ああ、えーと。……この子海外に住んでる親父の友達の娘なんだ! 夏休みに遊びに来たばっかりなんだけど変な服しかもって無くて、親父に何かまともな服を見繕ってくれって言われてさ! なー、ウツロ?」
林から見えないようにウインクをばしばし飛ばして『話を合わせろ!』と合図を送る。ウツロは俺の必死の合図を黙って見つめた後、
「え? なんで嘘つくの?」
首をひねりながらいった。ウツロの今夜の夕飯のグレードが一段階下がった瞬間だった。
一方林は胡散臭そうな目でこっちを見た後にウツロに視線を向ける。
「ねえ、本当は津田くんとどういう関係なの?」
妙ににこやかな顔で林はウツロに聞いた。なんなんだこれは。今俺はどういう状況に陥っているんだ。
ウツロはというとうーん、と少し思案し、
「ボクとギンジはお父さんが一緒」
さらりと答えた。当然林の表情が凍りつく。まぁ確かに嘘ではないけど林の脳内ではきっとうちの親父はとんでもない不義理な奴にクラスチェンジしている。ドンマイ親父。
「ご、ごめん……私知らなくて……」
「あー! 全然気にしなくて良い! でもさ、ほら、解るだろ? こいつの事は秘密にしておいてくれるか?」
ものすごくしょぼくれている林に気にするな、とやや明るめの声でフォロー。
「わ、解った……。ええと、どんな服がいいの?」
「丈夫な奴。ジャンプスーツ。機能せ……うっ!」
ウツロのわき腹にぶすりと指を突き立てて黙らせた。
「別に女の子らしい服装じゃなくていいんだ。シンプルで目立たないけど、普通の女の子に見えるような感じ。……ごめんな、逆に抽象的で難しいか……うっ!」
ウツロにやりかえされる。俺たちの様子をみて林はくすくすと笑う。
「うん、だいじょうぶ。実はさっきまで妹の服を選んでたところだから。人の服選ぶのって結構好きだし」
「あ、妹さんいるなら迷惑になるか?」
「ううん、さっき彼氏から連絡来たーとかいってどこかに行っちゃった」
「そうなんだ。……まあ夏休みだしな」
ははは、と笑って流す。
「カレシって何」
ウツロが聞く。何故そんなピンポイントで変な部分に食いつくのかこのムスメは。どう説明すればよいのか考えていると林が目をきらきらさせて答える。
「え? 何ていったらいいんだろ。好きな人?」
成る程、とポンと手を打つ。
「ああ、つがいだ。交尾するんでしょ」
「あはは! 暑いなぁ! そうだ! アイスおごらせてくれよ! せっかく手伝ってくれるんだしさ! なぁ! ウツロも食べたいだろ? アイス!」
強引に話の舵を切った。恐らく聞こえていただろうが林も顔を真っ赤にして、俺の提案にのってくれた。ウツロは何だかよく解らない顔をしている。爆弾か、こいつは。
その後アイスを食べてから林にウツロの服を何着か見繕ってもらった。
なにやらよく解らないお店に連れて行かれて、非常に気まずい思いをしたが林のセンスは的確で、ウツロの「丈夫」というリクエストをきちんと加味してくれたらしく動きやすそうなオーバーサイズパーカ、ショートパンツや短過ぎないスカートなど着回しのしやすそうな物をいくつか選んでくれていた。更に親父のしょぼくれた帽子はワークキャップに、ぼろぼろのスニーカも新しいものにそれぞれクラスチェンジしている。
「やっぱこういうのは女の子に頼んでよかったよ。ほんと有難うな。あそこで林に会えてラッキーだった」
本当にそう思ったのでお礼を言うと、林は恥ずかしがってそんなことないと言って帰っていった。ありがたいのでもう一度心の中で手を合わせて拝んでおこう。
当初の目的は果たしたので俺たちも帰路に着くことにする。思ったより長くぶらぶらしていたらしく、空は茜色に染まっていた。
「馬子にも衣装っていうけど、雰囲気大分違ったな。サイジングって大事なんだな」
「……すーすーする……」
一方ウツロはスカートに慣れないらしくそわそわしながら歩いている。冷静に想像してみるとスカートって下着履いて、周り覆ってるだけなので確かに落ち着かないかもしれない。
「まぁ、涼しくはなっただろ」
「うー」
一応そこは否定しないので過ごしやすくはなったのだろう。
夏祭りでもあるのか随分混み始めている。
「なんか混みそうだし裏道使うか」
「ウラミチ?」
「あー、近道だな」
「チカミチってなに」
「あー、とにかくついて来いって」
繁華街から離れて神社脇の小道を進んでいく。地元の人間でも知っている人間はそうはいないだろう。子供の頃に探検ごっこをしていた名残だ。
獣道の最後で壊れた柵を乗り越えてしばらく歩くと海が広がっていた。そこからはのんびりと海岸沿いを歩いていく。
実はこの周辺はすでに私有地で警備員に見つかると追い出されてしまう。代わりに人が少なく海風が気持ち良い俺のとっておきのルートでもあった。
幼い頃親父に連れられて良く歩いていた記憶がある。勿論当時はそのような規制は無かったのだが。
少しだけ昔を懐かしみながらウツロと並んで歩いていると海岸沿いに大きな工場が見えてきた。今春から稼動していて確かカイマン社とかいう海外メーカの四輪車工場らしい。だが実際これだけ大きな工場なのに、働いているという人間の話はとんと聞かず、そのせいかそこがなんらかの秘密プラントなのだという都市伝説みたいな噂が広まっていた。もちろんこの手の噂の常で実際に確かめた人間は居ないのだけれど。
そんなことを考えながら歩いていると、工場に大きなトラックが出たり入ったりしているのが見える。物々しい装備の警備員のような人間もうろうろとしていた。普段は人影なんてひとつも見つからない位なので少々以外だった。見つかったら怒られるかもしれないので再度獣道を突っ切って戻るべきか逡巡する。
「お偉いさんの視察とかあんのかなぁ。今日に限って面倒だな」
隣のウツロに話しかけるが返事が無い。隣を見ると頭痛でもするのかウツロはこめかみを抑えて苦しそうにうなっていた。
「……なんだろこれ、気持ち悪い。すごく頭が痛い」
「……大丈夫か? 少し休むか?」
言いかけた瞬間、視界の隅に違和感を覚えた。
遠くの海面に白く巨大なものが蠢いていた。海から突き出したそれはまるで人間のようなシルエットだがサイズは明らかにその比ではない。頭部はネジ巻きのように歪な形状をしており、ゆっくりと、けれど確実に陸地に近づいてくるようだった。
もしかして、あれが噂の大型ハイドラマグナなのか。ニュースで断片的な映像は何度か見たことがあるが実物を見るのは初めてだった。
「あいつ……だ……!」
白い巨人に気付いたウツロは相手を睨みつけながら俺の腕にしがみつき震えている。
「あいつだ!」
叫ぶ、というよりは唸るかのようだった。けたたましいサイレンが鳴り響き、工場周辺に居た人たちは散り散りに逃げていく。白い巨人は工場に向けて尚もゆっくりと近づいていった。
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