第11話

相変わらず手首は掴まれたまま親父に『ウツロって名乗る女の子が親父に用があるらしい』とふすま越しに伝えると、普段の親父からは想像もできない勢いで部屋から出てきた。久しぶりに目にした親父はヒゲと髪が伸びすぎて仙人みたいな風貌になっている。

 俺の隣にいる銀髪の少女、ウツロを目を見開いてまじまじと見つめる。


「お久しぶりです、津田博士」


 ウツロはにやっと笑いながら芝居がかった口調で挨拶した。ややあって親父は軽くため息をつく。


「……ギンジ、居間に通して茶でも淹れてやってくれるか」


「あ、ああ」


 親父はそのまま顔をこわばらせて洗面所に入っていった。



「とりあえず、座りなよ」


 居間に通したウツロにソファを指差して言う。


「いい、立ってる」


「そ、そう? まぁ俺はお茶淹れるから適当に居間でくつろいでて」


 とりあえずようやく手首は開放してもらったので台所でカップを探す。来客用の物なんて引っ張り出すのは本当に久しぶりだ。そういえば珈琲は飲めるのだろうか。一応好みを聞いてみることにする。


「なあ、珈琲は――」


 振り返るとすぐそばにウツロが居た。ホラー映画かな? 驚きすぎて変な声が出る。


「気配! 気配出して!」


「何言ってるの?」


 お前がな! と思うも口には出さず耐える。


「ち、近いんだよ!」


「ふうん」


 意に介さないらしい。とにかく離れないのでそのまま視線と妙な距離感が気になりつつも珈琲を淹れた。


「そういや、珈琲飲めるか? って聞こうとしたの忘れて淹れたけど、大丈夫?」


「それボクに言ってるの? 大丈夫」


 トレイに載せてカップを三つテーブルの上に運んだ。椅子に座ると今度はウツロも座った。


――俺の隣に。

 けど何も喋らない。間が持たない。親父、早く来てくれ! と思うもまだ洗面所からはミンミン聞こえるのでヒゲでも剃ってるんだろう。


 仕方ないので珈琲をすすって間を持たせる。するとウツロが自分のカップを手にもって、


「飲んで」


 と突き出してきた。


「いや、俺のカップこっちなんで……」


 何がしたいのか解らない。


「いいから、飲んで」


 よく解らないが言われたとおりウツロのカップで一口珈琲をすする。


「こ、これでいいのか?」


 そのまま返したカップを無言でじーっと見つめる。次の瞬間ウツロは俺が口をつけた部分からちまちま珈琲をすすり出した。


「な、何してんの?」


 別に高校生にもなって『間接キッス』などと盛り上がることは無いが不可解すぎて流石に突っ込みを入れた。


「うん? 毒見」


「どこの古代中華王朝だよ!」


 もしかして非常に高度な冗談だったのかもしれないが、表情からは何も読み取れない。

 親父がいる洗面所からはまだ呑気に髭剃り機がミンミン鳴っていた。



「待たせたな」


 そういって親父がリビングに入ってきたのはたっぷり十分ほど経過してからだった。その間に山田へ無事だと連絡も済ませておいたが一応気をつけろよと何度も念押しされつつ通話を切った。いいやつだ、山田は。


 親父の顔を見ると案の定ヒゲが無くなっており、更に変な棒が生えた箱をもってリビングの中をうろうろしている。


「遅すぎるよ、親父。空気が持たない……」


 別に人見知りするタイプではないがさすがに不思議女子ウツロの相手は疲れた。親父は椅子に座りながらすまんな、と言った。


「……で、ウツロ。お前はどうして俺の前に姿を現した。それもその髪で。約束を忘れたわけじゃないんだろう。俺はまだマークされてる可能性がある。……一応ざっと調べたところ盗聴はされていないらしいが」


 親父は声を潜めて言った。あの棒をもってうろうろしていたのは盗聴器を疑ってのものだったのか。だがなんでうちに盗聴器なんて仕掛けられるんだろう。


「大丈夫、一応警戒して尾行の有無は確認してる」


「そういう問題でも無い。生活資金は十分に渡していたはずだ」


 生活資金。そう聞いて、ああ、本当にこのウツロは俺の妹か姉なんじゃないのかとびくびくした。


「そうだね。でも今日ボクが来たのは別の理由。知りたい事があるけどボクにはもう時間が無いから。わかるでしょ」


 俺が聞いてもどういう意味かは解らない。だが、ウツロの言葉を聞いた親父は苦しそうに顔をゆがめて机に突っ伏した。


「……どうすればいい。お前が俺に復讐して気が済むならそうしてくれて構わない。だがギンジは……」


 復讐してもかまわない。あきらかに異常な台詞だったがあまりに突然だったので反応できない。親父は一旦そこで切った。


「何言ってるの? 今更そんな無意味な事をするつもり、無い。ボクが今日ここに来たのは――」


 ウツロは親父が顔を上げるとその目を真っ直ぐに見つめて身を乗り出す。


「死ぬ前に、おねいちゃんの事が知りたい。ただ、それだけだよ」


 ふう、と親父はため息をついた。


「……G1-00の事か」


 親父の言葉を聞いたウツロはややきつめに答える。


「違う。ボクのおねいちゃんはタタリ。二度とそう呼ばないで」


 俺だけ間違いなく会話に付いていけていない。親父とウツロへ交互に視線を送り、説明を求める。だがそうすることで漸くさっき感じた既視感の正体に気がついた。


「あ、ああ! アリス! アリスに似てるんだ!」


 思わず立ち上がって、ウツロに言う。髪の色は全然違って銀髪だけど、顔はどう見てもアリスそのものだったからだ。


「え、今更だね? そんなの当たり前。ついでにボクが似てるんじゃない。あいつらが似てるの」


 ウツロは俺の目を見つめて言った。ようやく親父が口を開く。


「……ミニステルアリス第一世代。対ハイドラマグナ殲滅兵器……いや、人造人間。その最後の生き残りだ、このウツロは」


――知り合いっていうか、津田カズマはボクのお父さんでもある――

 ようやく理解する。けれど第二次ダゴン級侵攻事件の際、ミニステルアリス第一世代はすべて喪失したと聞いている。そのアリスが、どうして。


「……そうだな、お前にも話しておくべきかもしれないな」


 それから親父はゆっくりとミニステルアリスについての話をしてくれた。本来この計画は澱木ミコト博士が亡くなった娘と再会する為に無理矢理行われたものであるという。そして、澱木博士に研究への参加を偶然要請された親父がからミニステルアリス開発に協力した。けれど人間の遺伝子を操作する事で現行人類より優秀な生物を作り出すのであれば、叛逆の可能性を絶対に残すわけにはいかない。それゆえにミニステルアリスは一世代限りの生命体にする必要があったのだ。


 そこで親父はミニステルアリスの寿命を短く設定し、生物の尊厳である生殖機能までをも奪った。そして第二次超弩級有害生物禍の際に澱木博士とアリス達を失った。


 親父はアリスのリーダーであるタタリの最後の願いを聞き入れ、唯一生き残ったウツロの死を偽装し逃がしていたのだった。



 親父の話が終わり、沈黙がリビングを包む。


「いいの、それで」


 ウツロが親父に問いかける。なんの話だ?


「…………」


 けれど親父は何の反応も帰さず沈黙を貫いた。


「そう、ならボクもそれで良い」


 ややあってウツロはどうでもよさそうに呟く。


「とにかく、ボクの寿命はざっと残り約九ヶ月。別に今更長生きしたいなんて思わない。けど、あの時、どうして生物の本能を差し置いてまでしておねいちゃんがボクを、そして貴方たち人間を生かしたのか。ハイドラマグナなんて放っておいてボクとおねいちゃんで逃げるのが最善だったはず。なのにそうしなかった。それが解らない。ボクは最後にそれが知りたい。どうせ死ぬならそれを知ってからが良い。あの時おねいちゃんが何を考えていたのか、一体どうしてあんな事をしたのか。それを知る為に、その為だけにずっと探していた。津田カズマ、貴方を」


 親父が設定した寿命のせいでこのウツロはもう幾ばくも生きられないという。そんな馬鹿な、という思いが強かった。

 親父がずっと家に篭りがちだったからなのか、親父を探し続けていたウツロは、漸く見つけた親父そっくりな俺に家まで案内させたというのが今日の一連の事件の真相だった。

 別にナイフを突きつけて脅すような事ではなかったはずなのだがウツロの残った時間を考えれば見た目以上に焦っていたのかもしれない。そんなことを考えていると親父がウツロに言葉を返す。


「……タタリがあの時どうしてあんなことをしたのか、俺は恐らくその答えを知っている。……だがそれはきっと俺が直接お前に伝えて良い物でもないと思う。それじゃあきっとお前は納得しないだろうしな。……解った。お前がタタリの気持ちを知る事が贖罪の足しになるなら可能な限り協力しよう。俺の知る限りでよければタタリの話もする。いくつかのルールを守れるなら、問題が解決するまでうちに居たって良い」


 え? まじ?


「ならそうさせてもらう。ねえ、津田カズマ。タタリにとってのボクが、貴方にとってはこの子になるの?」


「……想像に任せる」


「ふうん」


 ちらりとこちらを見てすぐに視線を外された。とにかく、ウツロがこの家で一緒に暮らす事になるらしいことだけは解った。


 親父の作り出した第一世代ミニステルアリス、ウツロ。銀髪の端正な顔をした少女。

 正直言いたいことはあったが、彼女の境遇を想像すると安易に口出しして良いものでもないと思ったから、何も言わなかった。

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