第二章 ミニステルアリス
第10話
――六年後(2033年)――
ミニステルアリス第二世代、通称G2は驚くほどの戦果を上げていた。
ハイドラマグナという危険生物、そしてそれを食い止める為に生み出された殲滅兵器ミニステルアリスの存在が世間に公表されたのは約五年前の事だ。
一時はどのTV番組をみてもそのニュースばかりだった。クローン規制法に違反している事は確定的に明らかであったし、倫理面でも大きな問題を抱えていた。
政府がそれをわかった上でミニステルアリスの存在を公表した理由。それは同時期に起こった『第三次超弩級有害生物侵攻事件』が原因だった。
海水浴場に、真昼間からダゴン級ハイドラマグナが出現した。その存在を知らされていなかった一般人の多くが犠牲になり、捕食された。ハイドラマグナの刺胞毒は非常に強力で、後にウイルス性の毒素により免疫機能へ不具合を与える事も判明した。完全な治療は現代の科学力を持ってしても不可能であり、生き残った被害者の中でも未だに後遺症に苦しむ人が少なくない。
結果的にたった数時間で合計八十七名の命が失われる大惨事となった。
秘密裏に開発されていた対ハイドラマグナ指向性マイクロウェーブ兵器、通称ティルフィングは人の多い海岸では使えなかったため、同時に開発されていた対ハイドラマグナ殲滅用汎用人型兵器ミニステルアリス『G2』が使用されることになった。
兵器とは名ばかりの少女の見た目をした彼女たちは刺胞毒を無効化し、近接兵器で対象を殲滅する事が可能。
結果として、それ以上人間の犠牲は出なかった。マスコミは『G2』の事を多くの罪無き人間を救ったと肯定的に扱うようになった。
当然その存在自体に大きな問題を孕んでいたが、背に腹は変えられなかった。国民の安全の為、という建前でハイドラマグナの脅威とミニステルアリスの存在を公表した与党はそのまま押し切りミニステルアリスを特例法の下で認めさせた。
そして多くの国民も黙認した。一度そういう空気さえ作られてしまえば大多数の人間は考える事を止め、その身を流れに任せる。今も昔も変わらない。
この五年の間、マスコミの影響もありミニステルアリスは国民にヒーローのように認識されていった。彼女たちの存在が孕む黒い部分は意図的に無視されて。これは『命を兵器として扱う』事を皆が黙認したも同義だった。
国民に知らされたのはその存在と用途だけでありミニステルアリスという存在の大部分は未だにブラックボックスだ。
ミニステルアリスへの噂は様々な形で広がり、今ではこの神光(かみつ)市に偽装されたミニステルアリスの生産工場が建設され、秘密裏に本格可動しているらしいというばかげた都市伝説すらあるくらいだった。
「父さん、行って来る」
俺は奥の部屋に篭っている親父に声をかけた。当然返事はない。
親父はミニステルアリス第一世代の開発に携わっていたらしいけど、六年前の事件の後、すっぱりと退職した。本人曰く、もう疲れたという事らしい。あまり詳しい事は話してくれない。
ある日珍しく酒を飲んで酔っ払った親父が口を滑らせたのを真に受けるなら、その時上司と、親父の作ったミニステルアリスを全て失ってしまったという。
玄関から表に出ると頭上には真っ青な空が広がっていた。夏真っ盛り、うだるほどの暑さだったがそれでも心地よい物を感じる。日の光を浴びるとどうしてこんなに気持ち良いのだろうと伸びをして、学校へと足を向ける。
家から学校までは徒歩七分、急げば五分といったところ。通学にはとても便利だ。
俺は昔、難しい心臓の病気にかかっていたらしく、その事を心配した親父がわざわざ中学、高校と歩いて通い易い場所に家を建てたのだという。今ではすっかり健康体なのでとんだ取り越し苦労ではあったけど、自分が大事に想われていたのだと感じると嬉しくもあった。
「おはよ、ギンジ。お前昨日のアンビリTV見た?」
突然声をかけて来たのは同じクラスの山田だった。『俺の嫁はバーチャルアイドルなんちゃらかんちゃらだ』とか公言している変な奴だが、不思議と気があう。
「おはよ。あー、見て無い。昨日は本読んでた」
「ばっかだなー、昨日のUMA特集面白かったんだぜ? ……本って何読んでたんだ?」
「んー、秘密」
「了解、エロい奴だな。……今度俺にも貸せよ」
「ちげーよ! まぁ、興味あるなら今度貸してやるけど」
お気に入りの作家の全集だったが明らかにマイナーだったのでそう答えた。山田はおう、と答えてそういえば、と話題を変える。
「なぁそういやお前アリスって好き? なんか最近はまっちゃってさー、どう思う?」
ミニステルアリスG2の事を皆はアリスと略して呼ぶ。
「良いって、どういう意味でだ?」
「なんていうか、こう、アイドルっぽい感じしないか? 最近だと高校じゃ黒髪女子を探すだけでも一苦労だしさぁ」
鼻の下を伸ばしてなにやら夢想しているらしい。実際TV等のメディアで頻繁に特集が組まれる為アリス達のファンは多い。整った顔立ちに白い肌、黒い髪。そして人ではないが故の儚さ。山田だけではなくアリス達をアイドル視しているグループもあるらしい。そういう空気にややうんざりしていたのもあって、雑に答えてしまう。
「別に黒髪女子ならうちのクラスにだって何人かいるだろ。それにアイドルのファンになったって彼女になってくれるわけじゃないだろ」
そこまで言ってから流石に失言だったと気がつく。
「……すまん、言いすぎた」
「おせーよ! もう俺のハートは砕けたあとだっつの!」
「マジで悪い、反省してる。正直なもんで」
「追撃! それ謝罪じゃなく追撃だから!」
肩をばしばしと叩かれて二人で笑った。あんまり気にしてないみたいで助かった。家では親父と二人なのもあり正直息苦しいのでこういう馬鹿な話題で笑えるっていうのは本当に助かる。良い友達は大事にしなくちゃいけないと反省した。
「そういや、今日学校終わったら海いかねえ? 新しい海パン買ったんだよ」
「何が悲しくて男に新しい水着のお披露目をされにゃならんのか……」
「いやこの季節つったら海だろうが! 女の子もいっぱいいるだろ!」
山田が熱弁する。まあそれはちょっと楽しみではある。ちょっと。
「まあそりゃそうだけど。しゃーねー付き合ってやる」
「ちなみにブーメラン買ったんだぜ」
「それ海パンって言わなくね!? 見せたがりさんかよ! 隣歩くの嫌すぎる!」
「機能美ってやつだ!」
とにもかくにも放課後は山田と海に泳ぎに行く事になった。
◆
全ての授業が終わりジーワジーワと蝉の合唱が教室の中まで響いていた。いまだに空調が無いのでうだるような暑さだったが、それでも今日さえ耐え忍べば明日から夏休み。教室の皆も浮き足立ってそわそわしている空気を感じた。
「津田くんって最近凄く焼けてるね」
隣の席の林――ええと下の名前は確か凛子――に突然声をかけられた。ちなみに挨拶程度はするけどそんなによく知らない。
「ん、そうか? 最近山田の水泳特訓につき合わされてるからかな。自分じゃよくわからないんだけど。なんかさあ、あいつ泳げるようになったらモテると思ってるからかマメに誘われるんだよ」
山田には悪いがちょっと笑いながら答えた。
「フフ、何それ。……あ、じゃあ津田くんも、その、モテたくて山田くんに付き合ってるの?」
目を逸らしつつ、言われる。
「いや、別にそういうわけじゃ無いかな。友達だから付き合ってるだけだよ。あいつ変だけど結構良い奴だから誘われたら断れないんだよなー」
笑って返すと、そう、と話を切って向こうを向いてしまった。何か気に障ることでも言ってしまったのだろうか。
うちわ代わりの下敷きで仰いでいると担任がやってきて終礼が始まった。
「よっし、行こうぜ! ギンジ!」
終礼が終わると山田は俺の席にホクホク顔で近づいてきた。
「おう、俺は海パン取りに帰るから先に行っておいてくれ」
「なんだよ、お前んちなんてすぐそこじゃん、一緒に付いて行くって」
「そっか、悪いな」
カバンを肩にかけ、並んで教室を出る。
熱されたアスファルトと燦々と降り注ぐ太陽光線の両面焼きになんとか抗いながら家までたどり着く。海が近いこともあり、風の方向によっては海の匂いがする。
「じゃ、ちょっと待っててくれ」
「おう」
玄関で山田を待たせて海パンだけ取りに家に入った。
「ただいま、ちょっと友達と海行って来る」
奥の部屋に声をかけるとぼそぼそと返事が聞こえた。
「夕方までには帰るから!」
何と言っているかは解らなかったがいつもの事なので伝えるべき事だけ伝えて家を出る。
「お待たせ」
「『だ、大丈夫、今来たトコだから』」
山田がしなを作って裏声で返してくる。
「……お疲れ、また来学期」
真顔で扉を閉めようとするとガッ! と足を隙間に突っ込まれる。
「冷たい返しやめろよ~、やってるほうが恥ずかしいんだからさ!」
「いや見てる方も結構恥ずかしいからな。あ、一応水分補給な。海の中でしっこするなよ」
ジト目で冷えた麦茶のグラスを渡すと山田はへへっと笑いながら一気に煽る。返事が無いのが恐ろしいが突っ込みは入れずにおいた。
「相変わらずスゲー人だなぁ、ここは」
神光(かみつ)海水浴場は地元住民の努力もあってゴミも少なくとても綺麗な海水浴場だ。シーズンになると県外からの遊泳客がわんさと訪れる。今日は土曜日なのでその影響もあるだろうけど。
「とりあえず基地作ろうぜ」
「基地……? ああ、荷物置き場ね。財布とか置いてきただろ?」
「勿論、基本よ基本」
別にロッカーを使えば良いんだけど地元民としてはそんなものにお金を使いたくないからいつもそうしている。あえてサンダルを脱いで素足で砂浜を歩く。やや熱いがしゃりしゃりとした感触が気持ちよかった。
「なぁ、ここらへんでいいか?」
適当に開けた場所にレジャーシートを広げるが、山田からの返事は無い。
「おーい、山田?」
顔を上げると山田の首が異常な角度に固定されたまま静止していた。っていうかねじれていた。夜間急にこの映像を見たとしたら間違いなく『あ、クリーチャー』と思うほどに奇妙な体勢だった。
「て、ててててて……」
何か言ってる。
「天使だ……!」
山田が泣きそうな声で言った。つまり美人が居るらしい。俺も興味がわいたので山田の視線を辿る。
「どれどれ……」
視線の先にはサングラスをかけた銀髪の女の子が居た。『どの子?』と聞く必要が無い位圧倒的。海には似つかわしくない競泳タイプっぽい紺色のワンピース水着に白シャツを羽織っただけのシンプルなスタイル。スレンダーで主張の少ない体型だったが、とてもバランスが良いと思った。黄金率、という単語が頭をよぎる。
「黄金三角形が見える……!」
山田が放心しつつ呟く。なんだか同時に一緒の感想を持ったというのは癪なので脳裏に浮かんだ黄金率という単語は即座に消し去った。
だが成る程、山田がこんなヘロヘロな声になる理由も最もだ。確かに最近量産される美少女のレッテルを貼られただけの女の子とは一線を画すると言って良いだろう。日本人離れした美貌は多くの海水浴客の視線を奪ってもいた。
そのまま銀髪の女の子はきょろきょろしながら歩いている。何か人でも探しているんだろうか。
「眼福だったな。まあ俺らにゃ縁遠い存在だわな。じゃあそろそろ泳ぎに行こうか」
「あんな子とお近づきになりてえなぁ……でもどっかで見たこと有る気がするなぁ……」
山田は美味しいものを食べて満腹になった時みたいなとろんとした声で返事をする。そして確かに言われてみればなんらかの既視感もあった。
とはいえせっかく泳ぎに来たのに鼻の下をのばしていても仕方が無いし腹も膨れないのでTシャツを脱いでレジャーシートの上に畳んでいざ海へ。
「ねえ、ちょっといい?」
声をかけられて振り向くとさっきの銀髪の女の子が目の前にいた。至近距離で見てもとんでもなく可愛い。いや、可愛いというよりは作り物めいた美しさを感じると言った方が近いかもしれない。俺と山田はポカンとアホな顔をして固まっていた。
「聞こえてる?」
「あ、だっ、だっだいじょっぶ!」
山田が答えたが声が完全に裏返ってるし見るからにテンパっている。
「ごめん、こいつ腹減ると壊れるんだ。俺らに何か用?」
フォローしたつもりだったがフォローにはなってないな、と気付いたが山田は後ろで真っ赤になり、ガガーピーと音を立てて煙を出している。あながち嘘にはなっていないようだ。
「うん。お名前、聞いてもいい?」
「へ? どっちの? 俺の? それともこいつ?」
「ボクが聞いたのは貴方のお名前」
「あざとい!」
山田が治った、いや直った。
「ボクっ娘だよ!」
即座に変なポーズを取り直して再度硬直する山田。
「ごめん、こいつ日光に当たると壊れるんだ。俺は津田。津田ギンジ。ついでにこいつは山田……山田なんだっけ?」
「地味に酷いな! ハルヒロ! ハルヒロだよ!」
普段から山田としか呼ばないので本気で忘れていた。それを聞いた銀髪の少女は口の端に笑みを浮かべたように見えた。けれど俺たちのやり取りを見て、では無い。冷たい笑み。
「……そう、津田。やっと見つけた。お父さんの名前、カズマだよね?……うん、答えなくてもいい。似てるし、間違えるはずが無い」
確かに父の名前はカズマだ。どうしてこの子が親父の名前を知っているんだろう。色々な可能性がぐるぐると脳内を巡る。だが最初に思い浮かべたポジティブな妄想は次の瞬間に儚く散る。
銀髪の少女はふわりとシャツを脱いで手に持っていた手提げから何かを取り出す。そのまま流れるような動きで俺の後ろを取る。
「騒がないで。今シャツの下にボクがナイフ持ってるのわかるよね。……今からキミのお父さんのところに連れて行ってくれる?」
「…………」
想定外も想定外だ。シャツで周りからは見えないだろうが確かに何らかの金属がわき腹に当てられているのが解る。美少女に話しかけられたと思って有頂天になっていたのは否めない。このボクっ娘は何らかの敵意をもって俺を探していたのだ。
近くに居た山田だけがナイフという言葉に気付いて慌てて掴みかかろうとする。だが次の瞬間には銀髪の少女の足払いで砂浜に顔面から沈んだ。
周囲の人間も漸く何かトラブルかと視線を向け出す。騒ぐべきか、それともおとなしく要求をのむべきか一瞬の逡巡。
「ストップ。俺は抵抗しない。キミも親父に会わせる。……だが山田を、そいつを傷つけたら承知しないし親父にも会わせない」
「……どうしてキミじゃなくその男を傷つけたら、なの? ならキミを傷つけるのはOKなの?」
冗談を言ってるわけではないらしく、ナイフの背をぐいと押し付けられる。
「すまん! かっこつけた! どっちもNGだ! だがそいつはお前の目的には関係ないんだろ? なら俺だけで十分だろうが」
俺の親父絡みの案件であるなら無関係の山田を傷つけさせる訳にはいかない。まさかこんな人だらけの場所で刺されはしないだろうとは思っていたが、それでも変な汗が出てくる。砂だらけの山田は顔面に付着した砂を必死に払っていた。
「ふうん……面白い。わかった、これは仕舞うよ」
そういうと銀髪の少女はシースに仕舞ったナイフをくるくるとシャツでくるんでカバンに入れて、何かトラブルかとざわつきだしていた周囲に作り物のような笑顔を向けた。
結局海に着いたと思ったらすぐに着替えなおして家に帰る事になってしまった。
心配して付いてくると言ってくれた山田だったが、断った。
「ボクも騒ぎにしたく無いし、別に殺したりなんかしない。でも警察への電話はやめてね」
このクソ暑い中何故か水着の上から黒いジャンプスーツを着込んだ少女は興味なさそうに喋る。
「家に着いたら電話する。無かったらその時は警察に連絡してくれ」
わざと少女にも聞こえるように言って山田は帰らせた。……けど、山田はと言うと帰ったフリをして尾行し様子をみていたらしい。当然俺に気付かれるくらいならこの子にも気付かれる訳で。
「別に逃げなければ危害を加えたりはしない。ナイフ、キミに渡そうか?」
やれやれ、と言ってシースに入ったナイフを俺に手渡してきた。ずしりと重い。
「いや、いいよ。こんなデカいの怖いし」
手段こそ異常ではあったが、いくつか言葉を交わしてそれなりに理性的であることは解ってきたのと、自分のトラブルに友人を巻き込むわけにも行かないと考え、今度こそ山田とは別れた。
二人並んで歩く俺と銀髪の少女は傍から見れば手を繋いでるデコボコカップルのように見えるかもしれなかったが実際は俺の手首をがっちりと握られているだけだった。正直逃げたい。ようやく家が見えてきた。そこまで特に会話らしい会話は無かったがふと気になった事を聞いてみる。
「なあ、そういえば別に親父に会わせるのは問題ないけど、いきなり親父を刺したり、そういう血生臭い事をするつもりとか、無いよな?」
ナイフを前に正常な思考を奪われていた。この少女はナイフを持って親父を探していたのだ。真っ先に心配すべきところだった。
「今のところはね。そう心配しなくていいよ。ボクはキミのお父さんに聞きたい事があるだけ」
「知り合い、なのか?」
「知り合いっていうのかな、津田カズマはボクのお父さんでもある」
血の気が引く。まさか腹違いの……? だが冷静に考えてみる。今でも亡くなった母さんの仏壇をせっせと掃除して、お供えをしている親父だ。この子が俺と同年代であろうことからそういった不義理はありえない。
「そういう悪い冗談は止せ」
「ボクは本気だけど」
ついに家の前まで来た。『園田』の表札を見て銀髪の女の子は軽く頭を捻った。
「ああ、母さんの旧姓だよ。よくわからないが表札はずっとこうなんだ」
「なるほど、だからか」
何が成る程なのだろうか、と思ったがその前に聞いておくべき事を思い出す。
「そういえば君の事なんて紹介したらいいんだ?」
一瞬の沈黙。
「そうだね、じゃあ津田カズマにこう伝えて」
表情を変えずに言葉を接いだ。
「『ウツロが来た』って」
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