第8話

 ディープワン級殲滅の直後、海面に現れたのは巨大なダゴン級ハイドラマグナ。


 真っ白な巨人。本来なら陸上ではその自重を支える事は出来ず、ただなされるがままのサンドバッグであるはずだった。


 海面から出ているだけでもビル五階分を優に超える大きさ。何らかの有機物である事以外は一切不明なぶよぶよとした白い表面に赤い血管状の模様が浮かび上がる。海中に突き刺さった巨大な腕は不気味に隆起し、筋肉の束が絡み合ったような形状をしている。これはどうみてもただのヒドロゾアの集合体などではなかった。タタリ達四体のミニステルアリスは警戒して後ずさる。


「臨界態の出現は非常に稀、ね。私達は本当にツイてる」


 言いながらタタリは口元に冷たい笑みを浮かべた。


「様子を見てみる。貴女たちはあいつの動きをよく見ていて」


 言うやいなやタタリはダゴン級へと向かう。どんな攻撃を行ってくるか未知数であった為か、なるべく地面に足を付けた状態で相手の出方を見るために。

 ダゴン級は海面から腕をゆっくりと引き抜いていく。海中から姿を現した巨大な上腕部はみちみちと筋肉が収縮するかのように音を立て、そのままタタリの方向へ向けられ、直後爆発的なスピードで突きを繰り出す。


「シッ!」


 大砲のように射出された巨腕をすんでのところで回避、後方でコンクリートの護岸が砕けた。腕を蹴り本体へと駆ける。ダゴン級はゆっくりと護岸に突き刺さった白腕を引き抜こうとするがその前にタタリは頭部へブリッツアイゼンを突き立て、鉄杭を撃ち込んだ。トリガーを引き通電、リロードし再度超高電圧をお見舞いする。生物が焼ける独特のにおいが広がる。


「デカブツが」


 サイズが大きすぎるのか全く効いている様には見えなかった。四メートルほどはある擬似頭部を蹴り、護岸まで飛ぶ。直後引き絞られた白腕が再度放たれる。タタリの着地と同時に繰り出された大砲の様な突きを辛くも回避したが護岸とテトラポットの砕けた破片が散弾のように飛び散りいくらかのダメージを受ける。ぺっと血の混じった唾を吐き、無線でエマージェンシーコールを行う。


「ダゴン級、臨界態出現! ブリッツじゃどうにもならない!」


 タタリは人間に期待しているわけではない。いまや人間を恨んでさえいた。けれど、叫んだ。


——こいつを屠らなければ妹たちが殺されてしまう。であるならば使えるものは何だって使う——


 顔に張り付いた銀髪をかき上げながら周囲のアリスに声をかけた。


「ご覧のとおり動きの緩急の付け方がかなり読みづらい。表面はゴムみたいな弾性装甲を纏ってて恐らく斬撃は有効だけどこんなちっぽけなコンバットナイフじゃ何も出来ない。ブリッツならあの弾性装甲を抜けるけど、二連撃お見舞いしてもたいしたダメージはない。純粋に相手が馬鹿みたいにでかいからその分タフなのね。見てたと思うけどあいつの突きはかすっただけで死ぬ。アマツ、ゲヴァルトの装弾数は?」


 矢継ぎ早にダゴン級の特徴を並べ立てた。全ては妹達を死なせない為に、自らが矢面に立つと決意したがゆえに。


「残りは十二発だな」


「そう、弱点が解らない以上それじゃ心もとない。こいつをここでとどめておくのは無理。防衛ラインを下げながら持久戦で削る」


 陸上に這い上がりつつあるダゴン級ハイドラマグナの姿は圧巻だった。全高十メートル近い巨体だけでなく、長く伸びた下半身がずるりずるりと引きずられる。本来ディープワン級を大型化しただけの存在だと聞いていたダゴン級だったが、臨界を迎えたこいつは全身が擬似筋肉の束の集合体。赤い血管状の模様がどくんどくんと動きに合わせて脈動する。人間の腕を思わせる巨大な白腕がその巨体を支え一歩一歩前進しダゴン級の巨体はついに護岸を超えた。


「――正真正銘、バケモンだな。なぁタタリ、尻尾巻いて逃げるってのはどうだ?」


 アマツがおどけて言った。


「そうね、そうしたい気持ちはある。 ――けど、妹の敵(かたき)は取る。あいつは、アイツだけはここで必ず破壊する」


 タタリは即座に返す。『どのみち逃げる場所も無いしな』とアマツも自嘲した。


「ま、私たちに出来るのはブリッツでの接近戦だけか。ちまちまとヒット&アウェイを繰り返すしか無いが……くそ、もちっとマシな遠距離兵器さえあれば」


 アマツは掌の中のゲヴァルトを見やった。弱点が解るのであれば集中的に狙撃すればいくらかの効果はあっただろう。だが内部構造なども未知数であり、群体生物であるハイドラマグナにそれは無理な話だった。


 ダゴン級ハイドラマグナは空を睨むかのような動作の後、ぶるぶると震え出した。首筋に相当する部分を逸らしたかと思うと、直後に反動を使い一気に間合いを詰めて頭部を地面に振り下ろした。


 アリス達は即座に散開したが見越していたかのようにダゴン級は白腕を横に薙いだ。骨折によるダメージの大きかったホノカがかわしきれず吹き飛ばされ、巨大な瓦礫に衝突する。


「がはっ!」


 血を吐き崩れ落ちるホノカ。逆に跳んで回避していたタタリはサポートに間に合わないと理解した。同時にホノカに向けて白腕が振り下ろされる。


「ホノカっ――!」


 タタリの叫び声を爆音が飲み込む。白腕は一瞬硬直し、動きを止める。


「こっちだバケモン!」


 アマツが叫びながら振り上げられた白腕に向けてゲヴァルトを連続して撃ち込んでいく。超大口径弾『.666 Nitro Express』が白腕の体組織を削り取り、その爆音は間断なく発されていく。


 だがアマツの強化義手ですらゲヴァルトの連射には耐えられない。みしみしと音を立てて歪み、身体と義手の接合部から血が流れ落ちる。それでもアマツはひるまず撃ち続ける。耳をつんざく連爆音の直後、カツンと弾切れを知らせる音が夜の静寂に鳴り響く。

まるで時間が圧縮されたかのようにゆっくりと引き絞られた反対の白腕が、アマツに向けられていく。


 肩で息をするアマツが口笛と共に構えていた腕を力なく下に下ろすとそのまま接合部から義手はちぎれ、ごとりと地に落ちた。


その音を合図とするかのように白腕のくびきは解き放たれる。


「……畜生」


 アマツが笑った直後、護岸に白腕が突き刺さった。


「い……いやだあああ!」


 ホノカは泣き叫びながらアマツを護岸にねじ込んだ白腕に飛び掛りブリッツを突き立てる。


「やめろ! まずは落ち着いて距離を取れ!」


 タタリが声を上げるがホノカの耳には入っていない。

ブリッツをリロードし、打ち込む。

まるで壊れてしまったかのようにそれだけを何度も繰り返す。


 けれどまるでダメージを負っていない白腕は引き抜かれ、ホノカを掴む。

 直後、泣き叫ぶ彼女は赤く爆ぜた。



 全力疾走なんていつ以来だろう、とミコトはぼんやり考えていた。足の筋肉に酸素を消費されて、まともな思考が出来ていない。

デスクワークばかりだったことを少しだけ恨めしく思っていた。どこかを探すまでもなく白いビルのような大きさのハイドラマグナが見えた。走って近づくにつれ、ダゴン級のサイズに驚きを隠しえない。


 そして、そいつと戦う瑠璃の姉妹達。

――いいえ、私のアリス達。


 次の瞬間赤い花が散った。それが、アリスであると理解するには少々時間が必要だった。巨大な白腕の拳からぼたぼたとこぼれ落ちる赤い果肉。理解を拒否する脳にその光景が無理矢理現実を突きつけてきた。


「うわああああああああ!」


 瑠璃にもう一度あって、謝りたかった。ただの、それだけ。

 倫理も、道徳も、神も、世界も、私でさえも。

 全てはどうでも良かった。


――失った娘と再会する、ただそれだけの為に生きる存在となった私は無理矢理生体兵器の製造を承認させた。確かにコスト面での優位性はあったが倫理的には狂っていた。理解していた。そのまま「狂っている」と何度も何度も言われた。その通りだった。それでも、あらゆる手を使って判子をつかせた。内閣府など比べものにならない程上位の存在、彼らと接触し、前段階実験としてミニステルアリス計画を認めさせた。彼らの計画にとって狂った私はいつでも切り捨てることの出来る優秀な捨て駒だった。金も使った。きたない事もした。何をしてでも、何を失っても、もう一度瑠璃と出会うために。


 瑠璃を、アリスをこの世に蘇らせたのはもう一度出会う為。再度失う為では無かった。けれど私が、私こそが愛するアリスの墓を暴き、蘇らせ、そうしてその骸をもう一度地獄に突き落とした――


 もう酸素をちゃんと吸えているのか、身体がどうなっているのかも解っていない。とにかく足を動かして前に進んでいった。眼前には怪我をして倒れ込んでいる銀髪のアリス。恐らくはウツロ。そこに目掛けて白腕が引き絞られていく。


 ハイドラマグナに感覚器は存在しないように思えたが戦闘データではフェイクに間違いなく反応していた。何らかの方法で認識はしている。ならば、気を引くことも出来るはずだと考えた。


「うわあああああ!」


 叫ぶ。大きなビルのようなハイドラマグナの前で手を振り注意を引きつけようとしたが反応は無い。次に足元の石を投げつけた。ようやくミコトに気付いたかのようにダゴン級が反応する。自分が何をしているか理解はしていない。ただもう目の前で瑠璃を、瑠璃と同じ顔をしたアリスが死ぬのは見たくなかった。瑠璃アリスは逃げられただろうか、それだけを想った。


「何してる! 死ぬぞ!」


 直後、タタリに襟首を引っ張られ意識はぷつりと落ちた。




 身体を揺さぶられている事に気がついて目を開くと目の前にはタタリとウツロが居た。どちらも無事だった。そしてミコトは仰向けに寝かされている事を理解した。意識を失っていたらしい。


「うっ……!」


 そこまで気がつくと同時に両脚に激痛が走った。どうやら直撃は交わしたものの、ダゴン級の飛び散る刺胞細胞までは避け切れなかったようだ。痛みに耐えて口を動かす。


「……ごめんなさい」


 ぽつりとこぼれ落ちた。その言葉をきっかけにミコトの目から涙が次から次へとこぼれ落ちていく。


「ごめんなさい、こんなつもりじゃなかった。謝りたかっただけだった」


「喋るな! 今処置する!」


 冷静なはずのタタリは急いでミコトの脚に付着したハイドラマグナの体組織を取り除く。けれど、その腫れあがり方は直視できないほどに酷かった。


「このままじゃ、救援まで持たない。足を切断します。いいですね?」


 ダゴン級から随分距離を取ってはいたが、警戒しながらそういった。タタリ達は刺胞細胞にまみれた自分たちでは大雑把に刺胞細胞を除去するか、切断する以外の処置は出来ないと知っていた。


「いい、このままで。……ごめんなさい、瑠璃。お母さん、ずっと貴女に謝りたかった。嫌いだなんて、嘘だったの。お母さん、貴女の事が一番好きだった。一番大切だったの。愛していた。なのに――」


 既に意識が混濁しているのかうわごとの様に繰り返した。徐々にろれつが怪しくなっていく。


「――――っ! 解った、もういい! 喋るな!」


 タタリの顔にゆっくりと手を伸ばしたミコトは、彼女の頬に手を当て、視線の定まらないまま笑顔を浮かべる。頬を涙が流れ落ちていく。


「愛してるよ、瑠璃。もう一度、……あなたと、アネモネの花を……」


 力なく腕が地に落ちた。


「脈拍、鼓動、呼吸、停止。瞳孔、散大……。……今の私達じゃ、どうしようも、ないよ」


 ウツロが声をかけてうわああんと泣きじゃくった。そしてタタリはミコトの最後の言葉を反芻しながら放心していた。


「アネモネの……花……?」


 いつか、大切な人とアネモネの花を見た記憶。そしてその手に繋がれた温もり。



――私、このお花が一番好き!


――そっか、■■はアネモネがお気に入りか。次のお誕生日に一緒に庭に植えてみようか?


――うん! おかあさんと一緒にやる!



「おかあ……さん……?」


 ふいに、タタリの口から漏れた。その言葉は口にする事でタタリの中に染み入るように響き、心を揺らした。気がつくと両の目からは涙が溢れている。


「一体、この記憶は! 私たちは、一体、何なんだ……!?」


 タタリの悲痛な声が夜空に吸い込まれる。

 ダゴン級ハイドラマグナはずるずると体を引き摺りながら接近してきた。動き自体は非常にゆっくりに見えるが、それでも巨体ゆえにスピードは決して遅くは無い。



 息を切らした津田が走って来る。


「ミコト!」


 叫んでミコトの遺体に駆け寄ろうとした津田の目の前にの地面にコンバットナイフが突き立てられる。


「……澱木博士は亡くなりました。ハイドラマグナの刺胞毒が飛び散り、彼女の身体にも付着しています。それ以上近づかないで下さい。貴方も死にますよ」


 タタリは冷たく言い放った。


「そんな……! の、残りのアリス達は!?」


「…………」


 タタリは無言で視線をそらす。津田は答えを察して、へたりと崩れ落ちる。


「……それ、持ってきてくれたんですか。確かあの男の持ってきた試作品でしたか。どうやって使うんです?」


 タタリは津田の持ってきたカバンを見て言った。


「……これは、試作マイクロウェーブ兵器だ。水分子を振動させ熱して対象を破壊する。本来は遠距離用だがこれはまだ指向性が低く近距離でしか使えない。おそらく大型ハイドラマグナへの効果は高いと思う。……だが、恐らく使い手もタダじゃすまない」


 津田はそれが試作段階の欠陥品である事を鰐沢に連絡し既に聞きだしていた。理解した上で持って来たのだ。


「つまりは自爆兵器ですか。私達が使うための武器がそんなものだってことは、やっぱり私達、あなた達にとって使い捨ての道具でしかなかった」


 タタリは自嘲気味に笑う。津田ははじかれたように顔を上げた。


「違う!」


 津田は震える腕で自らの胸元をかきむしりながらタタリへと視線を向ける。


「ミコトの……澱木博士の死んでしまった娘。そのクローンがお前たちアリスだったんだ。博士は、娘に、お前たちにもう一度会いたかった。ただそれだけだったんだ……! 


 だが、俺は違う! 俺は、取引の為に、金の為に! お前たちを作り出し、寿命を決めて、生殖能力も奪った! 俺こそがお前たちにとっての悪魔だった! 恨むなら俺を恨んでくれ! それで気が済むなら俺を殺してくれたっていい! けれど、ミコトは……! 本当に、お前たちを愛してたんだ……! だから……だからミコトの想いは! それだけは……偽物なんかじゃなかった……! それだけは……!」


 津田は子供のように泣き喚きながら叫ぶ。黙って津田の言葉を聞き届けたタタリは何かに納得したかのような表情をすると、ミコトの亡骸を見つめ、ふっと笑顔を浮かべる。


「……人間、か」


 直後、呟いた。満足そうに柔らかな笑みを浮かべたままのタタリは津田の頬に手を当てると、そっと唇を重ねた。


「……何、を……」


「……特に意味はありません。最後に経験しておきたかっただけです」


 タタリは少しだけ楽しげに返すとそのまま迫り来るダゴン級へと顔を向ける。


「司令官。……いえ、津田カズマ博士。貴方は今私に殺されても良いと、貴方自身の命を放棄した。……だったら、その命の在り方は私が決めてもいいのでしょう? ――貴方は生きて下さい。いいえ、違う、貴方は生きなくてはならない、私たちのために。……ウツロの事をどうか……頼みます」


 タタリの横顔に、迷いは存在しない。タタリはウツロを慈しむ様に抱き寄せる。その光景を見て津田は返事を返せないでいた。


「それってどういう……まさか……駄目! 待って、おねいちゃん!」


 何かを察して自らにすがり付こうとしたウツロの鳩尾へタタリは瞬時に抜き手を突き入れる。


「おねい……ちゃん……どう……して……」


「ウツロ、強く生きて。貴女の未来が、幸福な物であることを、私はずっと祈っている」


 タタリは意識を失ったウツロをそっとミコトの隣に寝かせた。


「私が守る事の出来る命は、この子だけになってしまった。それにもう、疲れた。誰を憎んで、誰を愛せばいいのか。私にはもう、解らない」


 タタリは誰に対してでも無く口にして、試作兵器を手に取ると、独りダゴン級ハイドラマグナへと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る