第7話
憔悴するミコトを椅子に座らせる。津田はともかくミコトはアリス達に情が移っていた節があった。そこでいきなり第三者により秘密を暴露され、培ってきた信頼を粉々に破壊されたのだからショックは計り知れない。同時に津田自身も自らの甘さ、未熟さを呪った。
津田は床に何か光るものが落ちている事に気がつく。
「なんだ……?」
恐らくミコトがいつも付けていたロケットペンダントだろう。さっき鰐沢ともみ合った時にチェーンがゆるくなっていたのかもしれない。何気なく拾おうとしたが、開いていたロケットにはめ込まれた写真に焦点が合い、息が止まる。
「……なん……だ……これは……」
そこにはアリス達と瓜二つの少女と笑顔のミコトの姿が映っていた。ミコトの年齢から最近撮影したものではない事は解る。
津田が中の写真を見た事に気付いたミコトは一瞬だけ慌てて、けれど全てを諦めたような顔をしてゆっくりと津田の手からロケットペンダントを取った。宝物をしまい込むかのように蓋をそっと閉じて、胸のポケットに仕舞う。
「……すまない、津田。……ごめん、ぜんぶ、私の――!」
ぽつりと落ちた大粒の涙をきっかけとしてとめどなく涙が溢れ出した。
アリスと同じ顔をした少女と、若い時期のミコトが写った古い写真。
これが意味するのは――。
「……ミニステルアリスの遺伝子サンプル提供者は、お前の娘なのか……」
ミコトは一瞬の躊躇を見せた後、こくりと頷いた。
「……CES。重い心臓の病気だった。キミなら解るだろう」
……その病名を忘れた事などない。息子銀二を、そして自らを苦しめ続けていた病名だったからだ。
「どうしても、もう一度会いたかった。どんな形でも瑠璃に、謝りたかったんだ」
嗚咽を挟みながらミコトは途切れ途切れに語り出す。瑠璃、恐らくはミコトの娘の名前なのだろう。そして彼女こそがミニステルアリスの元となった少女。
「瑠璃の時は、治療に選択肢なんて無かった。私にはどうする事も出来なくて精神的に不安定だった。それに私も若くて未熟だった。出口の見えない生活の中、瑠璃と些細な事で喧嘩して病室を後にした。仕事中、瑠璃が発作を起こして集中治療室に搬送されたと電話で告げられた。……瑠璃は、そのまま、一度も目を覚まさなかった」
ミニステルアリス計画。津田の中でもやもやとして納得がいっていなかった部分。そのピースがカチリと音を立ててはまった。ミコトにとっては兵士量産計画の前段階実験も何も、どうでも良かった。その蛮行はただ最愛の娘と再会する、ただそれだけの為に行われていた。
「CESの発作がいつ来るか解らないこと。瑠璃がいつ死んじゃうか解らない事は知っていたんだ。だったら、私はいつだって母親としてしっかりしてなきゃいけなかった。なのに、小さなことで仲違いして。最後の最後は喧嘩したまま別れて。それきりになっちゃったんだ。それがどうしても許せなかった。どんな手を使っても……悪魔に魂を売ってでも、瑠璃に謝りたかった」
ミコトは泣き叫びながら続けた。言葉遣いも、恐らくこっちが本来の物なのだろう。ただ黙って聞いていた。
「けれど実際は、体が同じだけで魂は別物。アリス達は、瑠璃じゃない。あはは、馬鹿だよね。そんなの当たり前のことなのに。私は知っていたはずなのに。そんな当然の事をアリス達と接する事で思い知らされていった。そうして私の心は削れて行った。けど、私はもうそれにすがる事でしか生きて行く目的が見つからなかった。だって、瑠璃は私の全てだったんだから。両の手が血に塗れてしまった私に後戻りすることはもう出来なかったんだから」
頬を止めどなく流れていくミコトの涙をぬぐってやった。
「……当初、協力者となる遺伝子工学博士を探した。優秀な人間はいくらでもいた。正直誰でも良かった。けれど、ふとした時に候補に上げた男の息子が瑠璃と同じCESだって知った」
津田は奥歯を噛み締め、深く目を閉じる。
「誤解されないように言っておくと、私は、何も『良い事』がしたかった訳じゃない。私が、私自身を許す為に、キミを選んだ。免罪符さ、便利に利用したんだ。そうする事で私から瑠璃を奪ったCESに一発やりかえしてやりたかったんだ」
嗚咽が言葉を塞ぐ。
「津田、キミの息子はCESに勝ってくれた。瑠璃の代わりに。自分の事みたいに嬉しかった。本当に嬉しかったんだ。なのに、私はキミの気持ちを利用して……この呪われた研究に――」
震えるミコトを抱きしめた。
「もういい、いいんだ。たとえ理由がなんであれ俺はお前に感謝してる。お前のお陰で俺は銀二を救えた。それだけは間違いないんだ。お前も言っただろう。俺も同じなんだよ。銀二を助ける為なら悪魔とだって取引をしたんだ。あの時、俺にとってのお前は銀二を助けてくれる救いそのものだったんだ」
頬を熱い涙が滑り落ちて行く。津田は、ミコトと自分は同じだったのだと理解した。
「私は人間の領分を随分こえてしまった。それで手に入れたのは瑠璃を身体だけ生き返らせて刻んで刻んで、殺して、殺して、絶望させた事。魂なんて一体何かすら解らないものを夢中で再現しようとしていたんだ。全然論理的じゃない。これじゃ中世の錬金術師を笑えない」
——魂の再現。その単語が津田の心をざわりと撫でた。
「……なあ、ミコト。落ち着いて答えてくれ。とても大事な事なんだ。お前、アリス達へプログラム以外のデータ閲覧をさせたか?」
「どういうこと? それはしてない。誓うよ。今更何言ってるって言われるかもしれないけど」
想定していた通りの答えだった。だからこそ津田の疑念は徐々に確信へと変わっていく。
「それじゃあ、もう一つ聞かせてくれ。……お前の娘、瑠璃と……アネモネの花に関わるなにか特別な思い出とか、無いか?」
正直心のどこかではばかばかしいとは思いつつも聞かずにはいられなかった。だが予想通りとでもいうべきか、それを聞いたミコトははじかれたように顔を上げた。
「……どう……して……?」
――アネモネ……司令官、私はこの花を知っている気がします。どういう事でしょうか。誰かと一緒に、見に行ったような……――
「解らない、けれどタタリが、アネモネを誰かと一緒にみた記憶があるって……」
それは偶然かもしれない。けれど俺の中では半ば確信に近い物へと変化していた。
ミコトは急に真剣な表情をすると口元に手を当てて何かを考え出した。
「……津田、聞いて。人間とアオミノウミウシの遺伝情報を結合させる為に、膨大な数の生物の遺伝子サンプルを使ったでしょう? そのことごとくはダメだった。そこであいつらが二年前、私に渡したのは……ハイドラマグナのサンプルなの。そして、その直後、瑠璃の……アリスの胚は安定しだした。この意味が、解る?」
態度を豹変させたミコトは突然そんな事を言い出した。確かにいくら試しても上手く行かなかったサンプルは、二年前突然安定するようになった。だがその原因がよりによってハイドラマグナのサンプルだったというのか?
「ちょ、ちょっと待て。一体そんなサンプルがどうして存在するんだ? ハイドラマグナに接触出来たのはつい最近の話じゃないのか? それにあいつらって一体……」
「……正式名称は知らない。人造量産兵士(パーフェクトソルジャー)計画とは別のもう一つの極秘計画、奴ら最大の悲願たるヒトの不老長寿化計画(プロジェクト・メトセラ)。それを推し進めるあいつらは生体ハイドラマグナのサンプルを少なくとも数年前には手に入れていた」
津田もミコトが冗談を言っているとは思っていなかったが、それでも話の内容は冗談そのものだった。
「私たちはとんでもない勘違いをしていたんだ。ハイドラマグナの本当の正体はヒドロゾアなんかじゃあ、ない。あれは――」
突然無線機がエマージェンシーコールを吐き出した。
『ダゴン級、臨界態出現! ブリッツじゃどうにもならない!』
鬼気迫るタタリの声だった。ミコトはバネのように飛び起きると、装甲車を飛び出した。
「おい、待て!」
慌てて追いかけようとした時にふと、鰐沢の持ってきていた試作兵器とやらが津田の視界に入る。一瞬の逡巡を経て、アタッシュケースを引っ掴むとミコトを追いかけた。
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