第一章 魂の在処

第3話

――六年後、2027年。


「以上が『対ハイドラマグナ甲型殲滅特化兵器、通称ミニステルアリス』の概要となります」


 ずらりと並んだ黒い拘束衣を着込んだ七人の少女たちのスライドをバックに津田はマイクを握っていた。勿論一般に向けたものでは無くスポンサー、いわゆるお偉いさんに向けた専門性の低いお披露目だった。


 Hydra magna rlyehensisハイドラ・マグナ・ルルイエンシスと呼ばれる群体生物を殲滅する為の人造人間、それは奴隷を意味するミニステルアリスという名称で呼称されることとなった。通称アリスシリーズ第一世代。人間の細胞から培養した正真正銘の人造人間だった。


「津田博士、彼女たちの特徴をもう少し我々にもわかりやすく解説してくれるかい?」


 会議室に並ぶ二十名ほどの本来出会うことすら無いであろう尋常では無いレベルの金持ち達。その中で脂ぎった小太りの男がパンフレット片手に足を組んで質問をしてきた。


「ええ、お配りした資料には専門性が高すぎる部分も散見されますのでもう少し解りやすく説明させて頂きます。ミニステルアリスシリーズにはハイドラマグナの近縁種、カツオノエボシの刺胞毒を無効化し捕食対象にすらしてしまう生物アオミノウミウシ、Glaucus atlanticusグラウクス・アトランティクスのDNAを組み込んであります。これにより彼女たちは先天的にハイドラマグナの刺胞毒の一切を無効化する事が可能です。実戦はまだですが既に刺胞毒に対する臨床試験も終了し、効果は実証されています」


 別の男が手を上げる。


「どうぞ」


「奴らを排除するだけなら解毒剤や防護服ではダメなのかね? わざわざ人造人間……失礼、このような兵器を作る必要が本当にあったのかね?」


 彼は事前に打ち合わせていたサクラであり、予定通りの質問だった。


「そうですね。ハイドラマグナの刺胞毒は未だに完全に分離出来ておらず血清、つまり解毒剤が存在しません。ですが恐らく時間さえかければ解毒剤を完成させることも出来るでしょう。ただ、よく誤解されるのですが『解毒剤がある』という事はそれさえあれば毒を無効化出来るというわけではないのです。例えば有毒生物として有名なのはキングコブラでしょうか。奴らの毒には既に馬の血液を元に造られた血清、つまり解毒剤が存在します。これさえ有れば確かに死亡率は下がります。けれど奴らの毒は非常に強力でタイミングよく解毒剤を投与出来たとしても患部はケロイド状になりほとんどの被害者はとても無事では済まず、その後元の日常に戻れる可能性は限りなく低い。毒を無効化する事、そして血清により命を取り留める事。この二つは同じように見えて実際には雲泥の差があるのです。……話を戻します。刺胞細胞からの微細な毒針、そしてそれを大型化した吻……つまりはトゲを防ぐには通常の防護服だけでは足りません。人間が近接駆除を行うならば宇宙服規模の厳重な防護服を着用する必要があります。そうなれば動きを阻害し、逆に命を危険に晒すでしょう。ですが刺胞毒さえ無効化してしまえばハイドラマグナはただのでかいクラゲです。動きも遅く、知性も無い。コスト面や倫理面で問題は孕みますが……今回の技術は近い未来我が国に大きなメリットを生むでしょう」


「成る程? ではそのハイドラ……ええと、とにかくそいつらの危険性はどれ程のものなのかね」


「データが非常に少なく、被害者の遺体が残らない為実際の襲撃数は把握しかねます。ですが、特定の海域でのみ行われていた奴らの狩りは二年前から突然急増し、陸地に近づいてきています。これはオフレコですが先日A海浜公園で起きた水難事故、遊覧船が沈没し三名が死亡していますがこちらはハイドラマグナの仕業という事が判明しています。恐らく誤って触れてしまい連鎖的に刺胞毒を打ち込まれ死亡したものだと思われます。一般報道ではあくまでも水難事故という体(てい)ですがサンプルを回収した結果そのように結論付けました」


 実際、国民に対してはハイドラマグナの存在は伏せられている。現段階では対応策が少なく国民への露骨な不安を煽るわけにはいかなかったからだ。代わりに新種の寄生虫対策として警告をし犠牲者を減らす努力は行っている。ミニステルアリス開発に着手してから最初の四年程は特に何も無かった。相変わらずニュージーランド沖周辺で船が音信不通となり、後日乗組員が消失した状態で船だけが見つかるという事件は何度も発生していた。

 勿論露見していないものも多いだろう。だが、先述の通りハイドラマグナが引き起こしたと思われる事故は徐々に範囲を広げ、陸地へ近づいてきている。二年程前からその傾向は突然顕著になり、ここ最近ハイドラマグナが原因であると疑われる事故が増えつつある。ハイドラマグナの体はどう考えても陸上での活動に適したものではない。それでも陸地を目指し、上陸し人を襲った例もある。一体やつらに何があったのかは未だに解っていない。その後いくつかの質問を受け、形式的なお披露目は終了した。


「ご苦労さん、私こういうの向いてなくてね」


 スポンサー達を見送った後準備室に戻るとミコトに労われた。


「俺も向いてないけどな」


「そんなことない、なかなか様になっていた。また頼むぞ」


 芝居がかった表情で笑いながら肩を叩かれる。一応上司なので逆らえず、はいはいと答えて手早く白衣を脱いだ。



「ただいま」


 玄関を開けると銀二が出迎えてくれた。


「お帰り!」


 銀二は七歳まで生きられないと医者から宣告を受けていた。けれど、ミニステルアリス開発の対価として十分な報酬を得た事、そしてミコトの伝手により最新の新薬第一相被験者になることが出来た。

 今では他の子達と変わらない健康な小学四年生になっている。最愛の亡き妻の、華の忘れ形見。大切な息子。頭をなでようと手を伸ばした時、不意に黒い物が津田の思考を遮った。

 脳裏に浮んだのは腐敗し、崩れる肉の感触。灰色に濁った瞳。成熟することなく死亡した無数の胚。更にサンプルとして保存されたホルマリン漬けのミニステルアリス、そのなり損ない達。


 合計すれば数千、数万は下らない命を手にかけたのと同義だ。新薬を開発する場合ですら実験動物は重さで、しかもトン単位で表されることになる。新薬でそれなのだ。人間と他生物のキメラであるミニステルアリス開発の為の犠牲となった命はその比ではなかった。実際最初の何年かは命を作っては壊す、そんな無為な行為が延々と繰り返されていたのだから。


 黒い思案を振り払う。血に塗れたこの腕で銀二に触れてよいものか。けれど。そのお陰で銀二は今も生きているのだ。津田は何度同じ選択を突きつけられようと、悪魔の手を取っただろう。深く息を吸い呼吸を整えると無理矢理に笑顔を作って口を開く。


「……良い子にしてたか?」


「うん! 勿論だよ! あ、お皿も洗ったよ!」


「お、さすが。偉いな」


 なでようと伸ばした手を引っ込めてぱちぱちと手を叩くと銀二は自慢げに満面の笑顔を浮かべていた。



 クローニングによりボディが完成したアリス達は専用の機器を使い海馬へ基本OSを焼付け、細かい部分はHMDによる教育プログラムによって「人格」を構築する。それを幾度も繰り返し一般の人間と遜色ないレベルで日常会話の受け答えが出来るようになった個体だけが、はれて兵器として運用される事になる。人間に近づく事で兵器として完成して行くとはなんとも皮肉な事であるが。現代の科学力での命の複製はまだこの段階だった。あくまでボディを作り、中身は生後書き込む。


 当初の計画では全てが均一な性能、つまり性格になる予定だった。だがクローン技術の限界か、もしくはミコトの言う魂の差なのかはわからないが彼女たちは個性を獲得していった。ある者は明るく、ある者は暗く。まるで普通の人間のようにそれぞれが異なる。その事はあくまでも「兵器を開発している」と心を殺していた津田に動揺を与えた。


 アリス達の見た目は十六歳~十八歳といったところだが彼女たちは実際には二歳でしかない。成長ホルモンを過剰投与し、無理矢理に身体的な臨界点まで引っ張り上げ、そこにとどめている。夜間は全て拘束衣によって封印、朝が来ると開放し、冗談のようだがラジオ体操から始まる規則正しいカリキュラムを履行していく。それはまるで学校のように。


「司令官、排泄の許可を」


「私も! 行きたい!」


 そういって手を上げたのはG1-00祟タタリG1-02仄ホノカだった。


「構わない。だが、そうだな。排泄ではなく手洗いと呼称するほうが自然だ。今後はそちらを使うように」


 彼女たちには焼き付けたOSによりかなりの語彙能力があるが、どれをどの状況で使うべきかの選択は完璧ではなく会話がぎこちない。その為細かい部分は実際に会話する事で補正していく。知っている言葉は同じでも喋る言葉は皆ばらばらだった。特に顕著なのがこの二人だ。


「手洗いですね、畏まりました」


「また新しく覚えるの? めんどくさーい」


 G1-02仄がぶーたれて言う。


「G1-00、行ってよし。G1-02はこっちに来い」


 握りこぶしにはぁ~っと息を吹きかけて手招きする。


「嘘です! うそ! 手洗いに行ってまいります!」


「良し」


 彼女達にはコードナンバーが与えられているがミコトによってコードネームも与えられていた。G1-00祟タタリG1-01虚ウツロG1-02仄ホノカG1-03暗ヒソカG1-04凍イテルG1-05天アマツG1-06冷スズリ。内二体、G1-00、G1-01は白化個体リューシスティックでもあった。当初彼女たちには医者でもあるミコトによって『カルテで使い慣れてるから』とドイツ語の名前が付けられようとしていたがあまりに耳なじみが悪く覚えづらいので漢字にしようと提案した所このようなコードネームになった。正直これはこれで変だが逆に人の名前らしくないので津田個人としては助かっていた。それでも、そちらの名称で呼ぶのは、まるでミニステルアリス達を人間扱いしているようなので口に出すのは可能な限り避けてもいた。


 教育プログラムの一環で屋外の映像を鑑賞させていると、タタリが不意に質問を投げかけてきた。


「司令官、この植物は何というのでしょう」


「それは……確かアネモネだな」


「アネモネ……司令官、私はこの花を知っている気がします。どういう事でしょうか。誰かと一緒に、見たような……」


 タタリは目頭を押さえて辛そうに言った。


「……少し待て。……おかしいな、そんな記憶が混入するはずはないんだが」


 教育プログラムの履歴を見ても花の名前など教えた形跡は無かった。当然生まれてから外出の経験も無い。記憶の混濁が起こっているのか。それともミコトの仕業だろうか。以前ミコトが人間用の食事をアリスに与えている場面に遭遇し咎めたことを思い出した。


「アリスへの教育にノイズを入れるわけにはいかないってのに、あいつめ」


 やれやれとため息をつくがそんな些細なことを気にしている暇などなかった。



 月日は流れアリス達との生活は当たり前のように続いていく。


「司令官、この拘束着だと夜間とても寝苦しいのですが」


「そうそう。また漏らすかもしれませんよ? 裸で寝たい!」


「……すまないがそれはできない。耐えてもらうしかない」


「はい、畏まりました。申し訳ありません」


「あれ!? 司令官私のこと露骨に無視してませんか!?」


「……お前の寝小便で汚れた布団や機材を毎朝洗うのは誰だと思う?」


「ももも、漏らしてません!」


「さっき自白してたぞ」


「うわああー!」



 タタリは訓練が進むにつれて、才能とでもいうべきか、恐るべき運動能力を開花させていった。全ての試験において最も優れたスコアをたたき出し、それを何度も自分で塗り替えていく。人間扱いするわけではないが天才とはこういう奴の事を言うのだろうと驚いた。同じ身体、同じ知識を持っていたとしてもその使い方は千差万別だった。何かと比べられる事の多くなったのは同じ白化個体、銀髪を携えたウツロだった。優秀な成績を出してはいたのだが、それでもタタリとは比べるべくも無い。その事を気にしたのか、ウツロのトレーニングへの執着には驚く事が多々あった。そして運動試験では散々な結果を連発する『なんで近所のちびっ子が紛れ込んでいるのか』と勘違いしそうになるホノカ。代わりに最も人間らしく、親近感を感じてしまう。津田にとってはそれが少し怖かった。

 その他のアリス達も当初はタブレットのAI以下の応答しか出来なかったが、いつの間にやら言われなければ通常の人間と大差が無いくらいに成長していた。


 ミニステルアリス達は被験者となった人間の遺伝子サンプルからips細胞を作成、更に精子と卵子に分化。それらを掛け合わせることで発生させる擬似的な単為生殖に近い方法で作られている。そこから産まれた七体のミニステルアリスから二体の白変種が産まれていることから恐らくは被験者がヘテロリューシスティックの因子を持っていたのだと推察される。自然界に稀に発生するこれらの変異はかつて繰り返された氷河期の雪原、白銀世界での保護色としてDNAに記憶された情報の発露だと言う。アルビノと違い、色素異常では無い為目が赤くなるわけではなく視力にも問題は現れていない。


 不思議な事に育成中のxy染色体は途中で全て死滅。結果的にxx染色体を持つ細胞、つまり女性型のみが残った。どの道生殖機能は全て取り除く必要があった為、どちらの性別であっても問題は無かった。彼女たちは九十八パーセントが人間であるにもかかわらず、生物としての尊厳である生殖機能が奪われていた。そしてそれは寿命にも及ぶ。


 彼女たちは二年の育成機関を含めて九年しか生きられない。テロメアに細工をする事で九年、誤差を考えても最長十年経過すれば死を迎える。このことは彼女たちには当然知らされていない。人間より優秀な人間を作るという事は下手をすれば彼女たちが新人類として我々に反旗を翻す可能性もあったからだ。当然幾重にもその可能性を殺す必要があった。



「戦闘訓練はいつ見ても派手ね」


 津田とミコトの目の前でタタリが現役の自衛官を相手に模擬戦闘を行っている。技術面、耐久面、その他諸々、全てにおいて異常なまでの成績をたたき出し続けている。恐らく体格、経験からいっても自衛官が圧倒的に有利なはずだった。だが実際には流れるような動きで相手を圧倒、制圧するタタリの姿が眼前にある。


「戦闘訓練の必要性に関しては疑問が残るけどな」


 アリス達は抗ミオスタチン抗体の投与によって運動性能も強化されているが、それは陸地では愚鈍なハイドラマグナを相手にするアリスには明らかに不要な要素だった。


「そんな顔しないでくれ。……汎用性も、やっぱり求められるのさ」


 ミコトは顔を伏せて言う。潤沢な資金を捻出する為にお上(かみ)を説得し、交渉するのはミコトの仕事だ。それゆえにアリス達には付加価値が必要だったのだろう。今後彼女たちにどのような仕事を任されるのだろうと一抹の不安がよぎる。


 彼女たちは産まれた事をどう思うのだろうか。

魂というものが存在するとしよう。

恐らくそれはアリス達にも宿っている。

彼女たちは本当に兵器なのだろうか、彼女たちを好き放題に弄繰り回し、命を冒涜する自分たちこそが人間ではない、悪魔なのではないか。


 この六年間何度も自問し、結局答えは得られなかった。何か答えを得たとしてもそれは言い訳だ。津田の手は既に血に塗れていた。銀二を救うため、彼女たちを、数多の姉妹たちを地獄に送るのだ。

ならば今更安易な慰めなど要らない。

このまま鬼畜として生き、鬼畜として死ぬ。

そうなる事に異論は無かった。


 四月十六日、ついにミニステルアリスの単独運用によるハイドラマグナの駆逐が行われる事が決定した。初陣だった。

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