第2話

 研究所に戻り理事に何だったんだとしつこく問いただされた。けれど当然口外することは許されていない。幸い今、大きなプロジェクトには関わっていない。ある程度の引継ぎを行うと数日の休暇を取った。話が通っているからか、とがめる者は誰も居なかった。


 UMAヒトガタ。全長三十メートルにもなる巨大な人間型の海中生物。普通に考えればそんなもの与太話だと思って不思議はない。

だが確かに群体生物であるとするならば、可能性は十分に有る。実際クダクラゲという群体生物は全長四十メートルにまでなるという。


 人間の遺伝子操作による人造人間の作成。ミコトは地獄に落ちる覚悟、と言った。津田は不可知論者を気取っているが、それでも人ならざる物を全て否定できるわけでもない。神など居ないと思っていても、仏壇に小便をぶっかけるような真似は出来るはずも無いのだ。それに津田には金がどうしても必要だった。その甘い蜜は津田の思考を捕らえて離さない。ふと時計を見ると、いつの間にか十七時を回っていた。


「もうこんな時間か。……銀二を迎えに行かなくちゃな」


 一人息子を預けている保育所へと急いだ。


「父ちゃん、今日カブトムシ見た!」


 保育所からの帰り道、手を繋いだ銀二は目をきらきらさせて唐突に言った。まだ春には早い時期だが最近では年中増やしている業者もいるらしい。


「そうか、あいつらイカしてるよな」


「イカ?」


 動揺していたせいかつい乱暴な言い方になってしまった。教育に良くないかもしれない。


「……格好良いって事さ」


「うん! 格好良い!」


 妻である華(ハナ)は銀二を出産すると同時に急逝した。もともと体が弱く、出産には高いリスクがあると言われていた。それでも華は産みたいと言った。最愛の妻を亡くし、本来なら自暴自棄になっていたかもしれない。けれど、お袋の手伝いがあったとはいえ銀二の世話は大変で、言い方は悪いが悲しんでいる暇なんて無かった。そのお陰で俺はクサらずに生きているといっても良い。大切な一人息子。銀二には感謝しても感謝しきれない。こいつは俺の息子だが、俺の恩人でもあるのだ。

 けれどある日医者は俺にこう告げた。


『大変心苦しいのですが、恐らくこのままだと息子さんは七歳までは生きられません』


 銀二に重い心臓の疾患が見つかったのだ。


――どうして運命は、華だけでなく銀二まで俺から奪おうとするのだろうか――


「とうちゃん、何かあった?」


「うん? どうしてだ?」


「悲しそうな顔してるから」


 銀二はまっすぐにこちらを見て、言った。四歳の子供に作り笑顔を見抜かれるとは。我が息子ながら恐れ入る。


「実はちょっと、おなかが痛くてな。でも大丈夫。さっきお薬のんだよ」


「そっか! ならだいじょうぶ!」


 愛する人の残した、忘れ形見。考えるまでも無く答えは決まっていた。

 この子のためならたとえ悪魔にだって魂を売るだろうとぼんやりと考えた。



「思ったより早かったな」


 翌日、渡された名刺に記載された電話番号にかけてみた。朝の九時だったがミコトはあくびをしならが答えた。どうやら寝起きらしい。


「一つ、例の事で聞きたい事がある。このまま電話で喋って大丈夫か?」


「ああ、この番号なら問題ない。だがそういった慎重さは必要だな。で、聞きたい事って?」


「前にも言ったが、謎の群体生物が人を襲う、それを理由に人造人間を開発するというのは誰が聞いたっておかしいだろ。あの時お前は『他の意図』があると言った。それを聞かせてくれ」


「――成る程ね、当然の疑問だ。……ではまず質問しよう。人間が生殖行為以外で人間をコンスタントに量産出来るようになったとしたら、キミならまず何をしたいと思う?」


 脳裏にまず浮かんだのは人体実験だった。だが、それは研究者としての目線に過ぎない。


「……奴隷の量産、か?」


「一球目から寄せてくるな。ある意味ではそれも正解だろう」


「……戦争か」


 つまり兵士の量産化。


「そうだ。人間と同じ思考をし、運動能力を強化したまるでSF小説みたいなサイボーグやロボットを作るのと、『人間ではない人間』を量産するのであればどちらが現実的か、解るだろう? そしてそれすらもまだ準備段階に過ぎないのだけどね。ああ、フェアじゃないので先に言っておくがこの件に対して私はキミに口止めはしない。だが、それが何を意味するか理解してから喋ってくれよ。この番号なら問題無い、というのはそういう事だ」


 脅しだった。この会話は記録されている、と。けれどその心配は、津田には杞憂だった。


「お前は前に言ったよな。人の社会における倫理、『それ以上に大事なこともある』と。安心しろ。俺は今は、金さえ貰えるなら何だってする。それは、俺の命以上の価値を持つ物だからだ。その為の伝手をそう簡単に蹴ってたまるか」


「それを聞いて私も安心した。スカウトなんてつまらない仕事はもうこりごりだからね」


 ミコトは笑う。地獄へ落ちる覚悟とは、そういうことだった。


「俺からももう一度頼む。是非やらせてくれ。……俺に出来る限り力を尽くすと誓おう」


「ああ、よろしく頼むぞ相棒。昼までにもう一度連絡する。風呂にでも入って小綺麗にしていろ。キミの職場にもこちらから話をつけておこう」


「……あんたは最後まで切り出さなかったが、俺の息子の事は調べが付いていたんだろう?」


 珍しくミコトは黙った。ややあって、


「……まあ大方の事情はな」


 気まずそうに言った。やはり、ミコトは津田の家庭の事を知っていた。確かに自分と同じ、イカレた人間ではあった。けれど、心の底からの悪い奴ってわけでもなさそうだった。


「……恩に着る。じゃあ後ほど」


「ああ」


 電話を切る。銀二を救う事ができるかもしれない。その事で胸が一杯だった。目頭に熱いものがこみ上げる。代償として、津田は悪魔の研究を行う事になる。遺伝子操作により、人の遺伝子を弄繰り回し、人が人を作る。


 生体兵器。神の領域。禁忌の技法。


 人類によって作られる人ならざるヒト。


「後世、悪魔と呼ばれようと。地獄に落ちようと、か」


 ふ、と誰も居ない部屋で笑った。津田の肝っ玉は案外小さかったらしく、喉がからからで今にも倒れそうだった。

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