第27話 死闘と私闘

 さっき足の腱を斬った傭兵は這って逃げたのか、もういなかった。もしかすると、血を流しすぎてどこかで死んでいるかもしれない。

 だが、そんなことを心配している暇はなかった。

 湿地にへばりついているクモの巣のようなものは、投げたまま捨てられた

網だ。小剣を構えたローク側の傭兵たちに包囲されたジェハにとって、こんな邪魔なものはなかった。

 傭兵たちの半分は湿地に、もう半分は固い地面に、それぞれ半円形になってジェハを包囲している。

 戦うにせよ逃げるにせよ、乱闘の中で足を取られて転んだら目も当てられないことになる。裏返せば、ローク側の傭兵にとって、多くの味方を屠った小生意気な若造を仕留めるのに、これほど楽な状況はないといえる。

 その上、背後にはまだアーバレストを構えたクロスボウ部隊が待機していた。たかが傭兵の少年一人を、大の大人がここまで寄ってたかって袋叩きにするのは、やりすぎといえるほどだった。

 ……死ぬな、これは。

 思えば、生きている意味もない命を売り払うつもりで傭兵になったのだった。こんな最期は、むしろ望むところというべきだろう。

 だが、ただ斬られたり撃たれたりというのはごめんだった。最後の最後まで、力の限り戦うのでなければ気が治まらなかった。

 泥に足を取られながらも、いちばん斬りやすい構えを取る。網の中に踏みこむまいと思えば、ほとんど動けるところなどなかった。

 湿地側の包囲が狭まる。ジェハは剣を腰辺りに低く構えた。

 ……さあ、どこまで斬れるか。

 それが出来なくなった時が最期である。生きて戻ることはかなわない。それを覚悟したとき、頭の隅に一瞬だけ閃いた記憶があった。

 あの雷雨の夜が明けて、毛布で裸身を隠したリナはジェハにすがりついてきた。

 首に回された細く滑らかな腕、頬に感じた涙の濡れた感触。

 耳元で泣くリナの吐息。

 哀願。

 お願い、私を助けて。

 ……ごめん、リナ。

 振り向きざまに、背後から来る最初の一撃を迎え撃った。完全に油断していたのか、肘から先が小剣を握った手ごと消し飛んだ。

 空いた背面に1人が回り込むことなど予想済みだった。むしろ、それが狙いだった。再び振り向きざまに払った剣が、胸甲では守り切れない腹部を切り裂く。逃げられはしない。踏み込んだところで、既に網が足を絡め取っている。

 ついでに正面にいる男の足を斬り払うと、仰向けに倒れた。止めを刺している暇などない。他のが背後から迫ってくる。

 小剣が相手なら、刃渡りの長いジェハの剣のほうが有利だ。横目で睨みながら斬り払う。首筋が切り裂かれ、鮮血が噴き出した。

 そいつが網の上にどっと倒れたとき、生きている連中が少し怯んだ。その隙を突いて斬り込もうとしたとき、どこかで聞いたような声が聞こえた。

「命を大事にしろ」 

 オヤッサンかと思ったが、声が違う。そのまま目の前の傭兵と斬り結ぼうとした時、背後から影が差すのが分かった。挟み撃ちにされたのだ。

 ……なんだ、これで終わりか。

 そう思った時だった。 

「命を大事にしろ、ジェハ君!」

 背後の影が一瞬で消えるのを目の当たりにしたせいか、ジェハの前の傭兵が目を見開いたまま放心状態になっていた。革鎧を着ていたが、無防備の状態なら一撃で貫ける。相手がどっと倒れたところで、ジェハは振り向いた。背後の敵を屠ったのは誰か、だいたい見当はついていた。

「クローヴィス!」

「よそ見するな!」

 飛んできたアーバレストの矢を、クローヴィスはバックラーで弾いた。もう一方の手には、ポール・アックス長柄の斧を持っている。さっきのは、これで吹っ飛ばしたのだ。

「お前隊長だろ!」

「君の命は私が預かっている。逃げるなら今だ」

 矢が飛んできたところで、小剣を手にしたローク側の傭兵たちは逃げ去っていた。そうしなければ、アーバレストの標的となったアルケン伯爵側の傭兵の巻き添えを食うことになる。

「どうやって!」

「こうやってだ」

 長柄の武器を操るばかりか矢筒まで背負ったクローヴィスは、腰に括った短弓を外すと、次々に矢をつがえて放った。アーバレストを準備できないクロスボウ部隊が、ばたばたと倒れていく。

 確かに大した腕だったが、ジェハにしてみれば、クローヴィスはそんなことをしなくても済むはずだった。

「シルフは? ウンディーネは?」

 あまり口にしたことのない名前だったが、この場で最も効果的な方法を使わないのが不審だった。大気だの水だのの精霊などというものがいるのなら、弓矢が狙いをつけているこの湿地でこそ操るべきなのである。

 だが、クローヴィスは言い切った。

「呼ばない」

「そんなこと言ってる間に!」

 辺りを見渡すと、まだローク側の援軍は来ていないようだった。だが、ジェハは林の中から現れたクロスボウ兵を1人認めた。ローク側の部隊から、ひとり抜け出してきたようだった。

 こういう時は、たいてい狙撃が目的である。すると、標的は1人しか考えられなかった。

 言わずと知れたクローヴィスである。

 声をかけようかと思ったが、それはためらわれた。1人で何人ものクロスボウ兵を射殺そうとして短弓に集中しているのだ。命に関わる。

 狙撃手を倒せるのはジェハしかいなかった。身体を屈めて、湿地を這うようにして迫ればできるかもしれない。

 だが、ぬかるみに足を取られては到底、間に合うはずもなかった。接近に気付かれれば、先にジェハがクロスボウの餌食になる。

 クロスボウの矢が耳元をかすめて、ジェハは思わず身体を屈めていた。相手はもう、アーバレストの鐙に足をかけている。膝を突いて、射撃姿勢に入られるわけにはいかない。 

 だが、それを阻む方法が1つだけあった。

 ……これだ!

 ジェハの目の前にあったのは、ローク側の傭兵が捨てていったために、さっき苦しめられた武器だった。

 降りしきる矢の中でとっさに引っ掴んだ網を、クロスボウ兵に向けて投げる。水と泥を吸い込んで重くなっていたが、渾身の力を振るうと、大きく広がってぐるぐる回りながら飛んでいった。

 まさかそんなものが降ってくるとは思っていなかったのだろう、既に膝を突いていたクロスボウ兵は、矢を放つことなく重い網に押しひしがれた。

 思い切って立ち上がり、ぬかるみに取られた足を引き抜きながら、そのクロスボウ兵に迫る。ジェハが固い地面に上がったときには、そいつもどうにか網から這い出たところだった。

 ……遅かったな。

 ジェハが無言で剣を横に薙ぐと、切られた相手の喉笛が甲高い音を立てる。

 そのとき、ジェハの頭の上で無数の矢が風を切る音がした。見上げると、林の方向から湿地を越えて飛んでいく。

 見れば、林の中から現れた長弓兵たちが遠矢を放っている。グルトフラングが味方をよこしたのだ。振り返れば、短弓の矢が尽きたクローヴィスが、散り散りに逃げ去っていく対岸の傭兵を見つめていた。


 元の林の中に連れもどされたジェハがクローヴィスに伴われて現れると、グルトフラングは人払いをした。しかし、傭兵たちがどれほど離れようと同じ林の中ではあるし、何よりもグルトフラングの怒声は、それだけで傭兵団の居場所をローク側に知らせてしまいそうなくらい大きかった。

「誰がお前に行けと言った」

 反論の余地はなかった。ジェハの勝手な判断である。グルトフラング傭兵団は、命令不履行と独断専行を許さない。従わない者は、死か逃走か、2つの選択肢いずれを取るにしても命を懸けなければならなかった。

「私が命じる者が信じられないのか」

 信じる信じないの問題ではなかった。自分が動くか動かないかの問題である。仲間が死の危機に晒されている時に、おとなしく救出部隊に編入されるのを待ってはいられなかった。

「兵をムダに失うところだった」

 それを言われると、何も言い返せない。自分を助けるためにクローヴィスが動き、それを援護するために一部隊が編成されたのだと思うと、ジェハは胸が潰れる思いがした。

 ……仲間を助け出すつもりだったのに。

 より多くの仲間を危険に晒すことになってしまったのである。弁解の余地はなかった。

 ……こんな死に方をするなんて。

 今まで見てきた公開処刑を覚悟したとき、グルトフラングは意外な一言を口にした。

「クローヴィスに免じて咎めない」

 唖然とすると同時にほっとしたが、そんな自分に今度は怒りがこみあげてきた。ここに来たときから、生きることなど望んではいなかったはずである。追い込まれたところでじたばたするのは嫌だった。

 開き直りの言葉が、つい口を突いて出た。

「殺すなら殺せ」

 グルトフラングが、髭面の口元を歪めて眉根を寄せた。不興を買ったことは間違いないが、それこそ望むところである。媚びる気はなかった。

「何で俺だけなんだ。他の奴等は殺されてきたろう」

 処刑方法は斬首だ。後ろ手に縛られて座らされ、さっきクローヴィスが振るったようなポール・アックスで首を打ち落とされる。一瞬で訪れる死を前に、どいつもこいつもみっともなく暴れて許しを乞うたものだ。

 だが、ジェハはそうはなりたくなかった。もっと惨めなことがあるからだ。

「クローヴィスは関係ない」

 抜けば誰もかなうことのない黒太子の剣を捧げる代わりに、救われた命である。さらに大目に見られるのは、幼子として扱われるのにも等しかった。

 そういえば、あの黒太子の剣もすんなりと抜けたのである。クローヴィスの意志では抜けないはずだから、それも癪に障った。

「俺の命だ」

 グルトフラングとクローヴィスと、そして黒太子の剣にジェハは言い放った。甘える気も、逃げる気もなかった。

「そうか」

 グルトフラングは答えるなり立ち上がった。黒いボサボサの髪を振り乱して手にしたのは、傍らの禍々しい偃月刀フォールチョンだった。

「ならば、お前の力で守ってみせろ」

 黒い革鎧に黒いマントを羽織った姿が、木漏れ日の下でも巨大な影に見える。その身なりを構わない髭面には、修羅場をくぐってきた者の深い経験が感じられた。

 口で言って分からないなら、剣に訴えるしかない。

 単純な理屈だが、グルトフラング団長自らが部下に決闘を告げた意味は重い。どちらにしても、負ければ後がないということだ。

 お互いに一歩踏み込んだら、一方の死が待っている。

 そんな間合いから突きつけられた切っ先に、ジェハは思わず目を奪われた。もう、戦うべき相手の姿が見えない。額から、そして背中にも脂汗が感じられた。

 ……負ける!

 刃を交える前から既に、格が違うのは明らかに分かっていた。だが、もう遅い。名誉をかけて戦うしかない以上、「悪かった」とはもう言えなかった。

 行くぞとも言わずに、グルトフラングは偃月刀を一瞬で頭上から振り下ろした。どうにか呼吸を読んだジェハは、懐に飛び込んで抜き打ちの剣を横薙ぎにする。

 だが、わずかに届かなかった。目の前から消えた黒い革鎧の位置を予測して斬りつけると、あやまたず刃と刃とがぶつかり合った。

 ……しまった!

 身体の小さいジェハがグルトフラングと打ち合って、勝ち目などあるわけがない。斬るのに適した片刃の剣が、叩きつける肉厚の剣の圧倒的なパワーで弾き飛ばされる。

 喉元には剣が突きつけられ、ジェハの敗北と死は決まったかに思われた。

 だが、その運命を言葉一つでひっくり返した者がいた。

「即応性が薄いのを、部下のせいにしてよいものでしょうか」

 それは、クローヴィスの静かな抵抗であった。むろん、ジェハの勝手な行動に情状酌量の余地がない以上、本来なら黙殺して然るべき抗議である。

 だが、あろうことかグルトフラングは剣を引いた。そもそも、部下に決闘を挑むこと自体が稀有なことである。その上、倒しておいて許してやるなどということは団長の権威に関わる。

 代わりに返したのは、単純な一言だった。

「命令に従わなかったことが問題なのだ」

 組織のルールという点では、これ以上もっともな答えはない。だが、グルトフラングは余計な非難を付け加えた。

「なぜ、精霊を使わなかった」

 ローク側の傭兵団と戦端を開いた後に現れたジェハの罪を不問に処してまで、クローヴィスを雇う利点はそこにある。言い換えれば、精霊を操らないのはグルトフラングにとって話が違うということである、

 だが、クローヴィスにはクローヴィスの言い分があった。

「貴族どもの私利私欲を満たすために、精霊は動いたりしない」

 アルケン伯爵とローク男爵の国境争いの本質は、そこにある。それを知っているクローヴィスの遍歴も、伊達ではないようだった。

 この両者ばかりではない。ユイトフロウの外にも、皇帝の権威が弱いのをいいことに同じことをしている貴族たちはいくらでもいたのである。

 グルトフラングは低い声で唸った。

「私が貴族どもの手先になっていると?」

 クローヴィスは、首を横に振った。

「貴族どもが傭兵を使うのは、家臣たちにうしろめたいからだ」

 その言葉にはむしろ、つまらない戦に使われているグルトフラングへの同情が込められている。それを突き返すかのように、グルトフラングは毅然と言い放った。「私はそれを請け負っていることに誇りを持っている」

 クローヴィスもまた、悠々たる態度で穏やかに答えた。

「私も、精霊との約束を守ることに誇りを持っています」

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