第26話 名誉のための無駄な闘い
異変が起こったのは、その時だった。
作戦前の警戒のため、歩哨が1人、連絡用の角笛を携えて、湿地を隔てた向こうにある林へ送られていた。
ところが、交代が遅れていることで歩哨同士の口論が始まり、そこで最初の1人がまだ帰っていないと分かったのである。
さっそく、新参のクローヴィスも含む各隊長がグルトフラング団長の下に集められ、現場を確認する方法についての相談が始まった。
だが、危機を告げる角笛が聞こえたのは、それが始まったか始まらないかの内であった。
遠くから一定のパターンで響く角笛の音に、林の中の傭兵たちには衝撃が走った。
「襲撃だ!」
「来るぞ!」
「ロークの傭兵だ!」
口々に叫ぶ声が飛び交う中、さっき口論をしていた歩哨2人が、槍や剣を片手に助けに行く。それを追って駆けだそうとしていたジェハだったが、背後から、誰とは分からないが制止の声がかかった。
「待て! 危険だ!」
3人とも、足が止まった。
そのうち2人は歩哨の仕事をしようとしていただけだった。
ジェハはといえばその順番が当たっていない上に、クローヴィスのおかげで追い出されも殺されもしないでいられるにすぎない。下手に動くことはできなかった。
その一方で、林の中の傭兵団は騒然となった。
「各隊長の召集だ!」
不測の事態が起これば、現場の判断が団長に伝えられる。
さらにそれぞれの隊長が団長のもとに集まって指示を仰ぐ。
これがグルトフラング傭兵団のしきたりである。
だが、その隊長たちが既に団長の下に集合しているのである。この事態をとっさに誰かが報告すれば、事はすんなり解決するはずだった。
「救出部隊!」
その場でさっきの歩哨たちをはじめとした傭兵たちが集合し、立候補と挙手による多数決で決定された臨時のリーダーが確認した。
「場所は」
臨時編成の救出部隊の一人が、湿地の向こうにある林の一点を指差した。
「あの辺りだ!」
独自の訓練と経験の賜物ともいうべき迅速な対応だったが、「その他大勢」に回されて腐っているジェハの目には、その命令系統でさえまどろっこしく見えた。
臨時のリーダーが次々に命令を下す。
「解散!」
救出部隊が瞬時に各自の荷物に戻ったが、そこにはジェハの姿はなかった。
「装備!」
不足している武装が一斉に点検される。もっとも、ジェハの武装は最低限のものだ。
「召集!」
瞬く間に、さっき集まったメンバーが集合した。出番がないのに不満を漏らしていた割には、ジェハがこっそり紛れ込んでいるということはなかった。
「点呼!」
救出に名乗りを上げた傭兵たちが各自の名前を告げる。もちろん、その中にジェハの名前はない。
「装着!」
各々が剣を
「移動!」
救出部隊はリーダーの判断で、林の固い地面に沿って駆けだした。
ジェハはというと、既におっとり刀で飛び出していた
……俺なら動ける! もっと早く!
そう思って最短の直線距離を選びはしたが、思いのほか湿地の苔は薄かった。ジェハのブーツが踏み抜くたびに柔らかい土に足を取られ、持ち前の俊足が十分には生かせなかった。
その上、苔の上を毒々しい緑色の蛇がするすると這ってくる。
踏み出した足に巻き付いてくるのが気色悪くて、ジェハはそいつを思いっきり蹴り上げた。
妙に青い空に高々と舞い上がった蛇は、真っ逆さまに鼻先へと落ちてくる。ジェハは自分で踏み荒らしたぬかるみに足をとられながら飛びすさって、抜き打ちの剣を叩きつけた。
次の瞬間、真っ二つになった蛇の間を全力で駆け抜ける。
……邪魔なんだよ!
鬱憤のはけ口になった蛇に、殺さなくてはならないような毒があったかどうか。そんなことまで、ジェハは知らなかった。
仲間を助けに行こうと焦ったものの、湿地の苔やら泥やらに足を取られると、すぐ目と鼻の先に見えた林は結構、遠く感じられた。
それでも武器と武器とがぶつかり合う音が聞こえてきて、どの辺りで戦闘になっているかは見当がついた。
その方向から、声が聞こえる。
「早く! こっちだ!」
味方を呼ぶ声だった。どこかと探せば、眼の前の林のすぐ向こうから聞こえたようだった。目を凝らせば、林の木々の間から、何人もの相手と戦っている影が見える。
「こらえろ! すぐ行く!」
ジェハは先を急いだが、固い地面に上がるまでもなく、敵に遭遇する羽目になった。
追いかけてきたのは、3人のローク側傭兵だった。全員、ジェハと同じような胸甲と背甲だけの軽装で、各々が小剣を手にしていた。敏捷性でも人数でも、歩哨が不利だった。
「逃げろ!」
ジェハは叫んだが、すぐに駆け付けられるわけではない。かえって2人の傭兵を、固い地面の端で待ちかまえさせる羽目になった。
歩哨はというと、ただ追い詰められるばかりではなかった。ハルバードを振るって反撃したが、長柄の重い武器をそう素早く振り回せるわけがない。
あっという間に胸元に飛び込まれ、腕を斬りつけられて武器を落としてしまった。逃げようとして足を滑らせたのか、そのまま転倒して小剣を突き付けられる。
だが、その時には湿地側からジェハが剣を抜いて突進していた。
斬り込むときは雄叫びを上げないことにしているのだが、これは相手に気付かれないためではない。その分の気合を、最初の一撃に込めるためだ。
だが、ぬかるみに足を取られている分、戦いは不利になる。固い地面に立っている相手とまともに戦うような真似はしなかった。
横薙ぎに払った渾身の一撃は、実はフェイントである。余裕でかわした相手の胸元に飛び込むと、片手で首根っこを掴んで引きずり倒した。
自分も仰向けに倒れながら、身体が重なるときの衝撃を利用して剣を突き刺す。もう一人が武器を突き刺してきても、覆いかぶさった死体が盾になるからだ。
だが、その攻撃はなかった。残った2人が、悲鳴を上げて逃げ出したからである。
わけが分からなかったが、立ち上がろうにも刺した相手が邪魔で動けない。逃げる背中が遠ざかっていくのを眺めながら泥の中を抜け出して、ようやく事情が知れた。
地面沿いに、さっきの救援部隊が駆け付けてくる。
……バレる!
そう思ったところには、2つの意味があった。
傭兵たちをあのまま逃がせば、ローク側の増援が来る。
さらに、ここで追いついて倒さなければ、何の役にも立たないのに勝手な行動を取ったことになるのだ。
追いかけるしかなかったが、林の中を駆け抜けた敵の傭兵たちは、湿地際の固い地面沿いに逃げていた。
足の速さなら、負けはしない。
ジェハはすぐさま追いついたが、これが罠だった。立ち止まって振り向いた傭兵は、小剣を投げ捨ててジェハの足に飛びついたのである。
横薙ぎの剣は空を切り、ジェハはさっきと逆の体勢で湿地へと転がり込んだ。足を掴まれたまま、固い地面に立った相手に背を向ける形である。
だが、ジェハは既に手を打っていた。
……甘い!
もんどりうって倒れたときには、既に相手の首筋に剣を突き立てていたのである。死に物狂いとはいえ、泥の中に噴き出す血を抑えようもない傭兵の腕を抜け出すのは難しいことではなかった。
最後の1人はジェハの背に小剣を突き立てようと、湿地の中に足を踏みこんだ。
……そこだ!
片手を突いて身体を起こしただけでも、足の腱に斬りつけることはできる。
膝をついた相手の顔面に泥をひと掴みぶつけると、立ち上がる隙を稼ぐくらいの目潰しにはなった。
……わけもない!
しゃがみこむ相手である。頭から剣を叩きつければ、真っ二つにもできる。
ジェハがそうしなかったのは、別に情けを掛けたわけではなかった。
……来る!
背後に異変を感じて振り向くと、すぐ背後に、網を手にした傭兵たちが迫っていた。
……もとは干潟の漁師か?
泥の中でも妙に動きが速い。平然と歩いて、半円形の包囲にかかる。これで網を投げられたら、間違いなく捕まる。
……それなら!
ジェハは目の前にうずくまる背中を踏みつけた。傭兵たちの脇腹辺りに構えられた網が、大きくスイングする。
……今だ!
ジェハは網が投げられるのと呼吸を合わせて、高々と跳び上がった。歩くこともできない哀れな負傷者が、何枚もの網に押しつぶされる。一方のジェハは、再び固い地面に降り立っていた。
それでも、危機が去ったわけではなかった。武器を失った網兵が逃げ去っていく先には、クロスボウ部隊が膝を突いて射撃姿勢を取っていたのである。
……ちょっと、待て!
飛び道具が相手では、ジェハの剣も役には立たない。最初の一斉射で湿地越しに飛んできた最初の矢は何とか斬り落とすことができたが、そんな芸当がそうそう続けられるものではない。
……これは無理だ。
湿地の向こうで何やらもたついているのを見ると、クロスボウは例のアーバレストのようだった。
だが、それも無駄だった。矢が命中した幹が目の前で震えるのを見ては、下手に動くこともできない。
恐る恐る対岸を覗いてみると、再び飛んでくる矢に身を隠さなければならなかった。
……人数が増えた?
矢が飛んでくるのが危なくて、いちいち確かめることもできない。林の向こうには歩哨を助けに来た救援部隊がいるはずだが、ジェハまで助けに来るかどうかは定かでなかった。
発見されてしまった以上は、逃げるしかない。隠れられそうな木を探して、なんとか林を抜けるのが得策だった。
目の前に、太い木が一本ある。最初の突破口がここだった。対岸から見えないように忍び寄ると、その後ろに飛び込んだ。
……撃たれなかった。
安心はしたが、まだ矢が飛んで来はしないか気になった。恐る恐る、脇を横目で眺めてみる。
そこでジェハは、なぜ安全に隠れられたかを悟った。
……そういうことか。
林の中を、ジェハに向かって歩いてくる傭兵の一団がいた。アーバレストの矢が放たれている間に、固い地面を通って回り込んでいたのだ。味方がいるところに、矢を射込んだりはしないものだ。
……それなら、やることは単純だ。
林を抜けて、湿地を渡って逃げるのだ。身体が小さくて軽い分、そうでない連中よりは泥に沈みにくい。
……充分に距離を取っておけば、捕まる危険性は低い。
ジェハは全力で、木々の間を駆け抜けた。ローク側の傭兵たちが追ってくるのは、下草を踏みしめる足音で分かる。
しばらく走ると目の前が明るくなって、視界が開けた。さっき渡ってきた湿地が見える。
だが、ジェハの読みは甚だ甘かった。すぐ目の前に、小剣を手にした影が立ちはだかったのである。
……先回りされた?
斬り合いになれば、林の中から追ってきた連中が背後から来る。ジェハは踵を返すと、振り下ろされる剣を紙一重でかわして走りだした。
木々の間を抜けてきたさっきの連中が、小剣で次々に斬りかかってくる。木の間が狭い分、振り回しやすい。ジェハは剣を振るのを控えて、ひたすら突きと受け流しに努めた。
それでも、逃げる先はもうない。傭兵たちもそれを知ってか、無理にジェハを斬り殺そうとはしなかった。
覚悟した通り、そしてローク側の傭兵たちの狙い通り、ジェハの身体はもとの湿地へと追い落とされていた。
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