第25話 落伍者の孤独と気まずい会話

 やがて、グルトフラング傭兵団の面々は各々の任務に就くべく、林のあちこちに散開した。

 最も早く動き出したのが、戦闘とは関係ない食糧輸送の部隊である。朝食の後始末が急な集合で中止されたため、作戦前に大急ぎで片付けなければならなかったのである。

 万が一、負け戦で撤退するとなったら足手まといにならないよう、すぐに出立する必要がある。さらに、不意の攻撃を受けたら食糧は、奪われないようにまとめて焼き捨てることになっていた。

 そうした慌ただしさの中で、ジェハもまた戦支度を整えていた。

 どうにもならないこととはいえ、「その他大勢」部隊に編入された不満は心のどこかにまだくすぶっている。

 あの血塗られた金袋で買った剣はモノがよく、数多の戦いを経ても刃こぼれこそすれ、折れることはなかった。これを頼りに生き抜いてきたジェハがしたのは、まず反身の剣を一気に引き抜いてみることだった。

 ……ちょっと引っかかるな。

 どっちみち戦場では抜きっぱなしにするのだから、気にしなければそれまでである。だが、剣を抜く最初の一瞬で隙ができて、そこで命を落とすのは嫌だった。

 命を売り払うつもりで傭兵団に入ったのに、どうも簡単に死んでいい気にはなれないのである。

 ジェハは林から出て湿地のそばに行くと砥石を置き、びっしり生えた苔のくぼみに溜まった水を使って剣を研ぎ始めた。

 湿った地面を張ってくる風が、ジェハの頬を撫でる。涼しくもあったが、ここで足を取られて死ぬ者もいるかもしれないと思うと、無性に気分が悪くなった。せめて自分だけはそうなるまいと思って、より慎重に剣を研いだ。

 しばらくして「その他大勢」の中に戻ると、今度はこれもお情けで支給された薄い鉄板の胸甲と背甲を手に取った。

 グルガンのところに置いてきたものは、リナの変身したラミアや、ヴェーリザードとの戦いを経てもまだ壊れてはいなかった。それでも、新しいのを使えるのはありがたい。万が一のときの強度が違う。新たに支給されたものの中には新しい革紐もあったので、さっそく装着してみた。

 厚手の麻の服の上に、胸甲と背甲を押し当て、革紐を強く引いて固定する。防具はこれだけだったが、充分だ。ジェハは小柄さと身軽さを生かした高速の戦闘を得意とするので、全身を覆う鎧は邪魔で仕方がないのである。

 自分と行動を共にする面々を見渡すと、それぞれ槍や盾や鉄兜など、各々の懐具合に応じた武装の面々が作戦開始を待っていた。

 だが、よくよく見ると、誰も彼も一人残らず表情というものがない。ジェハは、おそらく自分もそうなのだろうと思った。

 あの雷雨の中でリナの家にたどりついたとき、ランプのガラスに映った自分の下膨れの顔は、思い出しても滑稽だった。

 そこでも確かに、ジェハを見つめ返していたのは自分の暗い目だったような気がする。

 ジェハの送り込まれた「その他大勢」の部隊には、そんな「命を売り払った」者の目をしている連中がたむろしていたのだった。

 その暗い目が、じっと見つめていることにジェハは気付いていた。面白くなかったが、作戦前に相手にする余裕はない。冷ややかな視線を感じながら、革のズボンの上にマントを羽織って、最後の武装を整えた。

 ブーツの紐がどうかと思ってしゃがみ込むと、連中は無言でぞろぞろ近づいてくる。文字通りの見下す視線は、厚手の麻の服の上からでも肌にちくちく来た。

 それでも、ジェハは知らん顔でブーツの紐をほどくと、再び固く結び直した。取り囲む「その他大勢」は、その場を離れない。

 ジェハは、顔も上げずに鼻で笑ってみせた。

 「何か用ですか」

 馬鹿丁寧な返事に負けまいとするかのように、頭の上で微かな声が聞こえる。

 「遅れてきた分、働けよ」

 もちろん腹は立つが、作戦前ということを考えても、また、クローヴィスのおかげで殺されずに済んだということを考えても、手は出せなかった。

 むしろ、腹が立ったのは当のクローヴィスがわざわざやって来たことである。グルトフラングのお声掛かりで後方攪乱担当の別働隊長を任せられた新参者が、新品の革鎧をまとってやって来ると、恐怖のせいか憎悪のせいか、「その他大勢」はさっさとジェハの周りから去っていった。

 そんな連中には構うことなく、クローヴィスはジェハの傍らに膝を突いて詫びた。 

「力になれなくてすまなかった」

 それが聞こえたのか、立ち去っていった「その他大勢」の連中がヤジを飛ばした。

「魔法で助けてもらわなかったのかい」

 ジェハは聞こえないふりをして立ち上がると、クローヴィスを見下ろして口元を歪めた。

「期待なんかしてないぜ、そんなの」

 敢えて大声で罵ったのは、ヤジに対する抵抗でもあった。それを察したのかどうか、立ち上がったクローヴィスはジェハの頭の上から、やはり大声でたしなめた。

「君の命は、私が引き受けたんだよ」

 ジェハの負けであったが、その反面、あの連中からかばってもらったのも分かっていた。それがどうにもみっともない気がして、ジェハはより不機嫌な態度で話をそらした。

「指揮官だろ、こんなところにいていいのか」

 クローヴィスは事もなげに答えた。

「部下はむやみに縛らないよ。作戦とか指揮とか、そういうのはよく分からないから」

 いきなり部隊を任されながら、それはいかにもいい加減に思われた。クローヴィスと別働隊が心の底から心配になったジェハは、真顔で忠告した。

「団長にドヤされるぜ」

 すると、細い目を開いたクローヴィスは、眠たげだった表情をいきなり真顔で引き締めた。

「私は団長に忠誠を誓ったわけじゃない」

 その勢いに気されたジェハだったが、敢えて平静を装って、皮肉に笑ってみせた。

「あっちはたぶん、そうは思ってないだろうな」

 帰れ、というニュアンスをたっぷり込めたつもりだったが、それは逆効果だった。クローヴィスはジェハの肩を掴むなり、再びその場に座らせたのである。

「何だよ」

 正直、あまり絡まれたくはなかった。だが、隣に屈んだクローヴィスが有無を言わさず囁きかけてきたので、相手にせざるを得なかったのである。

「知ってるかい? ……の家族のこと」

「誰のだって?」

 聞き慣れない、複雑な発音だった。クローヴィスはちょっと考えて、思い出したように言い直した。

「オヤッサン」

 別にどうでもいいことなので、ジェハは素っ気なく答えた。

「余計なこと話さないからな、オヤッサンは」

 そこでクローヴィスは、珍しいことに悪戯っぽく微笑んだのである。

「話してくれたのさ」

「何で!」

 オヤッサンの家族がどうこうということよりも、あの氏素性のよく分からない男が、自分の内輪話を新参のクローヴィスにしたということが意外だった。


 クローヴィスによれば、オヤッサンには妻と子3人と老いた母親がいるという。妻は一回り、つまり10歳ぐらい年下だという。

 ジェハは苦笑した。

「見かけによらず若い嫁さんもらったわけだな」

 どんな女かは知らないが、物好きがいるものだと思った。更に、クローヴィスはオヤッサンの家庭の事情を語る。

「上の娘が1人、その下に年の離れた男の子が2人いるらしい」

「婆さんは?」

 クローヴィスにだけ話したという家庭の事情を、ジェハも知りたくなった。

「連れ合いを亡くして30年になるとか」

「オヤッサンにもオヤジがいたんだな」

 そう口にしてみると、やっぱり何だか変な気がした。ジェハにしてみればオヤッサンはオヤッサンで、誰にとっての何者でもなかったのである。

 更に、クローヴィスはオヤッサンが戦い続ける理由を告げた。

「1度の戦で、家族は1年間暮らせるんだ」

 オヤッサンの家族は、故郷のウルラハンという辺境にいる。先に氾濫したフイランボル河と共にユイトフロウの地を挟む、フイランボル河の源流にあたる。

 こうした地に住む人は、余計なものを買わない。それ以前に、買うものもない。ただし、鉱山が近くにないので、鍋釜・農具だけは外部から手に入れないとどうにもならないという。

 それでも、大事に使えばそうそう買い替えるものでもないので、結局のところ、春夏秋の収穫では足りない冬の間の食糧だけが賄えれば済むらしい。

 傭兵としての戦で見てきたユイトフロウの外でも、それは珍しいことではなかった。むしろジェハを驚かせたのは、オヤッサンの腹積もりであった。

「この戦で、足を洗うつもりなんだ」

「何で?」

 さっきと同じ問いを繰り返したのは、同じ理由からである。

「あのオヤッサンが傭兵やらずに何やるんだ?」

 ちょっと想像できなかったが、クローヴィスはしんみりと答えた。

「婆さんを看取ってやりたいんだって」

 聞けば、もう何年も会っていない母親が心配なのだという。娘もそろそろ年頃なので、結婚の持参金を必要らしい。

 そして、何よりも傭兵として重大なことがあった。

「身体にガタが来てる?」

 再会したときからガンガン食らっている鉄拳の勢いからは、とてもそうは見えない。だが、クローヴィスはそれをたしなめた。

「傭兵としては、だよ」

 ジェハを殴るのは、傭兵の戦闘力のうちに入らないらしい。

 そこでクローヴィスは立ち上がって、付け加えた。

「家族でひっそり暮らしたいんだってさ」

 つまり、これがジェハとの最後の作戦になるということだ。

 それで用件は済んだのか、クローヴィスはいそいそと立ち去った。部下を放り出してきた割に慌てているのは不審だったが、その理由は、すぐに知れた。

 ジェハの背後に、オヤッサンが立っていたのである。

 クローヴィスの方へと振り向いて、オヤッサンは何やら不機嫌に言った。

「……!」

 遠くから、聞き取れもしなければ意味も分からない言葉が返ってくる。 

「……!」

 そこで向き直ったオヤッサンは、座ったままのジェハを見下ろして、一言だけ告げた。

「命を大事にしろ」

 だが、立ち入った話を聞いてしまった後では、素直に応じることができなかった。目を合わせずに、膝を抱えて答えた。

「オヤッサンこそ」

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