第24話 落伍者の口答えとオヤッサンの鉄拳

 そこで、グルトフラングが巻紙を開いて後方攪乱のメンバーを読み上げた。耳を澄ますと、聞こえてくるのは覚えのある名前ばかりだった。その誰もが、どこかで手柄を立てていたはずだった。

「ハベル、グリハマン、オデュ、ポヒデバ……」

 ひとりひとりが返事をする中に、さっき目が合った色白の少年がいた。ただ、それが名前を呼ばれた中の誰だったかということまでは思い出せなかった。

 そんなことに考えを巡らせている暇はない。それぞれの国の言葉で「はい」を意味するのであろう様々な響きの間に、ジェハは自分が呼ばれないかということにばかり気にしていた。

 だが、その名前はなかなか出てこなかった。

 ……次は? 次は?

 そんな事ばかり考えながら、ジェハは作戦の要となる後方攪乱の囮部隊に選ばれるのを今か今かと待っていた。

 自慢ではないが、充分に身体は小さい。今まではそれで悔しい思いをすることの方が多かったが、今度はグルトフラング傭兵団の中の立場がかかっている。ここで認められなければ、クローヴィスに命の借りを作ったまま、かつての仲間の冷笑を浴びながら生きてゆかなければならない。

 腕に覚えのあるジェハにとって、それは耐えられることではなかった。

 誰よりも低い姿勢で戦場を駆け、多くの相手に死角から高速の刃を振るっては、一人残らず屠り去ってきた。グルトフラングからだけでなく、傭兵団の雇い主の手から報金を受け取ったことも何度かある。

 それだけに、団長の最後の一言は信じられなかった。

「以上」

 一兵卒に過ぎないが、重要な作戦に選ばれた者としての名前はなかった。ジェハは、必要とはされていなかったのである。

 これまでの戦場やニルトセイン河の洪水や、瘴気鬼やヴェーリザードやラミアの姿が一瞬で駆け過ぎていった目の前が、不意に真っ暗になった。

 ……これで、おしまいだ。

 作戦が告げられた現場にいた以上、ジェハはまだグルトフラング傭兵団の一員である。ここを去れば、秘密を握ったまま敵前逃亡したことになる。殺されても文句は言えない。

 もともと捨てた命だが、奪われるのは我慢がならなかった。

 ……このままクローヴィスにすがるしかないのかよ。

 ちらと傍らを見れば、またクローヴィスはうっすらと瞼を閉じていた。起きているのか寝ているのか、やっぱり分からない。後方攪乱部隊の編成など、どうでもいいかのように見える。

 ローク男爵とアルケン伯爵のいさかいが収まるまで、命の借りは続くのだ。いや、仮にこの戦いが終わって傭兵団がここを去ることになったとしても、次の戦いでもうジェハは相手にされないだろう。

 ……やっぱり、リナのところへ戻ろうか?

 それはプライドが許さないし、戻ったところで傭兵団の暗殺者が追ってきたら、戦う相手が増えるだけだ。

 命を張ったクローヴィスの言葉に従わなかった結果が、これだった。つまり、ジェハはつまらない意地から選択を誤ったのである。

 ……どうすりゃいいんだよ。

 もう、どうにもならないことだった。それに気が付いたジェハにできることは、絶望しかない。グルトフラングはまだ巻紙を手放さないが、発表されてしまったものが訂正されたことは今までにない。 

 だが、そこでふと思いついたことがあった。

 指揮官が発表されていないのである。

 まさかという思いから考えてもみなかったが、決してあり得ないことではなかった。グルトフラングが勿体をつけられるほど重々しい口調で告げようとしているのは、まさにその囮部隊の指揮官の名前であった。

 ……まさか、俺なんかが。

 普通に考えれば、落伍した直後にそれはない。そう思いながらも、もしかしたらという思いはどこかにあった。

 少しずつではあるが、日も高くなってきていた。ローク側も負傷者の手当てや部隊の再編成が終わる頃だろうと思うと、傭兵団全体に緊張が走るのは、肌に感じる風で分かった。

 誰もが同じことを考えているのだろう。しかも、この作戦で戦場の指揮を執るのがもし、自分だったらと誰もが思っているはずだ。

 ジェハは、身体が熱くなるのを感じた。自分の名前が呼ばれるのを願って、グルトフラング団長を見つめる。

 だが、その口から聞こえたのは意外な名前だった。

「クローヴィスに指揮を任せる」

 ジェハの身体から、どっと力が抜けた。もし、その場に立っていたなら、酒場の喧嘩で顎への一撃を突き上げられた時のように、身体は垂直に落ちていたことだろう。

 代わりに膝の間に顔を埋めると、次第に悔しさが腹の底から突き上げてきた。それに任せてクローヴィスの顔を見ると、さすがに目を覚ましていた。

「クローヴィス!」

 怒りをつい声に出してしまったが、睨む前に知らん顔を決め込まれた。斜め下から覗きこむと目はあさっての方を向いているが、顔はいつも通り平然としたもので、傭兵団の一員となったその日に指揮官になったことを気にもしていないようだった。

 ジェハの怒りは、どんどん心の底へと溜まっていった。

 ……借りを作ったまんまじゃないか、これじゃ!

 ……これからずっと下につくことになるんだ!

 ……この作戦が終わっても、この戦が終わっても、リナの前に戻っても!

 そう思いながら、ジェハは再び膝を抱えて、深い息をついた。そうしないと、今にもクローヴィスを組み敷いてぶちのめしてしまいそうだったのだ。

 みっともない気持ちだということは分かっていたが、それがどうにも治まらなかった。

 目の前に蘇るのはリナの笑顔だったが、それはジェハではなく、クローヴィスに向けられたものだった。

 そのクローヴィスは、あの地下水脈でジェハの名を呼んだ。「瘴気の森」の奥にある古い祠の床に隠された、あの冷たい川である。激流に自らも呑まれながら、ジェハの身を案じたのである。

 だが、その記憶を受け止めるだけの余裕は、打ちひしがれた心にはなかった。


 ジェハが我に返ったのは、傭兵団のどよめきが聞こえた時である。どうやら、この抜擢に納得できないのは、他の者も同じであるようだった。

 男という男たちが、一斉に喋り出す。

「何で!」

「さっき入ったばっかりだろ!」

 口々に喚きたてる思いのままの罵声に、グルトフラング団長はただ一言で応じた。

「黙れ!」

 雷鳴のごとき一喝に、ローク男爵側に内部の混乱を知られても仕方がないほどの騒ぎ声は、一瞬で静まり返った。

 代わりに、ジェハは一同の視線が一斉に集まるのを感じた。針のような、また刃のような、いずれにしても耐え難い痛みを感じさせる眼差しである。

 思わず、背中をすくめないではいられなかった。指揮官に選ばれたのはクローヴィスであって、ジェハではない。身に覚えのない責めを負わないために、また、それによって余計な心の疼きを感じないために、ジェハは憎しみと嫉妬の目から顔を背けた。

 だが、非難の声は当の攪乱部隊からも上がった。それはジェハにも理解できた。作戦にあたって命を預ける相手がリーダーなのであり、気心の知れない新参者が最初から信用できるわけはない。

「認めねえ!」

「何信じろってんだ!」

 そうしたクローヴィスへの非難は、次第に団長への不満の声に変わっていった。だがグルトフラングは、それに対しては怒声で応じることはない。

 ただ、不機嫌にたしなめるだけだった。

「文句があるなら、命懸けで言え」

 低い声だったが、そこには逆らい難い凄みがあった。ジェハ自身にも、その恐怖は頭の中を通り過ぎて、肌の上の粒となって表れていた。

 いや、その戦慄は傭兵団全体に走っていた。誰の顔を見ても、表情がなくなっている。そのくらい、空気が張りつめていたのである。

 命懸けで戦って結果を出すか、暗殺されるのを覚悟で脱走するか。

 それは、ジェハだけの問題ではなかった。結果を出せば、まだグルトフラング傭兵団の中ではものが言えるだろう。だが、完全な自由が欲しければ、生きている限り逃げ続けるしかない。

 しばしの沈黙の後、誰の者とも分からないような、力無いつぶやき声が聞こえた。

「あの風を見ただろう」

 誰もがうつむいた。そこには、納得と、恐怖とが混在している。精霊の起こす風など、傭兵たちは経験したことがなかったのだ。魔術の類に遭遇することがあったとしても、古い墳墓の盗掘で、仲間が原因不明の死に晒されたときに流れる噂くらいのものがせいぜいであった。

 そもそも、正規軍ならいざ知らず、傭兵団が魔術師の類を雇うことはなかった。魔術を行う者は確かに存在するが、その報酬は貴族でも払い切れないほど高額に上り、しかも彼らには戦場で刃を交える者同士の暗黙の約束が通じなかった。

 言い換えれば、グルトフラングがクローヴィスを迎えたことは、恐るべき常識破りだったのである。恐らく、戦う相手が同じことをしてこない限り、戦は連戦連勝であろう。

 ただし、そこには大きな危険が伴う。ルールを共有できない以上、勝つためには魔術師の顔色を窺わなくてはならないのである。

 傭兵団の何人がそこまで考えたかは定かでないが、全員黙り込んでしまったのは、もはや言い返す言葉もなかったことの表れという他はない。

 突然に巻き起こった風の渦など誰ひとり見たことがない上に、未知のものへの恐怖は本能的に人の心に巣食っていることを考えれば、無理もないことである。

 

 いずれにせよ、ジェハはこの戦いの重要な場面からは外されていた。後方攪乱部隊の後で告げられた特別な任務のどこでも、名前が呼ばれなかったのである。

 それでもジェハは、辛抱強く最後まで待った。しかし、細かい作戦のどこにも出番はない。落伍し、開戦に間に合わなかったことで失われた名誉を回復する機会は完全になくなったのである。

 小柄で動作が俊敏であることが必要とされないところでさえも、完全に黙殺されていた。

 その時には、ジェハの我慢も限界に達していた。

「俺は……」

 思わず声を上げて、つい立ち上がりかけたものの、身体は中腰で止まっていた。いつの間にか背後にいたオヤッサンが、お情けのように支給されていた厚手の麻の服を掴んで引き留めていたのである。

 首を横に振りながら掴んだ腕が痛かった。ジェハは歯を食いしばって、悔しいのと痛いのとをこらえながら、再びしゃがむしかなかった。

 そこで聞こえたのは、あちこちから浴びせられる嘲笑の声だった。聞き流そうと思えばできないこともないほど微かな声であったが、気になって仕方がなかった。

「そういえばジェハってのがいたっけ」

「ああ、あの赤毛の小さいの」

 それは、小声ながらも聞こえるように口にする、性質の悪い独り言の掛け合いであった。だが、ジェハが立ち上がることはなかった。オヤッサンも、手を離すことはなかった。

 やがて、グルトフラングも重々しく口を開いた。

「まだ話は終わっておらん」

 それは、部下に対してこれ以上喋ることを許さないという意味の威圧であった。

 中傷はその場でぴたりと止んだが、ジェハはグルトフラングに対して立ち上がりかかった。批判は許さないというように聞こえたのである。

 無視された悔しさで身体が勝手に動いたのであるが、今度はオヤッサンに背中から掴まれた。

 死に物狂いで抵抗するのを引き戻したオヤッサンは、一言だけ耳元で囁いた。

「こらえろ!」

 身体の奥底から絞り出すかのようなかすれた声に、ジェハの身体は震えた。心の中でどす黒く膨れ上がる何かが暴れ出しそうだったが、ここはオヤッサンの言うk通り、抑えるしかなかった。

 グルトフラング傭兵団において、団長の命令は絶対である。逆らったら、殺されることもある。その場合は、公開処刑されるのが常であった。 

 ……勝手にしろってことか?

 ジェハの心の中には、何一つあてにされていないという惨めさが募っていった。それなのに、出ていったら殺されるのである。

 グルトフラングは、最後の指示を冷淡に告げた。

「その他の者は本隊と移動」

 つまり、ジェハは個人としての技量を必要とされない、その他大勢の一人ということである。それは、生き残るために戦うしかないという立場であった。

「できるかよ」

 そんな戦い方はいやだった。もともと、入ったときから生きることなど期待していない。

 自分の足下に吐き捨てるような一言だったが、それを聞いてほしい気もしていた。だが、それは聞かれてはならない一言でもあった。

 辺りの空気が凍り付く。団長の怒りを想像すれば、当然のことであった。規律維持のために殺されても仕方がないのである。

 だが、グルトフラングはこう答えただけだった。

「生きて戻る限りは、また手柄を立てる機会もある」

 あちらこちらから安堵の声が聞こえたのは、それがジェハを咎めるものでないだけでなく、名前を呼ばれなかった者全員への励ましとも取れたからであろう。

 だが、ジェハはふてくされたままだった。

 ……俺のことか?

 団長の言葉は皮肉にも聞こえて、素直には受け取れなかったのである。

 そこで作戦開始までの小休止が告げられて、オヤッサンは無言でうつむくジェハの背中を軽く叩いた。

「せっかく死なずに済んだんだ」

 なだめられたジェハだったが、腹の虫が治まらない上に、いつの間にかクローヴィスがいなくなっていたのもカンに障った。

「命なんか惜しくなかった」

 そう口答えしたとき、頭の中に浮かんだのは、見世物小屋での屈辱と、血に濡れた金袋だった。

 一瞬でそれらが消えたのは、横っ面への鉄拳でいきなり吹き飛ばされたからである。草むらに転がったジェハは、久々に痛いやら妙に嬉しいやらで、頬を押さえながら立ち上がった。

「オヤッサンに何が」

 口答えをやめないのは、本当は分かってほしかったからである。

 だが、オヤッサンはそれを遮った。

「命が惜しいから戦えるんだ」

 その意味が理解できないまま、ジェハは背を向けて歩み去っていくオヤッサンの後ろ姿を見送るしかなかった。

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