第23話 新たな作戦と少年兵の意地
クローヴィスがグルトフラングから剣を返されたことで、ジェハの立ち位置は傭兵団の中でたいへん微妙なものになった。
脱走したわけではないのだが、落伍者としては帰ってくるのが遅すぎた。帰ってこない者がいれば言い訳は立ったかもしれないが、団長の言葉から察するに、それは誰ひとりなかったということなのだろう。
ジェハの代わりにクローヴィスが戦うのだから、ここでリナを救いに「帰らずの森」に戻ったとしても、暗殺者が追うことはない。この場を立ち去るなら、まだ戦闘が始まっていない今のうちだった。下手に戦闘が再開されてしまった後では、団長としても敵前逃亡扱いしないと示しがつかないだろう。
そんな忖度ぐらいはジェハにもできないことはなかったが、肚が決まらなかったのは、ひとえにクローヴィスへの意地のためだった。
夜明けには何となく分かり合えたような気もしていたが、ここまでいいところを持って行かれると話は別である。リナをめぐって溜め込んできた屈折した思いが一気にぶり返してきて、自分の経験と技とを見せつけてやらねば引き下がれないところまで来ていた。
考えてみれば、そんなに猶予はなかった。次の新月までにリナを「深き水底の王」の妻となる宿命から解き放ち、醜いラミアへの変身から救い出さなければならない。それが分かっていながら踏ん切りをつけられないでいるうちに、ジェハは選択の余地を失ってしまった。
次の作戦がすぐにまとめられて、朝食後には説明されてしまったのである。
そもそも早朝の戦闘は、完全に予定外のものだった。ジェハがクローヴィスと共に帰ってきたことで、偶発的に起こってしまったものである。それでも朝食は本来の予定通り振る舞われた。
これは、ローク男爵側の被害も甚大だったので、すぐ反撃されることはないというグルトフラングの判断によるものであった。
ジェハとクローヴィスの分はきっちり半分半分であったが、2人で1人分の報酬が前払いされている形になってしまったのだから仕方がない。クローヴィスは気を遣って食べようとしなかったが、それをジェハは拒んだ。結局はお互いが譲りあって、少なすぎる食事を共にすることになった。
集合がかかったのは、その直後であった。事態の急変でグルトフラングが放った
斥候の情報により、当初の作戦が大幅に変更されたのである。
斥候を行う者は戦場の状況によって違うが、敵に気付かれてはならないので、遠目の利く者や、身体の小さい者が選ばれることが多かった。
ジェハもやったことがあるが、このときは城塞攻めだったので、狭い通気口から中に潜り込むのに向いているという理由で任されたのだった。
今回はどうだろうかと思うと不安だった。グルトフラング団長から「帰ってもいい」と言われた以上、そうした任務からは間違いなく外されているだろう。だが、作戦計画を聞く前に出ていく気にはなれなかったし、作戦を聞かされた後では敵前逃亡と言われても仕方がなかった。
ジェハが小さな意地に捉われて身動きとれなくなっているうちに、傭兵団の男たちは林の中の一箇所に集まってきた。湿地を囲むように生えている細い木々を背にして立ったり、適当な場所にしゃがんだりしている。
団長を前に、200人ばかりが密集していたのは、林の中の固い地面はそれほど広くないからである。まだ日は高くなかったが、男ばかりがぎっしり集まると、湿地付近だけに蒸し暑いのは免れ得なかった。
傍らに立った者があるので横目で見てみれば、クローヴィスである。長髪、長身の若者が涼しい顔で佇んでいる様子は、このむさくるしい集団の中でひとりだけ浮いていた。それだけ、この傭兵団の男どもは人相の悪いのが多く、待つのが苦手でそわそわと落ち着きがなかったのである。
目立つのが嫌だったので、ジェハはその場に座り込んだ。クローヴィスもそれに倣ったが、いつにも増して眠そうだった。瞼を閉じているだけならまだしも、ぴくりとも動かないのである。
薄目を開けてはいるが、それはいつものことで、たぶん、寝てはいない。試しに、ジェハは聞いてみた。
「おい、起きてるか?」
返事はないが、微かにうなずいたようにも見える。だが、そうする者が必ずしも聞いているとは限らない。その眼差しも、遠くを見ているような気もすれば、何も見ていないようにも見えるのだった。
もしかすると、ジェハの理解が及ばないことを考えているのかもしれない。だが、そっと辺りを見渡してみると、まだグルトフラング団長が現れてもいないのに、辺りにはぴりぴりと張りつめた空気が漂っている。
これだけ緊張が走る中で、何事もなかったかのように笑っていられるのは、本当に寝ているからかもしれなかった。
やがて、団長が1枚の巻紙を手に現れたところで、その緊張感は辺りの木々を揺らす風となって肌に吹き付けてきた。
こういうとき、正規の軍隊なら全員が起立するのだろうが、グルトフラング傭兵団にそうした習慣はなかった。自由な意思の下に、鉄の規律に従ってその戦いに命を投げ出す覚悟のある者が集まってきた集団なのだから、それ以上のことをする必要はないというのがグルトフラングの信条である。
従って、ジェハがこっそり肘でクローヴィスを小突いて起こすぐらいの余裕はあった。眠りを覚まされたのか、瞼を閉じる必要がなくなったのか、クローヴィスは目を開いて団長を見るなり、今度はジェハに「おはよう」とでも言うかのように
ゆったりと微笑みかけた。
そこでつい一瞬だけ目を合わせてしまったジェハは、苛立たしげに目をそらしてみせた。傍目から見ると落ち着きがないが、それは他の男たちも同じである。
緊張に耐えかねてか、その目は見るともなく前を見ているだけである。立っている者だけでなく、座っている者までも、そわそわしているのが分かる。張りつめた気持ちを紛らせようとしてか、ヤジまでが飛んだ。
「どこ見てんだ新入り」
それはクローヴィスのことであったが、そこには得体の知れない力を操ることへの恐れもあっただろう。至る所で失笑が聞こえたのも、その裏返しと言えなくもなかった。
もっとも、ジェハにそれを察するだけのゆとりはない。怒りの余り全身が跳ね上がりかかるのを、横からクローヴィスが抑えた。その手は意外に力強く、跳ね返そうとしても跳ね返せなかった。
グルトフラングが口を開くと、笑いさざめいていた傭兵たちも一斉に口をつぐんだ。私語で作戦を聞き誤って、戦闘中にミスを犯せばその場か事後のいずれかで命を落とすことになる。
「後ろから揺さぶりをかけて横を突く」
それは、ローク男爵側の傭兵団がアルケン伯爵側の傭兵団に背中を向けようとしたところで、側面から攻めて陣形を崩すということだ。
……よく使う手だ。
戦場で培った経験から、ジェハはその意味をほとんど理屈抜きで察していた。それを敢えて説明するなら、こういうことである。
ローク男爵の傭兵は、湿地を挟んだ林の向こうにいる。この林は沼地に食い込む形になっていて、グルトフラング傭兵団の視界を遮っている。彼らもまた、ジェハたちがそうしているように、林の向こうの湿地を越えたところにある固い地面に待機しているのだった。
そんな彼らの背後で不意に何か起これば、他の方向への注意はおろそかになるものだ。ましてや、さっきまで見ていたものは足下の悪い湿地である。そんな場所を越えてわざわざ攻めてくることもないという油断も働くだろう。そこを相手の想像もつかない速さで攻めてかかれば、勝ちを得るのは難しくないはずである。
グルトフラングは更につづけた。
「回り込む者は一旦、この林の外へ出る」
斥候が伝えたところでは、ローク男爵の傭兵団はそれほど遠くない場所にいるようだった。
「地面が固くなれば移動も早い。接近には気付かれんだろう」
それはジェハにも理解できた。何としても、この作戦で手柄を立てたかった。だが、告げられる作戦はそこで終わりではなかった。
「発見させて背後に回り込ませ、湿地の外で奇襲をかける」
相手も同じことを考えるだろうから、そこが狙いだということだった。つまり、相手も地面の固い場所へ出てくるだろうから、そこを攻めるということである。つまり、ジェハにできそうなのは囮になることなのだ。
そこでグルトフラングは、作戦の内容をまとめた。
「先に回り込むのは少数精鋭、速さが勝負を決する。ローク側が気づかないうちに回り込んで、そこで初めて気づかせる」
持って回った表現だったが、ジェハの知る限り、それができる者は数名しかいないはずだった。
なるべく目立たず、身の軽い者が必要とされている。相手に気付かれずに、凄まじい速さで行動しなくてはならないからだ。
ぐるりと見渡すと、お互いに目を見合わせる者もあれば、肩をいからせてしゃちほこばっている者もいる。その誰もが様々な地方からの出身者であった。それはユイトフロウだけでなく、熱帯地もあれば砂漠もある。皆がそれぞれ違う故郷を持っていた。
それだけに、ジェハは思った。
……負けるものか。
ふと、その1人と視線がぶつかった。いくつも年齢の違わない少年兵である。身体も小さく、すばしっこそうだった。ジェハよりも何年か後に入ってきた色の生白い少年である。手柄を争うなら、たぶんこいつだろうという気がした。
グルトフラング傭兵団では、能力があれば出自は問わない。結果を出せば報奨は違うし、作戦の後に任される仕事も違うのである。
それを思い出したとき、ジェハは、期待に胸を躍らせた。鼓動が高まり、身体が熱くなる。名誉回復の機会は、今だった。
このままでは、脱走者、落伍者といった軽蔑は免れない。だが、ここで以前のように、いや、更なる働きを見せれば、再び一人前の傭兵として見直されるかもしれなかった。
……もう御免だ、今朝みたいなのは。
一人前の食事をクローヴィスと2人で譲り合って分けるようなみみっちいことは、もうしたくなかった。
もうひとつ、ジェハを駆り立てたものがあった。
……見返してやる!
隣に座っているクローヴィスを眺めると、長い銀髪の若者はにっこりと愛想笑いをした。それがまた、ジェハには癪に障った。悪気はないのだろうが、それだけに小馬鹿にされたような気がしてならないのだった。
ジェハから見て、どうにも乗り越えようのない差があるのは明確だった。
傭兵ではないが戦闘に長けており、一撃必殺の黒太子の剣までを携えている。さらには、精霊などという怪しげなものを自由自在に操ることができるのである。そのおかげで、グルトフラングからも一目置かれるほど名前が知られているらしい。
その上、リナが憧れの眼差しを向けるほどの美形である。赤毛で褐色の肌をした自分が恨めしくなるくらいだ。
早い話が、「帰らずの森」へ帰る足を止めたのは、今回の作戦に見出したささやかなプライドだった。
……このままで終わってたまるか!
それはかつて、ジェハを絶望から傭兵団に走らせたものであり、数多の戦いの中で何度も死の絶望の中に叩き込まれたジェハを生かしてきたものでもあった。
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