第22話 黒太子の剣の主は

「よく戻った、ジェハ」

 死さえも覚悟したところで団長から掛けられたのは、ねぎらいの言葉だった。ジェハはその場にひざまずいたが、額面通りに受け取ってはいない。その次に何を言いだすか分からないのが、この団長の恐ろしい所である。

 だが、グルトフラングは落ち着いた声で尋ねただけだった。

「何があった?」

 正直に言えば許されそうにも聞こえるが、それはたぶん、罠だ。嘘でも何でもペラペラしゃべらせて、口を滑らせたところでバッサリやるのがこの団長の手口である。年長の傭兵がそうした目に遭うのを、ジェハは入団してから数年間、事あるごとに目撃していた。

 言えることと言えないことがある。言っても信じてもらえないこともある。だが、それらを取捨選択している暇はなかった。

 迷えば、疑われる。

 ジェハは、間違いなく言えることから口にした。

「前の晩に、ニルトセイン河で流されました」

 ことの起こりは、まさにそこだった。スロガ公爵領でやらかした街道端の乱闘も、嵐の夜に起こった、リナとの恐ろしい出会いも。

 グルトフラングは、目を閉じてゆったりと頷いた。

「それは知っている」

 最初の関門は突破した。あとは、戦闘に遅れたのをどこまで正当化できるかが生死を分ける。少しでも逃げる気があったと判断されたら、命がない。下手な言い訳で胴体に別れを告げた口を、ジェハは何度も見ていた。

 ジェハはそこで、まず一息ついた。気持ちを落ち着けたかったせいもあるが、団長が何か言わないかと思ったのだ。それを手掛かりにできれば、言葉も選びやすくなる。

 だが、待っていても沈黙が続くばかりだった。ジェハはいかにも緊張しているかのように肩で息をしてみせて、言葉を継いだ。

「かなり広い河原にまで」

 これも本当のことだった。夜中の濁流は、昼間に見るよりもなお恐ろしい。脈動し、波立つ水面の彼方には暗闇しか見えず、ただ轟音が頭の中にまで響いて来るだけなのだ。

 そんなところで下手に泳げば、すぐに力尽きてしまう。運を天に任せるしかなかった。

 川の氾濫もまた、天に任された意思というヤツなのだろうが、その勢いと流れの速さがジェハに味方した。溺れる前に、砂と石の混じった河原に投げ出されたからである。

 グルトフラングの返事は事務的だった。 

「報告は聞いている」

 そこでジェハは言葉に詰まった。団長が聞いているということは、落伍者の中に事の顛末を話した者がいるということだ。どこまで話したかは分からないが。

 ならば、ここからが勝負どころである。

 嘘をついてもその場でバレる。それ自体がすでに、逃亡の意思の表れだ。かといって、正直に話せば、スロガ公爵を激怒させた私闘の原因が自分だと白状することになる。

 どっちみち、命の危険に晒されていることに変わりはない。ジェハはクローヴィスのいる方へ振り向いてみた。別に助けを求めたわけではない。もし、何かの考えが顔に出ているのなら手掛かりになると思っただけだ。

 だが、それは無駄な行動だった。

 クローヴィスはその場に立ち尽くしていた。地面からまっすぐに伸びる一本の若木のようにすがすがしく、整然とした立ち姿だった。

 だが、ジェハを見てはいない。グルトフラング団長も見てはいない。いや、見てすらいない。ただ、目を閉じて真っすぐに立っているばかりである。早い話が、立ったまま寝ていたのだった。

 人の顔つきなどに頼らず、自分で考えるしかなかった。

 まず、これは嘘をつくかつかないかの選択である。その結果どうなるかの見当がつかない以上、その危険は半分半分だ。

 すると、手間のかからないほうを取るのが確実だろう。

 ジェハは正直に告げた。

「ローク伯爵の雇った兵隊に売られたケンカを買いました」

「それも聞いている」

 すぐさま返ってきた答えに、ジェハはこの先に待っているものを覚悟した。団長の言っていることは、間違いなく本当のことだ。もし、その場に居合わせた者が報告したのなら、一方的に襲撃されたとごまかすだろう。

 なぜなら、戦ったのはジェハ1人だからだ。

 つまり、乱闘があったと報告したなら、それは傭兵団の者ではない。ジェハを追う、スロガ公爵の配下だ。

 万人に開放された領内の街道で騒動を起こした者は、事の是非を問わず処刑する。それがスロガ公爵のやり方だ。配下の者は街道を隈なく調べ上げ、グルトフラング傭兵団が陣を張る国境までたどりついたのだろう。

 すると、ジェハに弁解の余地はない。その生死を決めるのはグルトフラング団長ではない。スロガ公爵の処罰に例外がない限り、乱闘事件の犯人として引き渡されるだろう。

 そこまで考えたジェハは、口を閉ざした。処刑は決まったのだから、もう何を言うこともない。

 だが、話はまだ終わっていなかった。じっと押し黙っていたグルトフラング団長は、その先を促した。

「他の者は、その日の夕方には着いていた。お前は今まで、どこで何をしていた?」

 二晩かそこら経っている。リナと逢った一昨日の晩と、瘴気の森と水車小屋を往復した昨日の晩だ。乱闘から数えれば、3日目だ。

 その間に、いろんなことがあったのだ。嵐の中の一軒家で蛇体と鋭い爪を持つ妖魔と戦い、その身体を与えられた少女を運命から救うために立ち上がり、瘴気鬼やヴェーリザードと戦い、村の過去を探り……とにかく、何かがあったのだ。ただ命令されるままに戦うのとは違う、何かが。

 答えないジェハを、グルトフラングは更に問い詰めた。

「お前がいない間に、私の部下がどれだけ死んだと思うか?」

 そう言われると、余計に何も言えなくなる。ただ戦っていただけの仲間が大勢死んで、不幸な少女を救うためだと独りで張り切っていた自分は、こうして生きたまま、のうのうと戦場に戻ってきている。

 黙ったままの落伍者に、団長は静かな声で、しかし厳しく告げた。

「このままスロガ公爵の前に突き出すのは簡単だ。だが、そうはしない。問題は、お前が公爵の法を破ったかどうかではないからだ」

 どうも、ジェハの生死のカギを握るのはジェハ自身のようだった。2度の夜を挟んで失われた傭兵団の仲間の命に見合うだけのものに、ジェハが直面していたかどうか。

 自分の心に問えば、ジェハに恥じることは一切ない。だが、それを語れる相手は、共に戦ったクローヴィスだけだ。

「私の兵は、たかが貴族どもの欲と面子のために、命と金を引き換えにした。生きているお前は、彼らにどうやって言い訳するのだ?」

 リナの運命はそんなものとは比べ物にならない、そう言いたかった。いや、どっちみち殺されるのだから、そう言い切って死のうとさえ思った。

 ジェハはもう一度、クローヴィスを振り返った。どうせ寝たふりでもしているのだろうが、話を聞きながらどんな顔をしているかだけでも見てやりたかった。団長に啖呵を切るなら、その後でもいい。

 だが、グルトフラング団長からすれば、それは生死がかかっている問いから逃げているように見えただろう。

「答えろ!」

 その一喝に、ローク男爵側の傭兵の死体を黙々と片づけていた歩兵と長弓兵たちが足を止めた。ジェハとのやりとりを黙って聞いていたオヤッサンが、団長に向かって何かゴニョゴニョ言ったのが聞こえた。かつての仲間たちの視線を一身に浴びているのを感じて、ジェハはその場に立ちすくんだ。

 腹を決めて、声を絞り出す。だが、見つめる先はクローヴィスだ。

「俺は……」

 本当のことを言えば、団長が仲間の死を口にしてもなおデタラメを言ったとみなされて、間違いなく殺される。それは話を聞いていれば、クローヴィスにも見当がついているはずだ。

 どうやらリナの運命は、この眠たげな銀髪の色男に任せるしかないらしい。

 ジェハはそこまで決めてかかっていたが、当のクローヴィスは意外にも、もともと細い目をしっかりと開けて、眼光鋭く見つめ返していた。

 言いたいことは伝わった、とジェハは思った。グルトフラングに向き直ると、改めて告げた。

「スロガ公爵の土地を通る街道端に、森がある。俺はそこで……」

「もういい、ジェハ君」

 死を覚悟した告白を遮られて睨みつけると、その先でクローヴィスは、再び眠たげに目を閉じている。

 更にグルトフラングの声も、ジェハにそれ以上の話をさせようとはしなかった。

「さっきの風は、お前か?」

 開けているのかいないのかよく分からない目で、クローヴィスはグルトフラングを眺めた。

「察しのいいことですね」

 グルトフラングは、さっき吹き払われた霧の行方を追うかのように、すっかり明るくなった湿地を見渡して言った。

「精霊の力か?」

 クローヴィスは、ほう、と感嘆の溜息をついて尋ねた。

「ご存知で?」

「伊達に年は取っておらん」

 鼻で笑う姿は、どこかグルガンに似ている。ただ、老いているといっても、グルガンほどではない。

 それでもやはり、クローヴィスは年長者への礼儀をもって尋ねた。

「グルトフラング団長ですね? ご高名はかねがね伺っております」

 団長は照れ臭そうに顔をしかめると、とぼけた答えでわざとらしく返した。

「ほう、こんな老いぼれが何故なにゆえ

 クローヴィスはクローヴィスで、いささか芝居がかった口調で立て板に水を流すが如くまくし立てる。

「老獪にして大胆、傭兵団を結束させる鉄の掟。剣で世を渡る者で知らぬ者はありません」

 からかっていると思われても仕方のない、馬鹿丁寧な口上だった。それでも持ち上げられて悪い気はしないのか、グルトフラングはひとしきり、高らかに笑った。

 それを部下たちが唖然として見ているのに気付いたのか、やがて居住まいを正すと、改まった口調で尋ねた。

「そういうお前は……黒い長剣を背負った銀髪の精霊使い……クローヴィスか?」

 へえ、という息が漏れた後、いかにも意外そうな声が尋ねた。

「ご存知でしたか」

「知る人ぞ知る、というヤツだな」

 グルトフラングは不満気である。力と力のぶつかり合いを治める傭兵団の首領としては、戦場で人間でないものの力が働くのは面白くないのだろう。

 だが、クローヴィスはそこで押しにかかった。

「それに免じて、この場は収めていただきたい」

「鉄の掟と言ったのはお前だぞ?」

 口元を歪めるグルトフラングには、聞く気もなさそうである。だが、クローヴィスは怯まなかった。

「命の借りは命で払う、それが掟ですね?」

 ジェハから聞いた傭兵団の理屈で、その主を黙らせにかかる。もっとも、そんなものに屈する団長ではなかった。

「この二晩で失われた兵の命を、どうやってあがなう?」

 ジェハ1人の命が、何人死んだかも分からない兵士の命と釣り合うわけもない。クローヴィスは一瞬だけ言葉に詰まったが、苦し気に答えた。

「この戦の勝利で」

 グルトフラングは苦笑した。大真面目な顔で、自信たっぷりに尋ねる。

「ジェハひとりで勝てるというのか?」

 無理な話だった。クローヴィスは答えない。グルトフラングは顎髭を捻りながら、返答を待っている。

 クローヴィスの目が、ジェハに向けられた。もういい、とでも言うように、赤毛の少年兵は首を横に振った。銀髪の精霊使いはためらいがちにゆっくりと頷いたが、その背中で、何かが唸った。

 青空の下で、しっとりと濡れた空気が一瞬、凍りつく。

 震える鞘から抜き放たれたのは、黒太子の剣だった。ジェハの頬が、会心の笑みにほころぶ。その手は、腰の剣に伸びた。

 オヤッサンがあたふたと左右を見渡す間に、グルトフラング傭兵団の兵士たちは手に手に武器を構えた。団長に矢が当たるのを避けるためか、長弓隊は退がって短剣を抜く。

 だが、クローヴィスが一撃必殺の剣を振るうことはなかった。その場でグルトフラングの前ににひざまずくと、自分の意思では抜くことのできない刃を掌の上に載せる。 

 それは、剣を手に世を渡るものが主を定めたときの礼であった。 

「彼の命を私があがないましょう」

 剣を抜こうとした手のやり場を失ったジェハは茫然と尋ねた。

「どういうつもりだ」

 クローヴィスはグルトフラングから目を離さない。剣を受けるか受けないかは、捧げられた者の一存に委ねられていた。だが、ジェハに答える言葉は、はっきりしていた。

「村でリナを守れ。私が戻るまで一緒にいるんだ」

 そこで、グルトフラングはクローヴィスの申し出に重々しく答えた。

「受け取ろう」

 黒太子の剣を手に取った傭兵団長は部下の前にも関わらず、恐ろし気に身震いすると、すぐさまクローヴィスに返した。黒い刃は鞘に収まり、これで主従の契約が結ばれた。

 だが、グルトフラングにも無視された形になったジェハは猛然と抗議した。

「待て! 俺はいらないってのか!」

 その道を知る者には名を知られた剣士にして精霊使いである男を配下に収めたグルトフラングは、かつての部下に向き直った。

「男が命を張って身代わりになると言っている。受けろ」

 つまり、お払い箱だから帰れというわけである。もちろん、ジェハにも意地というものがある。不貞腐れて、朝日に水滴の煌く柔らかい苔の上に座り込んだ。

「俺は残る。いらないっていうんなら、ここで殺せ」

 グルトフラングは、知らん顔をして背中を向けた。一言いい捨てて、その場から歩み去る。

「命をどう捨てるかは、お前次第だ」

 しばし団長を見送っていた傭兵たちは再び、さっきまで敵として矢を交わしていた弩弓兵の亡骸を運び出しにかかった。

 それを手伝いもしないで、オヤッサンは涙で顔をぐしゃぐしゃにしてジェハに歩み寄った。

「ジェハ! よくもまあ、お前……」

 命の助かった仲間に鼻水でべとべとになった顔をすりつけようとしたところで、オヤッサンのサボりを咎める声が上がった。未だに名前を呼んでもらえない男は、ずんぐりした体形からは想像もつかないような素早さで駆け去っていく。

 傭兵団とはぐれてから2日しか経っていないのに、もう何年も会っていないような気がする。懐かしささえ感じながら見送るジェハの背後で、クローヴィスがつぶやいた。

「食えない爺さんだな」

「食えない?」

 オヤッサンではなくグルトフラングのことだと気付いて聞き返したジェハに、後輩となったクローヴィスはいつも通り眠たげな声で答えた。

「最初から、私を引き込むつもりだったのだ」

 ジェハは、しばし絶句する。では、命懸けで食い下がったあの談判は何だったのだろうか。

 その答えは何となくわかっていたが、恐る恐るながら、一応は聞いてみた。

「じゃ……俺は?」

 クローヴィスはあっさり答えた。

「いわゆる人質さ……仲間にならないとこいつをスロガ公爵に売るぞ、ってね」 

「あのジジイ!」

 ジェハは怨嗟の呻き声を上げたが、見回りに歩いているはずの姿は、忙しく立ち働く兵士たちに紛れて分からない。

 グルトフラング傭兵団は、次の作戦に取りかかろうとしていた。

 リナの待つ「帰らずの森」には、しばらく帰れそうもない。

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