第12話 最初の対決

 ガールッタは、水車小屋のグルガンのもとに預けられた。グルガンはしぶしぶながらも引き受けたが、同時にこんなことも言った。

「なるべく目立つように村を出ろ。二度と村には戻らんという顔をしてな。ワシは何も知らんことにして、ガールッタを帰す」

 ジェハに異論はなかったが、心配なことが一つだけあった。

「ガルバは?」

「薬で眠らせてある。目を離すとすぐ無理をするんでな」

「ガルバは知らないほうがいい?」

 頷くグルガン。

「目覚めた時に何事もなかったかのように全てにケリがついておらねば、ヤツがかわいそうじゃ」

 それは、ジェハにも理解できた。

 確かに、他所者が乱闘騒ぎまで起こして村に居座るというのは危険なことである。襲ってきたのは向こうだが、正面から仕返しできないとなれば、何かの弾みに毒薬でも盛られかねない。それに、自分たちが消えてグルガンも知らん振りを決め込めば、今日の一件はなかったことになるだろう。ガールッタだって、今日の一件は人に知られたくないはずだ。

 ならば短剣を見てくれというクローヴィスの頼みに応じて刀身を眺めたグルガンは、おやという顔をした。

「読める文字になっておるな」

「たぶん、グノムスの呪文の力だろうね」

 なるほどとグルガンが短剣の文字を解読すると、文言は次の通りだった。

「汝の愛する者この刃もて命断たぬ限り深き水底の王の妻となるべし」

 ジェハは聞いて首を傾げたが、クローヴィスはいきり立った。興奮で握り締めた拳がぶるぶる震えている。

「見つけた……」

 その様子をじっと見ていたグルガンが尋ねた。

「行くのか?」

 クローヴィスは答えず、グルガンの手から短剣をひったくった。

 グルガンは、クローヴィスをじっと見つめて言った。

「それをどうする気だ?」

「これが多分、『深き水底の王』のもとへ行く鍵だ」

「当て推量も甚だしいな、お前らしくもない」

「リナは、『深き水底の王』に選ばれた。いつかはそのもとに行かなくてはいけない。じゃあ、どうやって? だから、『深き水底の王』はこの短剣を渡した。妻となる彼女を、自分のところへ呼び戻すために……」

 グルガンとクローヴィスが議論している間、ジェハは別のことを考えていた。

 ……どうしてリナが? どうしてそんなわけのわからないものに魅入られてしまったのか?

 ジェハは、祠の中で見つけたペンダントを眺めた。

 ところどころ錆びの浮かんだ、銀のペンダント。開けてみると、白いドレスに身を包んだ美しい女性が微笑んでいる。おそらくは、このペンダントがそれを知るカギだろうとジェハは思った。

 クローヴィスが声をかけた。

「ジェハ、そのペンダントを見せてくれないか」

 ジェハは答えずに、ペンダントを持って外へ出た。クローヴィスはジェハを追いかけ、捕まえて聞いた。

「そのペンダントの肖像画、リナに似ているんじゃないか」

 クローヴィスは、いつしか彼女をリナと呼ぶようになっていた。ジェハは、それが気に入らなかった。

「それがどうした」

「そのペンダントを貸してくれ。彼女に似ているかどうか確かめたいんだ」

 たいしたことではないのだが、ジェハは絶対に渡したくなかった。

 ジェハの口から、強い拒絶の言葉が出た。

「いやだ」

「なら、私とリナのところへ来てくれ。誰のペンダントか、私が直接聞こう」

「何でアンタが聞くんだよ」

「私は、全てを知らなくてはならない。『深き水底の王』に会うために」

 ジェハはなおも拒んだ。もう、理屈ではなかった。クローヴィスには渡したくない、その一心だった。

「いやだ」

 クローヴィスが、深い溜息をついた。天を仰ぐ。そろそろ夕暮れ時だった。ジェハも空を見た。冷たい紺色に染まっていた。

 やがて、クローヴィスがジェハを真っ直ぐに見据えた。黒太子の剣に手をかける。

「ならば力ずくでも奪う」

 ジェハも咄嗟に身構えた。コートの裾を払い、腰の剣をむき出しにして低く屈む。

「君には分かるまい」

 眠たげな声がつぶやいた。

「分かりたくもない」

 ジェハは鼻で笑う。クローヴィスは憐むように言った。

「分からないほうがいいかもしれないな」

「何だと……!」

 侮辱されたような気がして、ジェハはクローヴィスの顔を見つめた。

 悔しくなるくらい端正な顔だちだった。

 その表情に、嘲笑の色はない。

 クローヴィスは、切れ長の目をなおも細める。

「自分が何者なのか、どこから来てどこへ行くのか、そんなことに思い悩むのは、ばかばかしくて苦しいものさ」

 ジェハはクローヴィスの隙を伺う。

「だったら、考えるのなんかやめちまえ」

「それが出来ないと気づいたときに、私の旅は始まった」

 黒太子の剣は、ジェハの剣より踏み込みの間合い一つ分だけ長い。つまり、相手が剣を振り上げた瞬間に懐へ飛び込めば勝機はある。

 お互いの姿が夕闇に溶けていく中、二人は必殺の構えをとって睨み合った。

 ジェハはクローヴィスの目を見た。薄暮の中に光る両の目は、真剣だった。

 その光が、一瞬だけ閃いた。ジェハは直感した。

 ……来る!

 が、来なかった。クローヴィスに抜き打ちの一撃を叩きつけようとしていたジェハの手が止まった。

 黒太子の剣は、抜けなかったのである。

 クローヴィスは、再び天を仰いで深い溜息をついた。

「分かった。君に任せよう」

 ジェハは、再びコートの下に剣を隠した。

「どういうことだ?」

 クローヴィスは、ジェハの目を真っ直ぐに見て微笑した。迫り来る暗闇の中で、歯だけがやけに白かった。

「この剣は、抜くべきときにしか抜けない。君からこのペンダントを奪ってはいけないということだ。すまん。我を忘れていた」

 クローヴィスはグルガンの家の中に戻ろうとして、振り向いた。

「行ってくるといい。全て君に任せるから」

 ジェハはものも言わずに駆け出した。もちろん、リナのもとへ向かうためである。

背後から聞こえるクローヴィスの声が遠ざかっていった。

「リナにも、私の気持ちは分からないほうがいい」

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