第11話 蛇の短剣の謎

 森を出て、村の中を駆け抜けるジェハとクローヴィスに、すれ違う村人が怪訝そうな顔をして振り返った。遊んでいた子どもたちが訳も分からず、歓声を上げてついてきたが、ついてこられるわけもなく、すぐに諦めてもとの遊びに戻っていった。

 ガールッタの店が見えてきた辺りで、クローヴィスが低く囁いた。

「待った」

 苛立たしげに、ジェハは立ち止まった。

「何だよ」

「あれを見て」

 クローヴィスが指差す先には、店の周りにたむろする逞しい若者たちの姿があった。

 ある者は腕を組み、ある者はあちこちに目を配りながらうろうろ歩いている。

 ジェハはつぶやいた。

「なにやってんだ、あいつら」

 クローヴィスが息をついた。

「心当たりはないかな」

 あるんだろう、と言わんばかりの口調だった。

「分かりきったことを」

 ガールッタのところから短剣の鞘を持ち出したのがジェハであることは、クローヴィスにも察しがついているはずである。敢えて答える気はなかった。

 若者たちがジェハに気づいたようだった。ぞろぞろと歩いてくる。

 クローヴィスが囁いた。

「この場は逃げたほうが無難じゃないか」

 ジェハは若者たちから目を離さずに答えた。

「無駄だな。あの手を見ろ」

 若者たちは、手に手に木の棒や棍棒、鍬や鋤を持っている。

 ジェハは、コートの下の剣に手をかける。クローヴィスが止めた。

「駄目だ」

「どこへ逃げても向こうから探しに来るぞ、この村にいる限り」

「そうじゃない」

 若者たちが駆け寄ってきた。

 クローヴィスがゆっくりと息を吐いて身構える。身体を半身に引いて、拳を握り締める。

「剣を抜いたら、殺してしまう」

 ジェハも剣から手を離した。

 まだ見つかってはいないが、彼もスロガ公爵の兵に追われる身である。

 村の中で殺人を犯したり、人に大怪我をさせたりすれば、いかに「帰らずの森」の中とはいえ、村人たちはスロガ公爵のもとにご注進に走るだろう。

 ジェハはクローヴィスにつぶやいた。

「手加減してやれよ」

 棍棒を手にした一人がクローヴィスに襲い掛かる。長い銀髪がふわりと揺れる。

 瞬く間に、棍棒が湿った地面の上へ転がった。うつ伏せに、一人倒れる。

 呆れ顔のジェハに、クローヴィスは、あくび混じりでぼそりとつぶやいた。

「ちょっと転ばせただけさ」

 コノヤロウと振り下ろされる、樫の木の棒を半身にかわすクローヴィス。

 相手の身体をやり過ごしたところで後頭部に鉄拳を見舞う。

 うっ、と前にのめった顔面に、真っ直ぐな拳が飛ぶ。

 殴られた男は直立した姿勢のまま、すとんと身体を地面に落下させた。

「そいつら、生きてるよな」 

 振り下ろされる鍬や鋤をかわしながら、ジェハはクローヴィスに念を押した。

 素手で戦ってはいても、相手は素人である。こんな軽口を叩きながらでも充分相手が出来た。

 わずかな隙を付いて一人の懐に飛び込み、腹に拳の連打を見舞う。

 横から来る相手には、やはり腹への肘打ちをくれてやった。

 たちまち2、3人がもんどりうって倒れる。

 ジェハは吐き捨てるように言った。

「ケンカは背の低いヤツが有利だって、覚えておけ」

 クローヴィスはと見ると、突き出される馬鍬を低い姿勢でかわし、ガラ空きの正面に深く踏み込んで膝蹴りを入れたところだった。

 背後から組み付こうとする者にも、機会を与えない。振り向きざまに回し蹴りが弧を描く。

 最後の一人がくるくる回って倒れたところで、クローヴィスが「さて」と言った。

 ジェハが答える。

「そのまま寝かしとけ。大怪我したわけじゃない。気が付いたら家に帰るだろうよ」

 そう言ってガールッタの店の戸を開けようとしたが、中からカギがかかっている。

 開けろと喚いたが、戸はぴくりとも動かない。

 拳で乱暴に戸を叩くと、中からか細い声がした。

「おまえだね。倉庫を荒らしたのは。」

「カギは責任持って直してやるよ」

 もちろん、それはガルバの仕事である。ジェハは身構えるなり、全身を扉に叩き付けた。

 ガールッタが悲鳴を上げる。

「やめておくれよ!」

「じゃあ、さっさと中に入れな」

 二度三度の体当たりで、ガールッタはようやくジェハを家に入れた。クローヴィスがそれに続く。

「あんたは?」

 はじめまして、とクローヴィスは微笑した。

 その歯はやっぱり無駄に白い。

 どうもどうも、とガールッタが愛想笑いをした。

 ジェハは店の戸を自ら閉めた。そのままもたれかかる。

 ガールッタの愛想笑いが凍りついた。

「何のつもりだい?」

「聞きたいことがある」

「アタシが聞きたいくらいさ。倉庫から、何持ってったんだい?」

 それに応えて、ジェハは鞘に収めた短剣を見せた。ガールッタはシラを切る。

「そんなものがあったっけねえ」

 この一言には、さすがのクローヴィスも顔をしかめた。

 ジェハはガールッタにつかつかと歩み寄った。

 ペンダントをつきつける。

「見覚えはないか?]

「さあねえ」

「『瘴気の森』の祠で見つけた」

 そのときガールッタの顔色が変わったのを、ジェハは見逃さなかった。 

 ペンダントを開いてみせる。

「この人は、誰だ?」

 ジェハの問いに、ガールッタは答えなかった。顔を背ける。ジェハは怒鳴りつけた。

「答えろ!」

 ガールッタは部屋の隅に逃げた。ジェハが追う。

 また逃げた。なおも追う。部屋の隅に追い詰めようと歩を進めると、ガールッタはいきなり悲鳴を上げた。 

凄まじい勢いでジェハを突き飛ばし、捕まえようとしたクローヴィスの腕をふりほどく。

 扉を開け、何やら大声を上げて店を飛び出す。

「待て!」

 ジェハが追い縋ろうとすると、クローヴィスが肩を掴んで制した。

「後を尾行るぞ」

 半狂乱になって走っていくガールッタに、すれ違う村人は皆振り返ったが、相手にしない。ジェハとクローヴィスは、なるべく目立たないよう左右に分かれ、いそいそと畑仕事に行き交う村人たちの間を縫って早足にガールッタを追った。

 やがてガールッタは村の端の柵にたどり着いた。ぶくぶくと膨れ上がった身体をえっちらおっちらと乗り越え、森の中へと入っていく。クローヴィスと共に少しずつ間を詰めていくジェハの耳には、ガールッタの呟きが聞こえてきた。

「畜生、あの女……何で今になって……何で今になって……」

 ジェハとクローヴィスが柵をひらりと乗り越えると、その森の中は下草が生い茂って暗かった。その下草を踏みわけ、かき分けながら木々の間をガールッタは走る。見失わないようにジェハは全力で後を追った。クローヴィスは平然と森の中を駆け抜ける。

 ガールッタが立ち止まったのは、小さな墓の前だった。

 墓といっても、土を高く盛り上げて石を積んだだけのものである。その墓に突っ伏して、ガールッタは叫んでいた。

「何だい、今になって出てきやがって! 娘が死ななかったんだからいいだろ! あれからアタシらの子どもだって死ななくてよくなったんだよ! 感謝してるよ、だから娘の面倒だって見てるじゃないか! もう忘れておくれよ! 忘れさせておくれよ! なあ、アンタの名前もダンナの名前も聞きぞこなったけどさ……」

 それから身体を起こし、高い高い森の梢に向かって、いや、木々の枝に遮られて見えない空に向かって何やら叫び始めたが、あとはもう支離滅裂で、何を言っているのか分からなかった。

 ジェハとクローヴィスが駆け寄ったときには、墓に最後の罵声らしきものを浴びせ、ばったり倒れた後だった。

 墓の前に転がったガールッタの肥満体を見つめながら、ジェハはクローヴィスに聞いた。

「起こせないのかよ」

 クローヴィスは首を横に振る。

「よしたほうがいい、あまり追い詰めて舌なんぞ噛まれた日には面倒なことになる」

「それにしてもこの墓……」

 ジェハは剣を抜いた。逆手に抜いて墓の土に突き立てる。

「まだ土が柔らかい。手で掘れるぞ」

 剣を鞘に収め、墓の土に手をかけようとすると、クローヴィスが止めた。

「それもよそう。私たちは他所者だからね。下手なことは命取りになるってことは、さっき分かったろう」

 別に命取りというほどでもなかったが、そういつもいつも大人数で襲い掛かってこられては、命がいくつあっても足りはするまい。

「じゃあどうするんだ。誰の墓か分かんなけりゃ……」

「たぶん、リナさんの両親の墓だ。村に来ていきなり病気で死んだというのは信じがたいが……」

「じゃあ、墓の中を調べてみようぜ」 

 クローヴィスは、墓をじっと見つめて言った。

「グノムスに聞く」

「グノムス?」

「土の精霊だよ」

 ジェハも、その名は何となく聞いたことがあった。そういえば鉱山探しの男たちは、グノムスのお守りなどと称して小さな金属片をペンダントにしている。

 だが、そんなものと話ができるなどというのはおとぎ話ぐらいでしか聞いたことがなかった。

「そんなものと話せるのか?」

「呪術師のもとで育ったと言っただろう?」

 クローヴィスが印を結んで呪文を唱えはじめた。何度か印を結び変えるうちに、何かぼんやりした影が浮かんできた。

 その気味の悪さに、ジェハは小さく悲鳴を上げた。印を解いて、クローヴィスが言った。

「グノムスだ」

 グノムスは、ハッキリした姿をとらないままだった。背の高さはジェハの半分ぐらいである。

 墓の上でゆらゆらと揺れているその姿が、面倒くさそうにうずくまる。

 ジェハがクローヴィスに言った。

「墓の中はどうなってるんだ? 聞いてくれ」

 間髪入れずに、早口で答えが返ってくる。

「精霊は人間のすることに興味がない。見返りと引き換えに、分かることだけを答えてくれる」

 クローヴィスが尋ねると、グノムスが何か答えたようだった。細い腕を伸ばして、ジェハのほうを指差す。クローヴィスが首を横に振る。グノムスは聞かないようだった。

 しばらく辛抱してみていたが、こらえきれなくなってジェハは尋ねた。

「何やってんだよ」

 クローヴィスが溜息をついてジェハを見た。

「中の骨がどうなっているか聞いたら、その短剣をよこせと言われた」

「待てよおい」

 リナから預かった大事な短剣である。しかも、大事な手がかりのひとつだった。刀身の文字も、まだ解読できていない。

 だが、クローヴィスは言い切った。

「渡さなければ、墓の主はリナの両親だろうという推測のままだ。しかも、何で死んだのか分からない」

「聞かなくちゃいけないことなのか」

「本当に病死なら、まだいい。もし、そうでなければ……」

「分かった」

 仕方なく、ジェハは承知して短剣を渡した。

 病死でなければ、答えは一つしかない。だが、この村で本当のことを教えてくれる者がいるとは思えなかった。

 クローヴィスは短剣を見せながら、グノムスに尋ねた。

 グノムスが何か答えた。クローヴィスは、短剣を渡した。

 短剣を受け取ったグノムスは鞘を外し、刀身に対して何やらぶつぶつと唱える。

 ジェハはクローヴィスに尋ねた。

「何て話したんだ?」

「中の骨はバラバラらしい」

 突然、甲高い悲鳴が上がった。ジェハもクローヴィスも思わず目を閉じ、耳を塞いだ。

 だが、その声はすぐに止んだ。

 ジェハが目を開けると、グノムスの姿はもうなかった。ただ、鞘と短剣だけが別々に、墓の上に転がっていた。

 クローヴィスが短剣を取り上げた。刀身を眺めて、何か気づいたようだった。ジェハが短剣を覗き込むと、確かに今までとは何かが違った。

 短剣を鞘に戻してジェハに返すと、クローヴィスはガールッタの太った身体を軽々と担ぎ上げてジェハを促した。

「戻ろう、グルガンのところへ」 

 ジェハは、短剣に何があったのか尋ねた。クローヴィスは一言で答えた。

「たぶん、グルガンにも読める」

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